見もの・読みもの日記

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明治人は偉大か?/万国博覧会の美術

2004-08-07 23:18:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展「世紀の祭典 万国博覧会の美術」

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=4

 いやいや。かなりヘンなものを見てきた気分である。まず、ほとんどの作品がデカい。そして、すさまじくゴテゴテである。

 ちょうどこの展覧会を見にいく道中、司馬遼太郎の『中国・江南のみち』を読んでいた。著者は蘇州の庭園の人工主義に辟易してこんなふうにもらす。「実用を超えて、技術だけを誇示するだけの瑣末主義(略)は、東方の素朴な実用的建築造形の国からきた者には、目の休まるいとまのない圧迫感と暑苦しさを感じさせる。」

 普段ならこの一般論に何の反対もない。しかし、この万国博覧会の美術に関してはちょっと...

 司馬は、明清以降の庭園や建築のわずらわしさの原因を中国の官僚制と科挙制度に求める。ともかくも科挙に合格さえすれば、誰でも一瞬にして富と権力を得ることができる。「かれらは、いわば一代成金であった。詩文に達しているとはいえ、趣味においてすべての大官が洗練されていたとはいえず、むしろ逆であったろう。」

 ふむ、考えてみると、明治という時代をリードしたのも、華族だの士族だの言ったところで、要するに一代成金たちだったのではないか。昨今、(いわゆる司馬史観の影響を受けて)明治を「偉大な時代」として持ち上げたがる風潮があるが、この展覧会は、そういう思い込みを笑いとばすには格好かもしれない。

 東博のホームページにある「すさまじいまでのエネルギーに溢れた『19世紀の万国博覧会』の世界」というコピーは、かなり穏やかな表現である。とにかく、明治初期の作品は趣味がよくない。何でもいいから単純な数や量で人を驚かせようとしている。それに、巧妙に中華趣味を真似て、知識のとぼしい西洋人に売り込もうとしている下心が見え見えでせこい。日本文化の独自性を押し出そうというような気概は全くない。

 ただ、その趣味の悪い作品をじっと眺めていると、よくここまでとことんやったなあ...という不思議な愛着が湧いてくるものもある。それは美術作品というよりも、職人芸に対する尊敬と愛着である。

コメント (1)
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