■揚州(隋煬帝陵、唐城遺址、文峰塔、プハティン墓園など)
朝から土砂降りの雨。隋の煬帝陵は、一度は観光開発に手をつけたものの、途中で投げ出した気配があって、わびしかった(管理人室だけは賭けトランプで盛り上がっていたが)。
ふと後ろを見ると、専用車の運転手の頼(ライ)さんが、興味深そうに我々と同じ方向を眺めている。これまでこういう運転手さんはいなかったのだが、我々の行き先がよほど珍しいのか、実は歴史ファンなのか、頼さんは、ときどき一緒に着いて来て、自分のデジカメで熱心に写真を撮っていた。
プハティン墓園は元から明清時代の古い墓地で、異国に客死したイスラム教徒たちがひっそりと眠っている。大運河によって世界に門戸を開いた国際都市、揚州の明るさを際立たせる陰翳のようだ。リービ英雄さんの近著『我的中国』を思い出す。
このほか、博物館になっている唐城遺址を見学。揚州のランドマーク文峰塔は、工事中で登楼を果たせず、ちょっと残念。
■鎮江(金山寺、焦山、北固山)
午後はフェリーで長江を渡り、鎮江へ。相変わらず雨が降り続く。味噌で有名な金山寺では、塔に登って眺望を楽しむ。
連絡船で長江の中洲にある焦山へ渡る。島全体が観光名所になっており、安芸の宮島みたいなものだ。見どころは碑林。米芾だの蘇東坡だの、著名人の碑刻が並ぶ長い回廊を見てまわり、最大の見もの「瘗(エ イ)鶴銘」を探す。これは書聖・王羲之が書いたとか、雷鳴とともに山から落ちてきたとか、鶴が翅で撫ぜると文字が現れたとか、謎めいた伝説を持つ碑刻である。どうやら、奥の中庭にしつらえた楼閣に飾られているらしかったが、鍵を持った管理人がいないということで開けてもらえなかった。
■宋街(西津古渡街)ほか
この日も夕方には雨があがり、傘をたたんで、北固山(呉の孫権の城跡)を散策。あとは「宋街」の観光である。最近、中国の観光地は、どこでも明清街とか 宋街とか名づけた復古調のショッピングストリートを作って人を集めている。鎮江の宋街もどうせそんなものだろうと思っていた。
ところが、車を下りて「はーい。こちらです」と案内されたのは、なんでもない上り坂。商売気のない骨董屋が1軒開いているだけのさびれた細道である。しばらく進むと、舗装が石畳(レンガ敷き)に変わり、両側にも重厚なレンガ造りの建築が現れる。道にかぶさるアーケードのように白塔が立っているのが珍しい。これがつまり、宋代以降の町並みの名残りなのだ。
予想外の光景に呆然としながら、さらに進むと、道は下り坂になり、今度は史跡でも何でもない下町の路地に迷い込んでしまった。道端に椅子を持ち出して夕涼みするおばあちゃん、立ったまま食事中のおじさん、道を挟んで家の中からお向かいと会話をしているおばさんなど、他人の生活をのぞくようで申し訳ないと思いながら、おもしろくて足が止まらない。でも、きっと、ここも近いうちに、復古調の「宋街」になってしまうんだろうなあ。
元代の白塔 | 宋街というより清末の雰囲気 |
最後にもう1ヶ所、鎮江市博物館を予定に入れていたのだが、大規模な改修工事中で参観はできず。団長の石川さんが苦笑いして言うには、「そういえば、この夏、上野松坂屋の『中国歴代王朝展』に鎮江市博物館の文物が出ていて、やけにいいものが来ているなあと思った」由。
【2019/5/4 geocitiesより移行】