見もの・読みもの日記

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外交という仕事/吉田茂の自問

2004-09-29 12:19:13 | 読んだもの(書籍)
○小倉和夫『吉田茂の自問:敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』藤原書店 2003.9

 本書は、1951年、吉田茂首相が外務省の若手官僚に命じて、満州事変以来の日本外交の歩みを検証させた文書「日本外交の過誤」に対して、著者が今日的視点で検証と分析を加えたものである。「日本外交の過誤」は50頁ほどの報告書で、2003年4月、初めて公にされた。

 私は日本に生まれてこの方、国家には「外交」という仕事がある、ということを、最近まで忘れていた。これは、私が特別にうかつなのではなく、いまの日本人として、ごく普通の認識なのではないかと思う。

 だって、この20年とか30年間、日本に「外交」があったと言えるだろうか。アメリカの後に着いていくか、国民の顔色をうかがっているか、のどちらかではなかったか。ガイムショーの役人というのも、(申し訳ないけど)無策な政治家に使われるパシリか、そうでなければ個人の蓄財に励むか、どっちかのイメージしか私にはなかった。

 まして戦前(戦時中)の話になると、外務省が1つの職能集団として自立していたというイメージは薄い。だから、軍部の戦争責任は、天皇は、内閣は、政党は、あるいは国民は...という問いかけをすることはあっても、そもそも「外務省の責任は」という問題提起をすること自体、一般には稀であると思う。

 報告書「日本外交の過誤」は、外務省の官僚自身が、自分たちは、専門職能集団として、他の集団には代替できない特別な役割が「あったはずだ」という自覚に立ち、その役割をどうして果たせなかったか、ということを検証したものだ。作業自体は貴重だと思うし、なかなか示唆に富む記述もある。

 たとえば、大義のない外交、道義に基づかない外交(他国の犠牲の上に自国の利を貪ろうというような)は、結局はダメだ、という点とか。それだけ読むと、理想主義者のたわごとみたいだけど、事実としての敗戦の反省に基づき、こういう指摘がなされたことは記憶すべきだと思う。

 しかし、今日、日本人の多くが、相変わらず「外交」という仕事を理解できていないのは、結局、この自問自答の経験が生かされなったということだろう。報告書には、軍部が宣伝活動による世論の形成に力を注いでいたのに対し、外務省は国民を味方につけることを全く考慮してこなかった、という反省もちゃんとあるのになあ。

コメント
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