見もの・読みもの日記

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須磨~松風/源氏物語(3)

2004-09-04 21:26:23 | 読んだもの(書籍)
○玉上琢彌訳注『源氏物語 第3巻』(角川文庫)1966.2

「須磨がえり」という言葉を聞いたことがある。この巻は、華やかな恋愛絵巻が一段落し、源氏は内省的な生活を余儀なくされるため、読むのをやめてしまう読者が多い、ということを言ったものだ。

 しかし、これは俗説だと思う。「須磨」「明石」はおもしろい。京に残してきた女性たちとの和歌や手紙のやりとりは、それぞれの個性を反映していて、実際の対面以上に1つ1つ味わい深い。

 そうか。この時代、格式どおりに男女が対面しても「言ってはいけないこと」や「してはいけないこと」が多くて、結局、どの対面もマンネリにしかならないんだな。だからこそ、歌物語というジャンルがあり得たし、源氏の恋愛は、常に掟やぶりなかたちになるのだな。

 前の巻で気づいたことだが、「葵」あたりまで、「源氏」の描写には、息苦しいまでの密着感がある。暗闇の中で相手をまさぐっているような感じ。

 登場人物がうれしがったり、恥じらったり、おびえたりする心の動きは描写されているけれど、彼らが何を着て、どんな姿態でいるのかという説明は、ほとんどない。室内の調度や自然の描写も、あまり印象に残るものがない。

 読者にとっては、同時代の風俗を写した小説だから、説明が要らなかったということか。後世の「平家」や「太平記」などの軍記物語が、これでもかというくらい固有名詞を連ねて、鎧兜や太刀や弓の種類を描き分けている情熱とは大きな違いである。

 それが、「須磨」のあたりから少し変化が現れる。なんというか、作者の視点が少し登場人物から遠のいて、舞台が広くなったように感じられる。

 はるばる訪ねてきた親友の宰相中将と一緒に眺める須磨の風景とか、暴風雨の去った海づらで明石入道が登場するシーンとか、自然描写が効いている。「蓬生」の末摘花邸の荒れ具合も、思わず知らずストーリーに引き入れられるような描写である。

 さらに「絵合」では、衣装とか敷物とか薫物について固有名詞がずらずらと並んで、華やかな雰囲気を盛り上げる。この変化にはちょっと面食らう思いだった。どうしたんだろ。なんか、手本となる資料があったのかな。

 物語としては「蓬生」がいい。いいなあ。末摘花って、実に際立って個性的でヘンな女性である。「末摘花」の巻では、顔が不細工で源氏をがっかりさせたことになっているけど、「蓬生」では姫の容貌のことには一切ふれていない。とにかく内気で生真面目で偏屈で(当時のトレンド風俗である仏道修行にさえ手を出そうとしない)、時流に合わないのである(なんとなく、身近の女友だちの何人かを思い出してしまった)。

 前段では漢文読み下しみたいなガチガチの和歌を詠んで、読者の笑いを誘っていたが、ここでは、なんとか女性らしい和歌を詠み出して、源氏に「昔よりはねびまさり給へるにや」(昔よりは大人になったらしい)と少し感心(安心?)させている。

 結局、末摘花は源氏の邸宅に迎え取られて、不自由なく、静かに暮らしたことになっている。実に素敵なおとぎ話...と、多くの女性たちが、長い年月、共感して読んできたんだろうなあ、この巻。

 続く。
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