見もの・読みもの日記

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驢馬にのる芥川/江南游記

2004-09-21 23:10:53 | 読んだもの(書籍)
○芥川龍之介『上海游記・江南游記』(講談社文芸文庫) 2001.10

 芥川龍之介といえば、「杜子春」「芋粥」「トロッコ」などは子供の頃、けっこう熱愛していたものだ。それが、大学生くらいになって、あらためて大人向けの作品を読んでみたときは、才気とペダントリーが鼻について、好きになれなかった。不思議なもので、最近また、好んで芥川を読むようになった。

 本書は、大正10年、大阪毎日新聞の依頼を受けて、およそ4ヶ月にわたって、上海・南京・蘇州・杭州など中国各地を遍歴した芥川龍之介の紀行文「上海游記」「江南游記」「長江游記」「北京日記抄」「雑信一束」をまとめたものである。

 昨今、書店に並ぶ外国の印象記といえば、だいたい、その国が好きで好きでしかたのない作者が書いたものと決まっている。初めはそれほどでなくても、次第にその国の魅力に目覚めていくとか。少なくとも「紀行文」のジャンルで正面切った悪口は書かれない。

 それがまあ、芥川の紀行文は「支那」に対する悪態だらけだ。不潔、俗悪、卑屈、無愛想。あばたもえくぼ式の甘口紀行文に慣れた現代読者は、芥川の大胆不敵さにハラハラしつつ(こんなこと書いちゃっていいの?クレームこないの?)、同時に、自分の偽善性を暴かれるようで赤面する。

 こういう居直ったようなふてぶてしさと、可憐なまでの繊細さ・鋭敏さの同居が、芥川の魅力である。芥川は、驢馬を使って蘇州城を見てまわったらしいが、病弱な身体をだましながら、驢馬の背に傲然とまたがる図は、なんだか、芥川に似合いのイメージだと思った。

 もちろん、芥川は「支那」の理解者である。愛好者でもある。文中に散りばめられた古今の漢詩。「わが李太白」と呼ぶ口調にこめられた愛情。

 蘇州の玄妙観で、打ちものの試合をしている男たちを見ながら、「水滸伝」について書き及んだ一段がある。「水滸伝」の思想、すなわち、豪傑の心は善悪を超えたところにあるという一種の超道徳思想は「古往今来支那人の胸には、少くとも日本人に比べると、遥に深い根を張った、等閑に出来ない心である」。これは、紀行文の一挿話として読み捨てるには惜しい、非凡な文学論、文化論だと思った。

 芥川の指摘を待つまでもなく、「水滸伝」に着想を得て、忠義の化け物「八犬伝」を書いてしまった馬琴は、「支那」の理解者としては二流なのだろう。

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