○玉上琢彌訳注『源氏物語 第4巻』(角川文庫)1968.12
物語もこのへんになると、源氏もそれなりのおじさんになり、自分の色恋だけに時間を費やしているわけにはいかなくなる。息子の夕霧を大学寮に進学させるにあたって教育論を語ったり、姫君の養育や後見にも忙しい。
それでも、ときどき好きごころが動く。終始一貫して源氏に隙を見せない朝顔の斎院を懲りずに口説いてみたり、あろうことか、六条御息所の忘れ形見である斎宮女御にふらふらと言い寄ってみたり、父親代わりに引き取ったはずの玉葛(夕顔の遺児)にもその気になってしまったり、しょうのない困りものである。さすがに父子ほど年の違う姫君たちには、本気で拒絶されているのが可笑しい。
源氏の年齢は30代後半。当時は40歳が老人の始まりだから、現代に当てはめると、50を過ぎて若い娘に言い寄るおじさんというところか。渡辺淳一の世界だなあ。。。
当該巻の白眉は、なんといっても「玉葛」だろう。故夕顔の乳母とその夫(太宰少弐)は、長年、ひそかに姫君を養育申し上げていたが、無理無体な田舎人の求婚を避けるため、豊後介(少弐の長男)は、姫君を連れて筑紫を逃げ出す。思えば大胆な行動である。彼らは筑紫に妻や家族を残したまま、あてもなしに京(みやこ)に逃げのぼってしまうのだ。
当時の主従の絆って、ほんとにこんなに強かったのかなあ。でも、確かに紫の上に着いていって幸せをつかんだ少納言とか、末摘花から去ってしまって幸せをつかみ損ねた侍従とかの例によれば、女房や乳母(とその一族)の幸せは、お守り育てた姫君の運次第と言える。
さて、豊後介らは、今後のことを祈願するため、長谷寺に参詣することにし、椿市の宿で、故夕顔の女房であり、今は源氏に仕えている右近と再会する。
同じようなシチュエーションは、今昔物語などの説話文学にもあるけれど、再会した人々の心の揺れが、これほど細やかに書かれた作品はほかにないと思う。はじめは、知っている人であるように思うけれど、姿かたちが変わっていて思い出せない。と、同行者の中にも見知った人がいる、これはやはり、と思って話しかけようとするが、なかなか機会がつかめない...
すごいと思う。たとえば、宮中で起こる色恋沙汰や年中行事であれば、作者にとっては日常生活そのものなのだから、材料には困らないだろうが、地方人の生活とか、下層階級の人々の心理と行動を、よくまあ、こんなふうに生き生きと書けたものだ。感心しながら読んだ。
そのほかでは、花散里が、万事ひかえめで気のおけない女性として愛されている。このひとは、際立った個性もないのに、源氏に一定の信頼と愛情を注がれ続ける不思議な女性である。実は作者は、もうちょっと物語らしい物語を書いた(書こうとしていた)のではないか。でも、結局、あまり面白く書けなかったので、短い「花散里」に書き直して辻褄を合わせたのではないかしら。そんなことを考えてみた。
いよいよ深みに入る「源氏」、次に続く。
物語もこのへんになると、源氏もそれなりのおじさんになり、自分の色恋だけに時間を費やしているわけにはいかなくなる。息子の夕霧を大学寮に進学させるにあたって教育論を語ったり、姫君の養育や後見にも忙しい。
それでも、ときどき好きごころが動く。終始一貫して源氏に隙を見せない朝顔の斎院を懲りずに口説いてみたり、あろうことか、六条御息所の忘れ形見である斎宮女御にふらふらと言い寄ってみたり、父親代わりに引き取ったはずの玉葛(夕顔の遺児)にもその気になってしまったり、しょうのない困りものである。さすがに父子ほど年の違う姫君たちには、本気で拒絶されているのが可笑しい。
源氏の年齢は30代後半。当時は40歳が老人の始まりだから、現代に当てはめると、50を過ぎて若い娘に言い寄るおじさんというところか。渡辺淳一の世界だなあ。。。
当該巻の白眉は、なんといっても「玉葛」だろう。故夕顔の乳母とその夫(太宰少弐)は、長年、ひそかに姫君を養育申し上げていたが、無理無体な田舎人の求婚を避けるため、豊後介(少弐の長男)は、姫君を連れて筑紫を逃げ出す。思えば大胆な行動である。彼らは筑紫に妻や家族を残したまま、あてもなしに京(みやこ)に逃げのぼってしまうのだ。
当時の主従の絆って、ほんとにこんなに強かったのかなあ。でも、確かに紫の上に着いていって幸せをつかんだ少納言とか、末摘花から去ってしまって幸せをつかみ損ねた侍従とかの例によれば、女房や乳母(とその一族)の幸せは、お守り育てた姫君の運次第と言える。
さて、豊後介らは、今後のことを祈願するため、長谷寺に参詣することにし、椿市の宿で、故夕顔の女房であり、今は源氏に仕えている右近と再会する。
同じようなシチュエーションは、今昔物語などの説話文学にもあるけれど、再会した人々の心の揺れが、これほど細やかに書かれた作品はほかにないと思う。はじめは、知っている人であるように思うけれど、姿かたちが変わっていて思い出せない。と、同行者の中にも見知った人がいる、これはやはり、と思って話しかけようとするが、なかなか機会がつかめない...
すごいと思う。たとえば、宮中で起こる色恋沙汰や年中行事であれば、作者にとっては日常生活そのものなのだから、材料には困らないだろうが、地方人の生活とか、下層階級の人々の心理と行動を、よくまあ、こんなふうに生き生きと書けたものだ。感心しながら読んだ。
そのほかでは、花散里が、万事ひかえめで気のおけない女性として愛されている。このひとは、際立った個性もないのに、源氏に一定の信頼と愛情を注がれ続ける不思議な女性である。実は作者は、もうちょっと物語らしい物語を書いた(書こうとしていた)のではないか。でも、結局、あまり面白く書けなかったので、短い「花散里」に書き直して辻褄を合わせたのではないかしら。そんなことを考えてみた。
いよいよ深みに入る「源氏」、次に続く。