○仲正昌樹『なぜ「話」は通じないのか:コミュニケーションの不自由論』 晶文社 2005.6
講演会で、演者の「話」を聴かない人々が増えている。私語やケータイいじりをやめられない若者だけではない。悪質な聴衆は、ウズウズしながら質問タイムを待っている。彼らがしたいのは、当日の講演内容に関する質問ではなく、自分が日頃、思っている意見を、公衆の前で披露することだけだ。同じような「コミュニケーション不全」は、学者や知識人どうしの論争にも、一般人のネット上の書き込みにも見られる。なぜ、こんなことが起こるのか?
第1章では、上記の実例を、著者が司会をつとめた、あるシンポジウムでの体験をもとに報告する。「悪質な聴衆」に対する糾弾は、相当に厳しい。著者は「あとがき」で、自分はむしゃくしゃした体験をそのまま活字にしたりしない、ある程度、時間が経って、他人事のようになった時点で「ネタ」として再構成するのが「まともな物書き」だ、と書いている。しかし、大学のセンセイが(ネタであっても)こういう手厳しい糾弾を活字にすることに慣れていない読者は、ちょっと「引く」だろうなあ、と思った。実際、私も、この章は「そこまで言わなくても」「大人気ない」という引っかかりを感じながら読んだ。
第2章以下は、こうした「コミュニケーション不全」が起きる理由を、理論的に解明したもので、私はここから初めて、わくわくする面白さを感じた。学界ゴシップの好きな読者は第1章を面白がるだろうが、私は、だんぜん第2章以下を買う。行間に颯爽とした著者の姿が見えるようだ。
乱暴に要約してしまえば、「歴史=大きな物語」の衰退のあと、我々のまわりには「小さな物語」が乱立するようになった。その中には、フーコーの「ミクロ権力論」とか「カルチュラル・スタディーズ」のように、目立たないかたちで日常生活に張り巡らされた「権力」の網を暴露し、対抗しようとする、比較的まともなものもある。
しかし、大多数の人々は、「小さな物語」にこだわるポーズを取りながら、結局は、白黒のはっきりした「大きな物語」を描いてしまう。一方では、知的経験が乏しいため、自分の「物語」が陳腐なものであることに気づかない。一方では、自分の主張と過去の大思想家に何らかの共通点を見つけると、権威に寄りすがって「私と大先生の物語」を作り上げようとする。また、弱者を単一のカテゴリーに押し込めて、自分がその代弁者になれると思い込みがちである。
根底にあるのは、「二項対立」的思考法の不毛である――というわけで、本書もまた、安直なディベート教育の弊害を指摘している。別稿でも述べたように、私は、つい最近、生まれて初めて「ディベート」実習というものを経験した。はっきり書いておくと、人事院関東事務局が主催した「女性職員キャリアサポートセミナー」という研修でのことだ。そのとき感じた「なんだかなあ、これは」というモヤモヤが、このところの読書によって、だんだん明晰に言語化できるようになってきた。その点では、逆説的に、あの研修は非常にタイムリーで有意義だったとも言える(誰か、人事院の関係者、ここ読んでくれないかな)。
本書の後半では、「噛み合わない論争」の例として、イラク人質事件をめぐる「自己責任論争」を検証している。人質と日本政府と、どちらの応援団も、論理的な錯誤を犯しているという指摘で、いま読むと、非常に首肯できる分析である。でもなあ、当時は応援団も観衆もむやみにヒートアップしてたし、私自身も、両応援団のどちらの態度に「より多く不快感を感じるか」が尺度になってしまって、本書のような冷静な分析はできなかった。
もうひとつ、高橋哲哉と加藤典洋の「戦後責任論争」の分析も興味深かった。著者は、高橋が批判の対象とした加藤の「(自国の死者を悼むことを)先に置く」という言い回しに「優先する」というニュアンスを読み取るのは、高橋の深読み(ただし許容される範囲の)であり、加藤の意図は形式的に「先に置く」ことでしない、とする。そして、加藤は高橋の「(汚辱の記憶に)恥じ入りつづける」という言い回しに、無自覚な共同体意識(=隠れたナショナリズム)を看破している、実はこれこそ加藤が「自国の死者の哀悼」を通じて克服したいと考えたものだ、と続ける。
う~そうか、そうだったのか。だとすると、高橋哲哉と加藤典洋の立ち位置って、そんなに離れたものじゃないじゃん。離れたものでないから、この論争、分かりにくかったのだろうか。しかし、正直なところ、私はまだ、加藤典洋の「先に置く」という文学的表現を、正確に理解できている自信がないのだけど。
講演会で、演者の「話」を聴かない人々が増えている。私語やケータイいじりをやめられない若者だけではない。悪質な聴衆は、ウズウズしながら質問タイムを待っている。彼らがしたいのは、当日の講演内容に関する質問ではなく、自分が日頃、思っている意見を、公衆の前で披露することだけだ。同じような「コミュニケーション不全」は、学者や知識人どうしの論争にも、一般人のネット上の書き込みにも見られる。なぜ、こんなことが起こるのか?
第1章では、上記の実例を、著者が司会をつとめた、あるシンポジウムでの体験をもとに報告する。「悪質な聴衆」に対する糾弾は、相当に厳しい。著者は「あとがき」で、自分はむしゃくしゃした体験をそのまま活字にしたりしない、ある程度、時間が経って、他人事のようになった時点で「ネタ」として再構成するのが「まともな物書き」だ、と書いている。しかし、大学のセンセイが(ネタであっても)こういう手厳しい糾弾を活字にすることに慣れていない読者は、ちょっと「引く」だろうなあ、と思った。実際、私も、この章は「そこまで言わなくても」「大人気ない」という引っかかりを感じながら読んだ。
第2章以下は、こうした「コミュニケーション不全」が起きる理由を、理論的に解明したもので、私はここから初めて、わくわくする面白さを感じた。学界ゴシップの好きな読者は第1章を面白がるだろうが、私は、だんぜん第2章以下を買う。行間に颯爽とした著者の姿が見えるようだ。
乱暴に要約してしまえば、「歴史=大きな物語」の衰退のあと、我々のまわりには「小さな物語」が乱立するようになった。その中には、フーコーの「ミクロ権力論」とか「カルチュラル・スタディーズ」のように、目立たないかたちで日常生活に張り巡らされた「権力」の網を暴露し、対抗しようとする、比較的まともなものもある。
しかし、大多数の人々は、「小さな物語」にこだわるポーズを取りながら、結局は、白黒のはっきりした「大きな物語」を描いてしまう。一方では、知的経験が乏しいため、自分の「物語」が陳腐なものであることに気づかない。一方では、自分の主張と過去の大思想家に何らかの共通点を見つけると、権威に寄りすがって「私と大先生の物語」を作り上げようとする。また、弱者を単一のカテゴリーに押し込めて、自分がその代弁者になれると思い込みがちである。
根底にあるのは、「二項対立」的思考法の不毛である――というわけで、本書もまた、安直なディベート教育の弊害を指摘している。別稿でも述べたように、私は、つい最近、生まれて初めて「ディベート」実習というものを経験した。はっきり書いておくと、人事院関東事務局が主催した「女性職員キャリアサポートセミナー」という研修でのことだ。そのとき感じた「なんだかなあ、これは」というモヤモヤが、このところの読書によって、だんだん明晰に言語化できるようになってきた。その点では、逆説的に、あの研修は非常にタイムリーで有意義だったとも言える(誰か、人事院の関係者、ここ読んでくれないかな)。
本書の後半では、「噛み合わない論争」の例として、イラク人質事件をめぐる「自己責任論争」を検証している。人質と日本政府と、どちらの応援団も、論理的な錯誤を犯しているという指摘で、いま読むと、非常に首肯できる分析である。でもなあ、当時は応援団も観衆もむやみにヒートアップしてたし、私自身も、両応援団のどちらの態度に「より多く不快感を感じるか」が尺度になってしまって、本書のような冷静な分析はできなかった。
もうひとつ、高橋哲哉と加藤典洋の「戦後責任論争」の分析も興味深かった。著者は、高橋が批判の対象とした加藤の「(自国の死者を悼むことを)先に置く」という言い回しに「優先する」というニュアンスを読み取るのは、高橋の深読み(ただし許容される範囲の)であり、加藤の意図は形式的に「先に置く」ことでしない、とする。そして、加藤は高橋の「(汚辱の記憶に)恥じ入りつづける」という言い回しに、無自覚な共同体意識(=隠れたナショナリズム)を看破している、実はこれこそ加藤が「自国の死者の哀悼」を通じて克服したいと考えたものだ、と続ける。
う~そうか、そうだったのか。だとすると、高橋哲哉と加藤典洋の立ち位置って、そんなに離れたものじゃないじゃん。離れたものでないから、この論争、分かりにくかったのだろうか。しかし、正直なところ、私はまだ、加藤典洋の「先に置く」という文学的表現を、正確に理解できている自信がないのだけど。