見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

その日が来る前に/八月十五日の神話

2005-07-20 23:54:18 | 読んだもの(書籍)
○佐藤卓己『八月十五日の神話:終戦記念日のメディア学』(ちくま新書) 筑摩書房 2005.7

 はじめに、1945年8月15日の新聞紙面を飾った代表的な報道写真の数葉が、実は「やらせ」や、異なる日付・異なる状況を撮影したものであることを検証する。写真だけではない。同日の『朝日新聞』朝刊(午後に配達された)で、玉音放送の直後、皇居前広場で泣き崩れる人々を活写した記事は、入稿のタイムリミットから考えて、あらかじめ書かれた「予定原稿」でしかあり得ないという。

 こうして「写真は真実を伝える」「新聞は事実を伝える」という素朴な思い込みを取り払った上で、8月15日についての「定番の語り」が形成されていく様子を跡付ける。「古いとされるものも実は新しい」という、「創られた伝統」を暴き出すのは、メディア・スタディーズの得意とするところだ。

 そもそも、日本の「終戦記念日」は、なぜ、ポツダム宣言受諾の8月14日でなく、停戦命令の発せられた16日でもなく、玉音放送の15日でなければならないのか。戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印が行われた9月2日であってはならないのか。そこには、メディア、大衆、知識人など、さまざまな思惑と欲望が複雑にからんでいる。

 多くの日本人、特に戦争の遂行にかかわった日本人には「戦争に負けた」という事実から目を背けたい気持ちがあった、と言えよう。一方、丸山真男をはじめとする左派知識人は、新生日本の出発を「8・15革命」という言葉で称えた。占領国アメリカは、アメリカ本位の歴史意識を根づかせるため、「9月2日降伏記念日」を強く押し出し、「8月15日終戦」の記憶を封じ込めようと試みたが、サンフランシスコ講和条約以後、この対日政策は急速に軟化する(ただし、アメリカ国内における対日戦勝記念日VJデーは、今も9月2日である)。

 最も大きな影響力を持ったのは、「8月=魂迎えの月」という日本の古い伝統なのかもしれない。明治5年の改暦によって、太陰暦から太陽暦への切り替えが行われたが、実際には、新暦7月15日のお盆に移行したのは東京だけで、西日本では相変わらず旧暦(太陰暦)お盆、近畿・中部では中暦(新暦8月15日=月遅れ)お盆が並存していた。これが、おおむね全国的に、月遅れお盆に集約され、8月15日に「甲子園野球大会」「盆踊り」「全国戦没者追悼式」というメディア・イベントが完成するのは戦後のことである。

 また、8月15日の玉音放送を特権化する心性には、暦をつかさどり、時代を区切る「日和見」としての天皇の力(折口信夫、宮田登)が働いているとも言える。ここには、メディア・スタディーズの別の一面、「新しいとされるものも実は古い」という歴史の古層が、掘り起こされている。

 最後に著者は、国内外の歴史教科書を、長期の時間軸にわたって、検証・分析している。そこには、昨今の「教科書問題」報道では見えてこない、さまざまな問題があることが分かる。

 たとえば、小中学校の歴史教科書では「8月15日終戦」記述が一般的だが、高校の日本史教科書では「9月2日降伏」記述が標準であること。圧倒的なシェアを誇る山川出版社の歴史教科書では、『詳説日本史』がグローバル・スタンダードの「9月2日」型なのに、『詳説世界史』は「8月15日」型であること(私は高校で日本史を取らなかったから、9月2日の記憶が希薄なのか!)。

 中国は、もともとソビエト標準の9月3日を「抗日戦勝記念日」としていたが、近年、日本のメディア・イベント(閣僚の靖国神社参拝など)に引きずられるかたちで、8月15日の比重が増していること。

 教科書とは無関係だが、イギリスのVJデーが8月15日である理由とか、フランスが21世紀に入ってから9月2日のVJデーを祝い始めたことも興味深い。また、近年、「太平洋戦争」に代わって用いられることの多い「十五年戦争」という呼称に対しても、韓国国内には「中国中心史観」である、との批判が存在するという。確かに韓国の立場からすれば、五十年戦争、七十年戦争という言い方も不思議ではない。

 そのほか、「戦争の記憶」および「記憶の戦争」について、深刻だが、さまざまに興味の尽きない問題を提起した一冊である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする