○松本重治『上海時代:ジャーナリストの回想』(上中下)(中公新書)中央公論社 1974.10-1975.3
私にはめずらしく、図書館で見つけて、読んでみようと思った本である。松本重治という著者のことは何も知らなかった。ただジャーナリストの書いた戦前の中国、というのが面白そうだと思って読み始めた。
松本重治(1899-1989)は、関西財界の重鎮、松本重太郎の孫。従妹で妻の花子は明治の元勲、松方正義公の孫で、松方コレクションで有名な松方幸次郎の娘である。1932年に同盟通信社の前身である新聞聯合社の上海支局長となり、39年まで滞在。戦後は、太平洋戦争を阻止できなかった反省から、「宿屋(国際文化会館)のオヤジ」を自認し、民間レベルの文化交流に努めたリベラリストである(以上、「萬晩報」の記事を参考にした)。
本書は、1930年代の日中外交史を、ひとりの国際ジャーナリストの目から、委細を尽くして語ったものである。繰り返される小さな衝突。「このくらいまではいいだろう(脅しつければ、中国側は譲歩するだろう)」と、高をくくった日本政府の態度が、両国関係を追い詰めていく。
これについて著者は、「遺言」代わりに本書を執筆した動機を「『日本人は、隣国人の気持ちをもっとよく理解して欲しい』の一言に尽きる」と述べ、「東亜の一大悲劇たる日中戦争が惹き起こされた最大の原因が、当時の日本人の多くが、中国人の気持ちを理解し得なかったことにあることを、私なりに書きたかったのである」と述べる。
「隣国人の気持ちを理解できなかった」のは、当時の日本政府、あるいは政府内の一部の強硬派であると考えるのは正しくない。むしろ彼らに勢いを与えたのは、無責任な愛国的大衆ではなかったか。
そして、当時の構図は、今また繰り返されようとしているのではないか。本書を読んでいると、日本政府が、中国民衆の「反日・排日的行為」に対して厳重な取り締まりを申し入れるとか、そもそも「反日教育」が公認されているのがけしからんとか、一方の中国側も、日本の教科書に「中国を侮辱する記述があること」を憂慮するとか、めまいがするほど、目前の状況にそっくりなのだ。
1937年、日中戦争勃発。それでもなお、著者は上海にとどまり、中国の友人たちと語らい、外務省や陸軍内部の「不拡大派」の人々とともに、和平への努力を続ける。戦前のジャーナリストって、こんなふうに官僚顔負けの外交交渉を行っていたのか!とびっくりした。通りいっぺんの歴史教科書では、語られることのないエピソードが満載で、読みものとしても非常に面白い。
いったん戦争が始まったら、即座に日本人と中国人の交流が全て途絶するわけではなくて、個人と個人の信頼に基づく友情は、なお命脈を保ち得るのだな、と思うと感慨深かった。また、日本の参謀本部や陸軍中央にも、最後まで和平をあきらめなかった人々がいたというのも、新鮮な驚きだった。
しかし、生命を危険にさらしながら、日中の和平に努力した人々の名前を、我々はどれだけ覚えているか。正直なところ、日本人にしろ中国人にしろ、私には、初めて聞く名前ばかりだった。終戦後60年を迎え、日中関係の緊張が高まる今だからこそ、もっと読まれてほしい本である。
いろいろ調べていたら、中国では今年3月に本書の中国訳が刊行されたという嬉しいニュースを見つけた(Web東方『上海だより』2005年6月)。グッドタイミングである。日本語原著も、より多くの人に読まれることを期待したい。
私にはめずらしく、図書館で見つけて、読んでみようと思った本である。松本重治という著者のことは何も知らなかった。ただジャーナリストの書いた戦前の中国、というのが面白そうだと思って読み始めた。
松本重治(1899-1989)は、関西財界の重鎮、松本重太郎の孫。従妹で妻の花子は明治の元勲、松方正義公の孫で、松方コレクションで有名な松方幸次郎の娘である。1932年に同盟通信社の前身である新聞聯合社の上海支局長となり、39年まで滞在。戦後は、太平洋戦争を阻止できなかった反省から、「宿屋(国際文化会館)のオヤジ」を自認し、民間レベルの文化交流に努めたリベラリストである(以上、「萬晩報」の記事を参考にした)。
本書は、1930年代の日中外交史を、ひとりの国際ジャーナリストの目から、委細を尽くして語ったものである。繰り返される小さな衝突。「このくらいまではいいだろう(脅しつければ、中国側は譲歩するだろう)」と、高をくくった日本政府の態度が、両国関係を追い詰めていく。
これについて著者は、「遺言」代わりに本書を執筆した動機を「『日本人は、隣国人の気持ちをもっとよく理解して欲しい』の一言に尽きる」と述べ、「東亜の一大悲劇たる日中戦争が惹き起こされた最大の原因が、当時の日本人の多くが、中国人の気持ちを理解し得なかったことにあることを、私なりに書きたかったのである」と述べる。
「隣国人の気持ちを理解できなかった」のは、当時の日本政府、あるいは政府内の一部の強硬派であると考えるのは正しくない。むしろ彼らに勢いを与えたのは、無責任な愛国的大衆ではなかったか。
そして、当時の構図は、今また繰り返されようとしているのではないか。本書を読んでいると、日本政府が、中国民衆の「反日・排日的行為」に対して厳重な取り締まりを申し入れるとか、そもそも「反日教育」が公認されているのがけしからんとか、一方の中国側も、日本の教科書に「中国を侮辱する記述があること」を憂慮するとか、めまいがするほど、目前の状況にそっくりなのだ。
1937年、日中戦争勃発。それでもなお、著者は上海にとどまり、中国の友人たちと語らい、外務省や陸軍内部の「不拡大派」の人々とともに、和平への努力を続ける。戦前のジャーナリストって、こんなふうに官僚顔負けの外交交渉を行っていたのか!とびっくりした。通りいっぺんの歴史教科書では、語られることのないエピソードが満載で、読みものとしても非常に面白い。
いったん戦争が始まったら、即座に日本人と中国人の交流が全て途絶するわけではなくて、個人と個人の信頼に基づく友情は、なお命脈を保ち得るのだな、と思うと感慨深かった。また、日本の参謀本部や陸軍中央にも、最後まで和平をあきらめなかった人々がいたというのも、新鮮な驚きだった。
しかし、生命を危険にさらしながら、日中の和平に努力した人々の名前を、我々はどれだけ覚えているか。正直なところ、日本人にしろ中国人にしろ、私には、初めて聞く名前ばかりだった。終戦後60年を迎え、日中関係の緊張が高まる今だからこそ、もっと読まれてほしい本である。
いろいろ調べていたら、中国では今年3月に本書の中国訳が刊行されたという嬉しいニュースを見つけた(Web東方『上海だより』2005年6月)。グッドタイミングである。日本語原著も、より多くの人に読まれることを期待したい。