見もの・読みもの日記

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顕教の美と六道絵/大津 国宝への旅(大津市歴史博物館)

2010-11-13 08:32:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
大津市歴史博物館 開館20周年記念企画展『大津 国宝への旅』(2010年10月9日~11月23日/後期:11月2日~)

 めずらしく仕事で京都に行ったので、半日の会議を終えて、あたふたと大津に向かった。10月に前期を観覧したこの展覧会の、後期を見るためである。週半ばの平日とあって、館内は閑散としていた。

 最初の展示室Aは文書類が中心だが、けっこう入れ替わっている。独特の癖のある、円珍の筆跡が目立つ。Wikiに「枯枝のような」というけれど、厳しい人柄に似合わず、ふにゃふにゃした書風に思われる。その円珍の肖像彫刻、前期は秘仏「黄不動」と対面するかたちで中尊大師が展示されていたが、後期は第1室に御骨大師がお出ましだった。中尊大師よりも胸が厚く、怒り肩で、力に満ち満ちている感じがする。展示室Aの後半、仏像はほとんど入れ替わりなし。盛安寺所蔵の『藤花・牧牛図屏風』(寛永初期)は、左右の図柄が全く無関係なのに調和的という、不思議な魅力のある一双屏風である。

 展示室Bの仏画は、総入れ替わり。見ものは、聖衆来迎寺の「六道絵」だろう。全15幅(閻魔庁1、地獄4、人道4、餓鬼1、畜生1、阿修羅1、天人1、念仏による救済2)のうち12幅を展示。「人道四苦相図」は江戸期の模本(11/16~原本)、あと2幅は写真パネルだった。解説に、横川の霊山院に伝来したものというので、近代になって所蔵が替わったのかと思ったら、信長の叡山焼き討ちの際に聖衆来迎寺に移されたのだそうだ。浄土教の本場(=源信ゆかりの横川)で製作された、という解説を読んで、古い時代の浄土教美術って、こんなに恐ろしいものだったんだ、とあらためて思った。後世の浄土真宗になると、俗悪と紙一重のキンキラ趣味のイメージがあるのだが…。

 「宋画とやまと絵の双方の影響がある」というので、どのへんが?と思って、まじまじと第1幅に向き合ったが、これは1枚の中に双方の影響があるというより、宋画の影響の強いものと、やまと絵的な伝統に忠実なものが、シリーズの中に入り混じっていると考えたほうがいいと思う。シンメトリーの強いものとそうでないもの、人物を大きく描くものと小さく描くものといった具合で、それぞれ、かなり個性がある。よく見ると、画に添えられた文章の書体もさまざま。

 私が好きなのは「阿鼻地獄図」。上空から真っ逆様に落ちてくる亡者は「暗闇の中をニ千年の間ひたすら堕ち続ける罪人」なのだそうだ。このイメージ力、すごいな。巨大な獄卒の身の丈の数倍まで噴き上がる猛火。イヌのような怪物は銅狗というのだそうだ。『矢田地蔵大士縁起』にも出てきた。炎の描写に、ちょっと応挙の『七難七福図巻』を思い出す。応挙は、この『六道絵』、少なくとも江戸期の写しは見てるんじゃないかな。ちなみに私、この作品は、2008年の琵琶湖文化館休館直前の収蔵品特別公開以来である。たぶん。

 このほか「顕教の美」と題して、宋や高麗の仏画、宋元画をもとにした鎌倉・室町期の仏画など、全体に異国趣味の漂う作品を多数紹介。しかし、いいな、と思う作品は、ことごとく聖衆来迎寺と関係がある。このお寺、一度行ってみなければ…。『絹本著色楊柳観音像』は、宝冠と瓔珞に荘厳された観音が、ゆったりした半跏踏下のポーズで思索にふける姿を、やや横向きに描く。ベール越しに透けるピンク色の柔肌。足下には小さな善財童子。高麗仏画の典型的な画題のひとつだそうだ。奈良博の『絹本著色釈迦三尊像』3幅も、もとは聖衆来迎寺伝来。頭部のはちの広がった釈迦の面相といい、豪華な衣装に埋もれた細身の文殊・普賢といい、ものすごく宋風。いや、中国では宋といえば、貴族文化に代わって、堅実で現世的な市民文化の交代期なんだけど、日本に伝播した「宋風」って、その華麗でデカダンな上澄みだけ貰ってきた感じがする。などと一考。

 明徳院の『絹本著色地蔵菩薩像』は、面長で、地味だがよく見ると美形。足下の踏み割り蓮華、たなびく雲足が、東大寺の快慶作の阿弥陀如来立像を思わせる。両腕を高く掲げた清水寺式千手観音や、金色の仏菩薩集団を描く来迎図が多いことも目立った。

 結局、2時間以上を過ごして、閉館のチャイムに送られて退出。同時開催中の『大津百町大写真展』は見られなかった。嗚呼…。
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