見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

守り伝えた人々/東大寺大仏(東京国立博物館)

2010-11-10 00:54:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 光明皇后1250年御遠忌記念特別展『東大寺大仏-天平の至宝-』(2010年10月8日~2010年12月12日)

 大仏造立に関わる作品を通して天平文化の精華を紹介する展覧会。早くに行った友人からは「拍子抜けするほど空いている」と聞いていたが、せっかくなので11月2日~21日の正倉院宝物展示期間を待って見に行った。日曜日の昼前、だんだん混み始める時間なので、順番を無視して、正倉院宝物の展示室に直行。場内は、そこそこ程度に賑わっている。

 今日いちばんのお目当ては『銀壺』。生気あふれる狩猟図を刻印した大型の銀製容器で、ほぼ同形同大で文様も同一の「甲」「乙」が一対で伝来し、今年の正倉院展には「甲」が、この東大寺大仏展には「乙」が出品されているのである。このことはネットの掲示板で知った。四隅からスポット照明が当たっているせいか、文様は奈良博より見やすい感じがした。縁の近くに、ウサギの姿も確認。

 「甲」「乙」の文様が本当に同じものか、写真を見比べてみようと思って図録を買って帰った。同じ箇所の写真はほとんどなかったが、唯一、台座の小さな文様で、有翼馬の背を押さえる男の図が共通していて、もし同じ位置の写真だとすれば、有翼馬の表情や周囲の草花や小動物の配置が、微妙に異なることが分かる。ついでに気になったことを書いておくと、今年の正倉院展の図録は、72ページの銀壺に関して「誤まりがありました。上の図版に差し換えて下さるようお願いいたします」というコメントつきの訂正紙が1枚挟まっている。訂正版のほうが写真写りがいいので、それで差し替えかな?と思っていたのだが、誤り写真は、どうも『東大寺大仏』展図録151ページの掲載写真に一致するようなのだ。「甲」(正倉院展出品)と違えて「乙」(東大寺展出品)の写真を載せちゃったということかな? 下衆のかんぐりだったらごめんなさい。

 このほか、正倉院の宝物では、大仏開眼会に使われた縹縷(開眼縷)、筆、墨が揃っていて、往時が偲ばれた。金銅板を鳳凰形に型抜きした『金剛鳳形裁文』は初見かもしれない。平等院の鳳凰さながらの均整のとれた姿態。古代の日本人は、龍より鳳凰のほうが好きだったみたいだなあ。

 この展示室(天平の至宝)のもうひとつの見ものは、輝き、聳え立つ不空羂索観音菩薩立像の光背。ネット等では「光背だけかよ」とすこぶる評判が悪かったが、これはこれでいいと思った。私は三月堂の不空羂索観音が大好きなので、光背だけでも、はっきり御姿を幻視することができる。会場では、斜め隣りに等身大(?)に近い大写真パネルがあり、これも嬉しかった。本物の観音像には絶対できないくらい近寄って、しげしげと不躾に観察してしまった。光背の裏側にまわって、金色に輝く支柱を発見したときも、ひそかな秘密に触れたようで興奮した。

 「スカスカ」「つまらん」と悪評が多い展覧会だが、私は思ったよりも楽しめた。冒頭に戻って、東大寺構内で発見された出土遺物(主に瓦)の分類展示も面白かったし、地中レーダーを用いた探査風景の写真には目を見張った。芝刈り機を引くおっさんみたいだ。いいなあ、奈文研。仏像は少なめだが、肖像彫刻の名品は勢ぞろい。僧形八幡神像は、神像だが、頬や頸肉のたるみ具合など、老僧の肖像彫刻と見たほうがいいだろう。

 たび重なる苦難からよみがえり、今日に至った東大寺を紹介する最終章では、鎌倉時代の重源上人の功績はよく知られたところだが、三好・松永の合戦以来、1世紀以上も荒廃していた東大寺を、貞亨・元禄年間に復興した公慶上人の粉骨砕身の努力をあらためて知った。現存する大仏殿も大仏の頭部も、江戸ものだから品がないとか、勝手なことを言ってきて、申し訳なかったと思う。
コメント
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