見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

武闘派大集合/薬師如来と十二神将(鎌倉国宝館)

2010-11-24 23:22:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
鎌倉国宝館 特別展『薬師如来と十二神将~いやしのみほとけたち~』(2010年10月16日~11月23日)

 気がつけば、久しぶりの鎌倉である。隣りの逗子市に住んでいた頃は、毎週末の散歩コースだったのに。鶴岡八幡宮の鳥居の前に立つと、今年の秋から、大銀杏の姿を欠いた正面の石段がもの思わしい。

 お目当ての国宝館の展示室に入り、思わず、あっと声が出そうになった。本展は、辻薬師堂に伝来した薬師三尊像及び十二神将立像の修理完成を記念する展覧会。ということで、中央の「舞台」には薬師三尊像。その周囲(舞台の下)を、ほぼ等身大、全身鋼鉄のように黒光りし、玉眼ばかりが不気味に光る十二神将がぐるりと取り巻く。壁沿いの展示台上からは、これも魁偉な木造の神将像6体が、入館者を値踏みするように見下ろしている。さらに奥にも、小ぶりな神将像の列が続く。見渡す限り、甲冑に身をつつみ、武器を構えて睨みをきかす武闘派揃い。ちょっと待て。「いやしのみほとけたち」って、おかしいだろ…と苦笑する。

 今回、集まった神将像は、大小取り交ぜて76体にのぼる。

(1)鎌倉国宝館(辻薬師堂旧蔵) 鎌倉時代、12体(4体は江戸)、等身大
(2)覚園寺 室町時代、6体、等身大
(3)曹源寺 鎌倉時代、12体
(4)宝城坊 鎌倉~南北朝時代、2体、等身大
(5)宝城坊 平安時代、12体
(6)影向寺 南北朝時代、12体
(7)円覚寺 室町時代、4体
(8)海蔵寺 江戸時代、4体
(9)東福寺 江戸時代、12体

 はじめ、私は覚園寺の6体に見とれた。右端から、午神→未神→申神(実際の並びはこの逆)の3体が、高い台上から見下ろす視線を、ちょうど集中して受ける位置に立つと、ぞくぞくするほどいい。ただ、少し動きまわってみると、この神将像は、ある1点から見るにはいいが、視点を変えると、人体デッサンが崩れるように思った。その点、辻薬師堂の十二神将像は、いずれも、どの方向から眺めても破綻がない。12体のうち4体は江戸時代の作だというが、見分けがつかない。よくよく眺めて、未、申、亥までは当たりをつけたが、あと1体が分からなかった(正解は卯神)。そうかー。まだまだ眼力ないなあ。覚園寺像の「寅神の大きく腰をかがめる姿勢」「戌神の巻き毛」等の特徴は、鎌倉周辺に残るいくつかの十二神将像に(国宝館=辻薬師堂像にも)共通しており、その根本像として、覚園寺前身の大倉薬師堂が想像されるのだそうだ。

 横須賀・曹源寺の像は、何度か東博でお目にかかっている。巳神が、運慶の毘沙門天に似ているというが、確かに様子のいい若武者ふう。私はむしろ隣りの辰神が、目尻の皺までリアルな、壮年の武将の顔をしていることに驚いた。はじめの子、丑、寅神が、誇張の大きい仏像顔であるのに比べると、後半は人の顔をした神将像が多い。

 なお、「いやしのみほとけたち」は決してウソではなく、十二神将が仕える薬師如来も集合している。私の好みは、やや面長な、長楽寺像。どこのお寺から思ったら、八王子にあるらしい。この展覧会、県外者には聞きなれないお寺の名前がずいぶんあったので、展示図録に所在一覧(不完全でもいいから)を付けてくれればよかったのに、と思った。四季の花の美しい海蔵寺は私のお気入りのお寺で、立ち寄れば、薬師堂のご本尊には必ずご挨拶をしていくのだが、胸の中にこんな大きな仏頭を抱いていらっしゃるとは知らなかった。びっくりした。
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いくぶんの危惧/決闘 ネット「光の道」革命(孫正義、佐々木俊尚)

2010-11-24 01:20:02 | 読んだもの(書籍)
○孫正義、佐々木俊尚『決闘 ネット「光の道」革命』(文春新書) 文藝春秋社 2010.10

 直前に読んだ『孫正義のデジタル教育が日本を救う』が、提灯持ちとまではいわないが、孫正義氏の意見を「ダダ漏れ」するだけみたいな本で、面白くなかったので、もう1冊と思って、本書を選んだ。佐々木俊尚氏は、『2011年 新聞・テレビ消滅』を面白く読んだ記憶があったので、建設的な議論をしてくれるのではないかと期待したのだ。

 テーマは、このところニュースを賑わせている「光の道」。2010年3月、原口総務大臣(当時)が打ち出した「ブロードバンドを2015年までに全世帯に普及させる」という構想の別名である。4月20日、「光の道」実現に向けたタスクフォースによる、通信会社へのヒヤリングが行われ、ソフトバンクの孫正義氏は「全面支持」のスピーチを行った。これに佐々木氏がツイッターで「全面不同意」を表明したのがきっかけで、5月13日、ユースト(Ustream)およびニコニコ動画で5時間にわたって中継配信された対談が、本書のもとになっている。

 私は本書を手に取るまで、政府の「光の道」構想を全く知らなかった。言いわけすると、今年の4~5月は、職場替え&転居で忙しかったのである。私は今回の引っ越しを機に、ADSLから光に乗り換えた。本書の対談が行われた5月13日といえば、ちょうど新居の賃貸マンションに光敷設工事が終わって、わくわくと光の威力を試していた頃ではないかと思う。使ってみると、やっぱり通信速度は速ければ速いほど快適である。こうなると、以前よりも、動画サイトを見る機会が増えた(海外の動画サイトにつなぐと、まだ100%満足ではない)。

 そんなわけで、孫氏が、光サービスの利用率が3割程度に留まっているのは、光に需要がないのではない、利用料金が今よりも高くなることと、初期費用が高い(家の外までは来ている光回線を、家の内壁に引き込む工事にお金がかかる)ことが原因である、というのは、理解できる。

 佐々木氏は、ブロードバンドの重要性は認めた上で、これだけ日本の国費が逼迫している状況では、最優先で財源を振り分けるべきは、違うところ(利活用のレベルアップ)ではないか、と主張し、孫氏は広帯域化と利活用の両方だという。孫氏は、自説の補強根拠として、第一に「国費ゼロで全家庭に光回線を引くことができる」という試算を説明する。ものすごく単純化すれば、メタル回線の保全費を光の敷設費に振り返る、という案だ。第二に「光の道」を前提とした利活用の例として、電子教科書と電子カルテを挙げる。どちらも総論としては文句がない。しかし、広帯域化は大前提であっても、それだけで国民生活を豊かにするサービスが実現できるのかは、やっぱり心もとない。教育改革も医療改革も、広帯域化の必要性を納得させるための「プレゼン材料」として用意されているだけのような気がする。

 私は、広帯域化の促進は、政府が一律に責任を持つ必要はなく、「先に豊かになれる者から豊かになれ」でいいと思っている。インターネットも携帯通話エリアもそうやって普及してきたのではなかったか?

 最後に佐々木氏は、「ソフトバンクは”モンゴル帝国軍”である」という一文を寄稿している。勇猛果敢な騎馬軍団を有したモンゴル帝国がユーラシア大陸を版図におさめた結果、治安と交通の便がよくなり、共通の経済・文明ルールができて、本当の意味での「世界史」がスタートした。ソフトバンクは乱暴な企業だけど、このパワーがないと、小国乱立みたいな日本は変わらないのではないか、という趣旨だ。言いたいことは分かるが、ちょっと苦笑したのは、「じっくり調整して…というような手法を採用していたら」強大な帝国は生まれなかった、という下り。最近読んだ、杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』の描き出すモンゴル軍とはずいぶん違う。佐々木氏は、モンゴル軍は「残虐で強引」で、「ロシアやブルガリア、ハンガリーの人たちを殺戮しまくった」と書いているけど、これは、古いステレオタイプなのではないか。そして、若い世代がドラマチックなデジタル教材を中心に学ぶようになると、こういう印象の強いステレオタイプを抜け出すのに苦労することになるんじゃないかと、私は少し危惧を感じている。
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