見もの・読みもの日記

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NHK大河ドラマ『龍馬伝』を振り返る

2010-11-30 00:36:18 | 見たもの(Webサイト・TV)
NHK大河ドラマ『龍馬伝』第48回(最終回)「龍の魂」(2010年11月28日放送)

 『龍馬伝』が終わった。だいたい完走。見逃した回や、ダレて斜め視聴になった回もあったけど、9割は見たと思う。私は、72年の『新・平家物語』から大河の記憶がある世代だが、完走したのは07年の『風林火山』が初めて。このときは、録画をニ度三度見直すくらい夢中になったが、今回は、だいぶユルい完走である。もうちょっと面白くなるんじゃないか、と期待しているうちに、不完全燃焼で終わってしまった。

 『風林』のほうが文学的・演劇的で、意味深なセリフがたくさんあって、私には面白かった。『龍馬伝』は、音楽的・視覚的な要素を重視していて、画面の構図、色彩、光線などには凝っていたが、言葉はないがしろにされていたように思う。子どもの学芸会みたいな、底の浅いセリフの繰り返しに加えて、セリフの聴き取りにくい俳優が多くてイライラした。

 こういうと悪評だらけになってしまうが、セリフのない場面はけっこう心に残っている。第24回『愛の蛍』とかね。最終回、広い海辺にぽつんと佇むお龍の心細げな表情もよかった。女性キャラ以外でも、個人的にベスト回だと思っている第46回「土佐の大勝負」では、山内容堂が後藤象二郎に黙って杯を差し出すシーン。そのあと、大政奉還の建白書をしたためるべく机に向かって筆を取る容堂も終始無言で、カメラは俳優の表情をいとおしむように迫っていく。耳には音楽。ああいう撮り方は巧かったなあ。

 最終回の龍馬暗殺シーンも、暗殺者側にはセリフがほとんどなく、結果的に緊張感が高くて感心した。全編のクライマックスシーンに選挙速報テロップがかぶるという「奇跡」を見届けた感慨はおいておくとして。龍馬暗殺の黒幕(首謀者)については、むかしから諸説紛々あるらしいが、このドラマは京都見廻組の単独犯行説ということでいいのかな。突発的な右翼テロにやられたみたいで酷い、という感想をネットで読んだが、それでいいのだろう。「憎しみからは何も生まれん」というのは、このドラマのキーワードとなった龍馬のセリフ(もうちょっと工夫のある言い回しにはならんのか)であるが、まさに龍馬が退けた純粋な「憎悪」を具象化したような三人組だった。でも、「何も生み出さない」極限まで純粋な憎悪って逆に魅力的だなあと(これをニヒリズムという)一瞬だが思わせてしまったのは、今井信郎役の亀治郎が巧すぎた所為である。

 今年、私が何度も視聴を断念しかけながら、最後までついて来られたのは、ひとえに後藤様の魅力のおかげである。ドラマの中のキャラクターも、俳優・青木崇高氏も、史実・後藤象二郎も、まとめて好きになってしまった。来年あたり、私がルイヴィトン(ダミエ柄)のバッグを持ち始めたら、血迷ったわけではなく、後藤様リスペクトの表現と思っていただきたい。

 『風林』以来、私は気になるドラマがあると、掲示板でほかの視聴者の感想を読むことを楽しみにしてきたが、今年の『龍馬伝』の場合、掲示板の評価はいまいちなのに、Twitterでは評価が高いことに、終盤で気づいた。2ちゃんねるだけ読んでいると、最終回の視聴率が20%を超すなんて絶対にありえないと思っていたが、Twitterに流れる素直な賛辞の嵐を読んでいて、これはもしかしたら?と思ったら、なんと21.3%も取ってしまった。ふだん自分が見聞しているメディアだけを「世間」と思っていると、見誤ることが多いということを実感した。

 年末の総集編もきっと見ると思う。たぶん、いろいろと毒づきながら。
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