○石川禎浩『革命とナショナリズム:1925-1945』(岩波新書:シリーズ中国近現代史3) 岩波書店 2010.10
これまで読んできた中国近代史とは、ちょっと毛色のちがう本だった。多くの日本人は、「日中関係」を基軸として中国の近現代史を眺めている。しかし、当たり前だが、中国人にとって、この時代の重要課題は日中関係だけではない。本書が起点とする1925年は、近代中国の「国父」孫文が「革命未だ成らず(革命尚未成功)」の遺嘱をのこして世を去った年だ。遺嘱の課題を実現するのは国民党なのか共産党なのか、以後の中国史は、両政党の協力と対立のもとに展開した、というのが著者の立脚点である。
「革命」という言葉もくせものである。現在の中国政府が、孫文の遺嘱にどのような解釈を与えているのか、私はよく知らない。おそらく共産主義イデオロギーに引きつけて、都合のいい歴史叙述を作りあげているのではないかと憶測する。だが、公平な目で見れば、当時の政治指導者にとって最大の課題は、民衆を近代国民に作り替え、近代国家「中国」を早急に作り出することではなかったかと思う。
本書が対象とする20年間は、大枠は「中華民国時代」と称されるが、内実は、国共両党のほか、直隷派、奉天派、安徽派と呼ばれる軍閥たち、ソ連コミンテルン、日本の傀儡政権など、さまざまな政治勢力が、虚々実々の合従連衡を繰り返しており、さらにその外周には、砂粒のようにバラバラの民衆がひしめいていた。この時期、日本は中国と「日中十五年戦争」を戦ったことになっているが、「日本」と対峙する「中国」という国家はまだ形成途上だったように思う。
政治指導者たちは、孫文の「遺嘱」の暗誦を民衆に強制したり、「新生活運動」なる社会教育運動(ラジオ放送を活用)や農村モデル事業によって「国民」精神の刷新に懸命につとめた。これらは同時期の日本の運動と似ているところもあって興味深い。
しかし、中国民衆の「客分」意識は徹底している。1940年前後の重慶市民を対象とした調査で、中国が戦っている相手が日本だと答えられなかった者が7%もいたというのだ。これを「遅れた」政治意識とみなすべきだろうか。私はむしろ見事だと思った。戦況が激しくなると、志願制が基本だったはずの共産党(紅軍)も、在地の民衆に根こそぎの動員や食糧供出を求めた。河南では、国民政府による収奪が苛烈すぎたため、農民・民兵が日本軍に味方して中国軍を攻撃する事態もあったという(へぇえ!)。要するに、平和で安穏な生活が第一と考える民衆にとっては、日本軍も迷惑だったが、共産党や国民党の軍政も同程度に迷惑だったということだ。
それでも、中国民衆にとって、最も迷惑な存在が日本だったことは論をまたない。1930年代、日本の侵略に直面した民族的危機感から、知識人以外の一般民衆の中にもナショナリズム(国民意識)が生まれる。流行歌の誕生はその一例である。
本書には、もちろんおなじみの政治指導者たちも登場し、劇的な活躍を見せるが(最も印象的なのは西安事変の張学良)、それ以上に興味深いのは、上記のような中国民衆の動向がリアルに叙述されていることだ。あとがきに述べられているように、イデオロギーの時代の革命史観が後退するに従い、新資料が徐々に公開されているそうで、中国近代史も、今後少しずつ見通しがよくなっていくのではないかと思う。
日本の侵略は中国民衆を近代的な「国民」に作り替えるにあたって、結果的に大きな「寄与」を果たしたと言えなくもない。しかし、それは結果である。中国研究者として苦渋に満ちた著者の言葉「中国人を屈服させる、簡単に言えばただそれだけのために行われた戦争と無数の蛮行・殺戮によって、日本はそれまでの日中関係史を根本からぶち壊すような巨大な不幸をつくりにつくったといわざるを得まい」という一節を最後に引いておきたい。
これまで読んできた中国近代史とは、ちょっと毛色のちがう本だった。多くの日本人は、「日中関係」を基軸として中国の近現代史を眺めている。しかし、当たり前だが、中国人にとって、この時代の重要課題は日中関係だけではない。本書が起点とする1925年は、近代中国の「国父」孫文が「革命未だ成らず(革命尚未成功)」の遺嘱をのこして世を去った年だ。遺嘱の課題を実現するのは国民党なのか共産党なのか、以後の中国史は、両政党の協力と対立のもとに展開した、というのが著者の立脚点である。
「革命」という言葉もくせものである。現在の中国政府が、孫文の遺嘱にどのような解釈を与えているのか、私はよく知らない。おそらく共産主義イデオロギーに引きつけて、都合のいい歴史叙述を作りあげているのではないかと憶測する。だが、公平な目で見れば、当時の政治指導者にとって最大の課題は、民衆を近代国民に作り替え、近代国家「中国」を早急に作り出することではなかったかと思う。
本書が対象とする20年間は、大枠は「中華民国時代」と称されるが、内実は、国共両党のほか、直隷派、奉天派、安徽派と呼ばれる軍閥たち、ソ連コミンテルン、日本の傀儡政権など、さまざまな政治勢力が、虚々実々の合従連衡を繰り返しており、さらにその外周には、砂粒のようにバラバラの民衆がひしめいていた。この時期、日本は中国と「日中十五年戦争」を戦ったことになっているが、「日本」と対峙する「中国」という国家はまだ形成途上だったように思う。
政治指導者たちは、孫文の「遺嘱」の暗誦を民衆に強制したり、「新生活運動」なる社会教育運動(ラジオ放送を活用)や農村モデル事業によって「国民」精神の刷新に懸命につとめた。これらは同時期の日本の運動と似ているところもあって興味深い。
しかし、中国民衆の「客分」意識は徹底している。1940年前後の重慶市民を対象とした調査で、中国が戦っている相手が日本だと答えられなかった者が7%もいたというのだ。これを「遅れた」政治意識とみなすべきだろうか。私はむしろ見事だと思った。戦況が激しくなると、志願制が基本だったはずの共産党(紅軍)も、在地の民衆に根こそぎの動員や食糧供出を求めた。河南では、国民政府による収奪が苛烈すぎたため、農民・民兵が日本軍に味方して中国軍を攻撃する事態もあったという(へぇえ!)。要するに、平和で安穏な生活が第一と考える民衆にとっては、日本軍も迷惑だったが、共産党や国民党の軍政も同程度に迷惑だったということだ。
それでも、中国民衆にとって、最も迷惑な存在が日本だったことは論をまたない。1930年代、日本の侵略に直面した民族的危機感から、知識人以外の一般民衆の中にもナショナリズム(国民意識)が生まれる。流行歌の誕生はその一例である。
本書には、もちろんおなじみの政治指導者たちも登場し、劇的な活躍を見せるが(最も印象的なのは西安事変の張学良)、それ以上に興味深いのは、上記のような中国民衆の動向がリアルに叙述されていることだ。あとがきに述べられているように、イデオロギーの時代の革命史観が後退するに従い、新資料が徐々に公開されているそうで、中国近代史も、今後少しずつ見通しがよくなっていくのではないかと思う。
日本の侵略は中国民衆を近代的な「国民」に作り替えるにあたって、結果的に大きな「寄与」を果たしたと言えなくもない。しかし、それは結果である。中国研究者として苦渋に満ちた著者の言葉「中国人を屈服させる、簡単に言えばただそれだけのために行われた戦争と無数の蛮行・殺戮によって、日本はそれまでの日中関係史を根本からぶち壊すような巨大な不幸をつくりにつくったといわざるを得まい」という一節を最後に引いておきたい。