〇王躍文著;東紫苑、泉京鹿訳『紫禁城の月:大清相国 清の宰相 陳廷敬』(上下) メディア総合研究所 2016.9
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原作は2013年に中国で出版された歴史小説。中国の現代作家の作品(それも歴史小説)を読んだことがあまりないので、珍しいと思い、読んでみた。主人公は、清の康熙帝時代の大政治家・陳廷敬(1638-1712)。清朝は、臣下のトップに権力が集中することを嫌って宰相を置かなかったが、名君・康熙帝に仕えた陳廷敬は、事実上の宰相(相国)とよばれた。汚職と権力闘争のはびこる朝廷で、多くの同僚が官界の荒波に沈む中、彼は「待つ(等)」「耐える(忍)」「穏健に行動する(穏)」だけでなく「無情に決断する(狠)」「控えめに立ち振る舞う(陰)」という五字の行動原理を堅持することによって、74年の生涯をまっとうした。
というわけで、歴史小説といっても、胸おどる天下分け目の合戦もないし、英雄豪傑も出てこない。何が面白いのか、と思うが、中国人はこういう「官場小説」が大好きなのだそうだ。「官場小説」というのは現代小説だけかと思っていたが、時代物にもいうと初めて知った。確かに、私が時々見る中国のドラマでも、時代設定にかかわらず、官界ならではの「腹の探り合い」とか「丁々発止の弁論」が、アクション以上の見どころだったりする。
物語は清の順治14年(1657)秋に始まる。山西省沢州の豪商の息子・陳敬は、科挙の第一関門である郷試に合格し、挙人となるが、不正を憎むまっすぐな気性のため、さまざまなトラブルに巻き込まれる。翌春、京師での会試に合格して進士となり、順治帝から「廷」の字を賜って、名乗りを改める。まもなく順治帝の急死によって、幼い康熙帝が即位。陳廷敬は、次第に「待つこと」「耐えること」を身につけて官界を渡っていく。
その後の陳廷敬の活躍は、舞台を変えたいくつかの「小さな物語」によって描かれる。
【山東】 今年は豊作のため、収穫の一部を朝廷に寄付したいと民が申し出ているという奏上があったので、確かめに行くと、悪徳官僚と商人の作り話に順撫が騙されていたことが分かる。
【山西】 陽曲県から皇帝の徳を称える龍亭建立の願い出があったこと、「大戸統籌」といって、地域の有力者に責任を負わせる収税法が成功しているとの奏上を確かめに行き、その虚偽を見破る。しかし、雲南での戦費の調達に悩む康熙帝は「大戸統籌」法を全国で行わせようとする。
【京師】 銅価の高騰によって、民間の市場から銅銭が消えてしまった。宝泉局の銭法侍郎となった陳廷敬は、長年の腐敗をあばき、貨幣相場を安定させる。
【雲南】 ガルダン(ジュンガル部のハーン)討伐の準備を進めていた朝廷に、雲南から軍糧の調達を整えた旨の奏上が届く。陳廷敬が調べてみると、雲南衙門の帳簿管理は杜撰で、最後は民に負担を押し付けるつもりだったことが分かる。
【杭州】 康熙帝の南巡に先立ち、無用な歓迎準備が行われないよう、密かに派遣された陳廷敬は、杭州で不穏な動きを発見する。
この中では、銅銭の鋳造をめぐる物語が異彩を放っていて面白かった。後半にいくほど、不正にかかわる官僚のステイタスが上がっていき、陳廷敬も慎重になる。康熙帝は暗君ではないが、自分が信任した官僚がことごとく不正を働いていたという報告は好まない。粛清の結果、行政を任せられる官僚がいなくなっては困るのである。民に対する朝廷の「対面」もある。トップリーダー(皇帝)は「正義の断行」だけを心掛けていればいいわけではなく、その補佐役(宰相)は、リーダーの心中を推し量りながら、腐敗官僚の弾劾を行わなければならない。多くの中国人は、小説やドラマを通じて、こういう政治の機微をよく分かっているんだろうなあ。廷臣らの長年の権力闘争が、ついに康熙帝の面前で一気に噴出する杭州の場面は、なかなかの衝撃力である。舞台劇かドラマで見たら面白いだろうと思う。
一方、日本人の私からすると、せっかく中国各地を舞台にするのだから、その土地の風俗がもう少し書き込まれてもいいのに、と思うのだが、そのへんの描写は少ない。こういう「官場小説」の読者は地理や風俗に興味がないんだろうか。また、登場人物の内面描写も少ない。陳廷敬の手足あるいは耳目となって働く従者の馬明と劉景、山東の事件で陳廷敬に救われ、そのまま押しかけて第三夫人になる珍児など、彼らのキャラクターがもう少し描き込まれていると、小説の面白さが倍増すると思うので、残念である。
杭州の事件の後、陳廷敬は高齢と病気を理由に引退を願い出て許可され、故郷に戻る。明清の歴史を読んでいると、「位人臣を極めた」官僚はそれなりにいても、その上で「生涯をまっとうする」ことの難しさがよく分かるので、この幕引きにはほっとする(まえがきでネタバレしないほうがいいのに)。
なお、私は陳廷敬という名前に覚えはあったが、あまり明確なイメージは持っていなかった。いろいろ調べていて、山西省晋城市に陳廷敬の旧居であった「皇城相府」が残っているという記事を見つけた。山西省には複数回行っているので、訪ねていると思うのだが、記憶が定かでない。山西省は、ほかにも好きな観光地がたくさんあるので、久しぶりにまた行きたくなった。
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というわけで、歴史小説といっても、胸おどる天下分け目の合戦もないし、英雄豪傑も出てこない。何が面白いのか、と思うが、中国人はこういう「官場小説」が大好きなのだそうだ。「官場小説」というのは現代小説だけかと思っていたが、時代物にもいうと初めて知った。確かに、私が時々見る中国のドラマでも、時代設定にかかわらず、官界ならではの「腹の探り合い」とか「丁々発止の弁論」が、アクション以上の見どころだったりする。
物語は清の順治14年(1657)秋に始まる。山西省沢州の豪商の息子・陳敬は、科挙の第一関門である郷試に合格し、挙人となるが、不正を憎むまっすぐな気性のため、さまざまなトラブルに巻き込まれる。翌春、京師での会試に合格して進士となり、順治帝から「廷」の字を賜って、名乗りを改める。まもなく順治帝の急死によって、幼い康熙帝が即位。陳廷敬は、次第に「待つこと」「耐えること」を身につけて官界を渡っていく。
その後の陳廷敬の活躍は、舞台を変えたいくつかの「小さな物語」によって描かれる。
【山東】 今年は豊作のため、収穫の一部を朝廷に寄付したいと民が申し出ているという奏上があったので、確かめに行くと、悪徳官僚と商人の作り話に順撫が騙されていたことが分かる。
【山西】 陽曲県から皇帝の徳を称える龍亭建立の願い出があったこと、「大戸統籌」といって、地域の有力者に責任を負わせる収税法が成功しているとの奏上を確かめに行き、その虚偽を見破る。しかし、雲南での戦費の調達に悩む康熙帝は「大戸統籌」法を全国で行わせようとする。
【京師】 銅価の高騰によって、民間の市場から銅銭が消えてしまった。宝泉局の銭法侍郎となった陳廷敬は、長年の腐敗をあばき、貨幣相場を安定させる。
【雲南】 ガルダン(ジュンガル部のハーン)討伐の準備を進めていた朝廷に、雲南から軍糧の調達を整えた旨の奏上が届く。陳廷敬が調べてみると、雲南衙門の帳簿管理は杜撰で、最後は民に負担を押し付けるつもりだったことが分かる。
【杭州】 康熙帝の南巡に先立ち、無用な歓迎準備が行われないよう、密かに派遣された陳廷敬は、杭州で不穏な動きを発見する。
この中では、銅銭の鋳造をめぐる物語が異彩を放っていて面白かった。後半にいくほど、不正にかかわる官僚のステイタスが上がっていき、陳廷敬も慎重になる。康熙帝は暗君ではないが、自分が信任した官僚がことごとく不正を働いていたという報告は好まない。粛清の結果、行政を任せられる官僚がいなくなっては困るのである。民に対する朝廷の「対面」もある。トップリーダー(皇帝)は「正義の断行」だけを心掛けていればいいわけではなく、その補佐役(宰相)は、リーダーの心中を推し量りながら、腐敗官僚の弾劾を行わなければならない。多くの中国人は、小説やドラマを通じて、こういう政治の機微をよく分かっているんだろうなあ。廷臣らの長年の権力闘争が、ついに康熙帝の面前で一気に噴出する杭州の場面は、なかなかの衝撃力である。舞台劇かドラマで見たら面白いだろうと思う。
一方、日本人の私からすると、せっかく中国各地を舞台にするのだから、その土地の風俗がもう少し書き込まれてもいいのに、と思うのだが、そのへんの描写は少ない。こういう「官場小説」の読者は地理や風俗に興味がないんだろうか。また、登場人物の内面描写も少ない。陳廷敬の手足あるいは耳目となって働く従者の馬明と劉景、山東の事件で陳廷敬に救われ、そのまま押しかけて第三夫人になる珍児など、彼らのキャラクターがもう少し描き込まれていると、小説の面白さが倍増すると思うので、残念である。
杭州の事件の後、陳廷敬は高齢と病気を理由に引退を願い出て許可され、故郷に戻る。明清の歴史を読んでいると、「位人臣を極めた」官僚はそれなりにいても、その上で「生涯をまっとうする」ことの難しさがよく分かるので、この幕引きにはほっとする(まえがきでネタバレしないほうがいいのに)。
なお、私は陳廷敬という名前に覚えはあったが、あまり明確なイメージは持っていなかった。いろいろ調べていて、山西省晋城市に陳廷敬の旧居であった「皇城相府」が残っているという記事を見つけた。山西省には複数回行っているので、訪ねていると思うのだが、記憶が定かでない。山西省は、ほかにも好きな観光地がたくさんあるので、久しぶりにまた行きたくなった。