〇澁澤龍彦、巌谷國士『裸婦の中の裸婦』(河出文庫) 河出書房新社 2007.4
上野のクラナッハ(クラーナハ)展を見たあと、むしょうに澁澤さんの美術エッセイが読みたくなった。なつかしい河出文庫の棚(私が、80年代に澁澤龍彦という存在を知ったのも河出文庫からだった)に行ったら、今でも澁澤の作品がいくつか並んでいて、まさにクラナッハの『ウェヌスとアモル』(今回の展覧会には来ていない)が表紙になっている本書を見つけ、買ってしまった。
「裸婦の中の裸婦」は、「男の中の男」「女の中の女」などの用法と同じで、裸婦の中のいちばん裸婦らしい裸婦、最もすぐれた、選び抜かれた裸婦について語ろうという意味だと、冒頭にある。雑誌『文藝春秋』の1986年3月号から1年間の予定で連載を開始した。ところが、1986年9月、澁澤は咽喉癌の診断を受けて入院することになり、連載を続けられなくなってしまう。そこで、12回のうち最後の3回は「十五歳ほど年下の一友人」である巌谷國士がリリーフを務めることになった。翌1987年1月、大手術を終えた澁澤は退院し、体調はよくなったように見えたが、8月5日に亡くなる。『裸婦の中の裸婦』はそのまま残され、変則的な共著というかたちで出版せざるを得なくなった。――これは、1989年9月5日、澁澤の死から2年後の日付で、巌谷さんが書いているあとがきである。まだ癒えぬ悲しみがひしひしと伝わってくる。そして、1987年のあの夏の日、私が澁澤さんの死に受けた衝撃(朝刊の紙面で知った)も、よみがえってくる気がした。
取り上げられている作家と作品は以下のとおり。バルチュス/スカーフを持つ裸婦。ルーカス・クラナッハ/ウェヌスとアモル。ブロンツィーノ/愛と時のアレゴリー。フェリックス・ヴァロットン/女と海。ベラスケス/鏡を見るウェヌス。百武兼行/裸婦。ワット―/パリスの審判。ヘルムート・ニュートン/裸婦。眠るヘルマフロディトス。デルヴォー/民衆の声。四谷シモン/少女の人形。アングル/トルコ風呂。最後の3篇は巌谷が書いているが、扱う裸婦像は澁澤が選んでおいたものだそうだ。
文章は対話体で、著者らしき「先生」の相手には、同世代らしき中年男とだいぶ年下らしい女の子が、月がわりで登場する。歴史、伝説、神話、精神分析など縦横に蘊蓄を語りながら、「ぼくも安心して無責任なことがいえるよ」「本当か嘘かは君の判断にまかせよう」などと軽い会話ではぐらかす。巌谷さんの3篇は、対話の相手は変わらず「先生」が変わったことになっているが、苦労しただろうなあ。
さて、今回いちばん読み直したかったクラナッハについて。「16世紀の画家とは思えないほど、おそろしくモダーンな感覚の持主だよ」という評価は、展覧会を見て本当に納得。裸婦だけでなく、普通の肖像画にもそう言える。クラナッハの裸婦がしばしば身にまとう、透明すぎる絹布について「ビニール本のモデルみたい」と表現しているのは笑った。80年代の表現だなあ。クラナッハの裸婦は、いつも完全なヌードでなく、なんらかの装身具を身に帯びているという指摘も鋭い。髪をきちんと結っているのも、裸体を強調する効果を持っていると思う。それから、クラナッハが裸婦を描き始めたのは、彼が60歳近くになってからで、これは、宗教改革が進行してドイツで裸体画の受け入れられるような風潮が生じたためだという。宗教改革との関係はちょっとにわかに信じがたいが、覚えておこう。
ベラスケスの『鏡を見るウェヌス』を題材に、バック派かフロント派かを語るのは、もういかにも澁澤さんらしくて嬉しい。年をとると、正面から見る裸婦よりも背面から見るほうが好ましく思えるって本当かな? ギリシア・ローマは別として、その後は18世紀のロココ時代に至るまで、後ろから眺めた裸婦像はほとんど描かれることがなく、一種の美学上のタブーがあったのではないかというのも面白い。正面より背後のほうがワイセツだったのか。ブロンツィーノの『愛と時のアレゴリー』についても、ウェヌスとクピドに託された、娼婦的な貴婦人と初々しい小姓のエロティシズムを熱心に語る。こういうあぶない話題の対話者は、ちゃんと中年男に設定されている。
ポール・デルヴォーという画家は、あまり記憶に残っていなかったが、本書を読んでいちばん気になった。調べたら、実はいま、愛知県田原市の田原市博物館で『姫路市立美術館所蔵作品によるポール・デルヴォー版画展』というのをやっているらしいのだが、ちょっと見に行けないかなあ。
本書が文春文庫に入ったときの解説(1997年)も巌谷さんが書いていて、それぞれの画家について、澁澤がどの著作で触れているかをまとめてくれているのは大変ありがたい。さらに河出文庫版の解説(2007年)もあり、歳月を経て、たぶん巌谷國士さんも、15歳ほど年上だった澁澤さんの年齢を既に超えられたと思うが、どの文章にも、今なおみずみずしい尊敬と親愛の情が感じられて、幸せな気分になった。
上野のクラナッハ(クラーナハ)展を見たあと、むしょうに澁澤さんの美術エッセイが読みたくなった。なつかしい河出文庫の棚(私が、80年代に澁澤龍彦という存在を知ったのも河出文庫からだった)に行ったら、今でも澁澤の作品がいくつか並んでいて、まさにクラナッハの『ウェヌスとアモル』(今回の展覧会には来ていない)が表紙になっている本書を見つけ、買ってしまった。
「裸婦の中の裸婦」は、「男の中の男」「女の中の女」などの用法と同じで、裸婦の中のいちばん裸婦らしい裸婦、最もすぐれた、選び抜かれた裸婦について語ろうという意味だと、冒頭にある。雑誌『文藝春秋』の1986年3月号から1年間の予定で連載を開始した。ところが、1986年9月、澁澤は咽喉癌の診断を受けて入院することになり、連載を続けられなくなってしまう。そこで、12回のうち最後の3回は「十五歳ほど年下の一友人」である巌谷國士がリリーフを務めることになった。翌1987年1月、大手術を終えた澁澤は退院し、体調はよくなったように見えたが、8月5日に亡くなる。『裸婦の中の裸婦』はそのまま残され、変則的な共著というかたちで出版せざるを得なくなった。――これは、1989年9月5日、澁澤の死から2年後の日付で、巌谷さんが書いているあとがきである。まだ癒えぬ悲しみがひしひしと伝わってくる。そして、1987年のあの夏の日、私が澁澤さんの死に受けた衝撃(朝刊の紙面で知った)も、よみがえってくる気がした。
取り上げられている作家と作品は以下のとおり。バルチュス/スカーフを持つ裸婦。ルーカス・クラナッハ/ウェヌスとアモル。ブロンツィーノ/愛と時のアレゴリー。フェリックス・ヴァロットン/女と海。ベラスケス/鏡を見るウェヌス。百武兼行/裸婦。ワット―/パリスの審判。ヘルムート・ニュートン/裸婦。眠るヘルマフロディトス。デルヴォー/民衆の声。四谷シモン/少女の人形。アングル/トルコ風呂。最後の3篇は巌谷が書いているが、扱う裸婦像は澁澤が選んでおいたものだそうだ。
文章は対話体で、著者らしき「先生」の相手には、同世代らしき中年男とだいぶ年下らしい女の子が、月がわりで登場する。歴史、伝説、神話、精神分析など縦横に蘊蓄を語りながら、「ぼくも安心して無責任なことがいえるよ」「本当か嘘かは君の判断にまかせよう」などと軽い会話ではぐらかす。巌谷さんの3篇は、対話の相手は変わらず「先生」が変わったことになっているが、苦労しただろうなあ。
さて、今回いちばん読み直したかったクラナッハについて。「16世紀の画家とは思えないほど、おそろしくモダーンな感覚の持主だよ」という評価は、展覧会を見て本当に納得。裸婦だけでなく、普通の肖像画にもそう言える。クラナッハの裸婦がしばしば身にまとう、透明すぎる絹布について「ビニール本のモデルみたい」と表現しているのは笑った。80年代の表現だなあ。クラナッハの裸婦は、いつも完全なヌードでなく、なんらかの装身具を身に帯びているという指摘も鋭い。髪をきちんと結っているのも、裸体を強調する効果を持っていると思う。それから、クラナッハが裸婦を描き始めたのは、彼が60歳近くになってからで、これは、宗教改革が進行してドイツで裸体画の受け入れられるような風潮が生じたためだという。宗教改革との関係はちょっとにわかに信じがたいが、覚えておこう。
ベラスケスの『鏡を見るウェヌス』を題材に、バック派かフロント派かを語るのは、もういかにも澁澤さんらしくて嬉しい。年をとると、正面から見る裸婦よりも背面から見るほうが好ましく思えるって本当かな? ギリシア・ローマは別として、その後は18世紀のロココ時代に至るまで、後ろから眺めた裸婦像はほとんど描かれることがなく、一種の美学上のタブーがあったのではないかというのも面白い。正面より背後のほうがワイセツだったのか。ブロンツィーノの『愛と時のアレゴリー』についても、ウェヌスとクピドに託された、娼婦的な貴婦人と初々しい小姓のエロティシズムを熱心に語る。こういうあぶない話題の対話者は、ちゃんと中年男に設定されている。
ポール・デルヴォーという画家は、あまり記憶に残っていなかったが、本書を読んでいちばん気になった。調べたら、実はいま、愛知県田原市の田原市博物館で『姫路市立美術館所蔵作品によるポール・デルヴォー版画展』というのをやっているらしいのだが、ちょっと見に行けないかなあ。
本書が文春文庫に入ったときの解説(1997年)も巌谷さんが書いていて、それぞれの画家について、澁澤がどの著作で触れているかをまとめてくれているのは大変ありがたい。さらに河出文庫版の解説(2007年)もあり、歳月を経て、たぶん巌谷國士さんも、15歳ほど年上だった澁澤さんの年齢を既に超えられたと思うが、どの文章にも、今なおみずみずしい尊敬と親愛の情が感じられて、幸せな気分になった。