〇国立西洋美術館 企画展示『クラーナハ展-500年後の誘惑』(2016年10月15日~2017年1月15日)
クラナッハが来る!と大喜びして、よく見たら展覧会のタイトルは「クラーナハ展」だった。そういう表記も使われると初めて知ったが、なんとなく落ち着かないのでクラナッハ呼びでいく。ルーカス・クラナッハ(1472-1553)は、ルネサンス期のドイツの画家。独特のプロポーションの官能的な裸婦像を描く画家として、私は1980年代に、澁澤龍彦の美術評論でクラナッハの名前を覚えた。それ以外のことは、何も知ろうとしなかったので、木版画も含め、こんなに多様で大量の作品が残っている画家だとは、思ってもみなかった。本展の出品リストのうち「作者=ルーカス・クラナッハ (父) 」と記載された作品は50点を超える。ちなみに「ルーカス・クラナッハ (父) 」という表記が当人を指すということも、私はこの展覧会で初めて知った(同名の息子がいる)。
クラナッハはザクセン選帝侯に宮廷画家として仕えた。会場の前半を彩るのは、伝統的な主題の宗教画と肖像画である。木版画も多い。何度も描かれた聖母子像のマリアは、母親らしいふっくらした体形で、控えめで禁欲的な表情を浮かべている。『聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ』のマリアは、ちょっと視線をあげて、唇の角に笑みが浮かびかけており、クラナッハ特有の蠱惑的な表情がほの見えている。
面白いのは肖像画だ。『ザクセン公女マリア』『ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミール』『神聖ローマ皇帝カール5世』など、非常に写実的に特徴をとらえて描かれた人物は、単一色のベタ塗りの背景の前に浮かび上がっている。ヨーロッパの宮廷絵画と聞いて思い浮かべるような、豪華な調度品やカーテンが描かれているわけでもなく、レンブラントやベラスケスのように深い、意味ありげな闇を背景にしているわけでもない。ペンキ塗りの壁のような青一色、あるいは萌黄色一色の背景が、モダンアートのポスターのように見える。人物の内面に分け入ったような『夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?)』は、特に女性の表情が好きだ。穏やかで、しかし聡明そうな女性である。
中盤で、いよいよ裸婦を描いた作品の登場。透明な(透明すぎる!)ヴェールを体の前に掲げ、ポーズをとるヴィーナス。アダムの肩に片手をまわし、もう一方の手を知恵の実の木の枝にかけて、アダムにしなだれかかるイブ。茂みの背後には大きな鹿。はだけた胸に刃を突きつけるルクレティア。両手に剣と天秤を持つ、冷めた目の裸婦は正義の寓意(ユスティティア)。そして、多くの芸術家がクラナッハの裸婦に魅了されて「二次創作」(って言わないのか?)を行っているのが面白かった。ピカソとかマン・レイとかデュシャンとか。
一番面白かったのは、壁一面を覆う95枚の(!)『正義の寓意(ユスティティア)』の複製らしきもの。確か、はじめにこの複製群が目に入って、えっ?と驚いて横を見ると、クラナッハの本物が目に入る会場構成になっている。いま「本物」と言ったが、クラナッハは大規模な工房を営み、「画家自身の仕事はおもに下絵やしかるべき構成上の指示、そしてまったく稀なケースではあるが、署名だけ」だったと図録冒頭の解説(グイド・メスリング)にいう。そうかーだからこんなに大量の作品が残っているのか。なお、95枚の「複製」は、レイラ・バズーキの『ルーカス・クラナーハ(父)《正義の寓意》1537年による絵画コンペティション』という作品(インスタレーション)で、中国・深圳(しんせん)の大芬油画村で100人の芸術家を集め、7時間以内で模写をさせたものだという。会場には、制作の様子を記録した動画も流れていた。「正義の寓意」のゆがんだ模写を大量に並べて見せるという皮肉も含めて、とても面白い。
さらに「誘惑する女」系の作品。なるほど、これもクラナッハにはたくさんあるんだなあ。『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』『ホロフェルネスの首を持つユディト』の衝撃が強いが、私は、事(殺害)をなし遂げたあとの図より、まさに生きた男を迷わせ、いたぶっている女性の表情がいいと思う。『ヘラクレスとオンファレ』の緑の服の貴婦人、最高にクールだ。そして、このように見てくると、本展のポスター(ただし生首はトリミング)にもなったユディトって、クラナッハの描く女性としては、少し特異な感じがする。表情が硬いし、わりと肉付きがいいし、髪を下しているし。服装はお洒落だなあ。両手の手袋が素敵だと思う。これらの作品にインスパイアされた現代芸術家の作品も、当然ながら多い。
最後にもうひとつ驚くのは、宗教改革の指導者であるマルティン・ルターとクラナッハに親交があり、クラナッハの工房で、数多くのルターの肖像が制作されていたこと。四角い顔に黒い角帽をかぶり、短い巻毛がはみ出している、あの教科書で見たルターの肖像がクラナッハの作品だったとは。『マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ』は、例によって青一色の背景に、どちらも地味な黒っぽい衣装のルター夫妻が一人ずつ描かれている。新古典主義時代のピカソを思わせるような、魅力的な作品である。
クラナッハが来る!と大喜びして、よく見たら展覧会のタイトルは「クラーナハ展」だった。そういう表記も使われると初めて知ったが、なんとなく落ち着かないのでクラナッハ呼びでいく。ルーカス・クラナッハ(1472-1553)は、ルネサンス期のドイツの画家。独特のプロポーションの官能的な裸婦像を描く画家として、私は1980年代に、澁澤龍彦の美術評論でクラナッハの名前を覚えた。それ以外のことは、何も知ろうとしなかったので、木版画も含め、こんなに多様で大量の作品が残っている画家だとは、思ってもみなかった。本展の出品リストのうち「作者=ルーカス・クラナッハ (父) 」と記載された作品は50点を超える。ちなみに「ルーカス・クラナッハ (父) 」という表記が当人を指すということも、私はこの展覧会で初めて知った(同名の息子がいる)。
クラナッハはザクセン選帝侯に宮廷画家として仕えた。会場の前半を彩るのは、伝統的な主題の宗教画と肖像画である。木版画も多い。何度も描かれた聖母子像のマリアは、母親らしいふっくらした体形で、控えめで禁欲的な表情を浮かべている。『聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ』のマリアは、ちょっと視線をあげて、唇の角に笑みが浮かびかけており、クラナッハ特有の蠱惑的な表情がほの見えている。
面白いのは肖像画だ。『ザクセン公女マリア』『ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミール』『神聖ローマ皇帝カール5世』など、非常に写実的に特徴をとらえて描かれた人物は、単一色のベタ塗りの背景の前に浮かび上がっている。ヨーロッパの宮廷絵画と聞いて思い浮かべるような、豪華な調度品やカーテンが描かれているわけでもなく、レンブラントやベラスケスのように深い、意味ありげな闇を背景にしているわけでもない。ペンキ塗りの壁のような青一色、あるいは萌黄色一色の背景が、モダンアートのポスターのように見える。人物の内面に分け入ったような『夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?)』は、特に女性の表情が好きだ。穏やかで、しかし聡明そうな女性である。
中盤で、いよいよ裸婦を描いた作品の登場。透明な(透明すぎる!)ヴェールを体の前に掲げ、ポーズをとるヴィーナス。アダムの肩に片手をまわし、もう一方の手を知恵の実の木の枝にかけて、アダムにしなだれかかるイブ。茂みの背後には大きな鹿。はだけた胸に刃を突きつけるルクレティア。両手に剣と天秤を持つ、冷めた目の裸婦は正義の寓意(ユスティティア)。そして、多くの芸術家がクラナッハの裸婦に魅了されて「二次創作」(って言わないのか?)を行っているのが面白かった。ピカソとかマン・レイとかデュシャンとか。
一番面白かったのは、壁一面を覆う95枚の(!)『正義の寓意(ユスティティア)』の複製らしきもの。確か、はじめにこの複製群が目に入って、えっ?と驚いて横を見ると、クラナッハの本物が目に入る会場構成になっている。いま「本物」と言ったが、クラナッハは大規模な工房を営み、「画家自身の仕事はおもに下絵やしかるべき構成上の指示、そしてまったく稀なケースではあるが、署名だけ」だったと図録冒頭の解説(グイド・メスリング)にいう。そうかーだからこんなに大量の作品が残っているのか。なお、95枚の「複製」は、レイラ・バズーキの『ルーカス・クラナーハ(父)《正義の寓意》1537年による絵画コンペティション』という作品(インスタレーション)で、中国・深圳(しんせん)の大芬油画村で100人の芸術家を集め、7時間以内で模写をさせたものだという。会場には、制作の様子を記録した動画も流れていた。「正義の寓意」のゆがんだ模写を大量に並べて見せるという皮肉も含めて、とても面白い。
さらに「誘惑する女」系の作品。なるほど、これもクラナッハにはたくさんあるんだなあ。『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』『ホロフェルネスの首を持つユディト』の衝撃が強いが、私は、事(殺害)をなし遂げたあとの図より、まさに生きた男を迷わせ、いたぶっている女性の表情がいいと思う。『ヘラクレスとオンファレ』の緑の服の貴婦人、最高にクールだ。そして、このように見てくると、本展のポスター(ただし生首はトリミング)にもなったユディトって、クラナッハの描く女性としては、少し特異な感じがする。表情が硬いし、わりと肉付きがいいし、髪を下しているし。服装はお洒落だなあ。両手の手袋が素敵だと思う。これらの作品にインスパイアされた現代芸術家の作品も、当然ながら多い。
最後にもうひとつ驚くのは、宗教改革の指導者であるマルティン・ルターとクラナッハに親交があり、クラナッハの工房で、数多くのルターの肖像が制作されていたこと。四角い顔に黒い角帽をかぶり、短い巻毛がはみ出している、あの教科書で見たルターの肖像がクラナッハの作品だったとは。『マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ』は、例によって青一色の背景に、どちらも地味な黒っぽい衣装のルター夫妻が一人ずつ描かれている。新古典主義時代のピカソを思わせるような、魅力的な作品である。