見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

【5日目】鎮江~無錫~蘇州

2004-08-23 23:07:27 | ■中国・台湾旅行

■鎮江の市場

 目が覚めると、久しぶりの青空。朝はあちこち歩き回った末に、体育館のような屋内市場を発見。野菜、肉、魚、加工品など食材は何でも売っている。白いアヒルの姿が江南らしい。豆製品(豆腐、湯葉、がんもどきの類)と、キムチのような漬物が豊富なことに目を見張った。ネットでざっくりまとめられた固まりがカエルの集団だったのにはびっくりした。

豆腐そのほか
あまりアップにしたくない食用ガエル

■天下第一泉

 石川さんの提案で、キャンセルになった鎮江市博物館の代わりに、鎮江の名勝の1つ「天下第一泉」に連れていってほしいと申し入れ、了承してもらう。ところが、着いてみると、入場券が馬鹿高い(60元くらい。博物館ならこの4分の1程度か)。実は、隣の金山寺と共通入場券だったらしいが、日付が変わっているので、昨日の半券は使えない。中国の経済システムから考えて、差額はローカルガイドの馬さんの持ち出しになるに違いない。ちょっと申し訳ないが、馬さん とはここでお別れ。

■無錫(太湖遊覧、ほか)

 太湖のほとり、無錫に到着する。湖畔の洒落たレストラン(逗子マリーナみたい)で昼食。最初の昼食で「高価なものは食べない」態度をアピールして以来、 ガイドの馬さんが注文するのは、ほとんど野菜か豆腐料理だった。さすがに辛くなって、「マオさん、肉料理も注文してください!」とお願いする。地元産「太湖水ビール」で乾杯。

 太湖の遊覧船は我々だけの貸切り。よく晴れて、向かい風が気持ちよかった。我々の中国ツアーは、高山は苦手だが(雨に遭うことが多い)、水の上では比較的天気に恵まれるように思う。

 江南は古代から水運によって開けた地域である。太湖の上を、砂利や鉄くずを積んだ船が、まるで見えない水上の道があるかのように、隊列を成して行き交っている。夫婦で操っている船が多い。だいたい、舳先に陣取ったおかみさんが、進行方向の状況を確認しながら、機関室の旦那に指示を出している。堂々とした立ち姿が「カッコいい~」と一同ほれぼれする。

 船を下りて「天下第二泉」のある錫恵公園を見学、そのまま、蘇州に向かう。

■蘇州着

 「天に天堂あり、地に蘇杭(蘇州と杭州)あり」とうたわれた蘇州は、江南観光のハイライトである。しかし、今や昔日の面影はないと聞いていたから、あまり期待はしないようにしていた。

 高速道路を下り、一般道路を旧市街に向かうが、実際、豊かでこぎれいな地方小都市という感じである。観光地らしく、日本語や英語の看板が目立つ。大通りを少し歩くとコンビニが何軒も頻出する(中国資本の「可的」というチェーン店多し)。

 レストランを探して繁華街に出ると、財布のゆるい観光客をあてこんだ高級海鮮「鮑とフカヒレ」のお店が多い。そこをマオさんの努力で、できるだけリーズナブルなお店を探してもらう。ただし、飲みものについてはちょっと贅沢になって、ビールの本数が増え、さらに黄酒(紹興酒)が加わった。

【2019/5/4 geocitiesより移行】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【4日目】揚州~鎮江

2004-08-22 21:48:43 | ■中国・台湾旅行

■揚州(隋煬帝陵、唐城遺址、文峰塔、プハティン墓園など)

 朝から土砂降りの雨。隋の煬帝陵は、一度は観光開発に手をつけたものの、途中で投げ出した気配があって、わびしかった(管理人室だけは賭けトランプで盛り上がっていたが)。

 ふと後ろを見ると、専用車の運転手の頼(ライ)さんが、興味深そうに我々と同じ方向を眺めている。これまでこういう運転手さんはいなかったのだが、我々の行き先がよほど珍しいのか、実は歴史ファンなのか、頼さんは、ときどき一緒に着いて来て、自分のデジカメで熱心に写真を撮っていた。

 プハティン墓園は元から明清時代の古い墓地で、異国に客死したイスラム教徒たちがひっそりと眠っている。大運河によって世界に門戸を開いた国際都市、揚州の明るさを際立たせる陰翳のようだ。リービ英雄さんの近著『我的中国』を思い出す。

 このほか、博物館になっている唐城遺址を見学。揚州のランドマーク文峰塔は、工事中で登楼を果たせず、ちょっと残念。

■鎮江(金山寺、焦山、北固山)

 午後はフェリーで長江を渡り、鎮江へ。相変わらず雨が降り続く。味噌で有名な金山寺では、塔に登って眺望を楽しむ。

 連絡船で長江の中洲にある焦山へ渡る。島全体が観光名所になっており、安芸の宮島みたいなものだ。見どころは碑林。米芾だの蘇東坡だの、著名人の碑刻が並ぶ長い回廊を見てまわり、最大の見もの「瘗(エ イ)鶴銘」を探す。これは書聖・王羲之が書いたとか、雷鳴とともに山から落ちてきたとか、鶴が翅で撫ぜると文字が現れたとか、謎めいた伝説を持つ碑刻である。どうやら、奥の中庭にしつらえた楼閣に飾られているらしかったが、鍵を持った管理人がいないということで開けてもらえなかった。

■宋街(西津古渡街)ほか

 この日も夕方には雨があがり、傘をたたんで、北固山(呉の孫権の城跡)を散策。あとは「宋街」の観光である。最近、中国の観光地は、どこでも明清街とか 宋街とか名づけた復古調のショッピングストリートを作って人を集めている。鎮江の宋街もどうせそんなものだろうと思っていた。

 ところが、車を下りて「はーい。こちらです」と案内されたのは、なんでもない上り坂。商売気のない骨董屋が1軒開いているだけのさびれた細道である。しばらく進むと、舗装が石畳(レンガ敷き)に変わり、両側にも重厚なレンガ造りの建築が現れる。道にかぶさるアーケードのように白塔が立っているのが珍しい。これがつまり、宋代以降の町並みの名残りなのだ。

 予想外の光景に呆然としながら、さらに進むと、道は下り坂になり、今度は史跡でも何でもない下町の路地に迷い込んでしまった。道端に椅子を持ち出して夕涼みするおばあちゃん、立ったまま食事中のおじさん、道を挟んで家の中からお向かいと会話をしているおばさんなど、他人の生活をのぞくようで申し訳ないと思いながら、おもしろくて足が止まらない。でも、きっと、ここも近いうちに、復古調の「宋街」になってしまうんだろうなあ。

元代の白塔 宋街というより清末の雰囲気
   


 最後にもう1ヶ所、鎮江市博物館を予定に入れていたのだが、大規模な改修工事中で参観はできず。団長の石川さんが苦笑いして言うには、「そういえば、この夏、上野松坂屋の『中国歴代王朝展』に鎮江市博物館の文物が出ていて、やけにいいものが来ているなあと思った」由。

【2019/5/4 geocitiesより移行】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【3日目】南京~揚州

2004-08-21 19:57:30 | ■中国・台湾旅行

■南京博物院、中華門

 南京博物院は、工芸品、装飾品など、芸術性が高く(どちらかというと女性好みで)南方の豊かさを感じさせる名品が多かった。

南院京博物院随一の名品 個人的にイチ押しの名品



 石川さんは「広陵王璽」の金印(福岡で発見された「漢倭奴国王」と同一工房の作と推定されるもの)を見たがっていたが、現在は展示していないという。残念がっていたら、売店の売り子さんが燦然と輝くイミテーションを持ってきてくれたが、拝見するだけに留める。

 南京政府が経営するというツアー客向けレストランで昼食。自称雇われマネージャーのおじさんが印材の売り込みに現れ、熱心なセールストークを展開したが、まだ旅も始まったばかりなので、一同、財布の紐が固い。

■揚州(博物館、大明寺、痩西湖など)

 車で揚州に到着。まず、博物館を目指し、例によって運転手さんが町の人に聞きまわっているが、なかなか場所が分からない様子。と、「好(ハオ)、好(ハ オ)」とか何とか言いながら、初老の男性が車に乗り込んできた。「このひとは地元のかたですが、博物館まで案内してもらうことにしました」とガイドさんが 説明する。中国ではよくあることなので驚かない(栗林さんはびっくりしたかな)。

 次第に空が暗くなり、雨が激しくなる中、揚州博物館と大明寺(鑑真和上ゆかりの寺)を見学。しかし、痩西湖公園では、屋根の下から一歩も動けなくなって しまった。公園の前には、何故か露店のぬいぐるみ屋さんが並んでいたが、雨にしおれたぬいぐるみをリヤカーに積み上げて、引き揚げていく姿が可笑しかっ た。



■花姑娘(ホワグーニャン)、菱の実

 夕方、雨のあがった市の中心部に戻る。繁華街の車道に取り残されたような古代の石塔を見たあと、道端に籠を下ろした売り子さんに目がとまる。籠の中身は どう見てもホオズキである。中国では「花姑娘(ホワグーニャン)」と呼んで、食用にすると言う。日本のホオズキのように赤くなく、むしろ黄色い。さっそく 栗林さんが買ってみて、みんなで試食。

 「おもしろいね」「プチトマトみたい」などと言い合っているところに荷車が止まった。荷台には、黒っぽい三角形の植物(?)が大量に積まれている。わら わらと集まってきた人々は、荷車の引き手のおじさんと何やら話しながら、積荷に手を伸ばして、口に運び、味見をしている様子。

 我々もどさくさまぎれに横から手を出し、1つ2ついただいてみる(売り物のはずなんだけど)。外側は硬いが、蒸してあって、味は栗のようだ。菅野さんが 「ああ、これ、菱(ひし)の実だわ」と思い当たる。女性陣の行動を離れて見ていた石川さんと池浦さんにも進呈すると「えっ、誰もお金払ってないの?!」と 呆れられる。

 夕食前に、これも繁華街の四つ辻に残る四望亭と文昌閣を見にいく。夕食は本場の揚州チャーハンを味わい、地元産の「茉莉花ビール」で乾杯。

文昌閣三変化。次第に灯りが点る。

【2019/5/4 geocitiesより移行】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【2日目】南京

2004-08-20 23:38:15 | ■中国・台湾旅行

■朝の散歩(南京大学)

 私の中国旅行は朝の散歩から始まる。ホテルの近くに南京大学があるらしいので、地図を頼りに歩いていく。やがて、表札のない裏門から、大学の構内に入ってしまったらしい。よく手入れされた緑の芝生に、優雅な反りを見せる黒灰色の屋根瓦、白茶けたレンガの壁、臙脂色の窓枠が映えて美しい。イギリスの大学にきたような気分である。


■紫金山、そのほか

 南京市街の北東に位置する紫金山には、明孝陵(明の太祖・洪武帝の墓)、呉の孫権の墓、孫中山こと孫文の墓陵、霊谷寺などの名勝地が並んでいる。

 南京~鎮江を担当するローカルガイドの馬さん(男性)の案内で、紫金山天文台からスタート。古代ふうの天文儀器が野外に展示されている。三鷹の国立天文台に勤めた経験のある私としては、一度は来てみたかったところでうれしい。

 ここは、かつて実際に観測活動を行っていたが、今は市民に対する社会教育が主のようだ。ふと見上げると、建物の壁面に「子午儀」とあるのが、ちょっとアールデコ風の書体でよかった。三鷹の子午儀室も古くて趣きあったな...などと感慨にふける。


■昼食

 中山陵公園のレストランで昼食になった。我々のツアーは、基本料金に食事代を含んでいない。その日その場で、適当なレストランに連れていってもらうためだが、中国のガイドさんは、高価なものを食べ切れないほど注文するのがサービスと心得ているので(中華料理では正当なマナーなのだが)、物価の高くなった近年、予想より食事代が高くつくようになってきた。

 そこで、今回はガードを固くし、メニューを奪って「これとこれとこれ、あとは要らない」と申し渡した。「足りますか?足りないでしょう?」と本気で心配するガイドの馬さん。しかし、結局、ビールを含めて7人で400元(約6,000円)に収めることに成功した。

 午後は郊外の棲霞寺へ。本殿は改修中で、ところかまわず建築資材が積み上げられていたが、裏にまわると、見事な舎利塔と千仏崖があって、面白かった。

■瞻園(せんえん)、夫子廟

 市街に戻り、夕食までのひととき、瞻園という庭園で、お茶を飲みながら雑技と音楽の短いショーを楽しむ。入口でいかにも中華ふうの龍の装飾図を前に聞いた説明によれば、ここは清の乾隆帝のお気に入りの庭園だったそうだ。このあと、乾隆帝の南巡にまつわる伝説が、いかに数多く江南の各地に残っていて、今も 人々の心を引き付けているかを実感することになる。

 そのあと、徒歩で夫子廟のあたりへ。かつては危ない歓楽街として名を馳せたが(大木先生の近著に詳しいらしい。未読)、アヘン窟の後はマクドナルドになり、おのぼりさん相手の明るい露店が軒をつらね(奈良の猿沢池周辺みたい)、秦淮河にはおもちゃのような脚漕ぎのドラゴンボートが浮かんでいる。今では家族連れもOKの健全ムードに満ちていた。

【2019/5/4 geocitiesより移行】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【初日】出発~南京

2004-08-19 23:27:30 | ■中国・台湾旅行

■出発 

 今日から晴れて夏季休暇...のはずが、この日、タイから帰国予定の所長に、どうしても確認したい案件があったので、旅行用のキャリーバッグを引きずっ て、研究所に出勤。早朝、成田に着いたばかりの所長をつかまえる。「あれっ今日から休みじゃないの?」「そうです、今から成田です」と弁明しつつ、短い打ち合わせを済ませる。

 さて、出かけようかというところ、大木先生が現れて、「へー今日から中国なの。江南?蘇州も行く?そりゃあちょうどいい」と、うれしそうな顔。「あのさ、滄浪亭という庭園に行ったら、宋犖という人物の重修碑を探して”康煕三十五年”という年記が入っているかどうかを確かめてきてほしい」と、思わぬ宿題 をいただく。

 「上海も行くの?じゃ、和平飯店の北楼8階のレストランがおすすめだよ」というアドバイスもしっかり耳に収め、研究所の玄関まで見送ってもらって、成田へGO。

■成田空港

 出発便は「CA919」だったので、「CA、CA...」と唱えながら、チェックインカウンターを探す。栗林さん夫妻と菅野さんの姿を見つけて合流。 「石川さんと池浦さんの姿も見たんだけど、どこかに消えちゃったのよ」と言う。トイレか両替えだろうと思ったが、30分ほど待っても現れない。

 もしかして2人で食事にでも行っちゃったわけ?と疑っていたら、池浦さんが探しにきた。「どうしてここにいるの?」「え?」と話が噛み合わない。我々が 待っていたのは「China Airline =中華航空(台湾系)」で「CA(Air China)=中国国際航空」はまったく別のカウンターだったのである。

■上海着~南京へ

 上海では、大阪発で先に到着していた中村さんと合流。ガイドの茅(マオ)さんと対面する。中国人ガイドには珍しくきちんとネクタイを付けたおじさんであった。少し頭髪の薄くなったところ、老眼にメガネが合わなくなっているらしいところなど、中年の哀愁がただよう。

 中村さんが打ち明けるには、旅行社の手配書には、1人部屋の中村さんの名前に「T/C」(ツアーコンダクター)と注記されていたそうで、到着早々、マオさんに「仕事の打ち合わせをしましょう」と切り出されて面食らったそうである。

 専用車に乗り込み、高速道路を走ること約4時間。夜遅く、南京に到着。北方の中国の都市と違って曲線の多い街路を、巨大なプラタナスの樹影が覆っていて、古都らしい懐かしさを感じる街並みだった。

【2019/5/4 geocitiesより移行】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日から夏休み/パンダの兄弟

2004-08-18 23:45:34 | なごみ写真帖
やれやれ! さあ、夏休みだ! 日本を逃げ出すぞ!
明日ら10日間の江南ツアーに出発。しばらくBLOGの更新はありません。

中国のサイトで拾ったパンダの写真でも貼っておこう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実派で行こう/平和のリアリズム

2004-08-16 02:12:17 | 読んだもの(書籍)
○藤原帰一『平和のリアリズム』岩波書店 2004.8

 気がついたら8月15日は終戦記念日だった。別にそれに合わせてこの本を読んでいたわけではないのだけれど。

 本書は、著者がこの十数年間(湾岸戦争からイラク戦争の間)に新聞や総合雑誌に書いた文章を集めたものである。

 著者は「戦争の排除」に対して、実に執念深いまでの理想主義者だと私は思う。しかし同時に、著者は自分の主張が「平和主義」という教条的な理想主義に陥ってしまうことを注意深く避けて、いつも現実との接点(ある意味では妥協点)を探しているように見える。

 前作『「正しい戦争」は本当にあるのか』(ロッキング・オン 2003.12)の印象的な箇所に、たとえば牛泥棒の件で対立する部族と部族の間に入っていって、まあまあ、ここは1つ、俺に預からせてくれ、ということを双方に納得させるような、地味な活動が平和維持活動なんだ、というくだりがある。

 本書は、いわばこの牛泥棒の仲裁の比喩を、実例に即して具体的に語ったものである。さまざまな地域のそれぞれの紛争において、カンボジアでは、東ティモールでは、イラクでは、東アジアでは、平和実現のために何が必要なのか、ということを具体的に提言しようと試みている。

 絡み合った利害と感情をほどいていくのは、面倒な作業である。忍耐づよく、かつ明晰な頭脳を必要とする。時には「犯罪国家」の元首の顔を立てるようなこともしなければならない。悪の元凶を1つに決めつけ、一刀両断でカタをつける態度に比べると、どこまで行ってもフラストレーションが残る。でも、本当の理想主義者は、妥協とか屈服とか右顧左眄とか言われることになんかひるんではいけないのだ。私もそういう強く賢い大人でありたい、と読者は励まされることだろう。

 同時に、リアリストの立場をつらぬく著者は、「(ナショナリズムを冷笑できる者は)夢の要らない恵まれた立場にいるだけのことだ」という冷や水をあびせることも忘れない。つまり、強くあることと同時に、弱い人々ヘの共感を忘れないことを、著者は読者に迫るのだ。

 なお、私はASEANの活動について学ぶところが非常に大きかった。多国間協力による地域安定化の試みは、東アジアよりも東南アジアのほうが進んでいるのね。ASEAN+3は、東南アジアにおける達成を北東アジアに及ぼす契機として期待できる、という視点は、本書を読んで始めて獲得した知識である。なるほど。

 時々、朝はやく本郷三丁目のスタバでお見かけする藤原先生、これからもご活躍を期待します。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写経と中国古玩/根津美術館

2004-08-14 22:03:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
○根津美術館『写経-心の書-』&併設特別展『中国古器愛玩』

http://www.nezu-muse.or.jp/

 久しぶりに根津美術館へ。5月の中国絵画展に比べると格段に観覧客が少なく、ひっそりしていた。まあ、マニア向きな主題だものね。でも美術館はこのくらいの落ち着いた雰囲気がいい。最近の美術館には珍しく、展示品にいちいちコメント(解説)をつけていないことも好ましかった。

 第一室の「写経」はほぼ時代順になっていて、奈良モノから始まるので、ふーん、そろそろ平安で、あのへんから鎌倉、室町かな...と思いながら見ていったら、いつまでたっても延々と奈良モノが続くので、びっくりした。かなりの名品揃いである。跋文のあるものは、なるべく跋文を見せるように展示してくれているようで嬉しかった。

 そのあと、ものはついでくらいの軽い気持ちで第二室の「中国古器愛玩」にまわったら、これがやたら楽しかった。個人収集家のコレクションらしいが、中国美術の初心者は、こういう展示から入るといいんじゃないかと思う。

 玉器や青銅器やら文具やら、実にさまざまなものが少しずつ並べてあって飽きない。個人レベルで愛好・収集していたものだから、おおむねサイズが小ぶりでかわいい。とにかく好きなもの、ぱっと見て楽しいもの、身の回りに置きたいものを選んでいるとおぼしい、収集者の素直な愛情が伝わってきて、共感できる。

 以前、台湾の故宮博物院に行ったとき、書画だの陶器だの名品を一日たっぷり見た最後に、「珍玩多宝格」という始めて聞く名前の展示室にたどり着いた。たちまち疲れを忘れて、大興奮!!だった。「多宝格」というのは、要するに仕切りの多いお弁当箱みたいな箱に、文具とか人形とか装身具とか、自分の好きなものを並べて収めたものである。詳しくはこちら

 そう、日本美術にも「万国博覧会の美術」みたいな、あざとい、大きい、派手なものがあるかと思えば、中国美術にも、こんなふうに小さくてかわいいものがあるのだ。

 根津美術館の『中国古器愛玩』展には、大きな水墨画も3幅飾られている。いずれも明代のもの。なんとなく涼を感じる作品で、猛暑の折、意識的に選んだのかな?とも思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桐壺~若紫/源氏物語(1)

2004-08-12 22:38:23 | 読んだもの(書籍)
○玉上琢彌訳注『源氏物語 第1巻』(角川文庫)1964.5

 突然、思い立って、源氏物語を読み始めた。

 実はこれまで全文を読んだことがない。だって~恋愛小説ってよくわかんないんだもん...と思って避けてきた。

 だけど、丸谷才一の源氏論は欠かさず読んでいる(と思う)。なかでも大野晋との共著『光る源氏の物語』(1989.9)は労作にして絶品だった。源氏の記述を一言一句読み解きながら、実際の情事があったか無かったかを2人で確認していくのだ。「ここは実事ありですね」「いや、なしでしょう」って感じで。そして、昨年の小説『輝く日の宮』を読んで、ああ、やっぱり、源氏を読もう、と思ったのだが...あれから1年。

 読む本が切れて、本屋の棚を見ていたら、ふと、この角川文庫の古典シリーズが目に入ったのだ。私は日本の古典は原文を読むので、隣に現代語訳は要らない。ただ、あんまり活字が小さいのや古くさいのは苦手である。あと、特殊すぎる仮名遣いは正されているほうがいい。その点、この文庫は読みやすそうだと思って、ふらりと買ってしまって、読み始めた。

 1巻目を読み終わって、いまのところ、飽きていない。続けて2巻に取り掛かった。

 高校生や大学生の頃は、源氏の原文を読んでいると、すぐに人物の動きが把握できなくなって頭が混乱し(作者の「朧化」叙述態度のせいだと思っていた)、飽きてしまったものだが、今回はそれがない。

 誰がどう動き、どう感じ、何を発話しているか、ほぼスムーズに理解できる。だいたいの粗筋を知っているせいもあるが、ああ源氏みたいなオトコにこう言われたらオンナはこう感じるよな、という登場人物の言動を無意識に先読みできるレベルが進歩しているのじゃないかと思う。やっぱりこれは大人の小説である。10代に読ませるようなものじゃない。

 それにしても、ちょっと驚いたのは、「全体に朧化・婉曲が多い」と学んでいた源氏の記述が、けっこう、生々しい皮膚感覚に富んでいること。

 「夕顔」なんてすごいな~。「いみじくわななき」(震え)「汗もしとどに」(発汗)「かいさぐり給ふに息もせず」そして「(身体が)ひえいりにたれば」というように、死にゆく女の身体が、すぐそこにあるかのような生々しさをもって読者に迫ってくる。

 「若紫」の若君の愛らしさもそう。遠くに据えおいて眺めて鑑賞する愛らしさではなく、膝にのせ、懐に抱きいれて愛でている感じが伝わってくる。

 というわけで、2巻に続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の予習/江南のみち

2004-08-09 21:38:36 | 読んだもの(書籍)
○司馬遼太郎『中国・江南のみち』(朝日文庫・街道をゆく19)朝日新聞社 1987.3

 さあ、もうすぐ夏休み。今年の夏は江南に行く。

 私はさほど熱心な司馬遼太郎ファンではないが、この「街道をゆく」のシリーズは旅の予習にちょうどいい。

 もっとも本書が書かれたのは1980年代のはずだ。私は1981年に初めて中国を旅行してから、1993年に2度目の旅行をするまでの間、この司馬さんの連載を、母の買ってくる週刊朝日で読んでいた記憶がある。

 最近、いろいろな事件があったからではないが文中にさりげなく描写されている、中国人ガイドさんの篤実で教養豊かな肖像が懐かしかった。ひとむかし前、旅先で出会う中国人は、大概、こんなふうだったのにな。

 おもしろかったのは、特にエッセイの冒頭で、江南の民家の造りがスペインに似ている、と著者が繰り返し強調していること。確かにスペインに行ったとき、私は「ここはヨーロッパじゃない、アジアの一部だ」という感じを強く持ったものだが、家の造り、シックイ壁の色が似ているという指摘はおもしろいと思った。

 旅先では気をつけて見てこよう。もっとも、そんな古い民家が今でも残っていればの話だが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする