見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

遅さに耐える/西大寺の声明(国立劇場)

2011-06-12 20:57:12 | 行ったもの2(講演・公演)
国立劇場 6月声明公演『真言律宗総本山 奈良 西大寺の声明』(2011年6月11日)

 久しぶりに国立劇場で声明公演があると知って、チケットを取ろうと決めていた。今回の公演は、毎年10月2~5日に西大寺で行われている「光明真言土砂加持大法会(こうみょうしんごんどしゃかじだいほうえ)」。真言の王者とも言われる光明真言を誦して土砂(砂)を加持し、その砂を亡者の遺骸(墓)に撒いて、迷える亡魂を極楽に導くためのものだそうだ。西大寺では文永2年(1265)に初めて修せられた記録があるとのこと。

 さて、プログラムは、

・午後1時の部:門徒規式、お話、開白・総番の作法(入堂~前讃~綱維問訊~光明真言行道~導師交替)

・午後4時の部:お話、総番・結願の作法(入堂~綱維問訊~光明真言行道~後讃~至心回向~退堂)

 両方聴きたいのはやまやまだが、セット券7,300円(各4,000円)は、ちょっとお高い。内容は分からないが、結願のほうが盛り上がりそうだと当たりをつけ、午後4時の部に友人を誘っていくことにした。そうしたら、直前になって、別の友人から、関係者ルートで格安チケットが入手できるというお誘いを受け、結局、第1部も聴きにいくことになった。

■第1部(午後1時の部)

 静かに幕が上がると、舞台上手には書見台を前にした老僧。下手には5、6人の僧侶。中央に掲げられた僧侶の肖像は、興正菩薩(叡尊)であろう、と想像する。老僧は、ぼそぼそした声で、何やら規則らしい漢文を読んでいく。いつ声明が始まるかと思っていたが、取り立てて音楽らしいものもなく、終了。幕が下りた。

 老僧が幕前に登場し、西大寺の歴史と光明真言について、しばらく語る。光明真言は、死者を回向するためのものだというお話だった。この日、舞台の上手隅には「東日本大震災犠牲者之霊」と書かれた卒塔婆が、静かなスポットライトを浴びて立てられていた。

 引き続き、幕が上がると、叡尊の肖像は片づけられ、中央には、舎利塔と密教法具を並べた壇。入堂した導師は、われわれ客席のほうを向いて座る。左右には、それぞれ10人ほどの僧侶が前後2列になって座る。いずれも黄土色の衣に同色の袈裟。入堂の際に雅楽が奏されたので、よく見ると、舞台の奥に楽師たちが並んで腰を下ろしている。

 それから、過去帳(読まない。卓上に置いた巻子をくるくると巻き進める間、真言らしきものを唱え続ける)、唱礼、前讃、光明真言と続くのだが、僧侶たちは座ったままで、ほとんど身体を動かさないし、鳴りものはないし、旋律は平板だし、正直いうと眠かった。これに比べると、東大寺の修二会の声明って「野蛮」なくらい派手だと思った。

 休憩のあと、後半へ。楽奏、振鈴のあと、少し変化のある真言(らしきもの)が始まる。ふと、上手後列のいちばん奥から、若い痩身の僧侶が立ちあがる。ひとりだけ灰色の衣と白い袈裟をまとい、異国人のように鼻筋の通った相貌で、はじめから目立っていた僧侶である。彼(綱維/こうい)は、上手前列いちばん手前の大柄な僧侶(一臈)の前に進み出ると、ぴたりと足を止める。そのまま、姿勢を固めたと思いきや、少し背中を丸めたような気がする。気のせいか、と思っていると、じりじりと姿勢が低くなっていく。やがて膝をつき、なおもじりじりと頭を下げて、ついに額を床につける。ほかの僧侶たちは、光明真言の一音一音を、これ以上ないほどゆっくり引き延ばしながら、唱え続ける。

 やがて、綱維役の僧侶の頭が上がり始める。先ほどの動きの逆再生のように、ゆっくりその身体が起きてゆく。その間、15分ほど。俗に「提灯たたみ」とも呼ばれるそうだ。この超スローモーション拝礼は、家に帰って、真似してみようと思ったが、インナーマッスルを鍛えていないと無理。

 続いて、式衆全員が立ち上がり、堂内を歩きめぐる光明真言行道。しかし、相変わらずゆっくりである。東大寺の修二会の行法には、仏の時間に追いつくために必死で走る「走りの行法」があるけれど、西大寺のこの加持修法では、逆にゆっくり進む時間に徹底して耐えることが要求されている気がする。現代生活との激しいズレに、はじめは悲鳴をあげそうになったが、だんだん性根が座ってきた。今や万能の「遅い」というクレームが、クレームとして成り立たない世界。こんな世界もあっていいのだ。第1部終了。

■第2部(午後4時の部)

 はじめに、第1部とは別のお坊さんから、光明真言土砂加持大法会についての法話。さきほどの「綱維問訊」が死と再生をあらわすという説などを聴く。幕が開くと、過去帳~綱維問訊~光明真言行道は、第1部をダイジェストで繰り返す感じだった。第2部は、前から3列目の中央付近という好ポジションだったので、所作もよく見え、声明もよく聴こえて、眠くならなかった。

 休憩のあとは、過去帳読(読み下し)、後讃は、独特な漢語読み(一切善生主=イッセイセンセイシュウ、とか読む)、真言、回向と続き、式衆が立ち上がって、その場で散華を撒く。立て膝をついた姿勢で和讃。それから舎利礼では、導師(?)が「一心(イッシン)!」と呼びかけると、全員が「頂命(チョウライ)!」と返すことを繰り返すなど、後半は変化があって面白かった。思ったとおり、結願は盛り上がるんだな。

↓出口で「おひとりさま1枚です~」と配っていた散華。全て玄武の図だった。
調べてみたら、西大寺は「平城京の北の守り神」として、近年、陶板画で「玄武」を制作したらしい。



※参考:個人ブログ「平城宮跡の散歩道」:平城京の守護を 西大寺が陶板画で「玄武」制作(2010/4/16)
あと三神はどうなってるんだろう?

※参考:真言宗豊山派金剛院(東京):「般若心経・光明真言 唱えてみよう!
光明真言、般若心経のFlashあり。私の実家も真言宗豊山派です。
 
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土地は誰のもの/日本の食と農(神門善久)

2011-06-11 09:20:23 | 読んだもの(書籍)
○神門善久『日本の食と農:危機の本質』(日本の〈現代〉8) NTT出版 2006.6

 先だって、養老孟司氏、竹村公太郎氏の対談『本質を見抜く力:環境・食料・エネルギー』の一部に参加されていた神門善久氏の発言が、いろいろ衝撃的だったので、さっそく本書を読んでみた。正直に言えば、前掲書で受けた以上の衝撃はなかった。それは、ひとえに私の不勉強のせいだと思う。

 東京育ちで、友達にも親類にも、農業従事者をひとりも思い浮かべることのできない私は、農業問題なんて、真面目に考えたことがなかった。戦後、GHQ主導の農地改革によって、大地主制が解体し、農地が小作人のものになったことは、称賛すべき事案として、教科書で習った。私の知識はそこまでだった。

 だから、農地改革の理念を受け継ぐ農地法が、零細農家の保護をはかることで、農業の大規模化を妨げ、JAや農水省の利権の温床となってきたという指摘(→乱暴だが、私の理解のまとめ)には、衝撃を受けた。でも、よく考えてみれば、理屈は通っている。民主主義の原則においては、大規模事業主も1票だし、零細農家も1票である。だから、数を力とする零細農家集団をターゲットに、よく言えば所得再分配、悪く言えば「ばらまき」政策を掲げることが、自民党政権の安定をもたらした。

 JA(全国農業協同組合)なるものも、よく知らなかった。わが国の農家は、ほぼ100%がJAに加入しているという。そういうものかと思っていたが、非JA系の農協があってもいい、という本書の指摘を読んで、ああ確かに、と思った。しかもJAというのが、営農関係(農産物の出荷・販売、貯蔵設備の共同運営、肥料・燃料・農薬等の調達)のみならず、金融・冠婚葬祭・Aコープ・旅行代理業・生活指導員(!)等々、農家の生活を、ほぼ全面的にバックアップしていることに驚いた。まるで(よく知らないけど)私のイメージする「人民公社」並みである。日本って、社会主義の国だったっけ…?

 こうした体制は、日本が先進国へのキャッチアップを目指した高度経済成長期には、一定の役割を果たした。しかし、90年代半ば以降は、現実に合わない点が目立つようになり、農業生産の不効率から、国民経済へのマイナスをもたらしている。

 農地問題に関しても、70年代に自作農主義は放棄されたものの、適切な農地再編整備は行われていない、というのが本書の認識である。高値で農地を買い取ってくれる公共事業やショッピングセンター建設を期待する農家は、転用機会を待望しながら、ひたすら既得農地を温存し、農地としての有効活用に関心を払わない(ケースが多い)。よって貸借による農地流動化は進んでも、売買による流動化(再編整備)は進まず、大規模農家育成は一向に実現せず、もはや行政は、農地の実態も十分に把握できていないという。

 どうやら日本という国は、高度経済成長期の「惰性」で繁栄を続けているらしい、ということを、最近、さまざまな局面で感じる。だから、新しい問題に直面すると、一挙に「惰性」を喪失して、無為無策を露呈するわけだが、農業も、やっぱりそうなのか。

 「無為無策」は、行政だけの問題ではない。著者は、90年代以降に顕著な、行政に全ての罪をなすりつける傾向に、はっきり違和感を表明している。欧米モデルへのキャッチアップが終わった段階で、日本の社会がとるべき選択は、市民の責任分担、行政参加だった。けれども、90年代、社会の大半で「まあまあの生活」が実現した日本社会は「明治以来でおそらくもっとも精神の弛緩した時期」を過ごすことになってしまった。そうかー。自分の生きてきた直近の過去が、このように評価されると、思わず苦笑してしまう。

 それから「土地」問題の特殊性ということも、あらためて感じた。私たちは、衣服、家具、本、住宅など、たいがいのものを所有し、自由に使用し、売買取引する権利を持っている。しかし、日本のような狭い国土では「自分の所有地」だからといって、産廃物を撒き散らしたり、耕作を放棄したりすると、隣接地に影響が波及せざるを得ない。そこで、農地利用計画や都市計画が必要になるわけだが、これを絶対権力者ではなく、市民参加のもとでつくろうというのは、考えただけでうんざりする(と言ってはいけないのだが…)大変な作業だと思う。

 「食と農」を表題にしているが、読みどころは「農」(農地問題)。冒頭の「食」の章は、1冊のボリュームを整えるために加えられたのではないかと思われ、問題の本質を見ない消費者エゴに対する著者の苛立ちは分かるが、実証データ不足で物足りない。かなり我慢して、第3章以降に読み進む必要がある。
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TBSドラマ『JIN-仁-』を誉めておく

2011-06-08 22:36:49 | 見たもの(Webサイト・TV)
○TBS開局60周年記念 日曜劇場 ドラマ『JIN-仁-』(完結編)

 先週の日曜は、友人と外食だったので、見られないかな、と思っていたが、ドラマが始まるまでに帰宅できた。録画セットしておけよ、とお思いでしょうが、最近、録画してまで見たいTV番組がほとんどないので、私はレコーダーを持っていないのである。

 いやー見逃さなくてよかった。天祐でした。先週の第8話は、癌のため余命わずかと知った野風が、逆子の赤ん坊を産むために、麻酔なしの帝王切開に挑む。母体の安全を考えて逡巡する仁先生を、気迫で説き伏せて執刀させる。野風=中谷美紀の演技は、何かが乗り移ったんじゃないかと思われるほど、凄かった。凄いほどキレイで、これはTVドラマのレベルじゃないだろう、と思ってしまった。野風の気迫、仁先生の決意に巻き込まれて、熱くなっていく仁友堂の面々も魅力的だった。

 坂本龍馬の大仕事、大政奉還の扱いは、ちょっとアッサリし過ぎた感もあるが、このドラマは、歴史イベントを描くことが本筋ではないから良しとしよう。野風の帝王切開と同時進行にすることで、大政奉還=新しい日本の誕生であることを示した脚本は巧かった。このドラマ、「神は乗り越えられる試練しか…」とか「歴史の修正力とは…」とか、小難しい科白ばかり吐いているようだが、実は、言葉にたよらずに伝えようとしているテーマもたくさんあり、むしろ、そっちのほうが大切なのではないかと思う。第8話でも、母親ってすごい、子供を産み育てる責任って重いな、ご先祖様のさまざまな人生の帰結として自分があるんだ…みたいなことを、しみじみ考えさせられた。

 ドラマとしては、畳み込むような緊迫感のあるシーンのあとに、ほっと息の抜けるシーンがあるのもいい。帝王切開手術のあと、布団でだらしなく爆睡している仁先生が微笑ましかった。胸に抱いた赤ちゃんに話しかける咲さんも。龍馬も大胆に寝呆けていたなあ。果たして平蔵もとい、東は、龍馬暗殺犯になるのだろうか?

 来週からは、龍馬暗殺事件が、ドラマの中心主題にせり上がってくる様子。ネットでの評判を読んでいると「歴史が中心になるとつまらない」「よく分からない」という感想がけっこうある。まあ、私も10代の頃は日本史オンチだったので、その気持ちは分かる。なので、このあと『JIN-仁-』の人気が盛り上がるとは期待できないのだが、もう視聴率など気にしないで、どうか今のまま完全燃焼してほしい。

 というのも、第1部が、じりじりと人気を上げた末に、最終話で大不評を買ったことを記憶しているからである。本当は完結編の最終話まで待って感想を書こうと思っていたが、このへんで一度誉めておくことにした。あと3話? 最後まで楽しむことができますように。
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贅沢企画/講座・三粋人饒舌(河野元昭、河合正朝、小林忠)

2011-06-06 23:45:04 | 行ったもの2(講演・公演)
○第64回学習院大学史料館講座『日本美術史 三粋人饒舌―水墨画・琳派・浮世絵の魅力-』(講師:河野元昭、河合正朝、小林忠)(2011年6月4日、15:00~17:00)

 学習院大学史料館のホームページに、地味にこの告知が載っているのを見つけたときはびっくりした。ホントに「日本美術史界きっての大御所」三講師がお揃いになるんだろうか。場末の演芸場みたいに、一文字違いの別人が出てきたりしないよね、なんて、余計な心配までしてしまった。

 会場は相当に大きなホール(1100名余を収容可能)だったが、1階部分に限っていえば、6~7割方埋まっていたのではないかと思う。学生さんと、史料館講座のリピーターらしいお年寄りが半々くらい。

 第1部は、河合正朝先生が「水墨画の魅力」を、河野元昭先生が「琳派の魅力」を、そして小林忠先生が「浮世絵の魅力」を、それぞれ20分ずつ語るという、あまりにも贅沢なプログラム。美味しいところをちょこっとずつ盛りつけた懐石料理みたいだった。

 河合先生は「墨は五彩を兼ねる」「湿気を含んだ大気を自然主義的な表現で描いたもの」「霧が晴れれば、有色の世界が見えてくる」など、水墨画のキーコンセプトを、限られた時間で、きっちり解説。河野先生は「琳派の本質は装飾的なシンプリシティである」(※装飾という語は、明治以降、オーナメントとかデコラティブの訳語として用いられるようになったが、河野先生の意図はどうも違うみたい)「(宗達は)近世的明朗さが強調されるが、実は室町の能楽(の象徴性)とも結びつく」など、気になる発言を残して、時間になったら、さっと演壇を下りてしまった。何たる天衣無縫ぶり。小林先生は、さまざまな主題の浮世絵のスライドを実地に見ながら、「演劇(役者)がこれほど多く描かれた国はない」「浮世絵の本質は懐かしさ(ノスタルジー)」などの指摘を訥々と開陳する。「浮世絵(版画)は、版元、絵師、彫師、摺師の共同制作である」というのも、あらためて腑に落ちた。

 後半は小林先生の司会で鼎談となったが、ほどよい距離感で並んだ3人の存在感は絶妙だった。小林先生によれば、美術業界では、この年齢も近い「3Ks(スリー・ケイズ)」は、国際的にも有名であるとのこと。禅画の三幅対みたいだ、と思った。

 はじめに河合先生が「琳派について、もう少し」と話題を振られて、「最近は、琳派を否定する人たちもいるんだけど…安村さん、来てないか? 議論したいんだけど」と会場を見まわして、大きな声を出されたのには噴き出してしまった。「出光美術館の琳派展は予想の3倍も観客が入ったそうですね」と言われて、同館理事の河合先生が「前にやったときは全然入らなかったんですよ」と、申し訳なさそうに告白。確かに今年2~3月の琳派展はよかったものなー。人が入らなかった琳派展ってどれだろう?と、いま過去ログを調べてしまった。

 琳派における「私淑」関係から抱一の蓮花図(細見美術館の白蓮図)の話になったところで、「山水の一部である”花鳥図”を主題に据えることで、日本に水墨画が定着した」という戸田禎佑氏の説につなぐ(小林先生の司会は巧いw)。中国と日本では、自然に対する人間の立ち向かい方が違う、という話になり、中国人は山水に「真」を見るが、日本人は「美」を見る、とおっしゃったのは、河野先生だったかしら。

 それから、世界の中の日本美術を考える上で、河合先生が、19世紀末(幕末~維新)はエキゾチシズム的受容であるのに対し、第二次大戦後は、もう少し日本美術の本質についての理解が深まったのではないか、と冷静なコメント。新たな話題に進むかと思ったら、時間切れになってしまった。そもそも無理なんだよ~、この話題豊富なメンツで40分の鼎談なんて。

 でも贅沢な企画で、楽しかった。肝腎の展示『明治の視覚革命!-工部美術学校と学習院-』は見る時間がなかったので、今週末、再訪の予定。
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殿様の漢籍コレクション/細川家の本棚から(永青文庫)

2011-06-05 10:52:10 | 行ったもの(美術館・見仏)
永青文庫 夏季展示『細川家の本棚から~中国古典籍の世界~』(2011年5月28日~7月31日)

 永青文庫は、細川家と熊本の藩校時習館に由来する漢籍28,000冊を所蔵し、そのほとんどを慶應義塾大学附属研究所斯道文庫に寄託している。本展は、斯道文庫教授の高橋智先生監修のもと、漢籍(および和刻本漢籍)約30点を紹介。

 会場入口に置かれた展示品リストをざっと見て、明清本が中心であることを理解する。しかし、冒頭の『陶淵明文集』(清・康煕33/1694年、汲古閣刊本)は、宋版の写しをもとに復刻されたもので、ゆったりと大らかな版面が、原本の趣きを彷彿とさせる。陶淵明、東坡先生の肖像あり。隣りの『金瓶梅』(清:18~19世紀)は、版型が小さく、色の濃い、一見粗悪に見える紙、狭い行間に詰め込まれた細かい字など、いかにも時代が下った本の姿である。

 清史好きとしては、清朝の大学者・紀(きいん)の識語が記された『文心雕龍』にテンションが上がってしまった。おお! 巻十の末尾に「乾隆辛卯(※1771年)八月初六日閣筆暁嵐記」と朱筆で記されている。その下には、熊本出身の漢学者「古城貞吉」の旧蔵印。巻一の巻首の上段にも朱筆でたくさん書き入れがあったが、あれも紀先生の筆なのかな。

 あと、さりげなく紀の詩文集『我法集』が出ていたのも嬉しかった。解説(季刊・永青文庫)にも「珍しい」というけど、私も初めて見た。試しに「全国漢籍データベース」を引いてみたら、国内に4件しか所蔵がない(しかも東北大の1件は刊年が間違っているのだが…まあいいか)。冒頭の「老景頽唐、旧交零落、惟閉門与筆墨書巻為縁」云々は、眺めていると、なんとなく意味が分かるようで、しみじみする。

 筆や硯塀など、明清の文房具も取り交ぜて展示してあったが、袁世凱の白玉印(4点セット)にはびっくりした。「項城袁氏」の4文字印が2点。「民罔常懐于有仁」の「懐」を繰り返した8文字印が2点(出典は孟子?)。

 価値がよく分からないままに、とりあえずびっくりしたのは『皇明文海』の稿本(手書き本)。全175巻のうち、170巻が永青文庫に伝わるそうで、展示ケースにどさどさと積んであった(→雄松堂アーカイブズの解説)。

 著名人の手書き本や手沢本は、なんとなく慕わしい。学問好きでメモ魔の殿様(→『細川サイエンス』展)細川重賢による三国志人名の抜書ノートがあったり、林羅山が訓点をつけた『史記』があったりした。後者はリストに「江戸時代」とあったので、和刻本?と思ったけど、巻末に「宏遠堂熊氏増補繍梓行」とあって、中国刊本らしい。

 会場の隅にひっそり展示されていた『論語』天文2/1533年刊本は、跋文「天文癸巳八月乙亥金紫光禄大夫拾遺清原亜朝臣宣賢法名宗尤」と読めた。もっと光を当ててあげていい資料だと思っていたのに、私の思い違いかな?と首をひねったくらい、地味な扱い。展覧会の客層を考えて、書誌学的に面倒くさい解説は遠慮したのだろうか。画像と高橋智先生の解説はこちらで。

 漢籍の世界をよく知らなくても、これはすごい!と分かりやすいのは、敦煌本『文選注』(唐・7~8世紀)。えええ、どうしてこんなものが永青文庫に?!と驚いたが、東洋の美術・文物に造詣が深かった細川護立(1883-1970)が購入したらしい。本展には、探検家オーレル・スタインが、メッセージ入りで護立に送った『敦煌壁画図説』(英文)も展示されている。肝腎の『文選注』は、裏面の文字の映りが濃くて、会場では読みにくいが、明快な筆跡が紙面をびっしり埋めている。「閩越王」「南越王」「太子嬰」などの単語を拾い読むことができた。

 ちなみに、2階の展示室には、護立と交流のあった羅振玉の額が掛けてある。これらの漢籍、細川家が代々伝えてきたものもあるけど、やっぱり(書画と同じで)清末に日本に流れ込んだものが多いのかなあ、と思った。
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休日の朝食

2011-06-05 09:54:55 | 日常生活


コーヒー
牛乳

トースト&ジャム
 ジャムは「たまがわはちみつジャム(りんご)」。先日、機会があって立ち寄った玉川学園購買部で購入。美味しい! ジャムってこういう味だったのか。大量生産品のジャムなんて、砂糖を舐めていたようなものなんだな。

フォッカチャ
 昨年秋、近所に新しいパン屋さんがオープンした。天然酵母を使った生地に素朴な甘みがあるのが気に入っている。毎日でも食べたいのだが、12時から、パンの売り切れる17時頃までしか開いていなくて、しかも日曜は休みのため、ほとんど買えない。昨日は、夕方通りかかったら、4、5品だけ売れ残っていたので、あわてて買ってきた。惣菜パン系は初めて食べたが、味が濃すぎなくて、やっぱり美味しい。

実は、近所には素敵なお店が多い。
新しいカテゴリーを立てて、ご近所紹介もしてみようかな、と思っている。
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粟特城の章、毒敵山の章/西遊妖猿伝・西域篇(3)(諸星大二郎)

2011-06-04 22:18:52 | 読んだもの(書籍)
○諸星大二郎『西遊妖猿伝・西域篇』3 講談社 2011.6

 舞台は相変わらず伊吾国。架空のオアシス都市・粟特城でひと悶着。悟空は、羊力大仙の娘、アマルカの計略にかかり、屍鬼(ドゥルジ・ナス)を祆教(ゾロアスター教)の神殿に引き入れ、聖火を穢してしまう。謎を残したまま、玄奘一行は伊吾城(ハミ)に到着。巨大な羊にまたがった妖少女アマルカが、悟空の前に再び姿をあらわす…。

 1年ぶりの続巻刊行。少しストーリーに速度が加わってきた感じでうれしい。羊の屍肉(それも数匹分が合体)を原型に、切っても切っても再生して増えていく、軟体系の怪物ドゥルジ・ナスは、いかにも諸星ワールドの住人。ヒエロニムス・ボスの絵に出てきそうな、羊の頭蓋骨に短い手足をつけたドゥルジ・ナスと、それを追う悟空が、四角い土壁の家の並んだ、オアシス都市の夜の道を疾走する場面には、痺れた。

 西域の街並みの描き方には、意外と「実感」がある。悟空が立ち回りを演ずる伊吾城のお屋敷は、土を固めたドーム状の丸屋根の中心に穴が開いていて、空が見えるように描かれているが、新疆ウイグル自治区を旅行したとき、こんな建物を見た覚えがある。ええと、ただし、一般の家屋ではなくて、モスク寺院だったような気もするけど…。でも、遺跡や考古資料を巧みに取り入れていて、楽しい。白茶けた土づくりの家並みと青い空の記憶がよみがえる。また行きたいなあ、西域。

 「羊力大仙」は原典・西遊記にも登場する妖怪の名前。作者はカバーの折り返しで「元来の『西遊記』とはどんどん違う世界へ向かっているような気もするのですが、さてどうでしょう?」なんてつぶやいているが、もともと玄奘三蔵の旅を、全て漢民族の伝統世界に落とし込んでしまった西遊記が一種の「捏造」なんだから、先祖返りと思っていいのではないかと思う。

 双子のハルとアム、ぶち犬のワユは、緊迫した屍鬼との戦いの中でも、笑顔を誘う癒しキャラ。こういう役は、大唐篇にはいなかったような。しかし、悟空は年を取らないなあ。本のオビに「読む者の少年心を揺り起こす」というけれど、私にとっては、鉄腕アトムと並ぶ永遠の少年である。
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モノから考える/本質を見抜く力(養老孟司、竹村公太郎)

2011-06-04 10:38:54 | 読んだもの(書籍)
○養老孟司、竹村公太郎、神門善久『本質を見抜く力:環境・食料・エネルギー』(PHP新書) PHP研究所 2008.9

 原発事故以降、エネルギー問題への関心が高まっており、私も少し考えてみたいと思ったのだが、いかにも便乗企画で書店に現れた本は読む気にならない。あまりに評価の定まった古典的名著も、現状認識の点で、参考にならないのではないかと思う。迷っていたら、本書が目にとまった。

 面白かった。前半、養老先生はどちらかといえば聞き役で、豊富なデータに基づいて、持論を展開するのは、元国土交通省河川局長の竹村公太郎氏。あらためて考えてみたのだが、日本の将来に関する提言を、私が「参考になるか、ならないか」判断する基準は二つある。一つは過去の歴史がきちんと検証されていること。過去に対して手前勝手な論者は、どうせ将来についても、その場しのぎの見通ししか立て得ない。二つ目は、反発や抵抗が予想される具体策をきちんと述べているかどうか、である。

 第一には、最初の巨大油田発見(1935年)以降のデータをもとに、原油産出量が近現代の国際社会のバランス・オブ・パワーにどう影響したかを論ずる第1章から、私は本書にのめり込んだ。アメリカの言う自由経済とは、原油価格が上がらない(無限にオイルが供給できる)という条件あっての概念である、とか。昭和天皇が「先の日米戦争は油で始まり油で終わった」という言葉を残されているのも興味深い。竹村さん、「アメリカのエネルギーは解決不能で、たぶんもう取り返しがつきません」なんて、恐ろしいことをおっしゃる。

 では、日本人はどうか。前近代社会のエネルギー源は森林だった。竹村氏は、日本人は心のどこかに「オイルピーク(エネルギー源の崩壊)を一回経験した」というDNAを受け継いでいるのではないか、と希望を託す。同氏の示すデータによれば、日本文明は江戸時代末期まで森林資源を使い果たし、限界まで来ていた。にもかかわらず「いまほど森林が豊かな時代はない」。そもそも「人類の文明史の中で(※近代以前)山の木を植林で守ろうとしたのはおそらく日本文明だけです」という発言にも、蒙をひらかれる感じがした。

 人類史はエネルギーの争奪戦である。その観点から見ると、たとえば桓武天皇が平城京から平安京に遷都したのも、奈良盆地の周辺の森林資源を使い果たしたためではないか、という。おお、新鮮! 文献歴史学者にはできない発想である。「要するにエネルギーだろ」という身も蓋もない話は誰も聞いてくれない、と竹村氏は自嘲的におっしゃっているが、モノから考える視点は、もう少し大切にされなければいけない。このたびの震災復興に関しても、「ビジョン」とか「ミッション」とか言いすぎだろ、と思う。

 第二に、本書は、具体化すれば、当然、議論の起こる政策提言を敢えて述べている点でも面白かった。電力会社が全国津々浦々に送電するシステムは無駄が多い。エネルギーが逼迫してきたら、過疎の村は、地元でエネルギーをつくる(というシステムを国家が構想する)必要がある、とか。住民は街に集まってくれたほうがいい。先祖代々の土地を動きたくない場合は、住民も近代的な設備を要求しない覚悟がいる、等々。

 この点は、本書中盤、神門(ごうど)善久氏を加えての、日本の農業と食料問題に関する鼎談部分に顕著である。神門さんの著書『日本の食と農』(NTT出版、2009年)は、サントリー学芸賞を受賞し、言論書としての評価は得たが、農水省からもJAからも新聞、学界からも何らアプローチがなく、農業関係者の間では「僕の本は存在しなかったことになっている」と自らおっしゃる。本書の中でも「ノスタルジックなスローフードだの、まやかしの地産地消だの、あんなものが話題になるのは農業の本当のすごさを知らないからです」とぴしゃりと断じている。

 官僚が悪いとか政治家が悪い、あるいは農業従事者が悪い、というような「悪者探し」の言論は、いまの社会では受けがいい。しかし、神門氏が最終的に指弾しているのは、「つらい現実を見るのはやめて、その代わりに悪者をつくろう」という選択をしたわれわれ、市民一般である。

 現代社会を取り巻く課題は数多くあるが、どこかに「正しいやり方」がある、という思い込みはやめよう、という養老先生の言葉に賛成する。モノから考えること、五感を働かせること、経験を積み上げて知性を養っていく文明に、再シフトしていかなければならないと思う。

玉木俊明『近代ヨーロッパの誕生:オランダからイギリスへ』(講談社選書メチエ、2009)
ヨーロッパにおける森林資源の枯渇問題に触れる。森林ってエネルギー資源だったんだ、と初めて認識した本。

サントリー学芸賞:神門善久『日本の食と農』(NTT出版、2009年)選者評
同書は未読だが、同賞受賞作は、だいたいどれも外れがなくて、好印象を持っている。
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木戸家の人びと/侯爵家のアルバム(れきはく)

2011-06-01 22:41:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立歴史民俗博物館 企画展示『侯爵家のアルバム-孝允から幸一にいたる木戸家写真資料-』(2011年3月1日~5月29日)

 会期最後の週末に、慌てて行ってきた。解説に言う。同館所蔵の旧侯爵木戸家資料、孝允(たかよし) ― 正二郎(しょうじろう) ― 孝正(たかまさ) ― 幸一(こういち) 4代にわたる資料群は、1984年から1998年にかけて寄贈を受けたものだが、簡単な仮目録があるだけだった。平成13年度(2001)から整理作業を進め、ようやく資料目録刊行の見通しがついた。いやー20年やそこらの放置で済んだのなら、幸せな資料群だと思う。博物館や図書館に流れる時間のスケールって、そんなものだ。

 今回は、1万5千件に上る厖大な資料の中から写真資料に絞って紹介。総数5,241件から、特色ある写真をピックアップして展示している。最も古い写真は幕末、慶応年間。木戸孝允(桂小五郎)は、丁髷・帯刀姿で写っている。裏面に庚午(=明治3年)と墨書された写真でもまだ丁髷姿。明治4年、岩倉使節団の一員として渡米した際の写真から、断髪・洋装になる。不思議なくらい背広が似合って男前だ。木戸の写真は、「没後はスターのブロマイドのように市販され、世間に流布した」というけど、何故!? イケメンだったからか? 苦み走ったというより、どの写真も、苦虫をかみつぶしたように、口をへの字に結んでいる。長崎・上野彦馬写真館で撮った集合写真で、洋装の伊藤博文だけが、無防備に歯を見せて笑っているのが印象的だ。松子夫人は、どの写真を見ても、衣紋の抜きが大きい。

 長州閥、新政府関係の人々の写真は多い。目力があって、いい表情のオッサンがいるなーと思ったら、広沢真臣だった。あっ、川路寛堂(川路聖謨の孫の太郎ちゃん)とか、大久保利通エラソー、とか、いろいろと面白い。岩倉使節団の人々は、随員の間で、あるいは会見した外国人、現地の留学生と、さかんに写真を交換していたようだ。使節団の名簿(構成員のほか、随行者・留学生を含む)と、木戸家のアルバムに写真があるかないかの表を眺めているだけで興味深かった。岩倉使節団に5人の女子留学生が随伴していたことは有名だが、孝允の養嗣子・正二郎など、少年留学生たちがいたことを、私はこれまで知らなかった。背広姿で、精いっぱい大人びたポーズを決める彼らの心中はどんなふうだったんだろう。

 正二郎、孝正を経て、木戸幸一の生涯は激動そのもの。学習院の学校生活は、写真で見ると、思っていたより男臭そう。長じて、ゴルフ、テニス、留学の日々。そして、昭和天皇の側近として、大臣を歴任。敗戦とともに戦争犯罪人となる。巣鴨プリズン内の写真や、プリズンから一時帰宅したときの写真なども残っていて、生々しい。

 壁の解説パネルに、樋口雄彦さんという方が「宮中グループ」というコラムを書いており、敗戦前後の政治情勢について「日中戦争以来、軍部を支持し戦時体制を推進してきた宮中グループは、敗戦前後には一転してすべての責任を陸軍に押しつけようとする」と断じていた。へえー宮中グループ(木戸幸一もそのひとり)に対し辛辣だな、と思い、気になった。展示図録に何か長い文章でも書かれていないかな、と思ったが、残念ながら、パネルの文章がそのまま掲載されているだけだった。でも、お名前、覚えておこう。

 なお、最終日を待たずに『旧侯爵木戸家資料目録』は「完売」だった。すごい! そんなに木戸家ファンがいるのか? 何割くらいが孝允マニアで、何割くらいが幸一マニアなんだろう。
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