見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2011秋の関西遊:京都/細川家の至宝(京博)

2011-11-05 20:55:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
京都国立博物館 特別展覧会『細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-』(2011年10月8日~11月23日)

 やっぱり今年の秋も、関西展覧会巡りに出かけることにした。週末1泊限りと思っていたが、スケジュール表を睨むと、どうやら4日は早退できそうだったのと、比較的リーズナブルな空き宿を京都に見つけたので、急遽、金曜から上洛し、20:00まで延長開館中の京博に駆け込んだ。

 『細川家の至宝』は、2010年に東博でも見ていたので、記憶を再確認するくらいのつもりだった。そうしたら、ずいぶん勝手が違った。冒頭では「細川家と京都」をテーマとし、遠祖・細川頼有(よりあり)という人物にスポットをあてる。細川家の菩提寺である建仁寺塔頭・正伝永源院に坐像が伝わる。また、細川藤孝(幽斎)の居城・青龍寺城(勝龍寺城)は京都府長岡市にあり、今も勝龍寺の名前を伝える寺院から、檀像ふうの十一面観音像が出品されていた。こういう土地と歴史の密接な結びつきは、京都でなければできない企画だと思う。

 東博の展示は、細川家歴代当主の藩政改革、学問奨励、物産振興などに、けっこう比重をおいていた(文書資料が面白かった)と記憶するのだが、京博では、そのあたりは思い切りよく省略し、「美の世界では天下人」のキャッチコピーそのままに、次から次へと細川コレクションの「美品」だけを見せ続ける。刀剣、茶器、能面、能装束、仏像、書画…。

 それも、物量で圧倒するのではなく、選りすぐりの優品をほんの一口ずつ並べた懐石料理の感があった。東博では、正直、あれやこれや面白すぎて、ぐったり疲れてしまったのだが、京博会場では、それがなかった。同じコレクションを素材とする展覧会でも、切り口次第でずいぶん違うものだ。

 いちばん大きな違いは、東博に全く出ていなった中国絵画が京都会場では多数出ていたことだろう(展示替を含めると10作品くらい)。特に『咸陽宮図』は、図録で初めて知って、ぜひ本物を見たかったので嬉しかった。こういう巨大で細密なお城の図には、どこか童心を刺激される。

 それから、黄庭堅の書『伏波神祠詩巻』、菱田春草の『黒き猫』は、これまで永青文庫で公開されていても、まあいいや、と思って、見に行ったことがなかった。やっぱり本物を見るといいなあ。黒猫のウサギみたいに長い耳、ツルツルふわふわの毛並みがなんともいえない。
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鎌倉・宝物風入れ2011(円覚寺、建長寺)

2011-11-04 21:57:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
 久しぶりに鎌倉の宝物風入れを見に行った。2008年の参観以来、3年ぶりになる。今回は、少し詳しくレポートしておくことにする。

臨済宗・円覚寺派本山 円覚寺

 第1会場1~3室は、ずらり並んだ、元の張思恭筆と伝える『五百羅漢図』33幅が見もの。全体に黒ずんだ絹本であるが、このところ羅漢図になじんできたおかげで(?)描いてあるものが見えるような気がする。指先から天に向かってビームを発していたり、虎の頭を抑えて歯磨きさせていたり、雲の上の羅漢さんが地上の貧者に食物(あるいは穴開き銭?)をバラ撒いていたり、見慣れたモチーフを発見するのが興味深い。白い大蛇の口の中に羅漢が座っているものもあって、おお、狩野一信の羅漢図そのままじゃないか!と思った。

 それぞれ、羅漢図の合間に別の大幅が掛けられていて、1室は『仏涅槃図』(鎌倉後期)。ニホンザルもいればラクダもいる。2室は岸駒の『虎』『開山像』『龍』三幅対。開山・仏光国師(無学祖元)は、若草色の衣を着て、浅黄色の布のかかった椅子に座す。霧に包まれたように、椅子のまわりを背景に溶かし込んでいるのが面白い。左肘のあたりと足元に2羽の鳩が描かれている。胸のピンク色が美しい。ハトの種類は不案内だが「キジバトだね」と話しているおじさんがいた。やっぱり鎌倉といえば、鳩なのだ。

 2室の手前には『緞子縫合編繍大袱紗(どんすぬいあわせあみしゅうおおふくさ)』が広げられていた。展覧会でガラスケース越しにも見たことがあるが、素通しで見ると、金糸の刺繍(特に端のほうによく残る)がキラキラ光って美しい。

 3室の中央には、恰幅のよい『被帽地蔵菩薩像』。ときどき国宝館で見る。羅漢図は、張思恭筆本が終わって、伝・兆殿司(明兆)筆16幅になる。宋元画を学んだ画僧と言われるが、この羅漢図に限っては、明代っぽいと思う。第1幅の上部に描かれていたのは神農だろうか? 兆殿司本は廊下に続き、浴室に向かう図があったり、喫茶の図があったり(侍者が瓜を切っている)、鉄鉢を持った腕をなが~く差し出す超能力の図があったりする。耳掻きされる龍、荷物を背負わされてへばり顔の虎が可愛い。石橋図は、遠近法のつもりかもしれないが、橋の上に現れた僧が小人に見える。

 4室にも兆殿司筆『十六羅漢図』があって、これも好きだ。各幅「羅漢1人+1」を描くのだが、「+1」は童子だったり、従者だったり、天王だったり、動物だったりする。トレーディングカードを見ているようで、全部欲しくなる。

 第二会場は3室ぶち抜きで、おもに書状、墨蹟、文献資料を展示。雨の日の洗濯物みたいに、隙間なく書軸が垂れ下がっている。歴史好きにはたまらないだろう。墨蹟では、無学祖元法語のおおらかな文字が私の好みだ。それにしても、義満の字は、なぜあんなに下手なのか? 文書の山に埋もれて、善光寺式の銅造阿弥陀如来両脇侍立像も、なぜかこの会場にいらっしゃった。

 第三会場では、小品だが、松花堂(昭乗)筆『豊干禅師像』に目がとまる。今年の風入れは、前回ほど混雑した感じがなかった。また、前回の記憶とは、場所が変わっているものもあるようで(単に私の記憶違い?)、もしかすると会場を少し広くしたか、あるいは、今年は5日(土)があるので、お客が分散したのかもしれない。

■臨済宗・建長寺派大本山 建長寺

 建長寺の風入れは、2003年に改築された客殿(紫雲閣)を第1会場、方丈(龍王殿)を第2会場として行われている。前回は、第1会場と第2会場が逆だったような気もするが、記憶に自信がない。

 第1会場(紫雲閣)の2階に上がると、いきなり緋毛氈の上に伽藍神が座って(腰掛けて)いて、笑ってしまった。参観者は立ったまま近づくので、伽藍神を冠の上から見下ろすことになる。いや、これはちょっとマズイんじゃないの? 目を引いたのは、銅造の小さな僧形像6体。立像で30センチ、坐像で20センチくらいか。三門楼上に安置されている五百体余の銅造羅漢の一部だという。天保~安政年間の鋳造。はじめて見た。隠元和尚賛の『関羽図』にはどこかで見たような印判が押してあるのだが、読めないのが悔しい。

 1階に下り、お抹茶とお菓子(2008年の写真と同じ)の無料接待を受ける。それから第2会場の方丈へ。方丈のつくりは、円覚寺と同じで、中央の「室中」+左右の3室構成になっている。1室目、『地獄十王図』(室町時代)は状態がよく、下絵の朱筆もよく見える。2室目、室中。円覚寺では方丈の仏様は顔を出していなかったが、建長寺では、幕間から宝冠釈迦如来像(?)がわずかにお姿を見せている。

 3室目、伝・張思恭筆『白衣観音図』は、最近、修復が終わって、国宝館で展示されていたもの。明兆の『十六羅漢図』には、また指からビームを出している羅漢さんがいる。ここは、元の顔輝筆と伝える『十六羅漢図』がいい。人物のみを画面いっぱいに描き、背景も従者も省略する。あまり類例が思い浮かばない構成。今年流行のルーズなショートブーツみたいな履物が特徴的。

 方丈を出ると、法堂で無料の展示をやっていたので、覗いていくことにする。鎌倉をライフワークとする写真家・原田寛氏の写真展「らかんさん」(2011年10月15日~11月6日)で、建長寺三門楼上の銅像五百羅漢のさまざまな表情を撮影したものだ。どれもUPに耐える、いい表情をしている。彫刻家・高橋鳳雲(1810-1858)作の木像を元に制作されたもので、原型の木像は身延山に安置されたが、明治20年に焼失して伝わらないのだという。風入れの会場で見た数体も悪くなかったが、小さい像なので、写真で見るほうが魅力が増すと思う。

鎌倉国宝館 特別展『鎌倉×密教』(2011年10月15日~11月27日)

 最後に国宝館へ。いやー密教仏が揃うと雰囲気が濃いなあ~。彫刻は、不動明王の占有率高し。ただし、東国らしい力の籠もった不動明王だけでなく、より古い時代の穏やかな丸顔の不動明王も混じる。また、あれ、これが密教仏?と思うものもあって、密教の流行で変化観音が広まったことで、かえって「聖観音」が成立する、という説明になるほどと思った。鎌倉と縁が深いという、滋賀の園城寺からも数体が出品されている。
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朝鮮飴売りの正体/飴と飴売りの文化史(牛嶋英俊)

2011-11-03 23:24:57 | 読んだもの(書籍)
○牛嶋英俊『飴と飴売りの文化史』 弦書房 2009.5

 「飴売り」に関しては、年来、いくつか疑問に思っていたことがあった。朝鮮及び唐人飴売りのことだ。たまたま書店で本書を見て、私の疑問を解決してくれそうだったので、すぐ買ってしまった。

 さて、本書で取り扱う飴とは「米・粟を主とする穀類や芋などデンプンをふくむ材料を、糖化酵素によって糖化させた食品」をいう。本来、砂糖は含まない。なんと日本書記の神武紀には「水無しに飴(たがね)を造らむ」という記事があり、天平9年の但馬国正税帳(正倉院文書)には読経供養料として「阿米(あめ)」をつくるための米が支給された記録がある。すごい! そんなに古いのか。平安京の西市で飴が「売られていた」という記録もあるそうだ。

 平安時代、宮中では生薬の「地黄煎(じおうせん)」を飴で練って服用する習慣があった。やがて地黄煎の入らない水飴も「地黄煎(飴)」と呼ぶようになり、訛って、ギョウセン飴→ちゃうせん飴→朝鮮飴(江戸時代)と誤読されるようになったという。おお~まるで手品の種明かしだ。

 一方で、中世以降、唐人が新たな飴の製法を伝えたという伝承も各地に多い。鎌倉・室町時代は「今日の想像以上に国際交流が活発な時代」で、11世紀には博多に大唐街(宋人百堂)があったとか、小田原にも唐人街があったとか聞くと、中世日本のイメージがかなり変わる。しかも彼ら唐人は、日本各地をひろく遍歴して、飴やおこしなどを売り歩いていたという(網野善彦氏の説)。

 その記憶に連なるのか、江戸時代の絵画資料には、朝鮮風の帽子をかぶり、唐人笛というラッパ状の笛を吹いて子供を集める飴売りの姿が数多く描かれている。これは朝鮮通信使の特徴に近い。庶民が目にすることのできる、ほとんど唯一の外国人が通信使であったためだろうと、著者は推測している。「笛を吹く飴売り」は、明治以降、石川啄木の短歌や島崎藤村の短編にも登場し、ほぼ全国的に定着していたことが分かる。

 この「飴つくり・飴売り」を担った人々であるが、江戸時代には、村全体で飴をつくり、行商や祭りの露店で売る「特定の集落」というものが、全国各地にあった。本書には、著者の研究フィールドである筑前・豊前のほか、会津、加賀、千葉などの例が取り上げられている。近世社会には「農民」身分であっても、実態は「雑業」が主という村が、街道沿いなどに生まれていたのである。

 ところが、近代に入ると、ほんものの朝鮮人(半島出身者)の飴売りが登場する。「戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索」データベース(こんなものがあるのか!)によると、その初出は、明治42年3月の大坂日日新聞だという。ただし、彼らのスタイルは、同時期の朝鮮における飴売り(駅弁売り風の箱を首から下げ、ハサミを鳴らす)とは異なり、天秤棒で屋台をかつぐ日本式だった。彼らは飴売りとして渡来したのではなく、土木工事の労働者などとして来日した後、少ない元手で簡単に始められる商売として、日本の親方のもとで、飴売りになるケースが多かったようだ。

 それでも飴売りになる朝鮮人が多かったのは、「飴売り=唐人(外国人)」のイメージが日本人側にあったためではないかという。江戸の人々のフィクションだった唐人飴売りが、近代以降、朝鮮人飴売りとして現実となる。そんなことあっていいの?と思うような、不思議な話である。なお、唐人笛を吹く販売スタイルは、日本人香具師の専売特許となっていたため、新参の朝鮮人飴売りは、逆に笛を吹くことを許されなかったのではないか、ともいう。現実って、かくも倒錯的なものか。
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東国の名宝をチェック/法然と親鸞 ゆかりの名宝(東京国立博物館)

2011-11-02 23:45:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌 特別展『法然と親鸞 ゆかりの名宝』(2011年10月25日~2011年12月4日)

 春に京博の『法然』と京都市美の『親鸞展』を見てきたので、この二つが合体して、東博の『法然と親鸞』になるのだろう、と考えていた。だから、どうせ既視感のあるものばかりだろうと思っていたら、意外と予想より面白かった。

 京博の『法然』は、知恩院蔵『法然上人絵伝』とその類本に描かれた法然の生涯を軸に、展示が進んで行く。わりと生真面目な構成だった。東博は冒頭に、ええと、どれだっけな、浄土図か何かが掛けてあって、ふと足元を見たら、左が赤、右が青に塗り分けられており、中央に一本の白い道が通っている。おお、全体でリアル二河白道図か!と私は気づいたけど、周りは誰も気づいていなかった。入ってすぐ「二河譬のあらすじ」の説明パネルがあって、ちゃんと立ち止まってそれを読んでいる観客は多いのだけどね…。以下に『二河白道図』が数点。京都・光明寺本は、現存する最古の(←日本で?)二河白道図だそうだ。私は京博でも見ているはずだが、この説明には気づかなかった。

 法然上人像は、京博で見られなかった「足曳御影(あしひきのみえい)」が見られて、嬉しい。あと、なんだこの華やかな出で立ちは!?と思ったのは、茨城・常福寺に伝わる上人像。『上人絵伝』は、各種伝本の扱いが大きい。国宝・知恩院本を補完するというより、それぞれに個性を競い合わせるような展示だった。増上寺本って13世紀にしては料紙がキレイすぎると驚いたり、東本願寺・弘願本のユニークさ(梅の花の描写)に吹き出したり、京都・仏光寺本の、鼻をかむ(?)僧侶の姿に狩野一信の羅漢さんを思い出したり、楽しかった。

 個人的に一押しは、滋賀・錦織寺の『錦織絵伝』(親鸞上人伝)。やや劇画調で、これも一信を思い出すところがある。二押しは、西本願寺蔵『親鸞聖人絵伝』6幅。甲斐・万福寺に伝わったもの。京都市美の『親鸞展』にも出ていたらしいが、私は展示替えで見そこねていた。以上、2点は掛け軸。
 
 東博展には、京博になかった東国寺院の仏像や高僧像がたくさん出ていて、面白かった。特に高僧像は、鎌倉写実彫刻の妙を味わうことができる。茨城・円福寺の阿弥陀三尊像は、龍谷ミュージアム『釈尊と親鸞』でも印象的だったもの。彫刻作品の「目玉」は、鎌倉・浄光明寺の巨大な阿弥陀三尊坐像。鎌倉へはよく行くので、あら、お久しぶり、という感じである。いつものお堂では分かりにくい土紋装飾が、明るい照明の下で、非常によく分かるのがありがたい。鎌倉といえば、『浄土五祖絵伝』や『当麻曼荼羅縁起』も国宝館でおなじみの作品だが、こんなに気前よく開いてくれることは少ないので堪能した。

 実は、事前に同展のサイトを見たとき、京都・金戒光明寺の『地獄極楽図屏風』(~11/13)が見たくて、前期に行くことに決めたのだ。ところが、なかなか現れないので心配していたら、出口近くに登場。こんなに小さい屏風なのか、と印象とのギャップに面食らった。そして、最後の作品が、知恩院の『阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)』。「お迎え」の作品で送り出される演出が、ちょっと愉快である。あ、もしかすると、冒頭の「二河白道図」(極楽往生の図)につながって、円環しているのかもしれない。
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ご近所ディナー@2011年10月

2011-11-02 06:25:40 | 日常生活
以前、同じ職場にいたことのある友人が、わりと近所に住んでいる。
昨年、私が東京に戻ってきてから、ときどき、夕食を一緒に食べるようになった。

この日は、都心に住んでいる友人を逆に呼び出して、三人でディナー。
駅からやや離れた、住宅街のフレンチレストランにて。







だらだらと無駄話を楽しみ、
徒歩で家に帰って、すぐ寝てしまえるのが、なまけものには好都合。

次はクリスマス・ディナーで。

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