見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2016年秋冬:東京近郊展覧会拾遺

2016-12-21 22:47:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
書き落としていたもの、短めにまとめてレポート。

出光美術館 開館50周年記念『時代を映す仮名のかたち-国宝手鑑『見努世友』と古筆の名品』(2016年11月19日~12月18日)

 最終日に観覧。仮名には「和歌を記す文字」という役割があり、平安時代から室町時代にかけて、和歌の社会における役割が、褻(ケ=私的)から晴(ハレ=公的)さらに儀礼へと変化したことを、仮名書様の変化と結びつけて考える。うーん、このコンセプトはいまいちよく分からなかった。私が感じる平安時代の仮名の美しさは、線が均一で、あまり肥痩のない点にある。少し慣れると読みやすい書体でもある。禁欲的なまでの均一さは、法隆寺金堂壁画の描線を思い出す。時代が下った仮名の書体は、単に慣れの問題かもしれないが、私は読みにくく感じる。室町後期の肥痩の大きい仮名を見ていると、江戸の読み本の書体に近いなあと思う。

 面白かったのは、鎌倉時代を代表する「後京極様」「寂蓮様」が、法性寺様と呼ばれる藤原忠通の書体(もちろん漢文のための書体)から影響を受けているのではないかという指摘。はじめ、第2室の隅にポツンと置かれた忠通の書状を見て、あれ?仮名の展覧会なのに?と不思議に思ったが、同室の展示を最後まで見て納得した。

出光美術館 開館50周年記念『大仙厓展-禅の心、ここに集う』(2016年10月1日~11月13日)

 出光美術館の仙厓(がい)コレクションに加え、福岡市美術館のコレクション、九州大学文学部コレクションという三大コレクションの名品が勢揃いした展覧会。出光は、仙厓没後170年にあたる2007年秋にも『仙厓・センガイ・SENGAI-禅画にあそぶ-』という展覧会をおこなっている。記憶によれば、私はこれを見ているはずだが、あまり面白さを感じなかったため、レポートを書き逃してしまった。ネットで検索すると「仙厓の禅画を楽しむとともに、そこにこめられた心温まるメッセージを読み解き」という趣旨の展覧会だったようだが、この「心温まる」推しが私は苦手で、以来、仙厓を遠ざけるようになってしまい、2013年の日本の美・発見VIII『仙厓と禅の世界』も見逃がしている。今回は、仙厓の無邪気さというか、大胆不敵さがよく分かって面白かった。パイナップルみたいな『トド画賛』大好き。

永青文庫 『仙厓ワールド-来て見て笑って!仙厓さんのゆるカワ絵画-』(第1期:2016年10月15日~11月6日)

 永青文庫の仙厓コレクション初の一挙大公開!と聞いて、これは見たいと思ったが、絵画104点を4期に分けて完全入替の公開だった(第4期は来月)。私の行った第1期に見ることができたのは、4階展示室に収まった26点。3階と2階は館蔵の茶道具・文具などで、仙厓所持の雲鶴茶碗(中国もの)と仙厓作の茶杓が通期で出ている。ちょっとガッカリ。でもまあ、第1期は、SNSに画像が流れてきて一目惚れした『龍虎図』2幅が見られたのでいいことにする。図録は作られていないが、雑誌『季刊永青文庫』96号(400円)に104点全ての図版が掲載されているのは貴重。

静嘉堂文庫 『漆芸名品展-うるしで伝える美の世界-』(2016年10月8日~12月11日)

 館蔵の日本・中国・朝鮮・琉球等の漆芸品から優品を精選して公開。近年修理を終えた『羯鼓催花・紅葉賀図密陀絵屏風』(かっこさいか・もみじのがずみつだえびょうぶ)二曲一双の修理後初公開が見どころだったが、私は両隻展示期間を逃して、羯鼓催花図しか見ることができなかった。くやしい~。しかし私は漆工芸が全般的に好きなのでとても楽しかった。

 日本の漆芸では、ドーム形の『秋草蒔絵菓子器』、黒と金の『秋草蜘蛛巣蒔絵箱』など、紙でイミテーションを作ったら、現代の高級スイーツ(チョコレートとか)の包装箱に絶対使える。唐物瓢箪茶入(稲葉瓢箪)に付属した『人魚箔絵挽家(ひきや)』というのは茶筒形の容器(東南アジア製)で、上蓋に二尾の人魚、側面に羽人や人魚が描かれている。存星や密陀もいいな~。『蝶嵌装入隅四方組皿』(清時代)は、正方形の漆皿にカラフルな素材を嵌め込んで、絵変わりの蝶の姿を表現する。朝鮮の螺鈿箱の絵柄は、民画みたいに素朴でかわいい。曜変天目と油滴天目、灰被天目は、天目台つきで出ていた。

東京国立博物館・本館(特別1-2室) 『歌仙絵』(2016年10月18日~11月27日)

 特別展でもなく特集展示ですらないのに、ある日、東博に行ったらやっていて、佐竹本の坂上是則(文化庁蔵)、住吉大明神(松永安左エ門氏寄贈)、小野小町(個人蔵)、壬生忠峯(原操氏寄贈)、藤原元真(文化庁蔵)が並んでいて、びっくりした。さらに上畳本の源宗于、為家本の藤原敦忠など。各種の柿本人麻呂像や和歌三神像などの関連資料を含め、53件を展示。これだけの規模で歌仙絵を見比べることができる機会はめったにないと思ったので、記録しておく。
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国絵図・浮世絵を色彩から視る/色の博物誌(目黒区美術館)

2016-12-20 23:40:35 | 行ったもの(美術館・見仏)
目黒区美術館 『色の博物誌-江戸の色材を視る・読む』(2016年10月22日~12月18日)

 全く行く予定のない展覧会だったが、ネット上の評判がいいので、気になって最終日に行ってみることにした。行ってよかった。とても斬新な展覧会だった。

 建物に入り、レセプションカウンターでチケットを購入して振り向くと、開放的なロビーのような空間が、もう展覧会の第1室になっている。はじめは「江戸の色材への導入」と題し、植物・鉱物など、さまざまな色材と絵具(粉状)が展示されている。また、薄い引き出しが縦に積み重なった収納型の展示ケースは、引き出しごとに「画材(クレパス、鉛筆など)のいろいろ」「紙(洋紙・和紙・べラム・パピルス)のいろいろ」や「筆・刷毛のいろいろ」が収まっている。もちろん全部引き出して眺めてしまった。

 2階は複数の展示室があり、順路に従って「国絵図」の部屋に入る。岡山大学附属図書館・池田家文庫が所蔵する備前国と備中国の巨大な絵図が4枚と複製が1枚、いずれも水槽のような大きな展示ケースに入っていた。「国絵図」とは、17世紀から19世紀にかけて、幕府の命を受けて各藩が制作した絵地図。全国的な制作事業としては、慶長、寛永、正保、元禄の4回が知られており、今回は、慶長年間の『備前国図』、寛永年間の『備中国絵図』『備前国九郡絵図』、元禄13年の『備前国絵図』が展示されている。大きいものは縦横とも3メートルを超える。いずれも色彩は豪華絢爛で、特に慶長図は、山並みや城下町の繰り返し文様が、稚気にあふれていて楽しい。

 本展は色彩に着目し、山の緑や海の群青などが、どのような色材でつくられたかを解明する。なるほどこの赤(朱)は辰砂で、オレンジは臙脂か~。こんなことを考えながら絵図を見るのは初めての体験で、とても面白かった。東京芸大がおこなった元禄版『備前国絵図』の復元は、紙拵え(小型の雁皮紙を糊で継ぎ合わせる)から始まる本格的なもの。街道筋の村は、楕円形のハンコ(木版)を押して、筆で彩色し、文字を書き入れる。大きなスペースをきれいに塗りつぶす「えんぶた」の技法も興味深い。それにしても、展覧会のタイトルを聞いたときは、まさかこんな歴史資料が見られるとは想像もしていなかった。

 次に「浮世絵」の部屋は、春信、北斎、国芳などの作品と、立原位貫(1954-2015)の復元・復刻作品を展示。歌麿『山姥と金太郎 煙草のけむり』を復元した6枚の版木による摺り工程の展示は圧巻だった。北斎の「藍摺絵」について、藍とプルシアンブルーを使い分けているという指摘、春信を代表とする初期の浮世絵のやさしい色調は、紅や青花など植物性の色材から生まれたという解説にも納得。

 そして「江戸時代の主な色材」では、胡粉・紅花・青花など代表的なものについて、タブレットPCを使い、スライドショーで工程を紹介する。紅花からつくられる紅花餅とか青花の汁を含ませて乾燥させた青花紙など、保存用の中間生産物が面白かった。臙脂がラックカイガラムシの分泌物を原料とする昆虫色素であることや、緑青には銅緑青と岩緑青があることは初めて知ったような気がする。

 最後に「画法書にみる色材・絵具箱」で、『本朝画史』『漢画獨稽古』などの書籍は、展示のほか、タブレットPCで前後が読めるようになっていた。武雄の領主・鍋島茂義(1800-1862)所用の絵具箱、福岡藩の御用絵師・尾形家伝来の絵具箱は貴重なもの。小皿やお猪口のような容器に溶いた絵具は、当たり前だが洗い流さない。そのまま乾かして、また使うときは水を足して溶くのだろう。

 あとで展覧会の公式サイトを見たら、「目黒区美術館は、1992(平成4)年から2004(平成16)年にかけて『青』『赤』『白と黒』『緑』『黄色』をテーマにした『色の博物誌』シリーズを開催し、考古・民俗・歴史・美術を横断しながらそれぞれの色材文化史を紡いできました」とある。知らなかったなあ…。でも2004年といえば、このブログを書き始めた頃で、各地の展覧会情報を、ようやくインターネットで入手できるようになった頃だ。それ以前の展覧会を知らないのはやむをえないだろう。
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クラナッハそのほか/裸婦の中の裸婦(澁澤龍彦、巌谷國士)

2016-12-18 22:54:37 | 読んだもの(書籍)
〇澁澤龍彦、巌谷國士『裸婦の中の裸婦』(河出文庫) 河出書房新社 2007.4

 上野のクラナッハ(クラーナハ)展を見たあと、むしょうに澁澤さんの美術エッセイが読みたくなった。なつかしい河出文庫の棚(私が、80年代に澁澤龍彦という存在を知ったのも河出文庫からだった)に行ったら、今でも澁澤の作品がいくつか並んでいて、まさにクラナッハの『ウェヌスとアモル』(今回の展覧会には来ていない)が表紙になっている本書を見つけ、買ってしまった。

 「裸婦の中の裸婦」は、「男の中の男」「女の中の女」などの用法と同じで、裸婦の中のいちばん裸婦らしい裸婦、最もすぐれた、選び抜かれた裸婦について語ろうという意味だと、冒頭にある。雑誌『文藝春秋』の1986年3月号から1年間の予定で連載を開始した。ところが、1986年9月、澁澤は咽喉癌の診断を受けて入院することになり、連載を続けられなくなってしまう。そこで、12回のうち最後の3回は「十五歳ほど年下の一友人」である巌谷國士がリリーフを務めることになった。翌1987年1月、大手術を終えた澁澤は退院し、体調はよくなったように見えたが、8月5日に亡くなる。『裸婦の中の裸婦』はそのまま残され、変則的な共著というかたちで出版せざるを得なくなった。――これは、1989年9月5日、澁澤の死から2年後の日付で、巌谷さんが書いているあとがきである。まだ癒えぬ悲しみがひしひしと伝わってくる。そして、1987年のあの夏の日、私が澁澤さんの死に受けた衝撃(朝刊の紙面で知った)も、よみがえってくる気がした。

 取り上げられている作家と作品は以下のとおり。バルチュス/スカーフを持つ裸婦。ルーカス・クラナッハ/ウェヌスとアモル。ブロンツィーノ/愛と時のアレゴリー。フェリックス・ヴァロットン/女と海。ベラスケス/鏡を見るウェヌス。百武兼行/裸婦。ワット―/パリスの審判。ヘルムート・ニュートン/裸婦。眠るヘルマフロディトス。デルヴォー/民衆の声。四谷シモン/少女の人形。アングル/トルコ風呂。最後の3篇は巌谷が書いているが、扱う裸婦像は澁澤が選んでおいたものだそうだ。

 文章は対話体で、著者らしき「先生」の相手には、同世代らしき中年男とだいぶ年下らしい女の子が、月がわりで登場する。歴史、伝説、神話、精神分析など縦横に蘊蓄を語りながら、「ぼくも安心して無責任なことがいえるよ」「本当か嘘かは君の判断にまかせよう」などと軽い会話ではぐらかす。巌谷さんの3篇は、対話の相手は変わらず「先生」が変わったことになっているが、苦労しただろうなあ。

 さて、今回いちばん読み直したかったクラナッハについて。「16世紀の画家とは思えないほど、おそろしくモダーンな感覚の持主だよ」という評価は、展覧会を見て本当に納得。裸婦だけでなく、普通の肖像画にもそう言える。クラナッハの裸婦がしばしば身にまとう、透明すぎる絹布について「ビニール本のモデルみたい」と表現しているのは笑った。80年代の表現だなあ。クラナッハの裸婦は、いつも完全なヌードでなく、なんらかの装身具を身に帯びているという指摘も鋭い。髪をきちんと結っているのも、裸体を強調する効果を持っていると思う。それから、クラナッハが裸婦を描き始めたのは、彼が60歳近くになってからで、これは、宗教改革が進行してドイツで裸体画の受け入れられるような風潮が生じたためだという。宗教改革との関係はちょっとにわかに信じがたいが、覚えておこう。

 ベラスケスの『鏡を見るウェヌス』を題材に、バック派かフロント派かを語るのは、もういかにも澁澤さんらしくて嬉しい。年をとると、正面から見る裸婦よりも背面から見るほうが好ましく思えるって本当かな? ギリシア・ローマは別として、その後は18世紀のロココ時代に至るまで、後ろから眺めた裸婦像はほとんど描かれることがなく、一種の美学上のタブーがあったのではないかというのも面白い。正面より背後のほうがワイセツだったのか。ブロンツィーノの『愛と時のアレゴリー』についても、ウェヌスとクピドに託された、娼婦的な貴婦人と初々しい小姓のエロティシズムを熱心に語る。こういうあぶない話題の対話者は、ちゃんと中年男に設定されている。

 ポール・デルヴォーという画家は、あまり記憶に残っていなかったが、本書を読んでいちばん気になった。調べたら、実はいま、愛知県田原市の田原市博物館で『姫路市立美術館所蔵作品によるポール・デルヴォー版画展』というのをやっているらしいのだが、ちょっと見に行けないかなあ。

 本書が文春文庫に入ったときの解説(1997年)も巌谷さんが書いていて、それぞれの画家について、澁澤がどの著作で触れているかをまとめてくれているのは大変ありがたい。さらに河出文庫版の解説(2007年)もあり、歳月を経て、たぶん巌谷國士さんも、15歳ほど年上だった澁澤さんの年齢を既に超えられたと思うが、どの文章にも、今なおみずみずしい尊敬と親愛の情が感じられて、幸せな気分になった。
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不思議な肖像画/クラーナハ展(国立西洋美術館)

2016-12-15 23:07:12 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立西洋美術館 企画展示『クラーナハ展-500年後の誘惑』(2016年10月15日~2017年1月15日)

 クラナッハが来る!と大喜びして、よく見たら展覧会のタイトルは「クラーナハ展」だった。そういう表記も使われると初めて知ったが、なんとなく落ち着かないのでクラナッハ呼びでいく。ルーカス・クラナッハ(1472-1553)は、ルネサンス期のドイツの画家。独特のプロポーションの官能的な裸婦像を描く画家として、私は1980年代に、澁澤龍彦の美術評論でクラナッハの名前を覚えた。それ以外のことは、何も知ろうとしなかったので、木版画も含め、こんなに多様で大量の作品が残っている画家だとは、思ってもみなかった。本展の出品リストのうち「作者=ルーカス・クラナッハ (父) 」と記載された作品は50点を超える。ちなみに「ルーカス・クラナッハ (父) 」という表記が当人を指すということも、私はこの展覧会で初めて知った(同名の息子がいる)。

 クラナッハはザクセン選帝侯に宮廷画家として仕えた。会場の前半を彩るのは、伝統的な主題の宗教画と肖像画である。木版画も多い。何度も描かれた聖母子像のマリアは、母親らしいふっくらした体形で、控えめで禁欲的な表情を浮かべている。『聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ』のマリアは、ちょっと視線をあげて、唇の角に笑みが浮かびかけており、クラナッハ特有の蠱惑的な表情がほの見えている。

 面白いのは肖像画だ。『ザクセン公女マリア』『ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミール』『神聖ローマ皇帝カール5世』など、非常に写実的に特徴をとらえて描かれた人物は、単一色のベタ塗りの背景の前に浮かび上がっている。ヨーロッパの宮廷絵画と聞いて思い浮かべるような、豪華な調度品やカーテンが描かれているわけでもなく、レンブラントやベラスケスのように深い、意味ありげな闇を背景にしているわけでもない。ペンキ塗りの壁のような青一色、あるいは萌黄色一色の背景が、モダンアートのポスターのように見える。人物の内面に分け入ったような『夫婦の肖像(シュライニッツの夫婦?)』は、特に女性の表情が好きだ。穏やかで、しかし聡明そうな女性である。

 中盤で、いよいよ裸婦を描いた作品の登場。透明な(透明すぎる!)ヴェールを体の前に掲げ、ポーズをとるヴィーナス。アダムの肩に片手をまわし、もう一方の手を知恵の実の木の枝にかけて、アダムにしなだれかかるイブ。茂みの背後には大きな鹿。はだけた胸に刃を突きつけるルクレティア。両手に剣と天秤を持つ、冷めた目の裸婦は正義の寓意(ユスティティア)。そして、多くの芸術家がクラナッハの裸婦に魅了されて「二次創作」(って言わないのか?)を行っているのが面白かった。ピカソとかマン・レイとかデュシャンとか。

 一番面白かったのは、壁一面を覆う95枚の(!)『正義の寓意(ユスティティア)』の複製らしきもの。確か、はじめにこの複製群が目に入って、えっ?と驚いて横を見ると、クラナッハの本物が目に入る会場構成になっている。いま「本物」と言ったが、クラナッハは大規模な工房を営み、「画家自身の仕事はおもに下絵やしかるべき構成上の指示、そしてまったく稀なケースではあるが、署名だけ」だったと図録冒頭の解説(グイド・メスリング)にいう。そうかーだからこんなに大量の作品が残っているのか。なお、95枚の「複製」は、レイラ・バズーキの『ルーカス・クラナーハ(父)《正義の寓意》1537年による絵画コンペティション』という作品(インスタレーション)で、中国・深圳(しんせん)の大芬油画村で100人の芸術家を集め、7時間以内で模写をさせたものだという。会場には、制作の様子を記録した動画も流れていた。「正義の寓意」のゆがんだ模写を大量に並べて見せるという皮肉も含めて、とても面白い。

 さらに「誘惑する女」系の作品。なるほど、これもクラナッハにはたくさんあるんだなあ。『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』『ホロフェルネスの首を持つユディト』の衝撃が強いが、私は、事(殺害)をなし遂げたあとの図より、まさに生きた男を迷わせ、いたぶっている女性の表情がいいと思う。『ヘラクレスとオンファレ』の緑の服の貴婦人、最高にクールだ。そして、このように見てくると、本展のポスター(ただし生首はトリミング)にもなったユディトって、クラナッハの描く女性としては、少し特異な感じがする。表情が硬いし、わりと肉付きがいいし、髪を下しているし。服装はお洒落だなあ。両手の手袋が素敵だと思う。これらの作品にインスパイアされた現代芸術家の作品も、当然ながら多い。

 最後にもうひとつ驚くのは、宗教改革の指導者であるマルティン・ルターとクラナッハに親交があり、クラナッハの工房で、数多くのルターの肖像が制作されていたこと。四角い顔に黒い角帽をかぶり、短い巻毛がはみ出している、あの教科書で見たルターの肖像がクラナッハの作品だったとは。『マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ』は、例によって青一色の背景に、どちらも地味な黒っぽい衣装のルター夫妻が一人ずつ描かれている。新古典主義時代のピカソを思わせるような、魅力的な作品である。
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応仁の乱から家康まで/戦国時代展(江戸東京博物館)

2016-12-14 00:20:58 | 行ったもの(美術館・見仏)
江戸東京博物館 特別展『戦国時代展-A Century of Dreams-』(2016年11月23日~2017年01月29日)

 今年の春は『真田丸』展で大いに賑わった江戸博が、年末から年始は『戦国時代展』だという。これはまた、観客を集めるに違いないと思ったら、案の定、混雑していた。戦国好きは多いんだなあ。私は、日本史でいちばん興味がないのが戦国時代なのだが、いちおう見ておこうという冷めた気持ちで出かけた。

 だいたい日本における戦国時代というのが、いつからいつまでなのか、はっきり把握していない。公式サイトによると、享徳3年(1454)に関東で始まった「享徳の乱」、応仁元年(1467)に京都で勃発した「応仁・文明の乱」をきっかけに始まり、天正元年(1573)の織田信長による将軍・足利義昭追放の頃を終わり=安土桃山時代の始まりとするのだそうだ。本展は、この100年あまりを網羅的に紹介する展覧会だというが、始まりはともかく、終わりはなんとなく中途半端な感じがする…。

 会場に入ると、はじめに太田道灌(1432-1486)関係文書が展示されているのは「江戸」博だからか。第1章「合戦」には、視覚的な合戦図が複数。たぶん見たことのある米沢市上杉博物館の『川中島合戦図屏風』、福井県立歴史博物館の『姉川合戦図屏風』(複製)は、この夏、同館で見たと思う。山口県文書館の『芸州厳島一戦之図』は、初めて見た。天文24年(1555)、毛利元就が陶晴賢を奇襲した厳島の合戦の布陣図である。切り立った三角形に表された厳島、水路を挟んで向き合うように描かれた山陽道側の山並み、厳島神社の鳥居の左右に砂州が伸びて、入江を池のように囲んでいるのも面白い。

 確か、この毛利氏の説明パネルの前に、真田昌幸使用と伝える日月文軍配とか、真田幸隆が武田信玄より拝領したと伝える法螺貝が並んでいて、真田ファンなら大喜びしそうなのに、注目されていなくて残念だった。茜染めの六文銭の旗は別のケースにあり。カッコイイ!

 第2章「群雄」は肖像画など。はじめに足利義政、細川政元の名前を見て、ああこの『戦国時代展』は応仁の乱をカバーするのだなと理解する。浅井長政像と小谷城絵図あり。織田信長、上杉謙信もあり。そういえば武田信玄はなかったなと思い、いま展示リストを見たら、後期(1/2~)には信玄像や岩櫃古城図、北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直像が登場する。そのかわり、大内義隆、尼子経久、毛利元就の肖像と文書は前期のみ。好きな武将がいる場合は、よく展示リストをチェックして出かけたほうがいいと思う。

 このセクションには刀剣コーナーが作られていて、現在見られるのは、健勲神社の『刀 義元左文字 無銘』、上杉神社の『大太刀 伝倫光作』(長い!)、厳島神社の『太刀 銘一 黒漆太刀拵付』。最前列で見たいと思う観客は、おとなしく列に並んで順番を待つ。二番目の列でいいと思えば並ばなくても見られる。熱心なファンの間から「刃紋きれい~」というため息が漏れていた。また、上杉博物館が所蔵する「上杉文書」から、さまざまな武将の消息を伝えるものがたくさん出ていて、珍しいと思ったら、この展覧会は、来春、上杉市博物館に巡回するらしい。

 第3章「権威」は戦国時代につくられ、愛好された品々ということで、大徳寺大仙院の『瀟湘八景図』などが出ていて、意外な眼福だった。後期は、東京ではめったに見られない南宋絵画の『雪中帰牧図』2幅(大和文華館)と『達磨・豊干・布袋図』3幅(妙心寺)が出るらしい。なんというお年玉!

 第4章「列島」は、当時の列島を往来した人々の姿に着目する。従来の「戦国時代」のイメージを広げるもので、面白かった。たとえば西国三十三所巡礼や秩父観音巡礼の資料。北海道の上ノ国勝山館跡出土遺物は懐かしかった。勝山館は、松前氏の祖である武田信広が15世紀後半に築いた山城の遺跡である。2013年、江差線廃線の直前、台風におびえながら旅したことを思い出したが、またいつか行ける機会があるだろうか。ほかに毛利家文書に入っている、朝鮮通信使関係の外交文書と印章、華南三彩陶器など。戦国時代は、さまざまな人が列島の内外を往来した時代でもあった。あ、でも本展では、南蛮貿易関係の資料は無かった(目立たなかった)気がする。

 終章「新たなる秩序」は、豊臣秀吉像と聚楽第の出土遺物、徳川家康像(東照大権現像)で終わる。やっぱり、こうしないと、戦国時代に幕が引けないのだろうが、安土桃山時代がすっぽり抜けているようで、なんとなく落ち着かない。
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妖魔の世界/見た人の怪談集(岡本綺堂他)

2016-12-13 00:09:53 | 読んだもの(書籍)
〇岡本綺堂他『見た人の怪談集』(河出文庫) 河出書房新社 2016.5

 出先で、持っていた本を読み終えてしまったので、手近の本屋に飛び込んで、目についたままに買ってみた1冊。近代日本の作家が書いた怪談15編が収められている。巻末に詩人の阿部日奈子さんが解説を書いているが、どこをひっくり返しても、編者や選者の名前がない。オビに小さな文字で「とにかく最も怖いいろいろな怪談を15篇集める!」とあるのは、あまりに工夫のない宣伝文句で笑えるが、編者の顔が見えないという点で、なんとなく薄気味悪いアンソロジーである。

 収録作品は以下のとおり。停車場の少女/岡本綺堂。日本海に沿うて/小泉八雲(訳・田部隆次)。海異記/泉鏡花。蛇/森鴎外。竈の中の顔/田中貢太郎。妙な話/芥川龍之介。井戸の水/永井荷風。大島怪談/平山蘆江。幽霊/政宗白鳥。化物屋敷/佐藤春夫。蒲団/橘外男。怪談/大佛次郎。沼のほとり/豊島与志雄。異説田中河内介/池田彌三郎。沼垂の女/角田喜久雄。

 鴎外の「蛇」、平山蘆江の「大島怪談」、佐藤春夫の「化物屋敷」は読んだ覚えがあった。佐藤の「化物屋敷」は怖いなあ。語り手の「自分」が訳あり屋敷の長い階段を見上げたとき、なぜ気味悪く感じたかが、最後にさりげなく解き明かされているのだが、さりげなさすぎて、寒気がするほど怖い。

 小泉八雲の「日本海に沿うて」には、子供の頃に読んだ「鳥取のふとん」の話が収められていて、海の怪談とともに、宿屋の女中が作者に語って聞かせた体になっている。橘外男(初めて聞く作家だった)の「蒲団」も似たシチュエーションの話だ。しかし、死者の遺物が蒲団の中に残っていて、関わる人に祟りを成すというのは、恐ろしいけれど合理的な(?)説明がつく。「鳥取のふとん」は、幼い兄弟の念が残って、その会話が聞こえるというもので、他人にむやみな不幸をもたらさない分、哀れが深い感じがする。

 田中貢太郎の「竈の中の顔」は、なんだか説明がつかないところが怖い。踏み込んではいけない妖魔の世界を冒してしまったがゆえに、恐ろしい報復を受けるのだが、どこで結界を破ってしまったのかがはっきりしないのが怖い。このひとは日本と中国の怪談・奇談の名手といわれる作家である。久しぶりに読んだが、魔に魅入られたときの無力感が非常に面白かった。これに比べたら、鏡花のお化けなどは、目的がはっきりしていて怖くない。

 芥川龍之介の「妙な話」、豊島与志雄の「沼のほとり」は戦争を背景とし、角田喜久雄の「沼垂の女」は、夫を失った「軍神の妻」とその母が終戦後に堕ちていく姿を描いている。こうした怪談に至るまで、日本の近代文学が戦争の影響抜きには語れないことを、あらためて感じた。
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謎が多くて面白い/げんきな日本論(橋爪大三郎、大澤真幸)

2016-12-12 00:02:56 | 読んだもの(書籍)
〇橋爪大三郎、大澤真幸『げんきな日本論』(講談社現代新書) 講談社 2016.10

 オビの表には「日本ってこんなにおもしろい!」、裏返したら「なぜ日本人は、かくも独自の文化を生み出せたのか?」とあって、一瞬ぎょっとした。近ごろ世間に蔓延する「日本スゴイ」病の匂いがしたのだ。いや、橋爪大三郎さんと大澤真幸さんに限ってまさか、と思いながら、かなり警戒しつつ読み始めたが、すぐに杞憂だったことが分かって、楽しく最後まで読み通せた。

 本書は、通常の時代区分とは少し違って「はじまりの日本」(~奈良)「なかほどの日本)(平安~室町)「たけなわの日本」(安土桃山~幕末)の三部構成になっており、さらに橋爪大三郎が用意した各部6問、計18の疑問で章立てされている。「なぜ信長は安土城を造ったのか」というような具体的な疑問でありながら、その時代の政治・文化・思想の論点が鮮明に浮かび上がってくる疑問が選ばれている。対談をリードするのは橋爪さんで、「なるほど」を連発する大澤さんの楽しげな雰囲気が読者にも伝わってくる。

 印象的だった指摘をいくつかあげておく。漢字と仮名の表記システムに関連した日本語論で、日本語の話者は、音声でやりとりしているときでも文字をイメージしているという説。確かに耳で「よむ」と聞きながら「読む」か「詠む」かを識別するのは普通のことだ。外国語を覚えるとき、指で空中にスペルをなぞるのは私もよくやるけど、あれは日本人特有の動作なのだそうだ。外国人(西洋人)は音声言語をそのようには聞いていないと教えられて、ちょっとびっくりした。

 摂関政治と院政について、橋本治さんの『権力の日本人:双調平家物語ノート1』『院政の日本人:双調平家物語ノート2』をお二人が挙げていたのは嬉しかった。律令制(天皇親政)→摂関政治→院政→武家政治の連続性と不連続性は、まだ十分腑に落ちないけど面白いテーマだと思っている。

 武士には馬が重要、という指摘は面白かった。刀よりも弓矢よりも馬なのだ。武士は戦いと同時に輸送や交易にも関係する集団だった。この武士集団から、日本独特の組織原理である「イエ」(本質は機能集団なのに擬制的な血縁関係でもある)が生まれたと考えるのは大澤さん。一方、橋爪さんは「イエ」は幕藩制になってから確立した概念だと考える。

 室町時代(惣村の成立)以降の日本の農民は、ヨーロッパの農奴や中国の農民に比べると、かなり自立的だった。日本の貴族(公家)、武士、農民というのは職能カテゴリーであって、身分とはいえないのではないか。これはヨーロッパ的な「身分社会」との比較を念頭に論じられている。ちなみに中国社会も、文字の読める農民と読めない農民がいるだけで、身分社会とは言えないとのこと。

 さて江戸時代である。家康は、鎌倉幕府に倣い、朝廷から征夷大将軍の職を受けて武家の棟梁になった。大名たち(武士)は元来、戦闘集団であるから、彼らに行政職のモチベーションを与え、幕藩制の正統性を教え込むために儒学(朱子学)を導入する。しかし、朱子学は日本社会に合わないので、日本向けにカスタマイズされた儒学である古文辞学派が起こり、国学が起こる。ここでちょっと面白いのは、儒学(古文辞学)や国学の「テキストを読む力」が蘭学にも応用されたのではないかという説。ただ、中国、朝鮮には漢字のテキストしかないので、それを相対化するテキスト批判の方法がなかった、と言えるかどうかは、少し留保したい。

 ここであらためて「イエ」制度について考える。イエは血縁集団を擬装しているが、本質的には事業体である。幕藩体制では、日本の全ての業務(公共サービス)がイエに割り当てられた。イエの存続は、日本社会を安定的に存続させるための至上命令だった。しかし反面では、イエが存続しさえすれば(イエの職務を果たしさえすれば)あとは自由なのだ。そこで次男や三男が、自由な文化の担い手となる。これは、大いにうなずける話だと思った。

 日本では、幕末までにプリミティブな「日本人」のナショナル・アイデンティティが育っている。このことについて、二人はいろいろな面白い推測をしている。たとえば各藩の大名が、子供のときに全員江戸に住んでいて共通の文化的背景を持っていたことも大きかったのではないか、など。また、近世の日本社会は、空間的にも階層的にもかなり流動性が高く、文字を学ぶことで成功し、裕福になれる可能性があった。流動性が高いと、どの階層にあっても国民同胞という考えが生まれやすくなるのだという。

 幕藩制の評価については、納得できる指摘が多かった。やっぱり今の日本社会の直接のルーツは江戸時代、せいぜい室町時代以降だなあと思う。一方、天皇制の起源と効用(なぜ存続したか)は、よく分からなかった。まあいろいろと「謎だから面白い」のである、私にとっての日本は。
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クリスマスリース2016

2016-12-11 18:42:39 | なごみ写真帖
今年も、いつもの花屋さん(東京・幡ヶ谷)でクリスマスリースを買ってきて、玄関のドアに飾った。



今年は明るい色のリースが欲しかったので、例年買っているものより少し小さめ。ドアの塗装が薄いピンク色なので、よく合っている。

2015年のリース

いい年末、いい新年になりますように。

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父の絵画、子の絵画/文人として生きる(千葉市美術館)

2016-12-10 22:47:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
千葉市美術館 『文人として生きる-浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術』(2016年11月10日~12月18日)

 日本文人画壇の巨星・浦上玉堂(1745-1820)と長男春琴(1779-1846)、次男秋琴(1785-1871)の足跡をたどり、新出、初公開を含め、珠玉の作品群270点で構成する、かつてない規模の展覧会。「2006年の浦上玉堂展から10年が経過し」とあり、調べたら、2006年11月3日~12月3日に特別展『浦上玉堂』が開かれている(同館のホームページは、過去の展覧会アーカイブが分かりやすくて大変うれしい)。しかし、私は10年前の展覧会は見ていない。江戸絵画といえば、教科書にも載っている浮世絵からまず入り、次に若冲・又兵衛など「奇想」の画家に興味を持ったけど、「文人画」と言われるジャンルに近づいたのは、いちばん最後のことだった。

 玉堂といえば、黒い塊がムクムクするような山水画だよなと思って会場に入ったら、冒頭に繊細優美な彩色の花鳥画の大幅があって、え?とびっくりしたら、長男春琴の作品だった。春琴の描いた、琴を弾く玉堂の肖像を挟んで、左に次男秋琴筆の山水図。ずいぶん新しい感じがすると思ったら明治3年(1870)の作。少し時代感覚を補正する。

 玉堂は「琴士」というアイデンティティにこだわった人だそうで、遺愛の(しかも自作の)七弦琴が複数伝わっている。琴、琴を収める嚢(ふくろ)、印章、所持の短刀など、いろいろなものが出てくるが、なかなか絵画の展示が始まらないのが、じらされているみたいで可笑しい。

 玉堂が本格的に画業に打ち込み始めたのは40歳の頃からで、50歳で二子を連れて脱藩し、諸国遍歴しながら心の赴くまま筆を揮う。江戸時代って、こういう生き方が許容されていたのが面白い時代だと思う。私は、塗りつぶしの多い黒っぽい画面が玉堂らしいと思うのだが、実は変幻自在で、線の明らかな白っぽい山水画も描いていて、明清の新しい中国絵画との類似性を強く感じさせた。まあ黒っぽいほうも、たとえば龔賢なんかに似ているかもしれない。玉堂は小品も描いたし、大作も描いた。会場の途中に、畳一枚くらいの大作を並べたコーナーがあったが、奇々怪々で、爆発するような情念に圧倒された。

 階が変わって、長男春琴のセクションになると、穏やかで平明な作風に少しほっとする。そして、このひとは熱心に中国絵画を勉強していたことがよく分かった。やっぱり藍瑛なんだな~。今年の東大東文研の公開講座で聞いた塚本麿充先生の話を思い出す。また、春琴の交友関係の中に医師・小石元俊の医学塾「究理堂」という名前が出てきて、なんとなく記憶にひっかかった。調べたら、2003年の京博の特別展覧会『魅惑の清朝陶磁』で聞いた名前だった。ミネアポリス美術館(バークコレクション)の春琴筆『春秋山水図屏風』は、今後、なかなか見る機会がないであろう貴重なもの。きっちり中国絵画を学んだ成果が出ているのに、「屏風」という日本的な様式で表現されているのが面白かった。

 最後の1室はコレクション展で『父子の芸術ものがたり-所蔵江戸時代の美術より』(2016年11月10日~12月18日)と題して、葛飾北斎と応為、岡田米山人と半江、渡辺崋山と小華などを扱っていた。コレクション展も楽しませるセンスはさすがである。
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文学的あるいは体験的民主主義論/丘の上のバカ(高橋源一郎)

2016-12-07 22:57:07 | 読んだもの(書籍)
○高橋源一郎『丘の上のバカ:ぼくらの民主主義なんだぜ2』(朝日選書) 朝日新聞社出版 2016.11

 朝日新聞に2015年4月から1年間、月1回掲載された「論壇時評」と、同じ時期に書かれた文章で構成されている。私は、高橋源一郎さんは文学と文学評論の人だとずっと思ってきた。近ごろは社会時評的なものを多く書いており、しかもなかなか面白いと気づいたのは、ごく最近のことだ。昨年、本書に先立つ『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日選書、2015年)を読んで、2011年から朝日の「論壇時評」を担当されていたことを初めて知ったくらいである。

 高橋さんの思想的な立ち位置は、大きく括れば「リベラル」ということになるだろう。だから「好き」という人も「嫌い」という人もいると思う。だが、そんなふうに「大きく括って」しまったら、指の間からこぼれてしまうような魅力が、著者の文章には感じられる。前著に続いて、著者は繰り返し「民主主義」に言及している。それは「もしかしたら、読者のみなさんが聞いてきた、あるいは、教わって来た『民主主義』とは異なったものに見えるかもしれない。その『ちがい』を考えることが、いまいちばん必要であるようにわたしには思えた」と著者はいう。

 著者は「民主主義」あるいは「政治」を語るのに、いつも特殊で個別的な、自分の体験を出発点にしている。そして著者が共感をもって紹介するのは、同じように自分の体験に基づいて語り、創作する思想家や芸術家たちである。会田誠が妻と息子と三人で共作した『檄文』、戦場の狂気を記録した大岡昇平の『野火』、それを映画化した塚本晋也、戦争の災禍を前にして死者を弔うとは何かを考え続けた柳田国男、そして著者が最も多く参照した鶴見俊輔。彼らの語るものは、彼らのコンテクストと切り離すことができない。遠い天の上から、普遍的な基準に基づき「正しい」「正しくない」と判断できる思想ではないのだ。

 著者自身については「論壇時評」に書いた「伯父さんはルソン島に行った」と、同じテーマを少しふくらませた「死者と生きる未来」が白眉である。若くして戦死した伯父を慰霊するため、ルソン島を訪ね、不意に「伯父が想像した、平和に満ちた未来とは、いまわたしがいるこの現在のことなのだ」と発見する。この二つの文章は、発表当時にネットで読んで、強い衝撃を受けた。いまの日本社会が生んだ「文学」として、後世に読み継がれなければならない作品だと思った。

 しかし、こうしたものは「文学」だから、経典にはならないのだ。著者は、会ったこともない「伯父さん」が死の間際に考えていたことを理解し、そこから戦後社会の意味を、自分が生きる意味を理解する。でもそれは著者の全く個人的な体験でしかない。読者はそれぞれ、自分の生きている意味を、自分の(または自分の家族の?)過去から掬い上げなければならない。すぐにそれができる人もいるだろうが、できない人もいる。できない人間は、著者の語りに羨望を感じながらも、途方にくれて、じっと立ち尽くすしかない。

 本書には、実際に大きな問題の前で立ち尽くしている人々の姿が印象的に描かれている。「安保関連法案」の採決の夜、著者は国会の近くいて、法案に「反対」していたが、コールに唱和はしなかった。同じように少し離れて、それぞれ異なった割合の思いを抱えて、黙って立っている人たちがいた。こういう人たちに届く「政治のことば」はどうすれば生まれるのか、それを考えるのも大事だことだ。同時に、ことばに耳を傾けながら、でも主体を守って立ち続けることも大事だと思う。自分が「歩き出す」理由を自分で見つけられるまで。
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