村上春樹 1988年・講談社文庫版
もうひとつ、先週読んだ村上春樹の文庫本。いま持ってるのは1991年の第11刷。
(たしか単行本も持ってたような気がしたんだけど。)
いくつかの短編が集められてるんだけど、冒頭で著者はこれは小説ぢゃないと言ってます。
〈スケッチ〉と呼ぶのがよい文章だそうで、体裁としては、村上さんが人から聞いた話、ちょっと奇妙だけど基本的には事実の話って形をとってます。
それはそうと、
>自己表現が精神の解放に寄与するという考えは迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。(略)人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。
なんて書いてあるのをみると、なんか昔の村上さんは、小説による表現以外に、難しいこと表明してたんだなーという気がしてきた。いまだったら、そんなストレートに言わず、もっとスマートに同じことを違う表現するんぢゃないかと思うから。
コンテンツは以下のとおり。
「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」
「レーダーホーゼン」
「タクシーに乗った男」
「プールサイド」
「今は亡き王女のための」
「嘔吐1979」
「雨やどり」
「野球場」
「ハンティング・ナイフ」
もうひとつ、先週読んだ村上春樹の文庫本。いま持ってるのは1991年の第11刷。
(たしか単行本も持ってたような気がしたんだけど。)
いくつかの短編が集められてるんだけど、冒頭で著者はこれは小説ぢゃないと言ってます。
〈スケッチ〉と呼ぶのがよい文章だそうで、体裁としては、村上さんが人から聞いた話、ちょっと奇妙だけど基本的には事実の話って形をとってます。
それはそうと、
>自己表現が精神の解放に寄与するという考えは迷信であり、好意的に言うとしても神話である。少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。(略)人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。
なんて書いてあるのをみると、なんか昔の村上さんは、小説による表現以外に、難しいこと表明してたんだなーという気がしてきた。いまだったら、そんなストレートに言わず、もっとスマートに同じことを違う表現するんぢゃないかと思うから。
コンテンツは以下のとおり。
「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」
「レーダーホーゼン」
「タクシーに乗った男」
「プールサイド」
「今は亡き王女のための」
「嘔吐1979」
「雨やどり」
「野球場」
「ハンティング・ナイフ」
