森達也・森巣博 2005年 集英社新書
副題は、「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」
ちょっと前に買っといて、先週読んだ。私の好きな物書き(ご本人はドキュメンタリーのディレクターだと否定するだろうけど)の森達也氏の対談。
もうひとりの森巣博氏は、巻末の紹介によれば、オーストラリア在住のジャンル横断的異色作家、だそうだけど、私は読んだことがない。もっとも、本書のなかで、ご本人は何回か自分のこと「本業はバクチ」と言ってるますが。
しかし、この森巣さんの発言が、ビシビシすごいこと言ってて、おもしろい。それこそ、テレビや新聞でやったら、抗議がきそうなこと平気で言ってる。
こないだ読み返した村上春樹の「遠い太鼓」の最後のほうに、日本を出るときは田中角栄と三浦和義ばかり毎日やってたけど、帰ってきたら宮崎勤の事件一色で、日本の社会というかメディアにはうんざりって感じのこと、書いてありましたが、ふだん、テレビとか見てて、同じこと採り上げて、冷静にみれば大したことないのに、大騒ぎしててウンザリって感じてる方には、本書オススメです。
巨悪には立ち向かわないで、なんか水に落ちた犬がいると途端に棒で叩きだすなー、そういうときだけ正義を振りかざすような言い方するなー、態度悪いなーと、はっきりとマスメディアに対して怒りをもってる方には、もちろんオススメです。
でも、ホントは、毎日のテレビ・新聞報道をみて、そうだ、そうだ、そのとおりだ、って全てにうなずいちゃったり楽しんぢゃったりしてる人とか、報道ってのは客観的だって思いこんでる人とかにこそ、オススメなんですが。(まあ読まねーだろーな、そーゆー人ぁ。)
っていうのは、ひとつにはタイトルにあるとおり、日本のマスメディアの悲惨な実情がテーマなんだけど、もうひとつは副題にあるとおり、日本人の多くが自分の頭で考えるトレーニングをしていないから、世論みたいなものに誘導されちゃうことへの警鐘もテーマだから。
気に入ったところを、いくつか抜いてみますか。
・霞が関や永田町や大企業が何かすると「不祥事」、ほかの人がやると「犯罪」って、マスメディアのやる言葉の置き換えによる世論誘導だ。
・日本のメディアは、抗議がくると、その瞬間に終わってしまう。大企業のシステムとして、減点をされないということをプライオリティにしてるから。
・メディアは、自律的かつ無自覚に自分たちの使う言葉を規制していって、問題の本質から遠ざかっていくようなとこがある。
・メディアは、政府関係者とかに質問で迫らないから、なめられている。その思考や洞察がないまま迎合する雰囲気が、メディアを媒介して日本国民に広がっちゃってる。
・それでいて、国民の知る権利を代行して示したようなポーズだけを(意識してるかしてないか分からないけで)メディアはとっている。
・今のメディアについての問題を突き詰めていくと、本来は自分たちが主体的に決定すべきことを、誰かがどこかで決めてくれるとの発想があって、しかもこの自覚がないことの危うさに、メディア自身がまったく気づいていないことにある。
・不正を告発するのがジャーナリズムなのに、倒れたものを叩くのがジャーナリズムになっている。(倒れずにまだ立っている巨悪については、知ってても書かない。)
・事件が起こるとすぐ結論を出して、わかりやすく提示しようとする。よく分析しないで適当な解説をつけて決めつける。わかりやすさが視聴率や販売部数に結びつくからだが、それを自らの利潤優先とは認めない。
そうそう、本書が出たのは2005年の郵政民営化の衆院選のすぐあとなんだけど、あとがきの付記で森達也はこう書いてる。
「最終ゲラが届く三日前、衆院選の結果が出た。自民圧勝。今日の世論調査では、「これほどに自民が勝って不安だ」との声が六八%。今さら何言ってやがる。」
“今さら何言ってやがる”が、いいやね。世論調査の結果とはいってるけど、こういうのは、設問からして、聞くメディアが誘導してる、ってのもバレバレなうえでの評だし。
副題は、「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」
ちょっと前に買っといて、先週読んだ。私の好きな物書き(ご本人はドキュメンタリーのディレクターだと否定するだろうけど)の森達也氏の対談。
もうひとりの森巣博氏は、巻末の紹介によれば、オーストラリア在住のジャンル横断的異色作家、だそうだけど、私は読んだことがない。もっとも、本書のなかで、ご本人は何回か自分のこと「本業はバクチ」と言ってるますが。
しかし、この森巣さんの発言が、ビシビシすごいこと言ってて、おもしろい。それこそ、テレビや新聞でやったら、抗議がきそうなこと平気で言ってる。
こないだ読み返した村上春樹の「遠い太鼓」の最後のほうに、日本を出るときは田中角栄と三浦和義ばかり毎日やってたけど、帰ってきたら宮崎勤の事件一色で、日本の社会というかメディアにはうんざりって感じのこと、書いてありましたが、ふだん、テレビとか見てて、同じこと採り上げて、冷静にみれば大したことないのに、大騒ぎしててウンザリって感じてる方には、本書オススメです。
巨悪には立ち向かわないで、なんか水に落ちた犬がいると途端に棒で叩きだすなー、そういうときだけ正義を振りかざすような言い方するなー、態度悪いなーと、はっきりとマスメディアに対して怒りをもってる方には、もちろんオススメです。
でも、ホントは、毎日のテレビ・新聞報道をみて、そうだ、そうだ、そのとおりだ、って全てにうなずいちゃったり楽しんぢゃったりしてる人とか、報道ってのは客観的だって思いこんでる人とかにこそ、オススメなんですが。(まあ読まねーだろーな、そーゆー人ぁ。)
っていうのは、ひとつにはタイトルにあるとおり、日本のマスメディアの悲惨な実情がテーマなんだけど、もうひとつは副題にあるとおり、日本人の多くが自分の頭で考えるトレーニングをしていないから、世論みたいなものに誘導されちゃうことへの警鐘もテーマだから。
気に入ったところを、いくつか抜いてみますか。
・霞が関や永田町や大企業が何かすると「不祥事」、ほかの人がやると「犯罪」って、マスメディアのやる言葉の置き換えによる世論誘導だ。
・日本のメディアは、抗議がくると、その瞬間に終わってしまう。大企業のシステムとして、減点をされないということをプライオリティにしてるから。
・メディアは、自律的かつ無自覚に自分たちの使う言葉を規制していって、問題の本質から遠ざかっていくようなとこがある。
・メディアは、政府関係者とかに質問で迫らないから、なめられている。その思考や洞察がないまま迎合する雰囲気が、メディアを媒介して日本国民に広がっちゃってる。
・それでいて、国民の知る権利を代行して示したようなポーズだけを(意識してるかしてないか分からないけで)メディアはとっている。
・今のメディアについての問題を突き詰めていくと、本来は自分たちが主体的に決定すべきことを、誰かがどこかで決めてくれるとの発想があって、しかもこの自覚がないことの危うさに、メディア自身がまったく気づいていないことにある。
・不正を告発するのがジャーナリズムなのに、倒れたものを叩くのがジャーナリズムになっている。(倒れずにまだ立っている巨悪については、知ってても書かない。)
・事件が起こるとすぐ結論を出して、わかりやすく提示しようとする。よく分析しないで適当な解説をつけて決めつける。わかりやすさが視聴率や販売部数に結びつくからだが、それを自らの利潤優先とは認めない。
そうそう、本書が出たのは2005年の郵政民営化の衆院選のすぐあとなんだけど、あとがきの付記で森達也はこう書いてる。
「最終ゲラが届く三日前、衆院選の結果が出た。自民圧勝。今日の世論調査では、「これほどに自民が勝って不安だ」との声が六八%。今さら何言ってやがる。」
“今さら何言ってやがる”が、いいやね。世論調査の結果とはいってるけど、こういうのは、設問からして、聞くメディアが誘導してる、ってのもバレバレなうえでの評だし。
