吉田健一 2017年5月 中公文庫版
『私の食物誌』って文庫本を、古本屋で当時の定価より高い値になってるけど、ま、それだけ珍しいんだろ、買っとこ、って買った帰りのその足で、新刊書店行ったら、この新しい文庫が並んでて、内心は卒倒した。
くやしいので、その日は見送ったんだけど、やっぱ後日『舌鼓ところどころ』が気になって買ってしまった、まあ別に本読んで損になることはないから。
ということで、没後40周年記念企画でつくられた、食に関するエッセイ集ふたつを合本にしたお買い得の文庫新刊。
『舌鼓ところどころ』は、1957年に文藝春秋に連載されたものが中心。
『私の食物誌』は、1971年に読売新聞連載なんで、時代がちょっとあと。なので、こっちには前者で既出のようなものも、ときどき振り返るように出てくることもある。
1957年ってことは戦争が終わってから12年、そりゃあ今とは時代が全然ちがう。
戦後の食べるものがろくにない時期をようやく脱したころなんで、そんなことも書いてあったりする。
>だから、味覚も服装上の趣味などということよりも遙かに確かなものなので、食べるものがないからと言って働きが止りもしないし、又何でもあるようになれば、何でもあった昔の味覚に直ぐに戻る。ただ戦争が始ったりすると、或る種の覚悟が味覚にも強いられて、贅沢はしないと味覚の方で決めることは事実らしい。真珠湾の晩に或る先輩が、味覚は四十八時間で消滅すると言ったのはそのことを指すものに違いない。そして早ければ、四十八時間で生き返る。(p.18-19「食べものあれこれ」)
うーむ、人間ってそういうものかあ。
まあ、たしかに二日くらい何も食べなかったとしたら、出されたものがマズイとかは言わんな。
しかし、そんなむずかしい話は、単行本のための冒頭の書き下ろしだからであって、『舌鼓ところどころ』の連載は、
「新鮮強烈な味の国・新潟」
「食い倒れの都・大阪」
「瀬戸内海に味覚あり」
「カステラの町・長崎」
「味のある城下町・金沢」
「世界の味を持つ神戸」
「山海の味・酒田」
ってことなんで、あちこちのうまいもの食べた話が並んでて、そういうのは読んでて楽しい。
たまらんなあと勝手に思うとこをいくつか抜いてみると、
>それで、まだ余裕があれば、ここの二百五十円の煮ものを頼むと、これも旨い。普通に我々が椀と考えているものを懐石では煮ものと呼ぶのだそうで、その晩のは鴨と椎茸と生麩と菜の花が入っていた。一番旨いのがその汁であることは言うまでもないが、これは冬が明けて春が来た感じがする。(p.65)
というのは、大阪の内北浜のにし井での話である。
酒が一本百二十円だから、酒を六本とこの煮ものでいいという。当時の値段ではあるが、それでも懐石料理にしては安いと書いてあるんだから、安いんだろう。
>幾らでも食べられる気がするのは同じで、ただそれが牡蠣の味の為なのである。そしてそれに就て前から考えていることが一つあって、それは、本当に旨いと思って他人を押し除けても手に入れたくなる種類の食べものには、何なのか解らないが、その味とは別に何かそこに幾らでも食べられる気にさせる共通の味に似たものがあるということで(略)、それと同じものが確かに牡蠣にもあることを広島に今度行って感じた。(p.69-70)
というのは、広島のかき豊で、最後に出た牡蠣飯を食べたときの話である。
>併しその晩はなかったが、金沢で是非とも食べなければならないのは鰯の押し鮨である。これは金沢で泊ったつば甚旅館で作って貰ったので、鰯が一切れずつ乗っている米の裏に紺海苔と金柑を輪切りにしたものが付いている。鰯の脂を金柑の酢で解いたような味で、船に弱いものが二日酔いの頭を抱えて船に乗った途端に海が大荒れに荒れだしても、この鰯の押し鮨ならば食べられるだろうと思う。
というのは、昆布で巻いたり押し鮨にした鯛をさんざ食べたあとの、金沢の話である。
二日酔いで船酔いする状況でも食べられるって、すごい表現だ。
もっとも、私が今回いちばん参ったと思ったのは、長崎でのカステラの話。
>カステラの味に就てここで書く必要はないと思うが、船大工町の福砂屋に寄った序でに、工場を見せて貰ったのは幸だった。カステラは規格に合って市場に出されるものよりも、何かの拍子に焼き損って撥ねられたものの方が、保存が利かないだけで、ずっと芳しくてねっとりしていることが、店で出されて解り、それで帰ろうと思っていると工場に案内されて、カステラを焼いた後で型にくっついている粕を削り取って食べると、この方が焼き損いよりも更に上等だった。(p.88)
…あー、あー、そんなものまでありですか、それ食ってみたい。
ちなみに、著者はもっとちゃんとした料理をいっぱい食べてるんだが、私はこういうとこに反応しちゃうんだよね。メインディッシュぢゃなくて、煮ものの汁とか、締めの牡蠣飯とかってのも、そう。
『私の食物誌』って文庫本を、古本屋で当時の定価より高い値になってるけど、ま、それだけ珍しいんだろ、買っとこ、って買った帰りのその足で、新刊書店行ったら、この新しい文庫が並んでて、内心は卒倒した。
くやしいので、その日は見送ったんだけど、やっぱ後日『舌鼓ところどころ』が気になって買ってしまった、まあ別に本読んで損になることはないから。
ということで、没後40周年記念企画でつくられた、食に関するエッセイ集ふたつを合本にしたお買い得の文庫新刊。
『舌鼓ところどころ』は、1957年に文藝春秋に連載されたものが中心。
『私の食物誌』は、1971年に読売新聞連載なんで、時代がちょっとあと。なので、こっちには前者で既出のようなものも、ときどき振り返るように出てくることもある。
1957年ってことは戦争が終わってから12年、そりゃあ今とは時代が全然ちがう。
戦後の食べるものがろくにない時期をようやく脱したころなんで、そんなことも書いてあったりする。
>だから、味覚も服装上の趣味などということよりも遙かに確かなものなので、食べるものがないからと言って働きが止りもしないし、又何でもあるようになれば、何でもあった昔の味覚に直ぐに戻る。ただ戦争が始ったりすると、或る種の覚悟が味覚にも強いられて、贅沢はしないと味覚の方で決めることは事実らしい。真珠湾の晩に或る先輩が、味覚は四十八時間で消滅すると言ったのはそのことを指すものに違いない。そして早ければ、四十八時間で生き返る。(p.18-19「食べものあれこれ」)
うーむ、人間ってそういうものかあ。
まあ、たしかに二日くらい何も食べなかったとしたら、出されたものがマズイとかは言わんな。
しかし、そんなむずかしい話は、単行本のための冒頭の書き下ろしだからであって、『舌鼓ところどころ』の連載は、
「新鮮強烈な味の国・新潟」
「食い倒れの都・大阪」
「瀬戸内海に味覚あり」
「カステラの町・長崎」
「味のある城下町・金沢」
「世界の味を持つ神戸」
「山海の味・酒田」
ってことなんで、あちこちのうまいもの食べた話が並んでて、そういうのは読んでて楽しい。
たまらんなあと勝手に思うとこをいくつか抜いてみると、
>それで、まだ余裕があれば、ここの二百五十円の煮ものを頼むと、これも旨い。普通に我々が椀と考えているものを懐石では煮ものと呼ぶのだそうで、その晩のは鴨と椎茸と生麩と菜の花が入っていた。一番旨いのがその汁であることは言うまでもないが、これは冬が明けて春が来た感じがする。(p.65)
というのは、大阪の内北浜のにし井での話である。
酒が一本百二十円だから、酒を六本とこの煮ものでいいという。当時の値段ではあるが、それでも懐石料理にしては安いと書いてあるんだから、安いんだろう。
>幾らでも食べられる気がするのは同じで、ただそれが牡蠣の味の為なのである。そしてそれに就て前から考えていることが一つあって、それは、本当に旨いと思って他人を押し除けても手に入れたくなる種類の食べものには、何なのか解らないが、その味とは別に何かそこに幾らでも食べられる気にさせる共通の味に似たものがあるということで(略)、それと同じものが確かに牡蠣にもあることを広島に今度行って感じた。(p.69-70)
というのは、広島のかき豊で、最後に出た牡蠣飯を食べたときの話である。
>併しその晩はなかったが、金沢で是非とも食べなければならないのは鰯の押し鮨である。これは金沢で泊ったつば甚旅館で作って貰ったので、鰯が一切れずつ乗っている米の裏に紺海苔と金柑を輪切りにしたものが付いている。鰯の脂を金柑の酢で解いたような味で、船に弱いものが二日酔いの頭を抱えて船に乗った途端に海が大荒れに荒れだしても、この鰯の押し鮨ならば食べられるだろうと思う。
というのは、昆布で巻いたり押し鮨にした鯛をさんざ食べたあとの、金沢の話である。
二日酔いで船酔いする状況でも食べられるって、すごい表現だ。
もっとも、私が今回いちばん参ったと思ったのは、長崎でのカステラの話。
>カステラの味に就てここで書く必要はないと思うが、船大工町の福砂屋に寄った序でに、工場を見せて貰ったのは幸だった。カステラは規格に合って市場に出されるものよりも、何かの拍子に焼き損って撥ねられたものの方が、保存が利かないだけで、ずっと芳しくてねっとりしていることが、店で出されて解り、それで帰ろうと思っていると工場に案内されて、カステラを焼いた後で型にくっついている粕を削り取って食べると、この方が焼き損いよりも更に上等だった。(p.88)
…あー、あー、そんなものまでありですか、それ食ってみたい。
ちなみに、著者はもっとちゃんとした料理をいっぱい食べてるんだが、私はこういうとこに反応しちゃうんだよね。メインディッシュぢゃなくて、煮ものの汁とか、締めの牡蠣飯とかってのも、そう。