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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

春嵐

2017-10-28 18:15:16 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/加賀山卓朗訳 2012年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
ようやくたどりついた、スペンサー・シリーズの39作目は、最終作ということになる。
原題の「Sixkill」ってのは何のことかと思ったら、登場人物の名前だった。
ゼブロン・シックスキル、ただしみんなからはZと呼ばれている。生粋のクリー族、大柄なネイティブ・アメリカン。
スペンサーと初めて対面したときの仕事は、映画俳優のボディガード。
ところどころに、Zが昔は優秀な学生フットボールの選手だったけど、堕落してっちゃう過程の挿話があって、彼の過去が読者には示されるって構成にはなってるが。
事件のはじまりは、おなじみのボストン市警のクワーク警部がスペンサーに調査を依頼するという意外なところから。
撮影でボストンに来てる俳優の部屋で若い女性が変死した。疑いは当然俳優にかけられるけど証拠はない。
この俳優というのが何故か売れてはいるみたいだけど、関係者からは嫌われ者、「うるさくて、傲慢で、馬鹿で、口が悪い」から。今回の件でも誰もがこいつがやったにちがいないと非難轟轟。
だけどクワーク警部はフェアだから、世論のままに証拠もなしに有罪にするということはしたくない、なのでスペンサーに調べてほしいという。
ちなみに映画会社とかはカネはあるんで、弁護にはいちばん強い法律事務所の、これまたシリーズではおなじみの美人弁護士リタ・フィオーレを雇ってる、表向きスペンサーはそこに雇われて報酬もらうことになる。
ところが、俳優に面会しにいくと、やっぱ不愉快なやつなので、リタもスペンサーも腹を立てて帰ってくる。このとき、この物語の主人公になる“Z”がスペンサーを外へ追い出す役目で出てくるんだけど、まだ対決にはならない。
こんな最低の野郎を弁護するために働くのは心情としてはまっぴらごめんなんだけど、弁護士も探偵も仕事には忠実だからヤメたりはしない。
仕事だからってのが見捨てない理由だが、リタはスペンサーの性格を知ってるから、「加えてあなたには、救出に駆けつけたくなる強迫観念がある」(p.45)なんて言ったりするのが、妙におかしい。
かくして、調査をつづけることにしたスペンサーは、事件の夜現場で何が起こったのか、Zに面と向かって質問しにいく。
で、雇い主に、そいつを追い出せ、と言われたZは命令を実行しようとするけれど、スペンサーに素手でノックアウトされる。
身体がでかいだけで、格闘はシロウト、おまけに午前中から酔っぱらってるようでは、一般人は威嚇できるかもしれないけど、スペンサーの敵ぢゃない。
その場で俳優からクビだと言われたZは、スペンサーがオフィスに帰ると、ドアの前の床で寝てた。
引きずり入れられて、目が覚めると、Zはスペンサーに、闘い方を教えてくれという。
というわけで、この物語の本編がスタートする。Zのスペンサーへの弟子入り。
どん底からはい上がって再生、新たな自分をつくりあげてく物語、スペンサー・シリーズのお得意だ。
酒もぴたりとやめて、スペンサーについていって、ジムでバーベル上げたりバッグを叩いたり、スタジアムで走ったり、心身を鍛えてく。
こうなっちゃうと、事件はどうでもよくて、一人前の男になるには、ってシリーズでよくみられるテーマに重点おいて読む気になってくる。
ちなみに、スペンサーは、救済の手伝いしてやるから、事件現場で何を見たか話せ、みたいな取引をZに持ちかけたりはしない、そういうとこも得意の美学なんである。
事件については、態度の悪い俳優から、弁護士も探偵も正式に契約解除だって通告されて、ふつうに考えれば関係なくなっちゃうんだが。
スペンサーは、「クワークに、やると言ったから」といった理由で、手を引かない。正式な依頼人もなし、報酬もなし、シリーズ後半にはこういうパターンが多いな、スペンサー自身のためにやる仕事。
そういうスペンサーを、恋人のスーザンは、そうするだろうと思った、わかりやすい人間だ、一文にまとめられる、「あなたはやると言ったことをやる;多くを怖れない;私を愛している」(p.135)なんて言う、さすがハーヴァード卒の博士。
で、例によってあっちこっちを突っつきまわして、事件の真相に迫ってくんだけど、これまた例によって突っつく過程で誰かを怒らせるもんだから、怖い男を相手に暴力勝負をすることになってしまう。
ところが、ここでもスペンサーは、警察に応援を頼んだり、ホークとかヴィニイ・モリスとかを背後の援護に召集したりしない。
ロサンジェルスの裏社会の大立者デル・リオから「チョヨに殺させようか」という提案があったときも、「だがいいよ。おれ自身が立ち向かわなければならないのだ」(p.296)と断る。
またしても、おれがおれという人間であるためには、みたいないつもの論理。
でも、今回は、つきっきりでコーチして育てあげたZがいるんで、この弟子に活躍の場が当然まわってくる。
あたりまえだけど、お話としては最後には二人で危機を乗り越えるんだが、そんなコンビの姿をみて、スーザンは「Zは、あくまで限定的な私の視点から見て、日々あなたに似てきている」なんて言う。
分析上手な彼女は、「私には、最初からかなりあなたに似ていたのではないかと思えるわ」(p.290)とも言う。
まあ作者の価値観の反映なので、似たものになるのは当然だが、とにかくそうして、またひとりスペンサー的騎士道精神の持ち主誕生でめでたくおしまい。
ポール・ジャコミンを鍛えたときと同じような、ちょっとした感慨のある作品ではあるなとは思った。
どうでもいいけど、ポールとの物語が『初秋』で、これが『春嵐』と、秋と春の対になってるのはちょっとおもしろい気がする。

…それにしても、以前途中で読むのやめたこのシリーズを、よく最後まで読み通したなあ、われながら。
このブログやってなかったら、読まなかっただろうなあ、きっと。
コメント
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