丸谷才一編 1991年 文春文庫版
前回からスパイつながり、5月に買った古本の文庫。
最初、著者のエッセイか書評だと思って、へーこんなのもあるんだ知らなかったと買ったんだが、アンソロジーだった、へーそんなこともするんだ。
丸谷才一が推理小説というかミステリ読むの好きそうなのは、これまでの書評とかで薄々わかってたんだが。もっとも、
>要するに、ぼくがたまに書評を書くような作家はどうも優遇されていないような気がする。(p.183)
なんて言ってるようで、必ずしも一般受けして売れるようなものと趣味があうとは限らないらしい。
でも、早川書房は探偵小説は儲かるものだけぢゃないってこと理解して、年に何冊かは儲からなくてもかまわない翻訳を出してほしいと注文つけてるんだけど。
それはそうと、早川書房は昭和20年8月、戦後初めて登記された出版社だってのは、知らなかった。
丸谷さんの説く、ミステリの読み方ってのが秀逸で、
>むかしの人は探偵小説を犯人あてだと考えたわけね。あれは間違いで、あんなものは当たるに決まってるんですよ、真面目にやれば。あまり真面目にやりすぎると、またはずれるんだけれど。だからいい加減に考えて、それで遊ぶ。それが読み巧者の態度でしょう。手品を見て手品の種のことばかり考えるやつは、粋じゃない。
って、具合で、犯人あてぢゃなくて、読んで楽しめばよいと。
そこから、純文学における探偵小説の影響、描写や会話の文体を取り入れていく議論に発展してくとこが、またいいんだけど。
どうでもいいけど、このアンソロジーはけっこう古いものも入ってて、そのなかに昭和32年の小林秀雄と江戸川乱歩の対談があるんだが、そのなかにおもしろい話があった。
小林秀雄が、東大の原子力研究所に人工頭脳があって、将棋を指す、とても強いくて人間は勝てないらしい、って話を聞いて、ウソだって即座に否定したっていうんだが。まあ、たしかにデマだったんだけど。
>僕は「メルツェルの将棋指し」を思い出したんですよ。よく覚えていないが、ポーがちゃんと、そんなものは不可能だ、機械では不可能だって論証している。(p.142)
と、エドガー・アラン・ポーの著作を根拠に、機械にはできないというのが小林秀雄の論。
>このごろ人工頭脳というのは、何でもできるっていうことを皆んないうでしょう。学者だってそんなこと言ってる奴がある。そんな馬鹿なこと。ポーに聞いてごらんなさい。
>人工頭脳というのは、メカニズムですよ。ね。計算はするけれども、判断はしないね。だから計算というのは非常に早くできるってことだよ。数を計算するの、これが考えられないほど早くできるってこと、これが人工頭脳でしょう。だけどこっちにするか、あっちにするかということは全然範疇の違ったことじゃないか。これは判断でしょう。判断というのは、だから機械的にできないよ。(p.143)
って堂々と論を張るんだが、まさか60年後のいま、名人もソフトに敗けちゃうなんてことになるとは、想像もつかなかったんだろうねえ。
コンテンツは以下のとおり。
なぜ読むのだらう? 丸谷才一
I 序曲としてのユーモア小説
スープの中のストリキニーネ P・G・ウッドハウス
II アルバム
ミステリーと私 大岡昇平
スペイドとマーロウとアーチャー リチャード・R・リンジマン
映画スクラップ・ブック 和田誠
半七老人と綺堂老人と 岡本経一
コナン・ドイルと鉄道 小池滋
神保町の島崎書店によく出たプルーフ・コピー 植草甚一
わが愛する探偵たち キングズリー・エイミス
コオナン・ドイルの思い出 吉田健一
エルキュール・ポアロ氏死去 トマス・ラスク
III 歓談数刻
ヴァン・ダイン論その他 小林秀雄/江戸川乱歩
ハヤカワ・ポケット・ミステリは遊びの文化 瀬戸川猛資/向井敏/丸谷才一
IV 大統領の書いた探偵小説
トレーラー殺人事件の謎 アブラハム・リンカーン
V 名作のリスト
サンデー・タイムズ・ベスト一〇〇
江戸川乱歩の三つのリスト 江戸川乱歩
VI 探偵小説論
探偵小説――現代の暴力神話か? ブリジッド・ブロウフィー
スープのなかの蠅 中村真一郎
茨の冠 丸谷才一
VII 終曲としてのライト・ヴァース
死体にだって見おぼえがあるぞ 田村隆一
前回からスパイつながり、5月に買った古本の文庫。
最初、著者のエッセイか書評だと思って、へーこんなのもあるんだ知らなかったと買ったんだが、アンソロジーだった、へーそんなこともするんだ。
丸谷才一が推理小説というかミステリ読むの好きそうなのは、これまでの書評とかで薄々わかってたんだが。もっとも、
>要するに、ぼくがたまに書評を書くような作家はどうも優遇されていないような気がする。(p.183)
なんて言ってるようで、必ずしも一般受けして売れるようなものと趣味があうとは限らないらしい。
でも、早川書房は探偵小説は儲かるものだけぢゃないってこと理解して、年に何冊かは儲からなくてもかまわない翻訳を出してほしいと注文つけてるんだけど。
それはそうと、早川書房は昭和20年8月、戦後初めて登記された出版社だってのは、知らなかった。
丸谷さんの説く、ミステリの読み方ってのが秀逸で、
>むかしの人は探偵小説を犯人あてだと考えたわけね。あれは間違いで、あんなものは当たるに決まってるんですよ、真面目にやれば。あまり真面目にやりすぎると、またはずれるんだけれど。だからいい加減に考えて、それで遊ぶ。それが読み巧者の態度でしょう。手品を見て手品の種のことばかり考えるやつは、粋じゃない。
って、具合で、犯人あてぢゃなくて、読んで楽しめばよいと。
そこから、純文学における探偵小説の影響、描写や会話の文体を取り入れていく議論に発展してくとこが、またいいんだけど。
どうでもいいけど、このアンソロジーはけっこう古いものも入ってて、そのなかに昭和32年の小林秀雄と江戸川乱歩の対談があるんだが、そのなかにおもしろい話があった。
小林秀雄が、東大の原子力研究所に人工頭脳があって、将棋を指す、とても強いくて人間は勝てないらしい、って話を聞いて、ウソだって即座に否定したっていうんだが。まあ、たしかにデマだったんだけど。
>僕は「メルツェルの将棋指し」を思い出したんですよ。よく覚えていないが、ポーがちゃんと、そんなものは不可能だ、機械では不可能だって論証している。(p.142)
と、エドガー・アラン・ポーの著作を根拠に、機械にはできないというのが小林秀雄の論。
>このごろ人工頭脳というのは、何でもできるっていうことを皆んないうでしょう。学者だってそんなこと言ってる奴がある。そんな馬鹿なこと。ポーに聞いてごらんなさい。
>人工頭脳というのは、メカニズムですよ。ね。計算はするけれども、判断はしないね。だから計算というのは非常に早くできるってことだよ。数を計算するの、これが考えられないほど早くできるってこと、これが人工頭脳でしょう。だけどこっちにするか、あっちにするかということは全然範疇の違ったことじゃないか。これは判断でしょう。判断というのは、だから機械的にできないよ。(p.143)
って堂々と論を張るんだが、まさか60年後のいま、名人もソフトに敗けちゃうなんてことになるとは、想像もつかなかったんだろうねえ。
コンテンツは以下のとおり。
なぜ読むのだらう? 丸谷才一
I 序曲としてのユーモア小説
スープの中のストリキニーネ P・G・ウッドハウス
II アルバム
ミステリーと私 大岡昇平
スペイドとマーロウとアーチャー リチャード・R・リンジマン
映画スクラップ・ブック 和田誠
半七老人と綺堂老人と 岡本経一
コナン・ドイルと鉄道 小池滋
神保町の島崎書店によく出たプルーフ・コピー 植草甚一
わが愛する探偵たち キングズリー・エイミス
コオナン・ドイルの思い出 吉田健一
エルキュール・ポアロ氏死去 トマス・ラスク
III 歓談数刻
ヴァン・ダイン論その他 小林秀雄/江戸川乱歩
ハヤカワ・ポケット・ミステリは遊びの文化 瀬戸川猛資/向井敏/丸谷才一
IV 大統領の書いた探偵小説
トレーラー殺人事件の謎 アブラハム・リンカーン
V 名作のリスト
サンデー・タイムズ・ベスト一〇〇
江戸川乱歩の三つのリスト 江戸川乱歩
VI 探偵小説論
探偵小説――現代の暴力神話か? ブリジッド・ブロウフィー
スープのなかの蠅 中村真一郎
茨の冠 丸谷才一
VII 終曲としてのライト・ヴァース
死体にだって見おぼえがあるぞ 田村隆一