多田富雄 1997年 新潮社
これは『免疫の意味論』より先に、去年11月に手に入れた古本なんだが、順番を守って読むのをあとまでとっておいた。
1995年から96年にかけて「新潮」に連載されたものということで、専門的な科学の論文とはちょっとちがう。
>DNAの決定から離れた自己生成系として生命を見るという観点。(略)そこから、人間そのもの、あるいは人間の作り出した文明に何が見えてくるか、というのがこの本の主題である。(p.33「超システムの誕生」)
ということだそうで。
生命について、「超(スーパー)システム」っていう概念でとらえてて、あまりなじみのない用語で意味みえにくかったんだけど、この本ではかなり具体的に説明してくれている。
>キーワードだけ列挙すると、「自己生成」「自己多様化」「自己組織化」「自己適応」「閉鎖性と開放性」「自己言及」「自己決定」などである。(略)
>超システムは、しかし、要素そのものを自ずから作り出し、システム自体を自分で生成してゆくシステムである。(p.33同)
というのが定義に近いのかと思う。
ほかのところでも繰り返しその特徴が語られてる。
>単一なものが、まず自分と同じものを複製し、ついで多様化することによって自己組織化してゆく。それが充足した閉鎖構造を作ると同時に外界からの情報を取り込み、自己言及的に拡大してゆく。(p.56「超システムとしてのゲノム」)
とか、
>こうして概観すると、脳神経系の発生も、免疫系の発生と同じく、単一な細胞の自己複製から始まり、多様化や自己適応、内部情報をもとにした自己組織化によって成立する超システムであることがわかる。(p.220「心の身体化」)
とかってので、そういうのを超システムっていうのかって、なんとなくわかる。
しかし、
>超システムには、もうひとつ興味ある属性がある。(略)
>超システムに目的があるかというと、ないのではないかと私は考えている。(略)
>免疫系や脳神経系の発達には何か目的があったのか。
>単純に考えれば、種の維持とか個体の生存とかを目的と考えてもよいのかもしれない。しかし、DNAの総体であるゲノムで決定される種や、種の保存の実働体である個体の生命の維持という目的のためには、こんなに複雑で冗長なシステムを作り出す必要があっただろうか。(p.34-35「超システムの誕生」)
っていうのは、なかなかショッキングな言及だと思う。
システム自体が自己目的化してると言っちゃえば簡単だけど、免疫とか生命とかに目的がないってなると、ほんと自己って何、って問いが深みにはまってしまいそう。
まあ、存在をめぐる哲学的なことはともかく、人間社会のことに議論を展開させてるのが本書の特徴で、
>(略)行政自身には市民の福祉という目的があるのに、超システムとして成立した官僚制そのものには目的がないからである。官僚制は必然的に自己目的化して増大してゆく。(p.233「生命活動としての文化」)
なんていうのは、わりとありがちな批評かもしれないけど、言語と遺伝子の比較論はきわめて刺激的。
構成とか配列とか合成とかの具体的な例は書き写すと長くなるからよすけど、
>こうしてみると、言葉の成立と発展、遺伝子の誕生と進化には明らかに同じ原理が働いており、共通のルールが用いられているように思われる。一度単純な要素が創造されると、その組み合わせによって意味が生じ、繰り返しによって重複し、複製し伝達する際のエラーを取り込んで多様化してゆき、こうしてできた新しい要素の組み合わせは飛躍的に語彙の多様性を増してゆく。(略)
>言語の成立過程にもゲノムの成立過程にも、別に目的があったわけではなく、また前もってブループリントが用意されていたわけでもない。(略)自分で作り出したルールにしたがって自己組織化し、発展してゆくのが超システムの本性である。(p.137-138「遺伝子の文法」)
っていうのは、いままで考えたこともなく、ハッとさせられる話だった。
ほかには、性について人間の発生を解説したうえで、
>従来、性に対する絶対主義的な概念に基づいて、あいまいな性、すなわち「間性」についてひどい差別が行われてきた。(略)
>しかし私には、間性も間性的行動様式も、自然の性の営みの多様性の中で正当に位置づけられるべきと思われる。性の多様性が、基本的に生物学的な必然だとしたら、それを基礎にして生み出される性の文化的多様性も受け入れるべきであろう。(p.116-117「女は存在、男は現象」)
なんていうのは、当時にしては卓見なんぢゃないかと思う、現在になってようやく世間はそういう考えに追いついてきたんだから。
それにしても、
>私には、女は「存在」だが、男は「現象」に過ぎないように思われる。(p.116同)
ってフレーズは、いいなあ。
第一章 あいまいな私の成り立ち
第二章 思想としてのDNA
第三章 伝染病という生態学(エコロジー)
第四章 死の生物学
第五章 性とはなにか
第六章 言語の遺伝子または遺伝子の言語
第七章 見られる自己と見る自己
第八章 老化――超システムの崩壊
第九章 あいまいさの原理
第十章 超システムとしての人間
これは『免疫の意味論』より先に、去年11月に手に入れた古本なんだが、順番を守って読むのをあとまでとっておいた。
1995年から96年にかけて「新潮」に連載されたものということで、専門的な科学の論文とはちょっとちがう。
>DNAの決定から離れた自己生成系として生命を見るという観点。(略)そこから、人間そのもの、あるいは人間の作り出した文明に何が見えてくるか、というのがこの本の主題である。(p.33「超システムの誕生」)
ということだそうで。
生命について、「超(スーパー)システム」っていう概念でとらえてて、あまりなじみのない用語で意味みえにくかったんだけど、この本ではかなり具体的に説明してくれている。
>キーワードだけ列挙すると、「自己生成」「自己多様化」「自己組織化」「自己適応」「閉鎖性と開放性」「自己言及」「自己決定」などである。(略)
>超システムは、しかし、要素そのものを自ずから作り出し、システム自体を自分で生成してゆくシステムである。(p.33同)
というのが定義に近いのかと思う。
ほかのところでも繰り返しその特徴が語られてる。
>単一なものが、まず自分と同じものを複製し、ついで多様化することによって自己組織化してゆく。それが充足した閉鎖構造を作ると同時に外界からの情報を取り込み、自己言及的に拡大してゆく。(p.56「超システムとしてのゲノム」)
とか、
>こうして概観すると、脳神経系の発生も、免疫系の発生と同じく、単一な細胞の自己複製から始まり、多様化や自己適応、内部情報をもとにした自己組織化によって成立する超システムであることがわかる。(p.220「心の身体化」)
とかってので、そういうのを超システムっていうのかって、なんとなくわかる。
しかし、
>超システムには、もうひとつ興味ある属性がある。(略)
>超システムに目的があるかというと、ないのではないかと私は考えている。(略)
>免疫系や脳神経系の発達には何か目的があったのか。
>単純に考えれば、種の維持とか個体の生存とかを目的と考えてもよいのかもしれない。しかし、DNAの総体であるゲノムで決定される種や、種の保存の実働体である個体の生命の維持という目的のためには、こんなに複雑で冗長なシステムを作り出す必要があっただろうか。(p.34-35「超システムの誕生」)
っていうのは、なかなかショッキングな言及だと思う。
システム自体が自己目的化してると言っちゃえば簡単だけど、免疫とか生命とかに目的がないってなると、ほんと自己って何、って問いが深みにはまってしまいそう。
まあ、存在をめぐる哲学的なことはともかく、人間社会のことに議論を展開させてるのが本書の特徴で、
>(略)行政自身には市民の福祉という目的があるのに、超システムとして成立した官僚制そのものには目的がないからである。官僚制は必然的に自己目的化して増大してゆく。(p.233「生命活動としての文化」)
なんていうのは、わりとありがちな批評かもしれないけど、言語と遺伝子の比較論はきわめて刺激的。
構成とか配列とか合成とかの具体的な例は書き写すと長くなるからよすけど、
>こうしてみると、言葉の成立と発展、遺伝子の誕生と進化には明らかに同じ原理が働いており、共通のルールが用いられているように思われる。一度単純な要素が創造されると、その組み合わせによって意味が生じ、繰り返しによって重複し、複製し伝達する際のエラーを取り込んで多様化してゆき、こうしてできた新しい要素の組み合わせは飛躍的に語彙の多様性を増してゆく。(略)
>言語の成立過程にもゲノムの成立過程にも、別に目的があったわけではなく、また前もってブループリントが用意されていたわけでもない。(略)自分で作り出したルールにしたがって自己組織化し、発展してゆくのが超システムの本性である。(p.137-138「遺伝子の文法」)
っていうのは、いままで考えたこともなく、ハッとさせられる話だった。
ほかには、性について人間の発生を解説したうえで、
>従来、性に対する絶対主義的な概念に基づいて、あいまいな性、すなわち「間性」についてひどい差別が行われてきた。(略)
>しかし私には、間性も間性的行動様式も、自然の性の営みの多様性の中で正当に位置づけられるべきと思われる。性の多様性が、基本的に生物学的な必然だとしたら、それを基礎にして生み出される性の文化的多様性も受け入れるべきであろう。(p.116-117「女は存在、男は現象」)
なんていうのは、当時にしては卓見なんぢゃないかと思う、現在になってようやく世間はそういう考えに追いついてきたんだから。
それにしても、
>私には、女は「存在」だが、男は「現象」に過ぎないように思われる。(p.116同)
ってフレーズは、いいなあ。
第一章 あいまいな私の成り立ち
第二章 思想としてのDNA
第三章 伝染病という生態学(エコロジー)
第四章 死の生物学
第五章 性とはなにか
第六章 言語の遺伝子または遺伝子の言語
第七章 見られる自己と見る自己
第八章 老化――超システムの崩壊
第九章 あいまいさの原理
第十章 超システムとしての人間