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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

恋と女の日本文学

2021-01-02 18:26:16 | 丸谷才一

丸谷才一 2000年 講談社文庫版
これは、年が明けたからもう一昨年ということになっちゃうが、たしかその四月に地元の古本屋で買った文庫。
小説はわりとすぐに読むんだが、評論だと、なんか買って手元においとくだけで、とっかかるのがどんどん後回しになる。
ところが、これ読んだら、むずかしくなく、すごくおもしろいので驚いた、語り口調だからなのかもしれないが。
収録されているのは、「恋と日本文学と本居宣長」と「女の救はれ」の二つ。
テーマはタイトルのとおりで、
>日本文学のかういふ恋愛肯定はなぜ生じ、なぜつづいたか。これは大問題なのですが、いままで考へた人はゐなかつた。(略)そんなこと論じたのでは偉い評論家に見えない。損である。だから別のことを書いたのでせう。仕方がないから、自分で一つやつてみます。(p.49)
ということになる。
冒頭に中国へ旅行したときの話があって、中国人との会話のなかでは色っぽい比喩や冗談は言っても無視されるという。
で、中国の文学や詩には恋愛をとりあげたものがないのに、日本は「源氏物語」なんてそんな話ばっかりだし、勅撰和歌集なんかにも恋は大きなウエイト占めてるのはなんでかって考察を始める。
もともと中国に恋愛小説がなかったわけぢゃなく、七〇四年から七〇七年のうちに日本に到来した、唐の始めのころの張鷟(←「さく」って文字は環境依存? 族の下に鳥)という人の書いた『遊仙窟』という小説が、日本王朝文学に多大な影響があったという。
貴族が、落ちぶれた家の姫君を訪ねる、みたいな恋愛風俗に関する願望がはびこったのは、これがもとに違いないと。
別のとこでは、
>そして中国文学の研究者、高島俊男さんによると、「英雄、色を好む」といふ諺は中国にはないさうです。日本製ではないかと疑つてゐる。中国にあるのは「英雄、人を欺く」ださうである。これはたしかに、『三国志』その他の権謀術数の匂ひがプンプンする諺ですね。(p.38)
なんて豆知識が紹介されて、たしかに中国の英雄伝は大まじめに天下国家を治めるとか戦をするとかなんだけど、日本ぢゃ「忠臣蔵」でも「曽我物語」でもヒーローには色恋沙汰はあると。
あっさり言っちゃうと、中国に恋愛文学がないのは儒教のせいで、だから夫婦間の愛情ならまだしも、未婚の男女の恋愛なんてのは厳しく退けられるというのが伝統になっている。
ぢゃあ、日本はどうかっていうと、そこまで儒教は強くなかった、まあそうでしょう。
丸谷さんの他の著作にもあるように、皇室が恋の歌つくることによって五穀豊穣につながる、みたいな呪術性も根強かったし。
政治にかかわるような公のことについては漢文とかちゃんと勉強しつつも、私的というか和歌を詠むとか物語読むとかって文学の面では中国の精神を取り入れることはしなかったのかと。
>中国は日本にとつて圧倒的な先進国だつた。(略)ところがその先進国の文学と自国の文学とのあひだに、恋愛のあつかひにかけて大きな相異がある。性格の極端な対立がある。とすれば、文学にたづさはる者はみなこのことに悩みさうな気がする。(略)
>しかしそんなこと別に気にしなかつたんですね。けろりとしてゐた。(p.59-60)
ということなんだが、そこで考えるのやめちゃうのも日本人らしい気がするけど、もちろんそれで終わりぢゃない。
>しかし、日中両国の文学の対立を重大問題としてとらへた人が、わたしの知る限りたつた一人ゐた。彼は恋といふこの一点にこだはることによつて日本文学の宣揚に成功した。本居宣長です。(p.62)
ということで、宣長の「もののあはれ」論が登場。
西洋文学というものを知っていれば、文学は恋愛を書いてあたりまえって言えるんだろうけど、それがない十八世紀の日本で孤立無援な状況で宣長は考えた。
>そこで宣長はさういふ状況のなかで、どう考へて、自分で納得が行つたか。中国人が倫理的に高級だから恋をしないのではない、恋をしても書かないのだ、彼らは嘘をついてゐるのだ、偽善的なのだ、と考へた。(p.73)
というふうにとらえることにしたってのは、はなはだ自己中心的な感じもするけど、
>日本人はその点、うるさく道徳を口にしない。感情を偽らずに本当のことを書くし、しかもそれを(ここが大事なのですが)優美に書く。それが宣長の次の論点でした。「もののあはれ」といふ彼の用語は、これを一語に集約したものです。(略)宣長はこの「もののあはれ」によつて、中国文学の方法とは違ふ日本文学の方法、人間の感情の直截でしかも美的な表現を宣揚しようとしたのである。
>文学的先進国の理念と真向から対立する文学的後進国のこの主張は、日本文学の独立の宣言であつた。すごい事業でした。(p.75-76)
と解説されると、なんか偉いと思えてしまう。
中国文学との違いについては、もう一篇の「女の救はれ」では、女人往生ということをあげている。
「平家物語」の建礼門院徳子の話や「源氏物語」のエンディングを論じて、
>わが王朝文学から江戸文学にまで至る、女人を救済し、とりわけ品行の悪い女人の浄土ゆきを助けるといふ発想は中国文学にない。(p.150)
として、女人成仏を肯定するのは日本文化の重要な特性であるとして、中国文学をただ真似するだけぢゃない頑強さをたたえてる。
そのベースには、平安時代が通い婚だったってだけぢゃなく、古代日本が女系家族というか母系支配だったから、その記憶というか懐かしみがどこかにあるのではないかと。
王子さまは生まれた家を継ぐんぢゃなくて、どこかへお姫様を探しに行って、その行った先で王国を譲り受けるというのが、スサノヲやヤマトタケル(これは必ずしも成功してないけど、そういうのがまたうける)のころからの物語の伝統だし。

コメント
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