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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

泥沼流振り飛車破り

2021-07-04 18:18:37 | 読んだ本

米長邦雄 平成6年1月 日本将棋連盟
きのうのつづき、ということになろうか。
棋書の類はね、読書ってのとはちと違うんで、あまり採りあげないんだが、まあ、たまにはいいかと。このタイミングぢゃないと出すときないしね。
これは2017年の9月の古本まつりで手に入れたものだが。
べつに欲しくて探してたというわけではなく、目についたときは、ほー、こんなのもあったんだ、ぐらいの見つけ方だったんだけど、帯見たら「米長名人の最新刊」とあって、そうか、って衝動買いした。
ってのは、「名人」を名乗っていたのは約一年のあいだだけだったので、悲願達成を祝うファンとしてはその肩書による著書は持ってなきゃならんだろう、と思ったからで。
「まえがき」の一行目にも、ちゃんと「この本は、私が五十歳の史上最年長名人になってから出版した、初の将棋の本である。」って書いてある、ありがたく蔵書に加えずにはいられないってもんだ。
サブタイトルは「さわやか自戦記書きおろし」で、実戦集。
そう、若いときは「さわやか流」と呼ばれたんだけど、いつしか真反対の「泥沼流」と称されるようになると、本人は気に入ってキャッチフレーズにした。
泥沼流を米長名人が自称するのは、強者は泥沼で戦うって信念と合致するからで、要は定跡からは離れたところ、前例とか予備知識とか関係ない、何が正解かわかんないとこで戦えば、強いほうが勝つ、って考えに基づく。
本書でも、
>局面を難しく、選択肢の多い方へと持って行く。難しくなればなる程、力の差が出て、最後は自分が勝つ。この自信があればこその泥沼流である。(p.102「対大山康晴王将」)
と言っていて、似たようなことを、
>選択肢が多ければ多いほどヘボは間違えやすい。局面が複雑に複雑にと広がりを見せていった時にヘボの方が間違える。(p.239「対大山康晴十五世名人」)
とも言ってるし、そっから付随してくることを、
>居飛車不満とされる変化に飛び込んだわけだが、そんなことは私も百も承知だ。とにかく、将棋は力だ。
>うまく行かないだの何だのと言っていることがチャンチャラおかしいわい。この精神、この心意気から新手が生まれて来るのである。また、感動も生ずるのだ。(p.164「対櫛田陽一四段」)
みたいにも言っている。
そう、棋風としては、勢いを重視するようなとこあって、駒が下がるような手をとにかく嫌って、負けてもそんな手は指せないみたいな表現はよくみる。
勢いってだけだと、なんか猪突猛進みたいな感じするが、より専門的には「厚み」って言い表せるものに価値を置いてるのが特徴で、自戦解説では、そこんとこの感覚を説明してくれるのが、おもしろい。
それも細っかい手順とかの理論的な説明ぢゃなくて、勢いと感覚をアピールするから、表現がおもしろくなる。
たとえば、
>我ながら目のさめるような一着である。(p.36「対淡路仁茂五段」)
とか、
>どうだ、この落ち着きは!!(p.94「対中原誠名人」)
とか、
>どうだ、この俺の感覚は!!(p.144「対桐山清澄八段」)
とか、
>見よ。第3図の、このほれぼれするような堅陣を!!(p.220「対大山康晴十五世名人」)
っていうような調子、羽生世代以降の若い棋士は優等生タイプが多くなったんで、なかなかこういうことは言わない気がする。
もっと手の込んだ形だと、
>これが私の第一感であった。この動物的な勘、これこそ私の命である。(p.188「対藤井猛四段」)
とか、
>ヘタをすれば、呼び込みすぎて自滅になりかねない。そこを大丈夫と見切っている、その読みの深さをほめてもらいたい。(p.191「同」)
とか、
>これが秘策であった。私の才能の一端を示した一着で、どうしてこういう手が浮かぶのか、自分でも空恐ろしくなる。(p.198「対屋敷伸之六段」)
などというのもある、これが嫌味ないのが「さわやか流」らしい。
(誤解ないように一応言っとくと、対戦相手について、実力のすごさを紹介したり、才能をたたえたり、指し手を好手とほめたりってことも、いたるところに書いている。)
しかし、一局の締めくくりに、
>(略)しかし、ここは私の卓越した大局観をほめるべきだろう。(p.72「対真部一男八段」)
とか、こともあろうに、
>やっぱり、俺は強い。(p.38「対淡路仁茂五段」)
とまで言っちゃうと、ふだん「勝負の女神に好かれるには、謙虚であることが必要」とか言ってたのと、ずいぶん違っちゃってない、と思わないでもない。
ま、いっか、宿願の名人位についたんだから、ちょっとはハイになってても許されるでしょ。
ただ自画自賛する威張ったものだけぢゃなくて、ほかのおもしろい表現もある。
>玉頭の位、厚み、また玉の堅さが終盤になって大きくものを言うのである。例えるならば、これは貯蓄であって、序盤はインフレにならないように願っている年金生活者のような心構えでいることが大切だ。(p.100「対大山康晴王将」)
とか、
>位取りでじっくり指していても、決め所では一気に力強く行かなければならない。
>女性を口説く時と、将棋を勝ち切るまでのプロセスは、ほとんど同じであると心得られよ。(p.84「対小林健二八段」)
なんてのは絶妙な解説だと思う。
そういうわけで、将棋の参考書というのにとどまらず、ファンとしては読物として十分おもしろい一冊。

コメント
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