中井久夫 2010年 岩波書店
これは丸谷才一の『星のあひびき』を読んだときに、
>主題は一貫して日本語論なのだが、本の体裁は論文でも評論でもなく、随筆ないし随筆集である。ふと思ひついて語り出し、語りつづけるが、何かのせいで話が横にそれてもいつこうに気にしない。(略)さういふ書き方がいちいち藝になつてゐるのも随筆にふさはしい。
>(略)四角四面な語り口で行つたのでは、これだけ豊富な内容はとても盛り付けられなかつたらう。この書き方のおかげで読みやすくなつたことも事実で、読者のほうものんびりと、おもしろさうな章から読み出したり、ななめ読みしたり、うたた寝したりすることができる。(略)
>随筆性と教科書性とが奇蹟的に両立してゐる日本語論。(p.162-165「随筆性と教科書性の奇蹟的な両立」)
という書評されていて、読んでみたくなり、古本を探し求めることができたのはことし3月だったが、最近やっと読んだ。
「あとがき」によれば、初出は雑誌「図書」の2006年から2009年までの一か月おきの連載、丸谷さんは「随筆」というが、ご本人は「文字どおりの雑記」と言っている。
著者は精神科医だそうで、そういえば『そして殺人者は野に放たれる』を読んでたら、その本職のほうで名前が出てきてたのに気づいた。
何故にお医者さんが日本語論、などと思ったんだが、ポール・ヴァレリー(仏)とか現代ギリシャの詩の翻訳などもしている人なんだそうで。
詩の翻訳について、ヴァレリーの散文詩を訳してるときに、
>(略)翻訳をしている間、私は数式を解いているのと同じ感覚を覚えた。代入、置き換え、括弧に入れる、括弧を解く、式を変形してみるという感覚である。クールな快感はあったが、韻文詩を訳していた時とは全く別個の心理状態であった。(p.190)
なんてことあったと言っている。
一方、精神医学書を翻訳したときに、編集者に「二十年後も通用する文体で書いて下さい」と依頼され、
>編集長が「二十年後も通用する文体」と言ったのは大きなヒントだった。問題は内容ではなく「文体」だ。サリヴァンはいわゆる難解な思想の人じゃない。適切な文体を探し求めることが第一の鍵だと私は思った。(p.118)
というような体験を語っている。
また、かつて自分が英文で発表した論文を日本語に訳したときには、
>これはいきなり英語で書いてネイティヴにみてもらったものである。しかし、二十数年後に翻訳を試みて私は途方に暮れた。要するに私は一から書き直した。趣旨や内容を、外国人の理解のために書いた日本の歴史的事項以外はできるだけ変えないようにしてである。これは複雑なオモチャを分解して組み立てなおす作業にいちばん近かった。言語の発想とはこれほど違うものかと呆れた。(p.193)
ということが起きたと言っている、いずれも興味深い。
日本語文の書き方については、最終章「日本語文を書くための古いノートから」に、若い医者に科学論文の書き方について訊かれたときの答えとして、具体的に詳しく書いてあって、それは役に立つ。
大事なことは「「文と文との接続」の意識化」であるとしている。
次の文は今の文に対して、並列、解説、敷衍、要約のいずれかにするか考える。
そして、順接するなら単純順接なのか拡大順接なのか収束順接なのか意識する、そうぢゃなくて反対に部分逆説なり例外なりを挙げるなら、それが主張とどのくらい重要に関係するのか考える。
などなど組み立てを説明してって、
>最後に、自己の主張の否定的な面に自ら「反論」を試みておく。これを米国人は日本人の「弱さ」と感じるそうであるが、一本調子で押しまくるのは、日本語では単純にすぎるという感覚がある。米国でも「文章は主張一本にせよ」というの二十世紀になったころに米国の教育当局が決めたことだそうである。私は、自ら自己の主張に対して論争を挑み、自問自答を行うことは、著者の思考の射程の広さを示し、低次元の反論を予防すると考える。(p.251)
というアドバイスがあるんだけど、これはこないだ『思考のレッスン』を読んだばっかりの私にとっては、そのなかにあった丸谷さんの「対話的な気持ちで書く」というのとつながるように思えた。
このへん、「日本語には終止形を嫌う傾向が明らかにある(p.29)」などと、日本語文の文末にいろいろな形があって難しいことを語った章で、
>こう書いてくると、対話性を秘めている日本語の文章には第三の聴き手がいて、ほんとうの対話相手は目に見えない、いわば「世間」のようなものではないかと思えてくる。「ではなかろうか」「というわけである」「なのである」などと言うのは世間というアンパイアの賛成を得ようとしてのことではないだろうか。(p.33)
なんて考察してるのも参考になっておもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
1 間投詞から始める
2 センテンスを終える難しさ
3 日本語文を組み立てる
4 動詞の活用形を考えてみる
5 言語は風雪に耐えなければならない
6 生き残る言語――日本語のしたたかさとアキレス腱
7 では古典語はどうなんだろうか
8 最初の精神医学書翻訳
9 私の人格形成期の言語体験
10 訳詩体験から詩をかいまみる
11 文化移転としての詩の翻訳について
12 訳詩という過程
13 翻訳における緊張と惑い
14 われわれはどうして小説を読めるのか
15 日本語長詩の現実性
16 言語と文字の起源について
17 絵画と比べての言語の特性について
18 日本語文を書くための古いノートから