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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

魔術師

2021-07-11 18:35:58 | 読んだ本

ジョン・ファウルズ/小笠原豊樹=訳 1972年 河出書房新社:I・II全2巻(今日の海外小説シリーズ24・25)
原題「THE MAGUS」は1965年の作品。
二年前に『快楽としての読書海外篇』で書評読んだのがきっかけだった。
丸谷才一いわく、
>読みだしたらやめられないといふのは、本来、小説の基本的な条件のはずなのに、現代小説ではむしろ場ちがひな性格になつてしまつた。今は、あくびを噛み殺しながら読む小説本が尊敬される時代なのである。しかしここに一つ、現代文学ではきはめて例外的な、読みだしたらやめられない長篇小説がある。『魔術師』(三部構成)を第一部だけ、ないし第二部だけでよすのは、たいていの読者に不可能なことだらう。読者はどうしても大団円まで、文字通り「巻を置くあたはざる」思ひでページをくりつづけるに相違ない。(p.173「大団円のある世界」)
(※この書評の初出は、「週刊朝日」1972年4月21日号で、単行本『遊び時間3』=文庫版『ウナギと山芋』所収。)
ってことだから、どうして自分はそんな小説をタイトルさえも知らなかったんだろう、なんとしてでも読まなくてはと思うことになった。
なかなか見つけらんなくて、ようやく買い求めることができたのは今年3月のことだった。「日本の古本屋」さんにはお世話になっています。
ほんとは文庫版が欲しかったんだけどね、まあ、いいや大きい本でも、しかし置く場所無い問題は深刻化する一方だけど。
で、全2巻上下二段組で320ページ程度、読むにはけっこうエネルギーいるなと思ったこともあって、しばらくは手に入れたから安心状態で放置してたんだけど、最近やっと読んだ。
しかし、うーん、そーんなに言うほどおもしろいかな、ってのが一読した正直な感想だ、すくなくとも私は、ふだん小説など読まない知人に読んでごらんとか薦める自信はない。
たしかに次へ次へと読み進めさせられる力は感じたけど、私は、きょうはここまで、続きはまた明日、みたいに冷静に読めてしまった。
ちなみに、三部構成とはいっても、第一部と第三部は短くて、第二部が延々と長いよ。
物語の時代は1953年ころかな、主人公ニコラス・アーフェは1927年生まれのイギリス人、中産階級の一人息子で、兵役が二年あったのちにオックスフォードに入学、在学中に両親を飛行機事故で亡くす。
財産があるわけでもなく、特にやりたいこともなさそうで、職を探した結果、ギリシャの島の寄宿学校の英語教師になる。
そこへ出かけてくちょっと前に、アリスンっていうオーストラリア娘と出会って恋仲になる、このスチュワーデスとは別れてそれっきりってわけでもなく、物語の最後までかかわってくる。
それでギリシャのフラクソス島へ行くと、イギリスとギリシャの混血らしい大金持ちのコンヒスという孤独な老人に招かれる。
このひとが魔術師ってことになるんだけど、大がかりな舞台装置つくって、たとえばイギリス人の双子の女性を雇って使ったりして主人公を誘惑させたりとか、なんか自身の半生を再現するような芝居を実演して、現実と非現実の境に主人公を追い詰めるようなことを延々とするのだ。
なんで、そんなことするんだ、ってのが、よくわからない、丸谷さんの評によれば「一切のイギリス中流上層的なものへの復讐かもしれない」ってことなんだけど、たしかに主人公アーフェだけぢゃなく、歴代のイギリス人教師はなんらかの同じようないたずらを仕掛けられてきたらしい。
丸谷さんの評をさらに引くと、この島でのなぶられた経験によって主人公は「無関心とシニシズムといふ悪から脱出して、一種の実存主義的な自由を手に入れる」ことになって、作者は「ロマン主義小説の富をふんだんに盗みながら、新しい哲学小説を書かうと試みた」んだっていう。
>孤児である青年、ギリシアの島の風光、世間と絶縁した邸、双生児の姉妹、対独協力者であるモンテ・クリスト伯、仮面、陰謀、裏切り、偽造された手紙のかずかず、われわれはドンデン返しに次ぐドンデン返しにあきれ、これだけ絶妙の技法で魅惑してくれた以上、哲学がその小説技巧よりいささか落ちても問題にすることはないと満足するであらう。(丸谷才一前出「大団円のある世界」)
って、いわれちゃうと、「今の句に関しては、作品より批評の方がうますぎたね。もどかしい句だ」っていう『俳句という遊び』のなかの飯田龍太氏のセリフをなんだか思い出してしまった。

コメント
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