藤沢数希 2012年2月 新潮新書
きのうの森達也氏の書くものに影響されたこともあると思うんだけど、とかく日本のマスコミの姿勢、なんつーか一言でいっちゃうと無自覚な姿勢には、私はここ何年かうんざりしている。
冷静な分析なんてもはや期待してないけど、それ以前に、なにかを伝えることより、騒ぐことのほうが目的ぢゃないかなって思ってしまうこともある。
しょーがないよね、ショーアップするのが商売だから。
「説明が足りない」とか「わかりにくい」とかいう言葉を発するひとを見てると、どー見ても、ひとの話を聴こうとか理解しようとかしてるよーには見えないんだよね。
だいたいさー、たとえば一家族の家計の中味だってヨソから見たら分かんないのに、天下国家のことが、ろくに勉強もしやしないで、簡単に分かるわけないぢゃない。
ま、そんなことは、いいとして。
ちょっと話題になってるってことで、この本を読んでみました。
ちなみに“不都合な真実”って言葉の元ネタ(?)は、ゴア元副大統領の環境問題に関する映画ってのは知ってるんだけど、それは観たことない。
んで、この本は、2011年3月の福島第一原発の事故以降の、マスコミの流す情報は的外れ、反原発運動は不毛、ということで、エネルギー政策については、感情論ぢゃなくて、科学的に考えましょうよ、って問題意識で書かれてます。
で、なにが“真実”かっていうと。
たとえば、同じ量の電気エネルギーを生み出すのに、どれだけ死者が出るかっていうと、原子力発電のほうが、石炭や石油より1000倍程度安全だとか。
(これは推定方法によって幅があるけど、いくつかの研究発表の要約を並べてある。)
化石燃料による火力発電は大気汚染を生みだす、世界では大気汚染で毎年ざっと100万人が死ぬんだけど、火力発電が原因なのは、その3割の30万人くらいいる。
それから放射線のリスクって、どのくらいか冷静に考えたことあるのかって指摘。
実際、福島第一原発の事故で、死者も急性放射線障害になった人もひとりも出てない。
200ミリ・シーベルト以上の被曝では、1シーベルト当たり5%ほどガンで死亡する可能性が上がることはわかっているが、100ミリ・シーベルト以下の被曝ではガンのリスクが上昇する証拠はみつかっていない。
仮に同じ割合が当てはまるとしたとき、100ミリ・シーベルトの放射線を浴びると、ガンで死亡する可能性は0.5%アップするんだけど、もともと日本人の3分の1がガンで死ぬんだから、ガンで死ぬ確率が33.3%から33.8%になるけど、それが健康被害って言えるのかどうなのか。
自然エネルギーとか言って、風力や太陽光発電を目指すにしたって、そんなものは相当広大な土地がなきゃできないし、政府からの補助金でもなきゃ取り組む企業はないくらい過剰な設備投資が必要。
原発を全廃して、同じだけ電気つくろうと思ったら、日本が購入する化石燃料費は4兆円程度増加する。
耐用年数に達していない原発を止めるのは丸損、原発を再稼働しない状況は、ローンで買った自宅を空家にして、家賃を払ってマンションに住んでいるようなもの。
まあ、そういったこといろいろあるんだけど、リスクに関するメディアの姿勢について指摘してるとこが、私には面白い。引用しちゃうと、以下のようなとこ。
>僕の観察によると、年間の死亡者数がゼロから数十人の死因はメディアで大変センセーショナルに報道されます。数十人から数百人になると、それは社会問題になります。そして数千人から数万人以上が死亡すると、それは珍しくもなんともなくなり誰も話題にしなくなります。メディアの報道にとっての価値あるリスクと、実際の僕たちの生活における本当の差し迫ったリスクは、全くちがうものとして我々は日々生活していかないといけないのでしょう。
まあ、メディアのよくやる“自粛”とかって、津波とかの場面のある作品はすぐ自粛しちゃったりするんだけど、年間五千人くらい死者が出てる交通事故なんかをドラマんなかのシーンに入れちゃうこととかについては、なんとも思ってなかったりするもんなんで。
きのうの森達也氏の書くものに影響されたこともあると思うんだけど、とかく日本のマスコミの姿勢、なんつーか一言でいっちゃうと無自覚な姿勢には、私はここ何年かうんざりしている。
冷静な分析なんてもはや期待してないけど、それ以前に、なにかを伝えることより、騒ぐことのほうが目的ぢゃないかなって思ってしまうこともある。
しょーがないよね、ショーアップするのが商売だから。
「説明が足りない」とか「わかりにくい」とかいう言葉を発するひとを見てると、どー見ても、ひとの話を聴こうとか理解しようとかしてるよーには見えないんだよね。
だいたいさー、たとえば一家族の家計の中味だってヨソから見たら分かんないのに、天下国家のことが、ろくに勉強もしやしないで、簡単に分かるわけないぢゃない。
ま、そんなことは、いいとして。
ちょっと話題になってるってことで、この本を読んでみました。
ちなみに“不都合な真実”って言葉の元ネタ(?)は、ゴア元副大統領の環境問題に関する映画ってのは知ってるんだけど、それは観たことない。
んで、この本は、2011年3月の福島第一原発の事故以降の、マスコミの流す情報は的外れ、反原発運動は不毛、ということで、エネルギー政策については、感情論ぢゃなくて、科学的に考えましょうよ、って問題意識で書かれてます。
で、なにが“真実”かっていうと。
たとえば、同じ量の電気エネルギーを生み出すのに、どれだけ死者が出るかっていうと、原子力発電のほうが、石炭や石油より1000倍程度安全だとか。
(これは推定方法によって幅があるけど、いくつかの研究発表の要約を並べてある。)
化石燃料による火力発電は大気汚染を生みだす、世界では大気汚染で毎年ざっと100万人が死ぬんだけど、火力発電が原因なのは、その3割の30万人くらいいる。
それから放射線のリスクって、どのくらいか冷静に考えたことあるのかって指摘。
実際、福島第一原発の事故で、死者も急性放射線障害になった人もひとりも出てない。
200ミリ・シーベルト以上の被曝では、1シーベルト当たり5%ほどガンで死亡する可能性が上がることはわかっているが、100ミリ・シーベルト以下の被曝ではガンのリスクが上昇する証拠はみつかっていない。
仮に同じ割合が当てはまるとしたとき、100ミリ・シーベルトの放射線を浴びると、ガンで死亡する可能性は0.5%アップするんだけど、もともと日本人の3分の1がガンで死ぬんだから、ガンで死ぬ確率が33.3%から33.8%になるけど、それが健康被害って言えるのかどうなのか。
自然エネルギーとか言って、風力や太陽光発電を目指すにしたって、そんなものは相当広大な土地がなきゃできないし、政府からの補助金でもなきゃ取り組む企業はないくらい過剰な設備投資が必要。
原発を全廃して、同じだけ電気つくろうと思ったら、日本が購入する化石燃料費は4兆円程度増加する。
耐用年数に達していない原発を止めるのは丸損、原発を再稼働しない状況は、ローンで買った自宅を空家にして、家賃を払ってマンションに住んでいるようなもの。
まあ、そういったこといろいろあるんだけど、リスクに関するメディアの姿勢について指摘してるとこが、私には面白い。引用しちゃうと、以下のようなとこ。
>僕の観察によると、年間の死亡者数がゼロから数十人の死因はメディアで大変センセーショナルに報道されます。数十人から数百人になると、それは社会問題になります。そして数千人から数万人以上が死亡すると、それは珍しくもなんともなくなり誰も話題にしなくなります。メディアの報道にとっての価値あるリスクと、実際の僕たちの生活における本当の差し迫ったリスクは、全くちがうものとして我々は日々生活していかないといけないのでしょう。
まあ、メディアのよくやる“自粛”とかって、津波とかの場面のある作品はすぐ自粛しちゃったりするんだけど、年間五千人くらい死者が出てる交通事故なんかをドラマんなかのシーンに入れちゃうこととかについては、なんとも思ってなかったりするもんなんで。