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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

中国の大盗賊・完全版

2022-03-26 18:42:10 | 読んだ本

高島俊男 二〇〇四年 講談社現代新書
丸谷才一の随筆のなかで、「これほどの本を書く人物が世に知られてゐないのは残念だと思ひ、ジャーナリストに会ふたびにこの本とこの著者を褒め、彼に何か書いてもらへとすすめた。その結果、出来あがつた本が講談社現代新書の『中国の大盗賊』。これが前著以上にすごい本。(『双六で東海道』p.287)」と、絶賛されていたので、読んでみたくなり、先月だったか中古を見つけたんで買った。
なにが「完全版」かというと、本書あとがきによれば、元版が出たのは1989年だが、このとき編集から「270枚で」と指定されたのに、書きあがったのが420枚になったところ、あくまで270枚までと言われて、バッサリ削ったのだが、本書はそれを復活させた。
削ったとこについては、丸谷さんが「本当は出版社が毛沢東に遠慮した気味もあつたのぢやないかと思ふけれど」というように、著者は、中華人民共和国ってのは盗賊王朝で、毛沢東は盗賊皇帝だ、ってとこに重きを置いてたにもかかわらず、その多くが削られ、歴史上の話が主、現代のことはつけたし、みたいな出来になったのは残念だったらしい。
そういうわけで、中国の歴史で天下をとった大盗賊がテーマなんだが、盗賊ってのはけちな泥棒ぢゃなく、本書の定義によれば、(1)官以外の(2)武装した(3)実力で要求を通そうとする(4)集団、ということになる。
町から町へと移りながら、襲って分捕っていく盗賊の集団は、でかいと数万人規模になるという。でも、3万人規模だとすると、そのなかで戦士は1割の3,4千人くらい。
ほかは、そいつらの連れてる、元はといえば略奪してきた、女とか、その子供。それ以外にも、道中で収容してきた親のない子供とか。それから雑役夫が戦士一人につき5人とか10人とかついていて、武器とか食料の調達や運搬をして働いている、一大集団なのだという。
で、そういう盗賊のなかから時代の波にのって天下とっちゃう奴も出てくるんだが、王になったりすると、ただただ戦に強いだけぢゃなく、知識人を登用したりして、いままでの世の中はまちがってた、われわれは正義だ、みたいな理論武装して、民衆にも正当性を認めさせたりしなきゃなんない、ちゃんとした組織づくりもたいへんだ。
戦乱の時代がおわって、治世はじめると、いろんな儀式とかで皇帝とかを偉そうにするために、儒家に出番がまわってきたりするんだが、
>とっくの昔に死んだ人間(祖先)を祭るという、実質は何もない、百パーセント「文」の儀式などは、儒家の最も得意とするレパートリーである。人間がそういう「文」を具えた生活をできるようにしてゆくのが「文化」なのである。(p.91)
なんて言われると、漢字文化の勉強になる、ここでの「文」というのは「もよう、かざり」のことで、「実用的には無意味な飾り」なんだが、それが動物と人間をへだてるものだと。
天下治めるようになると、元は盗賊だったんだけど、勝てば官軍だから、勝者によって歴史はつくられる。
ほんとは別のところの別の人の話だったものでも、英雄になったひとのエピソードに加えられちゃったり、芝居がかった作り話もあとからぽんぽんできる。
おまけに、歴史的史料とされてるものの元ネタが実は小説だったりとか、出典不明ないいかげんな話はいっぱいある。
そのへんのところ、著者は、
>つまり、昔の人たちにとって「歴史」というのは、NHKの大河ドラマみたいなものなのである。ごく大筋の所は史実だが、ディテイルは作り話である。「歴史」は口づたえに語りつたえられてゆくから、その過程でだんだんおもしろく肉づけされてゆく。その肉づけの部分は「物語」であって、肉をこそぎ落したものが「歴史」だというような観念は昔の人にはなかったのである。
>昔の人たちにとっては、その肉づけも含めたものが「歴史」なのであって、『左伝』や『史記』がおもしろいのはそのゆえである。(p.85-86)
とか、
>右の「車箱峡」「滎陽大会」「潼関南原」「魚腹山」等はみなあとからの作り話なのであるが、しかしすべてちゃんと『明史』にのっている。正史といったってちっともあてにならない標本みたいなものである。(p.161)
とかって、解説してくれて、おもしろい。
>いったい中国の歴史は王朝交代の歴史であるが、新しい勝者が天下を取ると、前の王朝の宮殿に火をつけて景気よく焼いてしまい、新しく自分の宮殿を作る。(略)われわれ日本人はケチだから、「なんともったいない、そんな立派な建物があるのならありがたく使わせてもらえばいいのに」と思うが、中国人は太っ腹だからそうは考えない。天下を取ったということは全中国の富を手中にしたということなのだから、宮殿くらいはいくらでも建てられるし、新しい宮殿を作ってこそ「こんどはオレが中国の主になったのだぞ」ということを天下に示すことができるわけだ。(p.224-225)
みたいなわけで、歴史のわりには古い建物がないって中国史の話も勉強になる。
そんなこんなの長い、繰り返される歴史をみてくると、17世紀に明を倒して洛陽に入った李自成の軍が、庶民向けに「新しい王は税金をとらない」みたいな歌をつくって流行らせたのと、20世紀に毛沢東が歌を使った民衆工作をしたのはいっしょで、
>双方に共通するのは、救世主の名前を売りこもうとしていることだ。何百年たっても、中国の大盗賊のやることに大した進歩はない。(p.168)
と気持ちよく、ばっさり言ってくれてる。
ほかにも、それまで盗賊だった共産党が勝って「官」になると、国民党は「匪賊」扱いになって、
>そして、正しい共産党が悪い国民党と戦ってこれを打ち倒したプロセスとしての「歴史」が作られる。それが圧倒的な物量でくりかえしくりかえし国民の頭に注入される。
>だから、中国人はもちろん日本人でも、共産党が国民党に勝ったのは正義が不正に勝ったのであり、人民の味方が人民の敵に勝ったのであり、したがって必然的な歴史の進歩なのだと、いまだに思っている人がいる。
>実は、過去に何十ぺんもくりかえしてきたのと同じく、一つの集団が在来の権力を打ち倒して取ってかわり、新しい顔ぶれが権力の座についたというにすぎないのである。(p.52)
って盗賊の側から歴史をみるおもしろさを教えてくれる。
序章 「盗賊」とはどういうものか
第一章 元祖盗賊皇帝――陳勝・劉邦
第二章 玉座に登った乞食坊主――朱元璋
第三章 人気は抜群われらの闖王――李自成
第四章 十字架かついだ落第書生――洪秀全
第五章 これぞキワメツキ最後の盗賊皇帝――毛沢東


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