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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

桜も咲いたなかホセカレーラスに乗る、そしてアールディスタンスに初めてまたがる

2012-04-09 18:38:49 | 馬が好き
乗馬にいく。
きょうは20度まで気温上がるという予報。昨日おとといの最低気温は0度くらいだったんだよね、一日のなかで寒暖の差が激しい。
きのう五分咲きくらいだった桜。きょうにはぜんぶ開いちゃうんぢゃないかな。
私が乗る馬場の周囲には、みごとな桜並木があるんだけど、桜の花を見ながら乗るのは今日明日までだろう。(水曜に雨降るっていうんで、それで散っちゃうのでは。)

私の乗る馬は、ホセカレーラス。
美浦に来る前のホセカレーラスを知っている人と今日は一緒、いい馬だ、いい動きをする、って言うんだけど、私は乗りやすいとも思わないし(←コラコラ不遜な)、肩が出てないと、こないだ指摘されたばっかり。(←根にもってる?)
んー、まあ、きょうはとにかく早めに起こした駈歩をしようと思う、とくに右手前に注意してやりたいと思った。
馬場に行って、常歩で5分くらい歩く。最初はうけたら手綱伸ばしてってやってたんだけど、こんどかなり内向けることを意識して、小さい輪乗りでグイグイやってたら、ホセカレーラスが止まっちゃった。
ちょっとグリグリしすぎて怒った? かと言って、ここでやめると負けなので、すこし配慮しつつ、続ける。

んで、軽速歩、手綱伸ばして歩かせる。近くでガンガン音の出る工事をやってるんで、手綱伸ばしたまんまだと、ちょっと不安。
しばらくやったら、短く持って、詰めたり伸ばしたり、また輪乗りでやる。
踏み込ませること目指して、もっとやってたいんだけど、ほかの人が準備運動おわってるんで、こちらも駈歩へ。
輪乗りで駈歩、しばらくしたら、起こすことを意識して、できた気がしたらクビ伸ばしてやる。何度か繰り返し、左右やる。特に気になることも無し。
んぢゃ、広いほうへ行って、駈歩で横木(一本だけ)通過。
グルッと回るとこで強く出してって、横木へ向かうときは、起こしてく。通過してしばらくしたら、一度伸ばしてやってポンポン、もう一度持ったら推進して、また繰り返し。
横木またぎに行くとき、ホントに「起こすぞぉ、起きて行こぉ。もうちょいバランス後ろぉ、待ってぇ待ってぇ」とかしゃべりながら行く。自分に言ってる部分もあるんだけど、ホセカレーラスはちゃんと聞いてるみたい。

そしたら障害。速歩でクロス飛んだら、駈歩で横木三本通過。
速歩で回転してくときに内側から推進、障害向いたらうけとくだけ、クロス飛んだあとはハーフシート、飛ぶことよりもそのあと馬の上で正しい位置にいることのほうが目的。
最後の横木をクロスにして、やがて垂直、オクサーへと変えてく。
なるべく起こすようにして入ってく、最初のクロスの前でいちど握る、飛ぶ瞬間手をラクにしてやって、そのあとは馬の上に乗ってく、最後飛んだあとは前に出しながら速歩に落とす、って真っ直ぐ行かないで曲がっちゃったけど。

最後に、コンビネーション飛んだあと、駈歩で回転して、もうひとつの垂直を飛ぶのを2回やって終わり。
今日のホセカレーラスは、おとなしく飛んだなあ。ただ右手前の駈歩で、高さ80センチくらいになんないと、目に見えるような問題は発生しないのかもしれない。
障害終わったあと、すこしだけアブミあげ速歩。輪乗りしてるんだけど、やっぱ右手前のとき、ちょっとスムーズぢゃない。
得意ぢゃない手前って、歩きのリズムも一定ぢゃない気がする。苦しいからなのか、ときどき急いだりする感じがある。
馬を内に向けたら、なるべく内の手綱はブランとさせちゃって、外の手綱でまわるようにする。でも、やっぱ少しヘンだよ、左右同じ長さに持ってやってんのに、左手前では外で回れるのに、右手前のときは外の左の手綱がゆるむ、やっぱ馬のアタマすこし左向いてる。

そのあと、四騎で森林馬道へ。
もうすぐ乗馬苑が移転しちゃって、ここへ来られなくなるとしたら、ちょっとつまらない。
(新乗馬苑から道路わたってくれば、来られないこともないが。)

20分ちょっとでひとまわりしてきたら、準備万端、下乗りの終わったアールディスタンスが待っていた。
アールディスタンスは、二年前に3歳の身空で乗馬にもらったんだけど、まだ5歳。ふだんの素振りは、見るからに子どもっぽい。こないだも馬房からクビ出しては、扉をパタンパタンして遊んでた。「つまんないことしてケガすんなよ」って言ってやっても、聞いちゃいねえって感じ。
とても私のようなヘタが乗るまではまだまだと思ってたんだけど。担当の先生に1月くらいだったか「秋になったら、乗って障害飛んでもらえるくらいになりますよ」って言われてたんで、こないだ「秋に乗せてくれるって言ったから、私は三月の転勤をしないで残りましたよ」と言ったら、マジでこんど乗せてくれるということになって、本日登場。
ヤだなー、興味本位で無謀なこと言ったばかりに、パツンとハネられて落とされたりしたら、とビクビクものだったのだが、さすがに最初からは乗せてくれないで、準備運動しておとなしく言うこときく状態になったとこで、手綱をわたされる。

乗ったら、速歩でハミうけをさぐり、ちゃんとコンタクトとれて動いてきたとこで駈歩。
プランプランにすると危ないというので、しっかりハミをくっつけてく。
すこし強めに引っ張ってもいいから、ゆずったらかえしてやる。回転のときも同じように、開いてうまく向いたらかえす。
んぢゃ、いよいよ障害。けっこう高い(70センチくらい)んだけど、もっと高いの練習したあとだっていうんで、しょうがない。
最初速歩で、そのあと駈歩で。どっちも同じ、回転のとこで強く推進して、障害向いたら、しっかりシートする。横木またいでたときと同じ、決して仕掛けたりしないで、待って、飛ぶ。
何回かやったけど、逃げたり止まったりせず、きれいに飛んだ。障害に向かったとき、うけたまま座ってくれば、馬はリズムを守ったまま進み、突っ込んだりしないで、障害の近くまで来て高く踏み切る。
止まってもいいから、近くまで来て飛ぶことというんで、踏切あわせるとかできるわけでもないし、馬が伸びないようにだけ気をつけてたんだけど、きれいに持ち上がってきた、とてもよかった。
単発ならいいけど、跳びがでかいんで、コンビネーションに入ると難しいらしい。
でも、秋には私が乗って経路回れるようにしとくって言うんだけど、いやー、そんなお気づかいなさらないでも、いいですよ。

↑これは、ホセカレーラス。
↓お昼に帰るときの桜。

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科学的とはどういう意味か

2012-04-08 20:30:03 | 好きな本
森博嗣 2011年 幻冬舎新書
一読で“好きな本”に分類できるものに出会ったのは久しぶりだ。
きのうからの続きっていうか、似たような部類ともいえると思うんだけど、実はきのうの『「反原発」の不都合な真実』を書店の新書棚で探してるときに、たまたま見つけて、著者名と目次ぱらぱら見て、すごい気になって買ったんだ、これ。
著者は『すべてがFになる』を書いた作家で、工学博士。
で、とにかく、もうすべてがツボにハマりまくりました、私、読んでて。
そうなんだよ、誰かにそういうこと教えてほしかった、言ってほしかった、私も言い方知ってたら言いたかったんだ、って私のかゆい所に手が届きまくりの中味。
ここはいいと思ったとこに付箋貼ってったら、林立状態になってしまった。
なので、気に入った箇所の引用なんて、ここで出来ない、いっぺん全部読んでみてくれ、としか言いようがない。
うーん、それでもどーしても何かしら中味に触れろっていうんなら、ある問題に対して、答えの言葉を教えてもらうか見つけるかして、それを憶えて終わりにするんぢゃなくて、答えを導き出すために筋道たてて考えることのほうが大事でしょ、自分の頭で考えましょう、ってことを説いてると言ったらいいのかなあ。
そのためには、数字が出てきた瞬間に、難しいからわかんないだなんて態度をとっちゃダメ。
>数字をよく認識し、法則性を見出し、そして、自分だけの判断ではなく、他者とコミュニケーションを精確に取り、その中で一つずつみんなで確かめながら、正しい情報を選択するという基本的な仕組み
をもっとみんなに理解してもらいたいってことなんだよね、大事なことは。
で、そーゆーことが問題意識としてこの時期でてきたのは、やっぱ去年の東北の地震とそのあとの社会の状況なんだろう。
科学が好きとか嫌いとかぢゃなくて、非科学的な状態から人々を救出しなきゃって思うくらい、日本がひどいから。
簡単な例をあげると、「堤防があるから津波がきても大丈夫」って誰かに言われた言葉を信じるだけぢゃなくて、「この堤防で防げるのは高さ5メートルの津波まで」って認識をもつ、ものごとの理屈を理解して、どの範囲で安全が成り立つのか自分で知ることが大事だとかね。
で、やっぱ、現在の日本でおかしいのは、まずマスコミの態度なんだよね。たとえば
>水道管が破裂した事故を報道するTVでは、何リットルの水が流出した、という数字を伝えればわかるところを、周囲の人たちにインタビューをして、どれくらい凄かったのか、ということを語らせようとする。そういう「人々の印象」を伝えることが「正しい情報」だと考えているようにさえ思える。
って指摘してる。
災害現場からのレポートでは、レポーターがどう感じたか主観を一所懸命ガナるけど、客観的に把握できる情報を伝えない。
でも、それって、受け手の側がそーゆーの求めてるってのもある。正しい情報より、誰かの感想とか物語性を欲しがっているから、送り手もそういうもの作る。
で、そうやって感想ばかり欲しがるのは何でかっていうと、「自分では考えたくないからだ」ってことなんだろう。
TV番組に科学者が呼ばれた場合でも、司会者は解説を求めるけど、内容をろくに聞かないで、とにかく最後に「先生は、この事態についてどう思われますか?」って尋ねたがる。
専門的な見地からデータを示し、その説明をするのが科学者の役目なんだけど、個人的な感想しかメディアは求めてない。
著者は、
>もし僕がこの「どう思われますか?」という質問を受けたら、たぶんこう答えるだろう。「私がどう思っても、現実は変わりません」と
って書いてる。とても正しい。
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「反原発」の不都合な真実

2012-04-07 20:29:35 | 読んだ本
藤沢数希 2012年2月 新潮新書
きのうの森達也氏の書くものに影響されたこともあると思うんだけど、とかく日本のマスコミの姿勢、なんつーか一言でいっちゃうと無自覚な姿勢には、私はここ何年かうんざりしている。
冷静な分析なんてもはや期待してないけど、それ以前に、なにかを伝えることより、騒ぐことのほうが目的ぢゃないかなって思ってしまうこともある。
しょーがないよね、ショーアップするのが商売だから。
「説明が足りない」とか「わかりにくい」とかいう言葉を発するひとを見てると、どー見ても、ひとの話を聴こうとか理解しようとかしてるよーには見えないんだよね。
だいたいさー、たとえば一家族の家計の中味だってヨソから見たら分かんないのに、天下国家のことが、ろくに勉強もしやしないで、簡単に分かるわけないぢゃない。
ま、そんなことは、いいとして。
ちょっと話題になってるってことで、この本を読んでみました。
ちなみに“不都合な真実”って言葉の元ネタ(?)は、ゴア元副大統領の環境問題に関する映画ってのは知ってるんだけど、それは観たことない。
んで、この本は、2011年3月の福島第一原発の事故以降の、マスコミの流す情報は的外れ、反原発運動は不毛、ということで、エネルギー政策については、感情論ぢゃなくて、科学的に考えましょうよ、って問題意識で書かれてます。
で、なにが“真実”かっていうと。
たとえば、同じ量の電気エネルギーを生み出すのに、どれだけ死者が出るかっていうと、原子力発電のほうが、石炭や石油より1000倍程度安全だとか。
(これは推定方法によって幅があるけど、いくつかの研究発表の要約を並べてある。)
化石燃料による火力発電は大気汚染を生みだす、世界では大気汚染で毎年ざっと100万人が死ぬんだけど、火力発電が原因なのは、その3割の30万人くらいいる。
それから放射線のリスクって、どのくらいか冷静に考えたことあるのかって指摘。
実際、福島第一原発の事故で、死者も急性放射線障害になった人もひとりも出てない。
200ミリ・シーベルト以上の被曝では、1シーベルト当たり5%ほどガンで死亡する可能性が上がることはわかっているが、100ミリ・シーベルト以下の被曝ではガンのリスクが上昇する証拠はみつかっていない。
仮に同じ割合が当てはまるとしたとき、100ミリ・シーベルトの放射線を浴びると、ガンで死亡する可能性は0.5%アップするんだけど、もともと日本人の3分の1がガンで死ぬんだから、ガンで死ぬ確率が33.3%から33.8%になるけど、それが健康被害って言えるのかどうなのか。
自然エネルギーとか言って、風力や太陽光発電を目指すにしたって、そんなものは相当広大な土地がなきゃできないし、政府からの補助金でもなきゃ取り組む企業はないくらい過剰な設備投資が必要。
原発を全廃して、同じだけ電気つくろうと思ったら、日本が購入する化石燃料費は4兆円程度増加する。
耐用年数に達していない原発を止めるのは丸損、原発を再稼働しない状況は、ローンで買った自宅を空家にして、家賃を払ってマンションに住んでいるようなもの。
まあ、そういったこといろいろあるんだけど、リスクに関するメディアの姿勢について指摘してるとこが、私には面白い。引用しちゃうと、以下のようなとこ。
僕の観察によると、年間の死亡者数がゼロから数十人の死因はメディアで大変センセーショナルに報道されます。数十人から数百人になると、それは社会問題になります。そして数千人から数万人以上が死亡すると、それは珍しくもなんともなくなり誰も話題にしなくなります。メディアの報道にとっての価値あるリスクと、実際の僕たちの生活における本当の差し迫ったリスクは、全くちがうものとして我々は日々生活していかないといけないのでしょう。
まあ、メディアのよくやる“自粛”とかって、津波とかの場面のある作品はすぐ自粛しちゃったりするんだけど、年間五千人くらい死者が出てる交通事故なんかをドラマんなかのシーンに入れちゃうこととかについては、なんとも思ってなかったりするもんなんで。
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下山事件(シモヤマ・ケース)

2012-04-05 20:39:59 | 読んだ本
森達也 平成18年 新潮文庫版
書店で、ふと見かけたんで、買って読んでみた、森達也氏の著書。
「放送禁止歌」に触れて以来、著者の書くものはおもしろいんで、ぼちぼち読んでる。
下山事件ってのは、名前だけは聞いたことあるけど、よくは知らなかった。
1949(昭和24)年7月5日、初代国鉄総裁である下山定則が、常磐線五反野(東京都足立区)ガード下の線路上で轢死体で発見された事件である。
でも、5日午前に日本橋三越に入って消息を絶って、6日未明に死体で見つかった、なんてことは本書読むまで知らなかった。
自殺なのか、殺されてから線路上に置かれたのか、ってのが見解の分かれるミステリーなんだけど、オフィシャルは自殺説で、調べると、どーもそーぢゃないらしいってことになる。
著者は、1994年に、“祖父があの事件の関係者だ”という人物と出会ったことから、この事件に関わりをもつようになる。
で、いろいろ取材して、週刊誌で発表(これについては未消化の部分もあるんだが)したのが1999年。
深入りすればするほど、わけわかんなくなる事件だってのは、著者の歩みをたどってっけばわかる。
どーも、はっきりしないけど、真相は、戦後このままぢゃ共産主義とかが強くなっちゃうかもしれない日本において、鉄道=労働組合が強い国鉄を舞台にした、わけわかんない・テロみたいな事件が起きて、どうやらウラには共産党がいるって構図が見えれば、日本国民はみんな共産主義を敬遠するだろう、そのほうがいい、って考えた占領軍=GHQの意図を、汲んだ者たちのしわざってことになるようで。
ドイツや朝鮮みたいに国を分断されるより、そのほーがいーんぢゃないの、ってのの犠牲者が国鉄総裁?ってことなんだけど。
まあ、真相は分かんないから、いいや。
そーゆー、仕組まれたものに、ノッちゃう日本人について、書かれてる本書の一部を引用しとくね。
資本主義経済におけるメディアは、市場原理からは絶対に逃れられない。当り前だ。なぜなら新聞も雑誌もテレビも営利企業なのだ。その営利を意味する視聴率や部数を追うメディアの属性を、商業主義として否定する気は僕にはない。ただ、日本という国は、共同体への帰属意識が生来的に強過ぎるため、一方向への傾斜が全体の暴走に加速する傾向は、確かに突出していると感じている。だからこそメディアの果たす役割と責任は大きい。その自覚や葛藤をメディアが失ったとき、民意のスタンピード現象が起き、国家という共同体の暴走がいつのまにか始まっている。スタンピードを起こした牛の群れに、きっかけは最早わからない。ただ突進するだけだ。川に落ちるか崖にぶつかるまで。過去もそして現在も、日本はこのメカニズムをくりかえしている。
でも、言葉の定義や印象が変わったとしても、事件をきっかけに世論が大きく一方向に動き、その流れを利する組織や人間たちが現れるというこの構造は、たぶん今も昔も変わらない。国際連盟を脱退して第二次世界大戦い枢軸国として参戦する過程にも、鎖国を解いた日本が帝国主義へと大きく軌道を修正する背景にも、この構造は重複する。地下鉄サリン事件を契機に国旗国歌法や有事法制が具体的に決められ、北朝鮮の拉致問題が大きくクローズアップされると同時に国交正常化が棚上げにされて最悪の日朝関係に閉塞したように、日本という国は常に、事件が起き、世相が沸騰し、行政やメディアがこれに便乗や従属をするというダイナミズムをくりかえしてきた。
こーゆー言説、日本って(子どもみたいで)しょーもねーなー、みんな自分のアタマで考えよーぜ、ってとこを指摘してくれるのが心地いいってのが、私が著者の本を読む理由である。
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ベスト・オブ・スター・ウォーズ

2012-04-04 20:33:52 | CD・DVD・ビデオ
ジョン・ウィリアムズ指揮 スカイウォーカー・シンフォニー・オーケストラ 1997年SONY RECORDS版
(オリジナルは1990年なのかな?)きのうのつづき。ジョン・ウィリアムズつながり、っつーか。
スター・ウォーズの映画音楽のCD。原題は「STAR WARS TRILOGY」で、「スター・ウォーズ」「帝国の逆襲」「ジェダイの復讐」の、いわゆる旧三部作の音楽を集めてある。
「スター・ウォーズのテーマ」はいつ聴いても高揚すること間違いないんだが、「帝国のマーチ」もいつだってゾクゾクする、サイコー。
この二つがいつでもどこでも聴きたくて、CD買ったようなもんだね。(いつ買ったか忘れたけど。旧三部作の特別編が取りざたされたころだと思う。)
1 STAR WARS-MAIN THEME スター・ウォーズのテーマ
2 PRINCESS LEIA 王女レイアのテーマ
3 THE LITTLE PEOPLE リトル・ピープル
4 THE IMPERIAL MARCH 帝国のマーチ
5 YODA'S THEME ヨーダのテーマ
6 PARADE OF THE EWORKS イウォーク族のパレード
7 THE ASTEROID FIELD 小惑星の原野
8 LUKE AND LEIA ルークとレイア
9 THE CANTINA BAND 酒場のバンド
10 HERE THEY COME! ヒア・ゼイ・カム
11 JABBA THE HUTT ジャバ・ザ・ハットのテーマ
12 THE FOREST BATTLE 森林での闘い
13 THRONE ROOM AND FINALE 王座の間とフィナーレ


…最近、本について書いてないような気がする。
決して蔵書が底をついたわけぢゃなく、逆に次から次へと本を買って、ちょっと整理するのに収集がつかないからであって。
いつまでも映画とか音楽でお茶を濁してちゃいかんよね。
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