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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

下山事件(シモヤマ・ケース)

2012-04-05 20:39:59 | 読んだ本
森達也 平成18年 新潮文庫版
書店で、ふと見かけたんで、買って読んでみた、森達也氏の著書。
「放送禁止歌」に触れて以来、著者の書くものはおもしろいんで、ぼちぼち読んでる。
下山事件ってのは、名前だけは聞いたことあるけど、よくは知らなかった。
1949(昭和24)年7月5日、初代国鉄総裁である下山定則が、常磐線五反野(東京都足立区)ガード下の線路上で轢死体で発見された事件である。
でも、5日午前に日本橋三越に入って消息を絶って、6日未明に死体で見つかった、なんてことは本書読むまで知らなかった。
自殺なのか、殺されてから線路上に置かれたのか、ってのが見解の分かれるミステリーなんだけど、オフィシャルは自殺説で、調べると、どーもそーぢゃないらしいってことになる。
著者は、1994年に、“祖父があの事件の関係者だ”という人物と出会ったことから、この事件に関わりをもつようになる。
で、いろいろ取材して、週刊誌で発表(これについては未消化の部分もあるんだが)したのが1999年。
深入りすればするほど、わけわかんなくなる事件だってのは、著者の歩みをたどってっけばわかる。
どーも、はっきりしないけど、真相は、戦後このままぢゃ共産主義とかが強くなっちゃうかもしれない日本において、鉄道=労働組合が強い国鉄を舞台にした、わけわかんない・テロみたいな事件が起きて、どうやらウラには共産党がいるって構図が見えれば、日本国民はみんな共産主義を敬遠するだろう、そのほうがいい、って考えた占領軍=GHQの意図を、汲んだ者たちのしわざってことになるようで。
ドイツや朝鮮みたいに国を分断されるより、そのほーがいーんぢゃないの、ってのの犠牲者が国鉄総裁?ってことなんだけど。
まあ、真相は分かんないから、いいや。
そーゆー、仕組まれたものに、ノッちゃう日本人について、書かれてる本書の一部を引用しとくね。
資本主義経済におけるメディアは、市場原理からは絶対に逃れられない。当り前だ。なぜなら新聞も雑誌もテレビも営利企業なのだ。その営利を意味する視聴率や部数を追うメディアの属性を、商業主義として否定する気は僕にはない。ただ、日本という国は、共同体への帰属意識が生来的に強過ぎるため、一方向への傾斜が全体の暴走に加速する傾向は、確かに突出していると感じている。だからこそメディアの果たす役割と責任は大きい。その自覚や葛藤をメディアが失ったとき、民意のスタンピード現象が起き、国家という共同体の暴走がいつのまにか始まっている。スタンピードを起こした牛の群れに、きっかけは最早わからない。ただ突進するだけだ。川に落ちるか崖にぶつかるまで。過去もそして現在も、日本はこのメカニズムをくりかえしている。
でも、言葉の定義や印象が変わったとしても、事件をきっかけに世論が大きく一方向に動き、その流れを利する組織や人間たちが現れるというこの構造は、たぶん今も昔も変わらない。国際連盟を脱退して第二次世界大戦い枢軸国として参戦する過程にも、鎖国を解いた日本が帝国主義へと大きく軌道を修正する背景にも、この構造は重複する。地下鉄サリン事件を契機に国旗国歌法や有事法制が具体的に決められ、北朝鮮の拉致問題が大きくクローズアップされると同時に国交正常化が棚上げにされて最悪の日朝関係に閉塞したように、日本という国は常に、事件が起き、世相が沸騰し、行政やメディアがこれに便乗や従属をするというダイナミズムをくりかえしてきた。
こーゆー言説、日本って(子どもみたいで)しょーもねーなー、みんな自分のアタマで考えよーぜ、ってとこを指摘してくれるのが心地いいってのが、私が著者の本を読む理由である。
コメント
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