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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

子どもを救え!

2013-10-23 20:57:51 | 読んだ本
島田雅彦 2004年 集英社文庫版
新作発表されたら必ず読むってほどぢゃないんだけど、おもしろいから好きなんだよね、島田雅彦。
んで、おもしろいから何度も何度も読み返す、ってタイプでもないんだよね。
で、ひさしぶりに読み返してみた、これ。文庫の初版だから、出たときに興味もったんだろうけど、単行本が出たからってすぐ買って読もうってほど興味あるわけぢゃないんだよね。
それはとにかく、読めばおもしろい。やめられない止まらないで、ズンズン読んぢゃう。
郊外に住む小説家が主人公。浮気がすぎて、奥さんに愛想つかされる苦悩の日々なんだが、近所に住む同じような家族構成の医者の一家では母子殺人事件が起きたりする。
時代は1995年ころ、主人公が35歳になる年に、日本では震災や地下鉄サリン事件が起きるような状況。
>この国は何か不吉なことが起きると、とたんに冗談やユーモアが通じにくくなり、警察が元気になり、パンクやホームレスやアーティストの肩身が狭くなる
と主人公が嘆く世相だあね。
殺人事件の真相とか、主人公のとる行動とかは、ネタばらしてもしょうがないんで、ここで言及しないけど、
>でも、こういう自由にはあまり馴れていないので、途方に暮れている。自由の刑ってやつだな。
ってフレーズは、そういえば、そんなタイトルの小説が著者には同じころにあったな、なんて思う。
自由は必ずしも歓迎することぢゃなくて、見ようによっては刑罰みたいなもんだってね、束縛されてたほうが人間ラクだったりするから。
どうでもいいけど、頻繁に読み返したりしないから憶えてない証拠に、本書の主人公の千鳥姫彦って名前、著者の初期の作品「優しいサヨクのための嬉遊曲」の主人公と同じだって、巻末の解説みるまで気づかなかった。デビュー作の後日談?
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私が二郎を食ってたころ

2013-10-22 21:20:32 | Weblog
本の話ぢゃなくて、ただのむかしばなし。
こないだのラーメン二郎の本を読んだののつづきというか、私が食ってたころはどんなだったかということ、思い出してちょっと書きとめておきたくなっただけなんだが。
私が二郎を食ってたのは、21,2歳のころなんで、もうずいぶん前。
そのころは、週に一度は食ってたな。ときによっては週に二回ってこともあった。
その後は、平成10年か11年ころに一度食ったっきり。そのときは、食ったことのないひとが行きたいってんで、一緒に行っただけ。
ときどき、ああ二郎をもういちど食ってみたいなぁ、って思うときもあるけど、ちゃんと食う自信がない。まあ朝飯ぬいてムリすりゃ食えるとは思うけど。
あんなにちょくちょく行ってたし、食うの大好きだったのに、私がその後二郎に行ってないのは、(1)もともと私は食いものにこだわりがない(2)二郎が好きだったとはいうものの私は基本的にそれほどラーメンに執着がない(3)わざわざ出かけてくのがめんどくさい(ウチの近くにあったら行くかもしれないけど。これは二郎に限らず食べ物屋さん全般に対して私はそう)(4)場違いなオッサンが並んでるのは主客である学生にとってジャマな気がする などなどといった理由が順不同であるからである。
学生が主っていうけど、私が行ったことあるのは三田の二郎、いわゆる本店だけだからね、ほかの店がどうかなんかは知らない。就職して何年かあとになって後輩が「最近は虎ノ門とか新宿にも二郎の支店があるんですよ」って教えてくれたけど、ふーんって感じで聞いてて興味はもてなかったしね、私は。
で、私が行ってた当時の二郎は、いまの場所(その後一度だけ行ったとき学校の門の横のほうにあって驚いた)ぢゃなくて、三田の国道1号が曲がってる角ッコにあった。
営業時間は、10時半かそのくらいから2時半かそんくらいまでだったと思う。終わるのは麺がなくなるときね。まだ行列があっても、シャッターが半分降りてたら、それは麺が無いからもう並ぶなってサインだったと思う。
始まりが何時だったかはあんまり意識してないなあ。一度だけ開店前から並んで(いわゆるシャッター)最初に食ったことあるけど、だいたい私のパターンとしては、ふつうの昼メシに行くんぢゃなかったからなあ。
10時半から12時過ぎまでの用事が終わって、それから行くんならふつうの昼メシだけど、私のよくあるパターンは、13時から用事のあるときに、11時くらいに三田に着くように出かけてって、一時間並んで、ようやく食い終ったら12時過ぎ、さあ13時からも頑張るかあって感じだったと思う。
それでだ、一時間並ぶ列は2列。インとかアウトとか呼んでた気もするけど、店の奥っ側の席(たしか9席)に坐るべく並ぶのと、手前っ側(たしか5席だと思ったんだけど)に坐る列のふたつ。世の中に“フォーク並び”なんてものが無かったころのはなしだ、どっちが今何人だからどっち並ぼってのは、まったくそれぞれの勘にしたがってのもの、いつも私はほとんど奥に入る列に参加してたような。いつもだいたい1時間かかったけど、それは覚悟のうえなんで、べつに不満はなかった(文庫本とか必須)。
さて、並んだ末に着席したら、当時の注文方法は、食券なんか無かった。(後に久しぶりに行ったとき食券システムになってて私は驚いた。)
席についても、勝手なことは言わず、待ってなきゃいけない。そして、次の組(5人ぶんをいちどにつくる)の麺を茹で鍋に投入する段になって、オヤジさんが、客の顔みて「小(しょう)!?」って訊く。
そしたら言われた人は「しょう!」って答える。次の客に向かってオヤジさんが「しょう!?」って言ったら、また答える。
これは、麺の量を訊いてるんで、多いのが欲しいひとは「大!」って言わなきゃいけない。
たとえば3人目が「大」を希望したりすると、四人目に向かってのオヤジさんのフリは「小、小、大!?」ってくるんで、自分が小が欲しければ「小!」って言わなきゃなんない。
そうすっと、五人目まで聞き終った結果、「小、小、大、小、小。わかりましたー」みたいに、オヤジさんは言ったりする。(自分が淀みなく参加できたという前提で)このリズムはなんともいえないよね。
麺が茹で上がるまでのしばしの時間は、なんともいえない間であって、食欲がいよいよ増す。オヤジさんも、基本は鉢ならべてスープだれ入れたりして忙しいんだけど、肉切ったり野菜の面倒みたりして片時も手あかないときもある一方、常連と会話かわす余裕があるときもあったりする。
で、いよいよ麺が茹であがろうとすると、いざ麺が盛られんとする鉢(小と大でおおきさというか形状が違う)を前に、オヤジさんは麺を引き上げて湯を切りながら訊く、「なにー?」って。
このとき、目を合わしてくれればいいんだけど、仮に目を合わせずに「はい、奥からー?」とか言われても、一人目のあと「小のなにー?」っとか訊かれても、あわてずすかさず答えなきゃいけない。
ここで問われてんのは、豚(煮豚?)の量とその他のトッピング的なものである。豚は黙っててもドンって一塊乗っけられちゃうんで、さらにいくか(ダブル)そのまま受け入れるか(小だったら「コブタ」)のチョイスである。
私がいつも頼んでたのは、最初は「小ダブル野菜」だったんだけど、「野菜」のオーダーの扱いはけっこう適当で、言わなくてもオヤジさんの動きの流れでヒョイって乗っけられちゃったりするんで、その後は「小ダブルカラメ」がふつうになった。
カラメってのは、スープのしょう油ダレみたいのをもう一匙加えてくれることね。とにかくアブラが多くてキツイんで、後半戦に飽きてくるというか食うのがキツくなってくる危険があるので、カラメにしとけば最後まで食い始めたときの風味を保てるって感じがあったから、そうするようになったんだけどね。(カラメの上は、カラカラ。)
ニンニクは、気分しだいで入れてたけど、なくてもよかったな、私は。ナマのニンニク、最後まで残ってスープに浮いてたりすると、辛いんだもん。でも、大ダブルのときは入れてたような気がする。
ラーメンが出てきたら、とにかく食う。(当時は食いものの写真撮ってるようなやつはいなかったね。)勢いで食わないと食えない。
私はわりとラーメンとか食うの速いほうだと思うんだけど、一度、二郎を食ったことのないやつを連れてったことがあるんだが、そいつが私より速く食い終ったのには驚いた。そいつが言うには「ひとは○分(何分だっけ?忘れた)以内だったら満腹中枢がいっぱいになることないから(胃から脳まで情報が届くのにタイムラグがある)、どんなに多いものでも食える」ってことだったんだけど、私も実体験としてまあ同意はするよ。
最初っから意識したわけぢゃないけど、通ううちに私は、自分のぶんが出されたら、次のお客が座る前に食い終えて席を立つ、ってのがひとつの基準としてもつようになった。そうしないと回転しないもんね。冷静に考えれば、そこまで急ぐ必要はないんだけど、まあ気持ちの問題だ。
そのくらいのスピードで食わないと、ほんと油がだんだんキツくなってきて、食えなくなるだけだもんね。(小ダブルとか頼んで、麺だけ食べ進んで、終わったかと思った最後のほうに、スープのなかにひそんでたブタの塊を発見したときゃあ、ほんと大変!)
で、食い終ったら、自分でドンブリをカウンターの上にあげて、おカネ払う。当時は、小ダブルで370円だった。大ダブルがいくらだったかは、たまにしか食わないから忘れた、400円か420円かそのくらい。
「ごちそーさまー」って、スープまで余さず飲んでドンブリかえすと、私の友達は「オヤジさん、すげえ嬉しそうだった」とか言うんだけど、私の見たところでは、ドンブリが空であろうがなかろうが、分け隔てなくオヤジさんは「ありがとー」って言ってくれてたと思いますけどね。
で、当時は、カウンターの上に、小銭が散乱してて、ちょうど払うときは「370円、ちょうど置いてきまーす」とか、百円玉4枚置いてくときも「おつりもらってきまーす」って言って10円玉3枚持ってきゃいい世界でした。まちがって千円札しかなかったときには、忙しい合間をぬって、おばさんがコインの濡れた水っ気をタオルでとりながら、おつりかえしてくれたりしました。
そう、私が通ってたときは、オヤジさんとおばさん(暗黙に奥さんなんだろなと皆思ってた)の二人でやってたんだよね。そのあとしばらくして、おばさんの顔が見えなくなって学生みたいな若い衆が手伝ってたときもあったけど。
んで、そのへん、私より10くらい年上の、私の先生に言わせると、「むかしはもっとうまかった、オヤジさん一人でやってて、ドンブリ洗ってなかったからね」(下げたドンブリは重ねて上から水道を細く出して流してただけ)ってことらしいんだけど、そう言われちゃうと負けた気になる。


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3週ぶりの乗馬で、5か月ぶりの馬にまたがり、まさかの3か月ぶりの障害まで

2013-10-21 18:56:30 | 馬が好き
3週間ぶりに乗馬に行く。
乗馬は休んぢゃってたんだけど、べつに遊んでるわけぢゃなくて、先週月曜日なんかは、これまた馬関係で他んとこに出かけてったりしてたんだけどね。

先々週なんかは、古巣・札幌からの便りがきて、札幌競馬場の誘導馬のシルバーデュークが国体に出ると聞いた。

それなら見に行こうかとも(っていうか古巣からの便りは「見に行って動画撮って送れ」って命令かと?)思ったんだけど、会場は遠そうだし、いろいろ用もあって行かなかった。(はっきり言って、馬術競技に興味あるっていっても、知ってる人馬が出るくらいぢゃなきゃ、見る気ないレベルです、私…。)
それはそうと、現役誘導馬の国体参加って、偉いよ。

(↑これは2008年誘導デビューのときなんで、初心者マークをつけてる。)
なかなかいないっしょ? みんな競技用馬をつくって試合に専念してるのが多いなかで、元競走馬の現役誘導馬が国体出るなんて。
(でも、今年は競馬開催ないから誘導馬業務してるわけぢゃないんだけどさ。来年以降は、やるんだろうね、誘導?)
まあ、彼は私がいた当時から英才教育されてたんで(?)、私は乗ったことないから、それほどの愛着はないんだけど。
閑話休題。
さてさて、今日は、ピアノマンの二番手。

ピアノマンに乗るのは、すごいひさしぶり。6月の「理事長杯」前に乗ったっきりだろ、そのあと記憶ない。
乗り替わるとき、馬が横目で「こんどのやつは重そうだな」ってジロッと見てる気がする。
なぜか今日の覆馬場のどまんなかには馬場馬術用の柵があるので、私は端っこの準備馬場として設けられたと思わしき一角のなかに入って乗る。
ひさしぶりだし、なんもめんどくさいことやる気がしない。たしかピアノマンに最初に乗ったときは、素手で乗って引っ張り合いになって指の皮がむけたような記憶がある。そういう展開にはもってかない。
先立っての部班で、だいぶいろいろ運動してくれたせいで、とても乗りやすい。
馬、完全に仕事モード、反応がいい。こういうときに口をグジャグジャいじるのはよくないので、過度な要求をしないでそのまま適当に乗ってる。とても楽しい。
「障害やりますか」って言われたんで、厭とも言えず、ぢゃあ少しだけなら。こんだけ前に出てるし反応いいんなら大丈夫でしょ、ピアノマン。

でも、場内は馬場柵だけで、障害無いなあと思ってると、「あそこに低いの1つだけあるから、あれを軽くやりましょう」という。ああ、たしかに馬場の長辺に並べて一つだけ垂直がある。でも、あれ低くないよ、目測90センチくらいか、当社比としては高いんですけど。
「大きくまわって駈歩して」と言われて、すこしエンジンかけて走らせてると、さすがに障害の高さを下げ始めてくれる、よかった、どうなることかと思った。
「アブミに立って、もっと乗っていって」 そう、私が馬を走らせようと思うと、なんか馬の背中をグイグイ押してばかりなんだよね、ツーポイントで馬との重心の一致する場所探る。
ほんと、私の障害って、軽やかさみたいなものが何もないんだよな、フワッと入っていって普通に飛べばいいのに、止まられるのヤだからグイグイぶつけていくような向かっていきかたをする。
「はい、そのまま、これ飛んで」って言われたらしょうがないけど、垂直、60センチくらいだよ、いきなりっすか。
私個人の常識としては、(まず横木通過して馬の飛節を動かすウォーミングアップをして、と言いつつ人の心の準備なんだけど、横木は)はじめに速歩でクロス飛んで、それ高さ上げて、垂直に変えて、しかるのち高さまた下げて、ようやく駈歩での飛越を始めるもんなんだけど。
しょうがないから飛ぶさ。ピアノマン優秀だから、いきなりでもちゃんと飛ぶけど、まだちょっとベースが弱いかな。大きくまわってるあいだ、障害のない向正面でドンドンと推進する。回転して障害向いたらジタバタしない。
数えきれない先飛びバッタリの失敗に対する恐れから、私は入っていくときに必要以上に頭を後ろにしているような気がする、なんかヘン。遅れないように、踏み切ったら思い切って手を前に出す。
それはいいけど、アブミをちゃんと踏めてないから、すぐ深く入って、指摘されちゃう。そーなんだよね、ふつうアブミに正しく立って飛ぶのに、私は足が入り込んぢゃったまま適当に飛んぢゃう、しかもフラットワークから短くしてないし。乗ってる私も怖いけど、見てても怖いと思うよ。アブミが踏めてないのはカカトが下がってないから、カカトが下がってないのは多分ヒザで締めつけてそこで乗ってるから。障害飛ぶレベルぢゃあ、無い。
2回も飛んだら、すぐ10センチくらい上げられちゃう。それでも馬は迷いなく飛んでいく。
ああ、さっきフラットワークんとき、真っ直ぐの駈歩をやっといて、よかった。私は独りで好きに乗ってるときも、ときどき真っ直ぐな駈歩を試みる。
これまで教わってきた駈歩って、まずたいがいは輪乗りで行うものである。だから、馬のカラダはどっちかに弧を描いてるし、ヘタに乗ってると人も一緒に左右どっちかに傾いてたりする。
でも、障害向かうときは真っ直ぐな駈歩しなきゃいけない、回転して、輪乗りのつづきのような姿勢で向かってって、何度も失敗した、左右に傾いてることに違和感なかったんだからバカな話だ。
で、ときどき、べつに障害やるつもりなんかないんだけど、真っ直ぐな駈歩の感覚がほしくて一人こそっと練習のなかに入れる。きょうも小さな区画のなかで、蹄跡から中央線に入って、そこで真っ直ぐな駈歩をしてみた。馬の後部から背中を左右均等に伝わっていく力をハミでまっすぐうけとめるイメージ、あくまでイメージ、できてるか知らない。
飛ぶたび、楽しくて、飛んだあと馬のクビたたいてホメてたんだけど、そこでちゃんと出すようにって指摘されたんで、障害は一周に1コしか飛ばないんだけど、連続した経路とかのつもりになって、飛越したあと脚入れて起こして受けるようなイメージで流さないで前進気勢を保つ。
さて、最後やっぱ高さは90センチくらい(たぶん90くらいあったと思う、ひさしぶりだから80でも私がすごく高く感じてた可能性も大)にされちゃって、かなり気合入れた助走が必要になってくる。しかし、馬はやる気いっぱいなんで、何の問題もない。最初のころ止まったらどーしよとか思ってたんだけど、最後は飛ぶよこれ絶対、って感じになってきた。
うーん、前にピアノマン乗ったときに、ろくに前に出てもいないのにヘンに口をいじろうとしてバトルになったんだろうけど、このくらい出てれば自然とうけてるようなイイ感じで障害に向かってく。そうかあ、これかあ、この馬乗るときの感覚って、って思うんだけど、フラットワークで、この日の助走くらいの勢いでやってたら、ただの暴走野郎としか見られないよね、きっと。

↑ピアノマンがリンゴ食べないんで、となりの馬にやってみたら、こっちは大好きらしく、そりゃ大騒ぎになっちゃった。
どうでもいいけど、いきなりいろいろやったもんだから、帰ってきたら腰が痛くなってた。
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人生で大切なことはラーメン二郎に学んだ

2013-10-17 20:46:32 | 読んだ本
村上純 2013年9月 光文社新書
つい最近、書店で積んであったのを見て、手にとった本。
こういう、自分がとても好きなものについて他人が語ってる本、は(一般的にいっても多分)読んでも幸せにはなれないだろうなってことは容易に想像できたんだけど、表紙の写真にやられた。
(いま気づいたけど、ふつうの表紙カバーの上にさらに重ねてかけてあるのね、このカバー。)
で、まあ、読んでみたけど、やっぱり「ふーん、だから何?」くらいしか思うところはなかった。
もちろん私の知らないこともいっぱいあったけど(だって私なんか、もう10年以上、二郎食ってないし。だからいっしょけんめ本書いたひとを批判する気も資格もないけど)、実際に二郎食うことに比べたら、それがどうしたとしか言いようがない。
二郎の魅力とか、歴史とか、食べ方とか、支店(私がよく食ってたころは無かったし、その後も行ったことはないけど)の特徴とか、いろいろ書いてますが、ひとは、っていうか「私には」だな、それぞれの二郎に対する思いがあるんで、べつにいいです、あらためて言われなくても、って感じ。
ちなみに著者は、よしもとのお笑いタレントらしいんですが、そのテのテレビをほとんど見ない私は知りません。
この本を読んだ直後くらいに、ネットで「勝手に本をだして、二郎の“おやっさん”が怒ってる」ってのを見たような気がしますが、だいじょうぶだったかな。
まあ、怒っても、争って、出版禁止を求めるとか、そういう展開になりそうな気はしないけど。
第一章 二郎は食べ物ではない、哲学である
第二章 二郎の系図
第三章 二郎のお作法
第四章 小宇宙(ドンブリ)を構成する要素
第五章 二郎めぐりで小旅行
第六章 もっと二郎を楽しむために
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クマのプー太郎

2013-10-15 20:57:09 | マンガ
中川いさみ 第1巻1991年・第2巻1992年 小学館(スピリッツクマコミックス?)
えーと、うちにあるのは2冊だけなんだが、続刊があるはずだとは思うけど、その後は知らない。
「スピリッツ」に連載してたとおもう、4コマ。
私がわりと頻繁にスピリッツ読んでたころの話だがね。
(冷静に年をみると、もう20年も前のことかと気づかされるのが、おそろしい。)
スピリッツの4コマといえば、巻末の「コージ苑」、そのあとを継いだ「伝染るんです。」が有名だけど、私はこれもけっこう好きだった。
なんか普通ぢゃないというか、意味わかんないとこあるんだけど、ときどきツボにハマるのがあって、あれもう一回見たいななんて気持ちから、ついつい単行本まで買っちゃったくらいだから。
たとえば、ねえ。
(1)ノーベル賞いかがですかー! ノーベル賞いかがですかー!(駅弁売りのような少年)
(2)ほっほっほ…こりゃいいや、ひとつおくれ!(車窓から買い求めるクマ) おじさん。(少年)
(3)これは、それなりの偉業をなしとげた人にだけ与えられる賞なんだ。なんでもお金で買えると思ったら大まちがいだよ。(キラキラした目で正面を向いて少年)
(4)ノーベル賞いかがですかー!(立ち去る少年) いかがですかじゃねー、このガキ!(怒るクマ)
とかね。
(1)朝、目がさめると、火だるまだった。(布団のなかで火だるまなクマ)
(2)こーゆーときは、あわてちゃいかんな。落ち着いてどーするか考えよー。(座布団に座り、お茶を前にしてのクマ)
(3)あ、そーだ!天ぷら油に火がついたとき、マヨネーズを容器ごと入れて消すって聞いたな。(ポンと手を鳴らしてクマ)
(4)あれ、なんでサラダなんか食ってんだ、オレ?(燃えながらサラダにマヨネーズかけて食うクマ)いかんいかん!動転してるなー、はっはっはっ!
とか。
(1)お客様にご連絡いたします。ただ今人身事故のため、(駅のホームに人が大勢並んでる)
(2)電車の先頭がひどい状態になっております。心臓の悪い方は見ないようにお願いします。(同上)
(3)(並んでる乗客たち、ざわざわざわとする)
(4)まもなく電車が到着いたします!(乗客たち、わー、キャー、と逃げる)
とか。
まあ、そういうのが、私の好みなんだが。そんなこと言ってもわからんわな。べつにいいんだけど。
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