春日武彦・穂村弘 平成26年 新潮文庫版
つい最近読んだ本。
でも買ったのは、去年の10月だ、3か月も何してたんだろう、俺。
私の好きな歌人、穂村弘の名前を見つけたんで、思わず手にとった。
対談集なんだけど、もうひとりの春日武彦さんというのは存じ上げてなかった。
小説も書くらしいが、産婦人科医から精神科医になって、いまも現役のお医者さんらしい。
ところが、この方が、穂村弘さんと似た性質らしく、自身まえがきで述べていることには、
>(略)どちらも一人っ子で、子どもはいない。しっかり者で仕事を持った妻がいるけれど、世間をソツなく生きていくにはいまひとつ不器用で、地に足が着いておらず、常に自分の生きている世界に対して違和感や居心地の悪さを覚えていて、それを克服するためには言葉を以て世界を分節し直すしかないと切実に思っている―(略)
というスゴイ共通点がある。
生きている世界に対しての違和感っていうのは、よくみんなは普通にそんなことができるんだ?みたいな、穂村弘が『現実入門』(だっけ?)とかでとりあげてったような感覚だと思うんだけど、まあ誰しもある程度は持ってるものぢゃないかなという気もする。
私個人としては、
>俺にとっての怒りには、必ず時間差、つまりタイムラグがあるんだよ。その瞬間は頭が真っ白になってフリーズするし、俺の思い違いじゃないかとオタオタしている間に、相手はますます図に乗って好き放題する。後になって、やっぱりおかしいじゃないかと腹が立つんだけど、いつも「後の祭り」状態。
なんてとこが、あー、それ、そういうの俺だけぢゃなかったんだ、と妙に共感するものがあるんだけど。
対談のなかでは、
統合失調症“系”(笑)の人は、コンパクトなものが好きで、「この一冊の中に宇宙の全てが……」とか、「この数式で全部解けます」とか言うね。あと、諺好きでもあって、断トツのトップは「出る杭は打たれる」で、二位が「ミイラ取りがミイラになる」(笑)
って、貴重な情報を持ち出して見せてくれるけど、うーん患者のこと病状のこと笑っていいのかなという気もしないでもない(笑)
で、この対談集のテーマは、わざとまっとうな題材をとりあげて語ってみようという、そういう遊びの精神、言葉で遊んでる感じのもの。
だから、ホントにそんなことについて語るのってくらい、いざ口に出そうとしたら気恥ずかしくなるような問題が挙げられている。
なんせ、順に『友情』『怒り』『救い』『秘密』『努力』『孤独』『仕事』『家族』『不安』『記憶』『言葉』『お金』『愛』と、補習として『読書』。
でも、哲学の本とか道徳の時間の読み物みたいなわけぢゃなく、笑えるところ満載の対談なので楽しい。
たとえば、現実対応能力がないと公言する二人が、『お金』の章で稼ぎ方について語り合うと、
>春日 (略)キオスクの隣に、週刊誌と新聞しかないようなしょぼい売店があって(略)キオスクは絶対無理だけど、こっちならやれそうな気がして、ちょっと安心するのよ。
>穂村 僕も、夫婦がバンでカレーを売りにくる弁当屋をやってるのを見ると、これならがんばればできるかなと思ったりするけど(略)
とか言ってるうちに、
>穂村 (略)あとは「せどり」とか。田舎のブックオフを回って、掘り出し物をネットオークションで売るとかは、憧れるかな。
>春日 字の読み書きができない娼婦のために恋文を代筆するような、ホロッとく仕事があればいいよね。
と、やっぱあまり現実的ぢゃないというか社会性のないほうに流れて行ってしまったりするのがおかしい。
ところで、偶然なんだけど、前回とりあげた橋秀実さんが、『仕事』の章でゲスト参加している。
ヒデミネさんのほうは、職業経験が豊富で、私鉄の駅員のバイト、納豆の販売、ひよこ売り、学校の守衛、築地で冷凍エビを運んだり、豊島中央市場でグレープフルーツの選別、テレビ番組制作会社でAD、編集プロダクション、(本にもなった)ボクシングジムのトレーナー、輸出用トラック工場、学習塾の先生などなど。
興味深いことに、現在の仕事については、
>ノンフィクションの取材は団地の飛び込み営業みたいなものだし、謝礼も払わずにお話をいただくわけですから、ある意味、人の道に外れてますよね。だから怒られたり、忙しいから帰ってくれと言われても(略)不思議と腹も立たないんです。
と秘訣というか、ちっとやそっとの失敗でへこまない自尊心のなさを強みにしていることを明かす。
ところで、穂村さんは世間と折り合えないヘタレ役を演じてるだけかというと、もちろんそんなことはなくて、
>人間の悩みの核にあるものって、突き詰めていくと「無根拠な死」みたいなものなんじゃないか。(略)その対抗策というか対応を、みんな無意識的にしているんだと思うけど、でも認めたくはないんだな。(略)
とか
>(略)僕が短歌というものを使って、言葉と言葉を変わった組み合わせにするのはなぜかというと、「現世における通常の言葉の連なりでは自分に活路なし」という体感が背後にあるからで、だったら自分が言葉を組み替えて、自分の生きうる体系を顕現させようと。
だなんて、オッと思わされる、キラリとした鋭いこと言ってたりする、さりげに。
意外に思わされたことには、「文体で影響受けた人はいないの?」という問いに、「北杜夫かな。シャイな感じの文体に憧れたんだよね。」と答えている。
私も若いときにはいくつか読んだので、ひさしぶりに読み返してみようかなと思った。
どうでもいいけど、巻末に「煩悩108コンテンツリスト」って、二人の好きなものが並べられてて、それがけっこうおもしろい。
それにしても、新しい本なのに、カバンのなかで他のものと揺れてぶつかりあったせいでページが折れちゃったり、まちがって駅でホーム上に落としちゃったせいで汚れちゃったり、だいぶ傷んでしまった。そんな自分が悲しい。
つい最近読んだ本。
でも買ったのは、去年の10月だ、3か月も何してたんだろう、俺。
私の好きな歌人、穂村弘の名前を見つけたんで、思わず手にとった。
対談集なんだけど、もうひとりの春日武彦さんというのは存じ上げてなかった。
小説も書くらしいが、産婦人科医から精神科医になって、いまも現役のお医者さんらしい。
ところが、この方が、穂村弘さんと似た性質らしく、自身まえがきで述べていることには、
>(略)どちらも一人っ子で、子どもはいない。しっかり者で仕事を持った妻がいるけれど、世間をソツなく生きていくにはいまひとつ不器用で、地に足が着いておらず、常に自分の生きている世界に対して違和感や居心地の悪さを覚えていて、それを克服するためには言葉を以て世界を分節し直すしかないと切実に思っている―(略)
というスゴイ共通点がある。
生きている世界に対しての違和感っていうのは、よくみんなは普通にそんなことができるんだ?みたいな、穂村弘が『現実入門』(だっけ?)とかでとりあげてったような感覚だと思うんだけど、まあ誰しもある程度は持ってるものぢゃないかなという気もする。
私個人としては、
>俺にとっての怒りには、必ず時間差、つまりタイムラグがあるんだよ。その瞬間は頭が真っ白になってフリーズするし、俺の思い違いじゃないかとオタオタしている間に、相手はますます図に乗って好き放題する。後になって、やっぱりおかしいじゃないかと腹が立つんだけど、いつも「後の祭り」状態。
なんてとこが、あー、それ、そういうの俺だけぢゃなかったんだ、と妙に共感するものがあるんだけど。
対談のなかでは、
統合失調症“系”(笑)の人は、コンパクトなものが好きで、「この一冊の中に宇宙の全てが……」とか、「この数式で全部解けます」とか言うね。あと、諺好きでもあって、断トツのトップは「出る杭は打たれる」で、二位が「ミイラ取りがミイラになる」(笑)
って、貴重な情報を持ち出して見せてくれるけど、うーん患者のこと病状のこと笑っていいのかなという気もしないでもない(笑)
で、この対談集のテーマは、わざとまっとうな題材をとりあげて語ってみようという、そういう遊びの精神、言葉で遊んでる感じのもの。
だから、ホントにそんなことについて語るのってくらい、いざ口に出そうとしたら気恥ずかしくなるような問題が挙げられている。
なんせ、順に『友情』『怒り』『救い』『秘密』『努力』『孤独』『仕事』『家族』『不安』『記憶』『言葉』『お金』『愛』と、補習として『読書』。
でも、哲学の本とか道徳の時間の読み物みたいなわけぢゃなく、笑えるところ満載の対談なので楽しい。
たとえば、現実対応能力がないと公言する二人が、『お金』の章で稼ぎ方について語り合うと、
>春日 (略)キオスクの隣に、週刊誌と新聞しかないようなしょぼい売店があって(略)キオスクは絶対無理だけど、こっちならやれそうな気がして、ちょっと安心するのよ。
>穂村 僕も、夫婦がバンでカレーを売りにくる弁当屋をやってるのを見ると、これならがんばればできるかなと思ったりするけど(略)
とか言ってるうちに、
>穂村 (略)あとは「せどり」とか。田舎のブックオフを回って、掘り出し物をネットオークションで売るとかは、憧れるかな。
>春日 字の読み書きができない娼婦のために恋文を代筆するような、ホロッとく仕事があればいいよね。
と、やっぱあまり現実的ぢゃないというか社会性のないほうに流れて行ってしまったりするのがおかしい。
ところで、偶然なんだけど、前回とりあげた橋秀実さんが、『仕事』の章でゲスト参加している。
ヒデミネさんのほうは、職業経験が豊富で、私鉄の駅員のバイト、納豆の販売、ひよこ売り、学校の守衛、築地で冷凍エビを運んだり、豊島中央市場でグレープフルーツの選別、テレビ番組制作会社でAD、編集プロダクション、(本にもなった)ボクシングジムのトレーナー、輸出用トラック工場、学習塾の先生などなど。
興味深いことに、現在の仕事については、
>ノンフィクションの取材は団地の飛び込み営業みたいなものだし、謝礼も払わずにお話をいただくわけですから、ある意味、人の道に外れてますよね。だから怒られたり、忙しいから帰ってくれと言われても(略)不思議と腹も立たないんです。
と秘訣というか、ちっとやそっとの失敗でへこまない自尊心のなさを強みにしていることを明かす。
ところで、穂村さんは世間と折り合えないヘタレ役を演じてるだけかというと、もちろんそんなことはなくて、
>人間の悩みの核にあるものって、突き詰めていくと「無根拠な死」みたいなものなんじゃないか。(略)その対抗策というか対応を、みんな無意識的にしているんだと思うけど、でも認めたくはないんだな。(略)
とか
>(略)僕が短歌というものを使って、言葉と言葉を変わった組み合わせにするのはなぜかというと、「現世における通常の言葉の連なりでは自分に活路なし」という体感が背後にあるからで、だったら自分が言葉を組み替えて、自分の生きうる体系を顕現させようと。
だなんて、オッと思わされる、キラリとした鋭いこと言ってたりする、さりげに。
意外に思わされたことには、「文体で影響受けた人はいないの?」という問いに、「北杜夫かな。シャイな感じの文体に憧れたんだよね。」と答えている。
私も若いときにはいくつか読んだので、ひさしぶりに読み返してみようかなと思った。
どうでもいいけど、巻末に「煩悩108コンテンツリスト」って、二人の好きなものが並べられてて、それがけっこうおもしろい。
それにしても、新しい本なのに、カバンのなかで他のものと揺れてぶつかりあったせいでページが折れちゃったり、まちがって駅でホーム上に落としちゃったせいで汚れちゃったり、だいぶ傷んでしまった。そんな自分が悲しい。