many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

棋士とAIはどう戦ってきたか

2017-10-14 18:12:21 | 読んだ本
松本博文 2017年5月 洋泉社
サブタイトルは「人間vs.人工知能の激闘の歴史」で、題名どおり、看板に偽りなしで、そういう内容の本です。
「おわりに」の日付が、2017年4月17日となっているので、4月1日に人間である名人がソフトとの対局の第1局に負けたあとに書かれたということになる。
本書が出版されたの知って、読んでみようと書店で探してたら、たまたま、同じ著者のこないだとりあげた『ドキュメント コンピュータ将棋』って新書を見っけちゃった。
そっちは2015年のものだったから、読むなら時系列に沿ってだろうなと思って、二つとも買って、順番に読んだんだが。
特に両方読む必要はなかったかな、こっちだけで十分だったかという感想をもった。
それだけいろんなことがギュッと詰まってて、棋士対コンピュータの歴史的出来事とか登場人物とかについて、わかりやすい。
(個人的には、ことし名人はソフトに敗けてしまったわけだが、いっちゃん強いひとりである豊島クンが過去にソフトに敗けてなかったのは良かったなと思う。)
指し手の解説はなし、将棋の歴史についてはあり、チェスや囲碁のこともちょっとあって、まあ将棋指さないひと向けではあると思う。
将棋ソフトの開発、発展の歴史、ソフトにも開発者の個性が出るんだってあたりが、知らないことばかりだったのでおもしろい。
やっぱ、いちばんえらいひとは、将棋知らないのに強いBonanzaつくって、それ全部公開しちゃった保木さんだと思うな。
コンテンツは以下のとおり。
第一章 神が創りたもうたゲームの系譜
 (一)囲碁・将棋の歴史を振り返る
 (二)幕を開けた人間と機械の戦い
第二章 電王戦前夜―人間vsコンピュータの始まり
 (一)コンピュータ将棋の黎明期
 (二)人間を凌駕するコンピュータ
 (三)人智を超えた“学習する”将棋ソフト
第三章 AIが人間を超えた日
 (一)女流トッププロvsコンピュータ連合軍
 (二)第一回電王戦
 (三)第二回電王戦
 (四)第三回電王戦
第四章 苦闘―棋士の葛藤と矜持
 (一)電王戦FINAL
 (二)FINAL最終戦に見た両者の信念
第五章 棋士とAIの未来
 (一)新たにスタートした第一期電王戦
 (二)第二期電王戦
 (三)AIとの苦闘が残すもの
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舌鼓ところどころ/私の食物誌

2017-10-09 17:33:10 | 読んだ本
吉田健一 2017年5月 中公文庫版
『私の食物誌』って文庫本を、古本屋で当時の定価より高い値になってるけど、ま、それだけ珍しいんだろ、買っとこ、って買った帰りのその足で、新刊書店行ったら、この新しい文庫が並んでて、内心は卒倒した。
くやしいので、その日は見送ったんだけど、やっぱ後日『舌鼓ところどころ』が気になって買ってしまった、まあ別に本読んで損になることはないから。
ということで、没後40周年記念企画でつくられた、食に関するエッセイ集ふたつを合本にしたお買い得の文庫新刊。
『舌鼓ところどころ』は、1957年に文藝春秋に連載されたものが中心。
『私の食物誌』は、1971年に読売新聞連載なんで、時代がちょっとあと。なので、こっちには前者で既出のようなものも、ときどき振り返るように出てくることもある。
1957年ってことは戦争が終わってから12年、そりゃあ今とは時代が全然ちがう。
戦後の食べるものがろくにない時期をようやく脱したころなんで、そんなことも書いてあったりする。
>だから、味覚も服装上の趣味などということよりも遙かに確かなものなので、食べるものがないからと言って働きが止りもしないし、又何でもあるようになれば、何でもあった昔の味覚に直ぐに戻る。ただ戦争が始ったりすると、或る種の覚悟が味覚にも強いられて、贅沢はしないと味覚の方で決めることは事実らしい。真珠湾の晩に或る先輩が、味覚は四十八時間で消滅すると言ったのはそのことを指すものに違いない。そして早ければ、四十八時間で生き返る。(p.18-19「食べものあれこれ」)
うーむ、人間ってそういうものかあ。
まあ、たしかに二日くらい何も食べなかったとしたら、出されたものがマズイとかは言わんな。
しかし、そんなむずかしい話は、単行本のための冒頭の書き下ろしだからであって、『舌鼓ところどころ』の連載は、
「新鮮強烈な味の国・新潟」
「食い倒れの都・大阪」
「瀬戸内海に味覚あり」
「カステラの町・長崎」
「味のある城下町・金沢」
「世界の味を持つ神戸」
「山海の味・酒田」
ってことなんで、あちこちのうまいもの食べた話が並んでて、そういうのは読んでて楽しい。
たまらんなあと勝手に思うとこをいくつか抜いてみると、
>それで、まだ余裕があれば、ここの二百五十円の煮ものを頼むと、これも旨い。普通に我々が椀と考えているものを懐石では煮ものと呼ぶのだそうで、その晩のは鴨と椎茸と生麩と菜の花が入っていた。一番旨いのがその汁であることは言うまでもないが、これは冬が明けて春が来た感じがする。(p.65)
というのは、大阪の内北浜のにし井での話である。
酒が一本百二十円だから、酒を六本とこの煮ものでいいという。当時の値段ではあるが、それでも懐石料理にしては安いと書いてあるんだから、安いんだろう。
>幾らでも食べられる気がするのは同じで、ただそれが牡蠣の味の為なのである。そしてそれに就て前から考えていることが一つあって、それは、本当に旨いと思って他人を押し除けても手に入れたくなる種類の食べものには、何なのか解らないが、その味とは別に何かそこに幾らでも食べられる気にさせる共通の味に似たものがあるということで(略)、それと同じものが確かに牡蠣にもあることを広島に今度行って感じた。(p.69-70)
というのは、広島のかき豊で、最後に出た牡蠣飯を食べたときの話である。
>併しその晩はなかったが、金沢で是非とも食べなければならないのは鰯の押し鮨である。これは金沢で泊ったつば甚旅館で作って貰ったので、鰯が一切れずつ乗っている米の裏に紺海苔と金柑を輪切りにしたものが付いている。鰯の脂を金柑の酢で解いたような味で、船に弱いものが二日酔いの頭を抱えて船に乗った途端に海が大荒れに荒れだしても、この鰯の押し鮨ならば食べられるだろうと思う。
というのは、昆布で巻いたり押し鮨にした鯛をさんざ食べたあとの、金沢の話である。
二日酔いで船酔いする状況でも食べられるって、すごい表現だ。
もっとも、私が今回いちばん参ったと思ったのは、長崎でのカステラの話。
>カステラの味に就てここで書く必要はないと思うが、船大工町の福砂屋に寄った序でに、工場を見せて貰ったのは幸だった。カステラは規格に合って市場に出されるものよりも、何かの拍子に焼き損って撥ねられたものの方が、保存が利かないだけで、ずっと芳しくてねっとりしていることが、店で出されて解り、それで帰ろうと思っていると工場に案内されて、カステラを焼いた後で型にくっついている粕を削り取って食べると、この方が焼き損いよりも更に上等だった。(p.88)
…あー、あー、そんなものまでありですか、それ食ってみたい。
ちなみに、著者はもっとちゃんとした料理をいっぱい食べてるんだが、私はこういうとこに反応しちゃうんだよね。メインディッシュぢゃなくて、煮ものの汁とか、締めの牡蠣飯とかってのも、そう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反死連盟

2017-10-08 18:15:12 | 読んだ本
キングズリイ・エイミス/宇野輝雄訳 昭和43年 早川書房
丸谷才一のエッセイにあったせいで、『ラッキー・ジム』という小説を探しているんだが、見つからない。
6月にデイモン・ラニアンを買い込んだのと一緒のときだったかな、古本市で同じ著者のこれをたまたま見つけた。
こんな本が存在することすら知らなかったんで、著者名が目に止まったのはほんと偶然、まちがってないかなってカバーとか見ると「著者エイミスは、1954年『ラッキー・ジム』でイギリス文壇に華々しくデビューした」ってあるんで、ほうほう読んでみるかという気になった。
読んでみて、自分に合わなかったら、見つからない本を無理に探し続けることもないしね、って気持ちもあった。
原題「The Anti-Death League」って1966年の作品。どうでもいいけど、昭和の時代って、こういうタイトルを律儀に訳すよね、たぶん今ならアンチ・デス・リーグとかカナにするだけだろうと思う。
なかみは、帯にあるとおり、スパイ小説。私は、スパイ小説って普段読まないから、評価のしようもない。
イギリスのどっか田舎で、軍の部隊がなにやら基地をかまえて、秘密の策戦に従事しているんだが。
誰かがスパイなんで、そいつを突きとめたい。当時の英国で敵スパイときたら時代柄共産圏のものだろうが、そこらへん誰が何の目的でとかが、どこもあやふやな感じ。
物語の出だしからしても、何の紹介もなく次々と人物が出てきて、あれこれ話し合う、誰が主人公なのかちょっとわからない。
従軍牧師という役目もある少佐、機密保持に躍起になる身だしなみにこだわる大尉、アルコール依存かなんかのせいで入院させられてた同性愛の中尉、病院で見た女性にひとめぼれしてしまった悩める中尉などなど、士官たちが主な人物たち。あと、ちょっとあやしい医者とか、誰でも家に招き入れちゃう未亡人とか。
で、くだんの反死連盟ってのは何かっていうと、あるとき基地の酒保の掲示板に貼られたビラで会員募集しようとした、謎の集まりである。
>『反死連盟』 匿名会員の団体
>今回、右連盟の支部を当部隊内に設立することに決定しました。われわれの趣旨に賛同される向きはぜひとも加入していただきたい。加入上の資格といったものはとくになく、入会金や会費も不要、当連盟にとって有益とみなされる場合は、いかなる活動をおこなうことも自由です。上部からの指示はいっさいありません。(略)
>以上のような不慮の死を回避したいと望む者は、だれでも連盟に加入する資格があります。(略)
といったヘンな中身で、ふつうに考えれば冗談なんだけど、なんせ部隊・作戦の機密保持こそ使命と思いこんでる担当者は、ことを重大にとらえる。
でも、指定された日時に会場に行っても、主謀者やマジメな入会希望者が現れるでもなく。
一応、最後は一連の騒動は解決をみるんだけど、なんかスッキリした感じはしないな、この話。
うーん、こないだの『急いで下りろ』もピンとこなかったし、もしかしたらこの時代の英国ものは、私の趣味ではないのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉の嵐

2017-10-07 18:02:16 | 読んだ本
春風亭小朝 2000年 筑摩書房
“春風亭柳朝一代記”を読んだ直後に、古本市で小朝の本を見つけたんで、思わず買ってしまった。
そういえば小朝の著書って、あまり見かけた記憶がないと思って。
本書は、全篇書き下しエッセイ集ということで、特に落語論とかってわけぢゃなく、冒頭には「この本には、私のお気に入りの言葉が、いっぱいでてきます」とあるように、なんかそういう系のもの。
ただ、なんせセンスのいいひとなので、好きな言葉とそれについて考えること書くときたら、ちょっと期待するものはある。
あと、開いてみたら、写真がいっぱい。なかば写真集みたい。
エッセイのほうは、わりと上下行間に余裕のある造作で一篇あたり5ページ程度といったところか、短め。なので、よけいに写真のボリュームが多くみえる。
さて、主題の言葉のほうは、いろんなひとのいろんな発言が集められてたりして、まずまずおもしろい。
けど、やっぱ落語に関すること書いてるとこが、興味をひかれる。
誰の言葉か知らないけど、「できる人はやり、できない人は教えたがる」って言葉を冒頭にかかげた章では、
>最初は力のない人が、何年か経ってはじめて力のある人がやさしく声をかけてくれるのが我々の世界です。(p.54「教えることと学ぶこと」)
なんて、ちょっとドキッとすること書いてある。
自身の落語公演のことについては、博品館劇場での三十日間連続独演会とか、日本武道館独演会とか、でかいことやろうとすると、周囲は驚いてるのに、
>でも、、私自身に不安はなく、その時点で、超満員のお客様と一緒に千秋楽をむかえている自分の姿が見えていました。もちろん、これにはなんの根拠もありません。私は決して楽天的な性格ではありませんが、いつもうまくいっている姿しか頭に浮かんでこないのです。(p.79「予感について」)
と、すごいこと言ってたりする、成功のイメージしかしない人だったんだ、意外な気もするけど、そう言われればそうなのかもしれない。
話が落語のことぢゃなくて、天ぷらのことなんだけど、そこで「粋」について解説してくれてるとこも面白い。
粋ってのはなにか、それはツボを心得ているかどうかだという小朝の言葉はわかりやすく聞こえる。
>さて、粋がツボを心得ていることだとするなら、粋の親戚筋に品という言葉があります。品とはいったいなんでしょう。
>ズバリ、品のツボは、腹八分目です。(略)(p.112-113「粋」と「品」)
いいですねえ、こういうふうにわかってるから、高座で江戸の風を吹かせることができるんでしょう。
どうでもいいけど、本書を一読したとき、私がいちばん、オッ、これは、って感心したのは次の一節だったりする。
>これ、持論ですが、その女のコがどんなコか知りたかったら、お弁当を作ってもらうのがてっとり早いと思います。お弁当には女のコの性格が出るんですよ。料理の腕なんて関係ありません。人柄です、人柄。(p.138「見る事見られること」)
目のつけどこがちがうよ、いい了見だ、さすが小朝。
コンテンツは以下のとおり。
〈はじまり、はじまり〉
健康と不健康
プロフェッショナルとは
芸の底を見る
脱力のすすめ
嫉妬について
精神の薄弱
教えることと学ぶこと
「だまされやすい人」について
百歳の悪意
予感について
「僕は嫌われたくない」
天才・秀才……
疲労について
「粋」と「品」
プライド
コンプレックスについて
再びコンプレックスについて
見ること見られること
師匠の死
悪口について
アナログ讃
人は皆「話したがり」?
愛するものを幸せにすること
一流の演者と一流の観客
フィナーレ
〈おしまい、おしまい〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸前の男

2017-10-01 17:26:03 | 読んだ本
吉川潮 平成11年 新潮文庫版
夏前に古本屋で買っといた文庫、読んだのはごく最近なんだけど、いやー、おもしろい、とっくに読めばよかった。
おもしろいのは本というより、主人公の噺家の人物がおもしろいんだ、副題は「春風亭柳朝一代記」。
ところが、残念なことに私はこの春風亭柳朝のことを知らない、病に倒れた(脳血栓)のが昭和57年12月だっていうんで、しかたない、それ以前に見た落語の記憶なんてない。
(だから、文楽も志ん生も円生も知らないんだけどね。いくら名人だと言われても、時代違ってりゃ知らないのはしかたない。)
昭和4年、新橋烏森の生まれで江戸っ子なんだが、落語の登場人物たちとは全然違って、小学校の昼食は弁当ぢゃなくて女中ができたての料理を届けてたっていう坊ちゃん。
ちなみに、師匠の蝶花楼馬楽(のちの彦六の正蔵)の家を訪ねたときに、初めて本物の長屋というものを見たらしい。
子どものころからの辛抱できない性格とか、大事なことでもすぐ人任せにして自分は何もしないって態度は、大人になっても変わらず、若いときに二十数回も職を変えたりした末、落語家を志した。
落語家修行は本気で取り組んだんだけど、それでも喧嘩をしたり、さらに謝るのがヘタだったりで、師匠をしくじり、破門になる。
魚屋で半年間働いたあと、入門しなおすんだけど、酒や遊びを控えて金をためたのはこのときが生れて初めてだという。
しかし、前座のころも、面倒な仕事は後輩にやらせて自分はラクして指図ばっかしてたんで、「太ったお奉行様」とあだ名されてたとか。
ちなみに談志家元は、若いころにいじめられたからと柳朝を嫌ってたそうだが、本書によると、高座の最中に舞台を横切ったりして落語の邪魔したそうだ、それなら談志も円鏡にやったって自分で言ってたような。
しかし、江戸っ子らしいしゃべりのうまさには定評があったらしく、志ん生が自分の弟子に「よそへ稽古に行くなら照蔵(二つ目のときの名)んとこへ行け。あいつは江戸っ子で啖呵が切れる」と言ったそうな。
一方で遊び人としても有名で、「女郎買いのことなら照蔵に聞け」っていうのは東京だけぢゃなく、大阪の落語界にまで知れわたってたらしい。
やがて当然のことながら真打になるんだが、一度目は兄弟子と同時にって話だったのを「こいつと一緒の昇進はやだ」って理由で辞退してる。
もちろん、ホントのこと周りには言いやしないで、「披露目のためのカネを遊びで使っちまったから」とか吹いて、それ聞いた人たちは、いかにもらしいやなんて思ったりする。
でも、師匠の正蔵には見破られて、もっとうまいウソをつけ、なんて一喝される。
出戻り入門したあとも、何度も破門だって言われて、そのたんびに遺書書いたりして許されるなんてことしてる、この師弟の縁はただもんぢゃないんである。
談志や円楽に出世で遅れをとったらどうすんだって周囲の心配をよそに、芸は確かだから、ほどなく真打昇進するんだけど、柳朝は自分が師匠となっても弟子を大事にしたらしい。
最初の弟子をとったときから、弟子は落語を教わりに来たんだから雑用やるより稽古しろって、家の用事をやらせなかった。
ただし、家事雑用をやらせているところもあるから、他の師匠に聞かれたら雑用もやっていると答えろよ、って本人には言っとくとこがいい男である。
二人目の弟子が小朝である。落語好きの親に連れられ幼いときから落語をみてきて、中学生のときに、師匠にするならこのおじさんだ、と自分で決めて門をたたいた。
柳朝のほうもひとめ見て気に入って、周囲にに「見るからに利発そうな子でな。絶対見込みがあるぜ」なんて言ってる。
可愛がられた小朝は、師匠に対しても物怖じせずに、堂々とものを言う、たとえば志ん朝と柳朝の二人会で師匠はどうしてちゃんとやらないのか、なんて。
その点について、柳朝は弟子には「お前もいつかわかる」としか言わなかったけど、長年の友人には「芸人が本気で勝負するなんて野暮の骨頂だと思ってる。しゃかりきになってやるより一歩引いて志ん朝を立てる。そのほうが粋じゃねえか」なんて言う。
江戸前なんである。
>自分が主役でないと思ったら、一気に隅のほうに引っ込んで悪あがきを見せない。石にかじりついてでも、ここで逆転してやろうなどという根性がない。淡泊、見栄坊、恥ずかしがり屋……。
>意地っ張りだし負けず嫌いでもあるのだが、それを絶対表面に見せようとしない。
友人である色川武大にもそう性格を見抜かれている。
しかし、平成8年の出版当時は想像もされなかっただろうけど、現在になってこれ読んで気の毒なのは、小朝が(あんなふうにして)離婚しちゃったことだね、って感想もたざるをえない。
ちなみに、小朝の結婚式は柳朝が病気した後なので、柳朝はもう二度と人前に顔を出さないって覚悟を決めちゃってたんで欠席する。
そんな師匠の気持ちを知ってる小朝は、誰とも顔を合わせないように別室を取るから、ちょっとだけでも式を覗いてください、なんてお願いをした。
できた弟子なんである。
だから、平成3年に師匠が死んだときも、柳朝の葬式なんだからって、できるかぎりのことをして派手に送り出そうと葬儀をとりしきる。
昭和28年に柳亭左楽が死んだとき、花輪が上野の谷中清水町の家から隣町まで千本以上並んで、葬列の最後を東京中の鳶の頭が木遣唄いながらついていく葬式をみて、自分も死んだらこういう葬式をやってもらいたいと思った柳朝に、ふさわしい手向けだったんだろう。
それにしても主人公が死んで葬式やるところから始まる伝記ってのもめずらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする