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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

探偵たちよスパイたちよ

2018-12-16 17:53:52 | 丸谷才一
丸谷才一編 1991年 文春文庫版
前回からスパイつながり、5月に買った古本の文庫。
最初、著者のエッセイか書評だと思って、へーこんなのもあるんだ知らなかったと買ったんだが、アンソロジーだった、へーそんなこともするんだ。
丸谷才一が推理小説というかミステリ読むの好きそうなのは、これまでの書評とかで薄々わかってたんだが。もっとも、
>要するに、ぼくがたまに書評を書くような作家はどうも優遇されていないような気がする。(p.183)
なんて言ってるようで、必ずしも一般受けして売れるようなものと趣味があうとは限らないらしい。
でも、早川書房は探偵小説は儲かるものだけぢゃないってこと理解して、年に何冊かは儲からなくてもかまわない翻訳を出してほしいと注文つけてるんだけど。
それはそうと、早川書房は昭和20年8月、戦後初めて登記された出版社だってのは、知らなかった。
丸谷さんの説く、ミステリの読み方ってのが秀逸で、
>むかしの人は探偵小説を犯人あてだと考えたわけね。あれは間違いで、あんなものは当たるに決まってるんですよ、真面目にやれば。あまり真面目にやりすぎると、またはずれるんだけれど。だからいい加減に考えて、それで遊ぶ。それが読み巧者の態度でしょう。手品を見て手品の種のことばかり考えるやつは、粋じゃない。
って、具合で、犯人あてぢゃなくて、読んで楽しめばよいと。
そこから、純文学における探偵小説の影響、描写や会話の文体を取り入れていく議論に発展してくとこが、またいいんだけど。
どうでもいいけど、このアンソロジーはけっこう古いものも入ってて、そのなかに昭和32年の小林秀雄と江戸川乱歩の対談があるんだが、そのなかにおもしろい話があった。
小林秀雄が、東大の原子力研究所に人工頭脳があって、将棋を指す、とても強いくて人間は勝てないらしい、って話を聞いて、ウソだって即座に否定したっていうんだが。まあ、たしかにデマだったんだけど。
>僕は「メルツェルの将棋指し」を思い出したんですよ。よく覚えていないが、ポーがちゃんと、そんなものは不可能だ、機械では不可能だって論証している。(p.142)
と、エドガー・アラン・ポーの著作を根拠に、機械にはできないというのが小林秀雄の論。
>このごろ人工頭脳というのは、何でもできるっていうことを皆んないうでしょう。学者だってそんなこと言ってる奴がある。そんな馬鹿なこと。ポーに聞いてごらんなさい。
>人工頭脳というのは、メカニズムですよ。ね。計算はするけれども、判断はしないね。だから計算というのは非常に早くできるってことだよ。数を計算するの、これが考えられないほど早くできるってこと、これが人工頭脳でしょう。だけどこっちにするか、あっちにするかということは全然範疇の違ったことじゃないか。これは判断でしょう。判断というのは、だから機械的にできないよ。(p.143)
って堂々と論を張るんだが、まさか60年後のいま、名人もソフトに敗けちゃうなんてことになるとは、想像もつかなかったんだろうねえ。
コンテンツは以下のとおり。
なぜ読むのだらう? 丸谷才一
I 序曲としてのユーモア小説
 スープの中のストリキニーネ P・G・ウッドハウス
II アルバム
 ミステリーと私 大岡昇平
 スペイドとマーロウとアーチャー リチャード・R・リンジマン
 映画スクラップ・ブック 和田誠
 半七老人と綺堂老人と 岡本経一
 コナン・ドイルと鉄道 小池滋
 神保町の島崎書店によく出たプルーフ・コピー 植草甚一
 わが愛する探偵たち キングズリー・エイミス
 コオナン・ドイルの思い出 吉田健一
 エルキュール・ポアロ氏死去 トマス・ラスク
III 歓談数刻
 ヴァン・ダイン論その他 小林秀雄/江戸川乱歩
 ハヤカワ・ポケット・ミステリは遊びの文化 瀬戸川猛資/向井敏/丸谷才一
IV 大統領の書いた探偵小説
 トレーラー殺人事件の謎 アブラハム・リンカーン
V 名作のリスト
 サンデー・タイムズ・ベスト一〇〇
 江戸川乱歩の三つのリスト 江戸川乱歩
VI 探偵小説論
 探偵小説――現代の暴力神話か? ブリジッド・ブロウフィー
 スープのなかの蠅 中村真一郎
 茨の冠 丸谷才一
VII 終曲としてのライト・ヴァース
 死体にだって見おぼえがあるぞ 田村隆一
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39階段

2018-12-15 18:03:35 | 読んだ本
ジョン・バカン=小西宏訳 1959年 創元推理文庫版
ちょっと前に、テレビで『三十九夜』って1935年の映画を観て、むむむ、なんだこれはと思い、原作の小説があると知って、読んでみたくなった。
先月、神保町まで行って、神田古本まつりの期間だったが、関係なくふつうに店舗内で探し出したのは1967年11版の文庫、見つけることができてとても満足。
原題「THE THIRTY-NINE STEPS」、1915年の刊行だという、百年以上前か、第一次世界大戦やってたってか、なんかそう思うとすごいな。
主人公の「僕」リチャード・ハネーは37歳の鉱山技師。6歳で父につれられスコットランドをはなれて以来、実にひさしぶりにアフリカからイギリスに帰ってきたんだが、おもしろいことはなく、すぐ退屈してしまってた。
そんなとき、同じアパートにいる謎のアメリカ人に見込まれて、なんでもギリシアの首相がロンドンに来るとき暗殺される計画があるなんて秘密情報を教わってしまう。
で、そのアメリカ人が殺されてしまい、その意志をついでイギリス政府に情報をとどけようとするんだが、ドイツのスパイらしき勢力に狙われる危険のなかに飛び込むことになる。
あの手この手で逃走したり、変装して敵を欺いたりで、シロウトの巻き込まれとは思えない、けっこう楽しそうなスパイ活動ぶり。
アメリカ人の残した手帳の数式暗号も解読したんだけど、そこに六回ほど括弧つきで出てきた「三十九段」という謎の文句が、事件の最後の鍵となる。
ストーリーもおもしろいんだけど、巻末解説読んでおどろいたのは、作者のバカンって最後はカナダ総督をつとめた偉いひとだったってこと。趣味でこれだけのものが書けちゃうのは、すごいねえ。
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キャプテン・アメリカはなぜ死んだか

2018-12-09 18:07:57 | 読んだ本
町山智浩 2009年 太田出版
副題は「超大国の悪夢と夢」。
ことし8月に、町山さんの本読み始めたころ、地元の古本ワゴンセールで見つけた本。
ちょっと前のものだから文庫もあるんぢゃないだろうかと思ったけど、わかんないからその場の勢いで買った。
単行本刊行にあたって、連載してた「週刊現代」の講談社が、時事ネタものは売れないだろうから本出せない、文庫なら出すとか言ったっていきさつが、あとがきにあって、おもしろい。
もとのコラムが書かれた時代は、だいたい2005年から2008年くらいにかけてのもの。
あいかわらずのアメリカの変な話がいっぱい。
アメリカでは、たいていの場合、外に洗濯物を干すことはコミュニティのルールとして禁じられてるとか。
50年代に、冷蔵庫、洗濯機、乾燥機が売り出された時代に、物干しが廃れて、外に洗濯物を干すと、
>つまり「乾燥機を買えないほど貧乏な人が住んでいると思われると困る」ということだ。実際、洗濯物が外に干してあると、その地域の不動産価値が下がってしまうらしい。(p.55「晴れた日に洗濯物を干す自由を我等に!」)
ということで、周辺住民に法的措置をとられるんだって。
2005年のできごとのとこでショッキングだったのは、アメリカでは市販の風邪薬に含まれるプソイドエフェドリンって成分からメタンフェタミンを抽出して、覚醒剤を家庭の台所でつくる人々がいるって話。
有害物質が発生するんで、
>新しい家に引っ越してからアレルギーが止まらないので調べてみたら、前の住民がシャブ製造人で言えの壁に有害物質が染み込んでいたという例が増えている。そこで、最近はその家がシャブ工場だったかどうかを調査したり有害物質を洗浄する専門業者もある。(p.74-75「となりのシャブ工場」)
ということがあるらしい、それが普通の場所で起きるってのは、イカレてる社会だよねえ。
あと、前に読んだ本と同様、カルチャーの分野に政治的圧力が及んでる話には興味もった。
アメリカの映画には、R指定とかPG13指定とか5段階のレイティングがあるけど、これを決めてるのはMPAAアメリカ映画業協会という、メジャー映画会社の共同出資による団体だという。
で、その審査員の身元情報は極秘で、その理由は政治的圧力や買収を防ぐためという、もっともそうなもの。
ところが、この審査に反発する映画をつくったひとたちが、私立探偵に尾行まで依頼して調査したところ、
>判明したのは、審査会の責任者は共和党員で、審査会にカソリックとメソジスト教会が席を占めているという事実だ。映画に対する政治や宗教の圧力を避けるための機構のはずのMPAAは、既に共和党とキリスト教にコントロールされていたのだ。(p.225「レズでイったら18歳未満お断り」)
ということがあばかれたと。
>また、アクション映画でヒーローがいくらテロリストを殺してもPG13にしかならないのに、ドキュメンタリー映画で米兵に殺されたイラク人の死体を映すとRやNC17になってしまう。娯楽映画としての人殺しは子どもに見せてもOKで、人殺しの恐ろしさを描くと子どもには見せられない。それって逆じゃないか?(同)
という意見はたしかにそうで、キリスト教福音派に支えられてる保守勢力ってのはほんと不思議な存在。
ほかには、インチキ回想録のベストセラーの話もおもしろい。
7歳のころから実の母に男娼をさせられてたという『サラ、いつわりの祈り』の著者の少年は実在しなくて、30代女性の書いたフィクションだったってとこから始まって。
2005年のベストセラー『ア・ミリオン・リトル・ピーシズ』も、酒とドラッグにおぼれ自動車事故を起こした著者の更生の体験、ぢゃなくて、ふつうに小説。
1995年の『“It”(それ)と呼ばれた子』も虐待の体験談にみせて、全部ウソ。
きわめつけは、1976年の『リトル・トリー』で、チェロキー・インディアンの思い出と祖父からの教えだっていうけど、実は著者はインディアンとはまったく関係ないどころか、人種差別主義者だって。
こういうトンデモないことが繰り返される理由について、町山さんのあげるのは四つ。
>まず出版社は個人の回想の信憑性を確かめようとしない。まあ、普通は信じるもんなあ。
>次に、アメリカでも日本のように創作文学が全然売れないので、昔だったら「私小説」として出版されるべき本でも無理やりノンフィクションとして売ろうとする。
>それに、たとえウソっぱちを実話と偽って本にしてもそれを裁く法律はない。
>4つ目は、不幸な人々や聖なる野蛮人のことを読んで「癒されたい」という「感動乞食」どもの存在だ。(p.219「サラ、いつわりのいつわり」)
4つ目の、鋭いですね。
大まかな章立ては以下のとおり。
chapter 1:Living in America
chapter 2:American Nightmare
chapter 3:Taking Care of Business
chapter 4:Rock in The USA
chapter 5:Culture Wars
chapter 6:Boob Tube
chapter 7:Celebrity Meltdown
chapter 8:Nippon Daisyki!
chapter 9:American Dreamers
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奇食珍食

2018-12-08 18:51:29 | 読んだ本
小泉武夫 昭和62年 中央公論社
ことし9月に古本まつりで見かけて買ってみた、以前『酒肴奇譚』って本がおもしろかった著者なので。
見たことない本だったから、つい勢いで買ったけど、あとで文庫本もあること知った、なら文庫でよかった、重い本は増やしたくないから。
タイトルそのまんまのなかみ、世界中のヘンな食べものいっぱい紹介してくれてる。
たとえば、アマゾン流域で現地の人が食べるという「ヒルを使った牛血ソーセージなるもの」。
山に行って血吸い山ヒルを50匹ほどつかまえてきて、夜になったらそれを飼ってる牛5頭に10匹ずつくっつけとく、
血を吸って五倍くらいに丸く膨らんで、重さでポタポタ落ちてきたら収穫、巨峰の実に色形が似てて一回りくらい大きいとか。
茹でてそのままか、炒って塩ふってやや硬めにしてからか、野菜と煮込んでシチューにするかで、食うんだと。
え゛ーっ、って私なんかは思うんだが、著者は「機会があれば、ぜひ私も試食してみたいと切望しているのだが、未だ実現せず悔やしく思っている(p.46)」というんだから、たくましい。
日本のものでは、たとえば、ウサギの脳味噌の塩茹で、これは著者は東北の温泉場で食べたという。
>皮をはぎ、内臓をとりのぞいたウサギを丸ごと少々の塩を入れた湯で茹で上げる。その脳天の頭骨に穴を開け、そこからスプーンで脳味噌をすくいだし食べるものだが、鮟鱇のキモのような、またカニ味噌のような味がして実に珍味であった。(p.92)
ということだが、食べ方のコツはウサギの顔を正面から見ないことだそうだ、やっぱ怨めしい顔みたら味わかんなくなるのか。
べつに料亭とかを食べ歩きして取材してたりするだけってわけぢゃなく、御本人も料理が好きらしい。
珍しいもの食べてみたいけど、誰も料理してくんないから、自分でつくったのが、たとえば「ゴンズイの柳川風」。
ゴンズイって、毒のあるあぶない魚で、釣れちゃったら触らないで釣り糸から切ったりしたような気がするんだが。
>頭ごと胸びれを落し、内臓をとって軽く水で洗ってから三枚におろす。それを長いまま、ささがきした牛蒡、玉ネギと共に底広の鍋に入れ、味醂、醤油、塩、砂糖で濃い目に調味し、グツグツと煮込んで途中、少々の味噌を味醂で溶いたものをかくし味として加え、さらに上からといた卵で柳川風にとじてでき上り。(p.59)
ってのを、伊豆に学生たちと二泊の旅行に行った先の民宿で、台所借りて作っちゃったそうだ、なんかスゴイね。
若いころから食に対して好奇心旺盛だったらしく、高等学校時代には友達といっしょに、本で読んだフォアグラにあこがれて実験をしたとか。
鶏を米俵にとじこめて運動させないで、詰め込めるだけ餌を食わせる、朝夕くりかえすこと二週間。
ふつうの鶏より大きく重くなって、歩くのも難儀そうな鶏ができあがったので、いざ解剖。
そしたら肝臓の肥大なんて起きちゃおらず、全身黄色い皮下脂肪の山になってただけの失敗、肉もなくて食べても脂肪だけ。
同じ鳥の章のとこに、ぜいたくな話の例もあって、奇食とはいってもゲテモノばかり集めたってわけでもない。
邱永漢氏の『食は広州に在り』からの引用と断りながら挙げられてるのは、
>家鴨も同じく二十日ぐらいは絶対に運動をさせず、砕米で飼っているうちに家鴨の皮が黄色からしだいに白く変じてくるまで待つ。家鴨の蹼(みずかき)を食べるときには、鉄板を熱くした上に家鴨の大群を追い込む。鉄板の熱さで、家鴨の蹼が充血してきたところで、脚を切っておとし、肉のほうは下僕にくれてやり、自分は蹼のほうだけを食べる。(p.76)
肉をくれてやるってところが、美食の秘訣だな。
章立ては以下のとおり。
「虫」
「爬虫類と両生類」
「軟体動物・腔腸動物」
「魚」
「鳥」
「哺乳類」
「灰」
「奇料理・珍料理」
「奇酒・珍酒」
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泉麻人の僕のTV日記

2018-12-02 17:20:29 | 読んだ本
泉麻人 平成六年 新潮文庫版
オカシ屋ケン太が妙におもしろかったので、なんかほかにも読んでみたくなって、最近中古買った文庫。
やっぱ、私にとっては「テレビ探偵団」の「私だけが知っている」の印象が強いので、テレビのことだと一層期待できるのではないかと。
単行本刊行は平成3年らしいが、初出は「週刊TVガイド」の連載コラムだそうで、時系列順に各話がつながっている。
自身の見たテレビ番組を語るんだが、世代的には私より上なので、始まりは昭和三十年代後半から、ちなみに終わりはピンクレディーの解散まで。
ピンクレディーの人気絶頂だった昭和53年には、著者はTVガイド編集部に就職したんで、そっからは娯楽とか思い出ぢゃなくて仕事になっちゃったってことだろう。
それにしても、すごいね、テレビ好きが嵩じて、それ仕事にしちゃうんだから、そこまでいくひとはなかなかいないでしょ。
その前の学生のときは、広告学研究会にいたっていうんだけど、それは近ごろ不祥事で悪名を馳せてしまったサークルか。
海の家の運営やったりしてるだけぢゃなく、大学3年のときは部長をつとめて「ほんものは誰だ!」にも出演したって。
テレビ出演にいたった経緯は、依頼されてTVガイドのCMを企画・制作したからってことで、時代にのる運と実力はあったんでしょう。
そんなことはいいとして、本書のなかみは、時代的に私が見たことがないもののほうが多いんだけど、
>このコラムは、脳裏にこびりついている記憶に重きをおいて書いてきているわけだが(略)(p.114「1969年のカセットテープ補足」)
という書き方なので、ただデータを並べるんぢゃなくて、思い入れを語るんで、それが読んでておもしろい。
当時は録画する機械なんかもなかったわけだが、記録保存するだけぢゃなく、やっぱ、人間、記憶に残るってのが大事なんだなと思う次第。
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