many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

江戸小話傑作集

2019-03-16 20:49:58 | 読んだ本
村石利夫 昭和55年 大泉書店
これは、『日本風流小咄集』といっしょに去年11月に古本まつりで買ったやつ、何が読みたいというのでもなく、なんとなくシャレで。
読んでみたら、こっちのほうがバカバカしくいい話が多くて、おもしろいっつーか好感もてた。
当然のように、落語の元ネタみたいのが、あちこちにある
大きく4部構成に分かれてて、1.野暮、2.色恋、3.阿呆、4.滑稽として、そのなかではご丁寧なことに年代順に並べてある。
身元がはっきりしてるわけで、出典の刊行物の名前もそれぞれ明記されてる、なんとなく聞いた話を集めたのとは違うってことか。
野暮ってのは、ケチなやつを笑うような話が多いけど、36話でボリュームとしてはそれほどでもない。
色恋ってのは、そうはいうけどいわゆるロマンスぢゃなくて、当然シモネタ中心である、43話。
阿呆は、江戸的ナンセンスというか、かなりバカバカしいやつで、大ボケかましたりホラ吹くのがいい、31話。
滑稽がいちばん多くて134話、もちろんそれぞれオチがついてんだけど、シャレがきいてる感じがする。
落語ネタそのものをいくつかあげると。
落語の「茶の湯」で、ご隠居特製のいい加減な菓子を投げ捨てるやつは、本書では「茶菓子」って題だけど、安永五年の常笋亭君竹撰『立春噺大集』のなかの「あてちがひ」という話だって。(p.28)
「千早振る」は、安永五年の来風山人序『鳥の町』のなかの「講釈」にそのまんまあるとか。(p.69)
「千両みかん」は、明和九年の山風作『鹿の子餅』のなかの「蜜柑」という話。(p.102)
「親子酒」のオチのとこは寛政元年の百成作『ふくら雀』のなかの「生酔」。(p.113)
「火事息子」の原型は、享和元年の作者不明の『笑の友』のなかの「恩愛」だっていうけど、現在の落語のほうが母親も出てきたりして、ちょっと人情をふくらませてあるようだ。(p.207)
ちなみに、「あくび指南」と構造は同じだけど、教えることがちがうので、享和二年の桜川慈悲成作『一口饅頭』のなかの「小言しなん所」なんてのもある。(p.215)
その他、まくら、小話含めると、なんだ21世紀になってもあいかわらずよく聞く話ってのは江戸時代にできてたんだ、って感心する。
どうでもいいけど、ひとつ「上戸と下戸」って話があって(p.174)、上戸が下戸のことをいじると、
>下戸「いやなことをいうやつだ。そういうおぬしはどうなんだ」
>上戸「おれか、おれは蔵とはいかないが、店をあちこちに出した」
>下戸「店か、して、どんな店だ」
>上戸「しれたことよ、小間物屋だ」
ってのでオチになってんだけど、酔っ払いがヘドを吐くことを「小間物屋を開く」とか「小間物店を並べる」とかっていうんだって解説を読まないと、わかんなかった。
言うんだ、そんなこと? 酔っ払い歴は長いけど、聞いたことなかった。
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生命の意味論

2019-03-10 18:32:13 | 読んだ本
多田富雄 1997年 新潮社
これは『免疫の意味論』より先に、去年11月に手に入れた古本なんだが、順番を守って読むのをあとまでとっておいた。
1995年から96年にかけて「新潮」に連載されたものということで、専門的な科学の論文とはちょっとちがう。
>DNAの決定から離れた自己生成系として生命を見るという観点。(略)そこから、人間そのもの、あるいは人間の作り出した文明に何が見えてくるか、というのがこの本の主題である。(p.33「超システムの誕生」)
ということだそうで。
生命について、「超(スーパー)システム」っていう概念でとらえてて、あまりなじみのない用語で意味みえにくかったんだけど、この本ではかなり具体的に説明してくれている。
>キーワードだけ列挙すると、「自己生成」「自己多様化」「自己組織化」「自己適応」「閉鎖性と開放性」「自己言及」「自己決定」などである。(略)
>超システムは、しかし、要素そのものを自ずから作り出し、システム自体を自分で生成してゆくシステムである。(p.33同)
というのが定義に近いのかと思う。
ほかのところでも繰り返しその特徴が語られてる。
>単一なものが、まず自分と同じものを複製し、ついで多様化することによって自己組織化してゆく。それが充足した閉鎖構造を作ると同時に外界からの情報を取り込み、自己言及的に拡大してゆく。(p.56「超システムとしてのゲノム」)
とか、
>こうして概観すると、脳神経系の発生も、免疫系の発生と同じく、単一な細胞の自己複製から始まり、多様化や自己適応、内部情報をもとにした自己組織化によって成立する超システムであることがわかる。(p.220「心の身体化」)
とかってので、そういうのを超システムっていうのかって、なんとなくわかる。
しかし、
>超システムには、もうひとつ興味ある属性がある。(略)
>超システムに目的があるかというと、ないのではないかと私は考えている。(略)
>免疫系や脳神経系の発達には何か目的があったのか。
>単純に考えれば、種の維持とか個体の生存とかを目的と考えてもよいのかもしれない。しかし、DNAの総体であるゲノムで決定される種や、種の保存の実働体である個体の生命の維持という目的のためには、こんなに複雑で冗長なシステムを作り出す必要があっただろうか。(p.34-35「超システムの誕生」)
っていうのは、なかなかショッキングな言及だと思う。
システム自体が自己目的化してると言っちゃえば簡単だけど、免疫とか生命とかに目的がないってなると、ほんと自己って何、って問いが深みにはまってしまいそう。
まあ、存在をめぐる哲学的なことはともかく、人間社会のことに議論を展開させてるのが本書の特徴で、
>(略)行政自身には市民の福祉という目的があるのに、超システムとして成立した官僚制そのものには目的がないからである。官僚制は必然的に自己目的化して増大してゆく。(p.233「生命活動としての文化」)
なんていうのは、わりとありがちな批評かもしれないけど、言語と遺伝子の比較論はきわめて刺激的。
構成とか配列とか合成とかの具体的な例は書き写すと長くなるからよすけど、
>こうしてみると、言葉の成立と発展、遺伝子の誕生と進化には明らかに同じ原理が働いており、共通のルールが用いられているように思われる。一度単純な要素が創造されると、その組み合わせによって意味が生じ、繰り返しによって重複し、複製し伝達する際のエラーを取り込んで多様化してゆき、こうしてできた新しい要素の組み合わせは飛躍的に語彙の多様性を増してゆく。(略)
>言語の成立過程にもゲノムの成立過程にも、別に目的があったわけではなく、また前もってブループリントが用意されていたわけでもない。(略)自分で作り出したルールにしたがって自己組織化し、発展してゆくのが超システムの本性である。(p.137-138「遺伝子の文法」)
っていうのは、いままで考えたこともなく、ハッとさせられる話だった。
ほかには、性について人間の発生を解説したうえで、
>従来、性に対する絶対主義的な概念に基づいて、あいまいな性、すなわち「間性」についてひどい差別が行われてきた。(略)
>しかし私には、間性も間性的行動様式も、自然の性の営みの多様性の中で正当に位置づけられるべきと思われる。性の多様性が、基本的に生物学的な必然だとしたら、それを基礎にして生み出される性の文化的多様性も受け入れるべきであろう。(p.116-117「女は存在、男は現象」)
なんていうのは、当時にしては卓見なんぢゃないかと思う、現在になってようやく世間はそういう考えに追いついてきたんだから。
それにしても、
>私には、女は「存在」だが、男は「現象」に過ぎないように思われる。(p.116同)
ってフレーズは、いいなあ。
第一章 あいまいな私の成り立ち
第二章 思想としてのDNA
第三章 伝染病という生態学(エコロジー)
第四章 死の生物学
第五章 性とはなにか
第六章 言語の遺伝子または遺伝子の言語
第七章 見られる自己と見る自己
第八章 老化――超システムの崩壊
第九章 あいまいさの原理
第十章 超システムとしての人間
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スペンサーを見る事典

2019-03-09 18:14:38 | 読んだ本
イラスト=穂積和夫/文=花房孝典 1990年 早川書房
これは『スペンサーのボストン』といっしょに、去年とある均一棚で見つけて買ったもの。
巻末には「Recommenndation for ILLUSTRATED ENCYCLOPEDIA OF SPENSER NOVELS.」って、ロバート・B・パーカー氏の、どうぞ一読を、という推薦文がある。
小説でもマンガでも、いわゆる研究本ってのは一時期からはやりはじめたような気がするが、百科事典というのはおしつけがましいとこなくていいような気がする。
なかみは115章になってるんだけど、登場人物のバイオグラフィはスペンサー、スーザン、ホークだけぢゃなくて、ジョー・ブロズとかリンダ・トマスとかも1ページさかれてたりする。
あとは、ボストンの街や建物なんかもいろいろ。
スペンサーとホークの車や銃なんかも解説。
シリーズに出てくる犬の種類なんかもあげられてて、この時点ではスペンサーはまだ愛犬パールを飼ってない段階なんだけど、「犬が欲しいのであろう」と推測してる。それは、
>ボストニアンにとって、住宅事情が許すかぎり、犬を飼うのは、半ば義務のようなものである。つまり、犬を飼っていることが一つのステイタスになっているといってもいい。(p.148)
ということだかららしい、そうなんだ。
そして、私が気に入ったのは、終盤に、ブレックファスト1・2、ランチ1・2、ディナー1~5、ビール1~3、リカー1~3、ワイン1~3、レストラン・ガイド1~5として、作品中に出てきた飲食物をならべているとこ。
スペンサーといえばビールってイメージだけど、よくみたらワインもたくさん飲んでいることを再発見。
>ちなみに、アメリカでは酒類の名前に関する国際協定に加盟しておらず、他の国産の有名ワインと同じ名前のワインを作っているので、スペンサー・シリーズを含めて、ワインの名前だけでは、それがオリジナルかアメリカ産か区別がつかないので要注意。(p.192)
ってのは知らなかった。そのすぐあとの項目で『約束の地』に出てくるものとして、
>*キャリフォルニア産のバーガンディ BURGUNDY
>ほら、こういうのがでてくるでしょ、だからアメリカのワインの話はいやなんだ。つまり、そういうワイン。
とある、なるほど。
あと、最終章にすごいことには、シリーズに出てくる人物名を、架空、実在含めて全部、登場順にならべている。
多すぎて活字が小さいのが見にくくて困るけど、これはものすごい量だ。
ちなみに、出版が1990年なんで、とりあげられてるのはシリーズ第16作の『プレイメイツ』まで。
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怒濤の関西将棋

2019-03-03 18:06:22 | 読んだ本
谷川浩司 2014年 角川書店・角川oneテーマ21
これは去年秋に買った古本。
2014年の将棋界がどういう状況だったかは忘れたが、現在のほうが豊島二冠が名実ともにトップきた感あるし、関西強いよねっていうにふさわしい状況のような気もする。
それよか、谷川先生、当時連盟会長だったのに、関西だけにフォーカスした本なんて出してよかったのかねえ、まあ他に誰がいるかって考えてもわからんけど。
なかみは阪田三吉までさかのぼって、升田・大山、という歴史の話はあるんだけど、やっぱおもしろいのは谷川先生本人のエピソードだったりする。
なかでも奨励会三段のときに、旧の関西本部のたまり場で五人で研究をしてたら、先輩棋士ふたりが酒気帯び状態で入ってきて、
>「お前ら何やっとるんや! これは座布団を敷くような将棋やない!」と絡まれた。
>みんながあわてて敷いていた座布団を外した。
って逸話。それが、言われた当日だけぢゃなく、その後の例会の対局のときに、五人は座布団なしで座ったんだという。
先輩棋士がおぼえてるかどうかは定かぢゃなくて、半分は意地だっていうんだけど、その意気がいい。
そのメンバーには福崎九段も入ってて、四段にあがるまで一年以上座布団なしで対局することになったという。
ちなみに福崎さんは、谷川先生が七段時代から始めた研究会に、一度だけ参加したんだけど、対局中ずっと宇宙戦艦ヤマトの主題歌を歌っているので、その一回だけでおことわりになってしまったっていう話もある。
第一章 関西に王将あり――阪田三吉という伝説
第二章 竜虎相打つ――升田幸三と大山康晴
第三章 停滞から興隆へ
第四章 関西将棋界とともに歩む
第五章 進撃! 関西将棋
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オリオンラジオの夜

2019-03-02 18:53:53 | 諸星大二郎
諸星大二郎 2019年2月 小学館・BIG COMICS SPECIAL
きのう、雑誌(将棋世界)買いに本屋へ行って、なんか新しいものあるかなとコミックのエリアにも行ったら、これ見つけた。
いいぢゃないですかー、新生活の初日に、諸星先生の新刊を手に入れるなんてー、幸先がいいというか、前途を祝福されてるような気分になれた。(単純なのだ。)
「諸星大二郎劇場 第2集」ってなってるけど、1ってなんだっけって帰ってきて本棚見たら『雨の日はお化けがいるから』だった。
いいねえ、去年のことぢゃないですか、このペースで短編集出続けたらうれしいったらありゃしない。(でも、西遊妖猿伝は?)
連作の「オリオンラジオの夜」は、巻末の著者解題によると、若いころ深夜放送を仕事のBGMにしてて、
>主にその頃、ラジオに流れていたヒット曲、特に洋楽をモチーフにして、ちょっと短編を描いちゃってみよーかなーなんて思ってやっちゃったのが、このシリーズです。
ということだそうで、そうですか、描いちゃってみよーかなーですか、そのノリで今後もおねがいしたいですねえ。
なので、曲の時代はちょっと古いことになってて、60年代から70年代にかけてというとこかな。
オリオンラジオってのは、どこから放送してんのか、周波数とかもわかんない謎の放送で、屋外の特定の場所でしか聞けないし、それも冬の晴れた日にしか電波入らない。
最初の三話では、そのラジオに魅入られたように聴いてたひとが、どこか遠くへいなくなってしまって、こちらの世界に残された親しいひとに何かを伝えようとしている、みたいな調子。
四話目は、諸星作品らしいSFっぽい話なんだけど、これに出てくる『西暦2525年』って曲はまったく知らないが、ちょっと聞いてみたい気がする。
五話目は異界の話、六話目はスリラー調、いずれも諸星テイスト満載だと思います。
「原子怪獣とぼく」と「ドロシーの靴」は、音楽ぢゃなくて映画を題材にして、少年が異界に迷い込むような感じのもの。
いいよねえ、日常のすぐとなりに、なにか違うものがあるって雰囲気、「夢見る機械」とか「影の街」とかってころからのおなじみな諸星ワールドで。
コンテンツは以下のとおり。
オリオンラジオの夜
 第1話 サウンド・オブ・サイレンス
 第2話 ホテル・カリフォルニア
 第3話 悲しき天使
 第4話 西暦2525年
 第5話 赤い橋
 第6話 朝日のあたる家
原子怪獣とぼく
ドロシーの靴 または虹の彼方のぼく
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