many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

高度情報化社会とSE

2019-09-14 18:44:35 | 読んだ本

苅部英司 一九八八年 ぺりかん社
押し入れから見つけ出した、むかしむかしに読んでみた本、その何冊めか。
サブタイトルは「SEの視点による第3次オンラインからSFコンピュータまで」、あ、〈SE〉はもちろん〈システムズ・エンジニア〉ね。
どこでどうしてこの本にたどりついたかは忘れたけど、読んだのは、ガッコ出たらそっちの方向へ進もうとチラッと考えたからにちがいない、すぐそんな気なくなったみたいだけど。
帯に「IBMの 地に足のついた 高度情報化社会論!!」ってあるんだけど、そういうわけで著者はアイビーエマーの方。
どうでもいいけど、本文中に「とはいえ、かくいう筆者もこの原稿は手書きである」なんて告白もあって、なんぼコンピュータ使うったって、時代はまだそんな感じのころだったのねと、ヘンなとこで郷愁を感じてしまった。
しかし、今回、読み返してみたけど、何が書いてあるのか、内容ちっともわからなかった、困ったもんだな、俺。
あと、感じたことといえば、字が小せえなー、って(笑)
それも時代? ただの今の俺がトシ? (いや、今なら業界入門書とかは、もっととっつきやすい外観にすると思うよ、きっと。)
第一部 情報化社会とSEの役割―イントロダクション―
第二部 第三次銀行オンライン・システム・プロジェクトにみるSEの現場
第三部 高度情報化社会への課題―SEの抱える今日的な問題
第四部 テクノロジーの発展と高度情報化社会

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あわてた人魚

2019-09-08 17:03:42 | 読んだ本

E・S・ガードナー/高橋豊訳 一九八五年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
きのうから反対訊問つながり、というわけでもないが、疲れてたり集中力なかったりしてむずかしいものは読めそうにないときでもスラスラスラと読めちゃう、ペリイ・メイスンシリーズ。
原題「THE CASE OF THE NEGLIGENT NYMPH」は1950年の作品。
ふるい目録だと、「なげやりな人魚」って題になってたりする、これは改訳版らしい。
んー、辞書どおりの意味だと、怠慢な水の妖精ってとこなのかな、まあどうでもいいが。
なにが人魚かっていうと、メイスンの依頼人が海から現れるとこから始まるからで。
別件の法廷闘争にそなえて、メイスンは夜の海にひとりカヌーを浮かべて、ある島にある屋敷を見張ってたんだが。
そこへ裸で泳いできた金髪で美貌の女が、島にあがってドレスに着替えて家のほうへ行くという場面を目撃しちゃう。
なんだろね、この時期のこのシリーズって、ヒロインのこういう登場のしかたが多いような気がする、非常階段をきれいな脚の女が降りてくるとか、読者サービスですかね、いいねえ。
で、しばらくすると、女は追っ手に追われて逃げてくる、そして海に飛び込んで逃げるんだけど、そのときメイスンはカヌーに上げてやってかくまうことにする、常に女性の味方である騎士道的弁護士、そのときは名前も告げずに別れるんだが。
女が盗ってきたのは、島の持ち主の過去の犯罪を告発する手紙だったんだけど、獲られた側は彼女が五万ドル相当の宝石を邸から盗んだと告発する。
逮捕された彼女は、メイスンに弁護を依頼する、メイスンはカヌーで逃がしてやったことがそのうち明るみに出るかもしれないんで、もうのっぴきならないからどこまでも付き合うしかないと覚悟して依頼に応じる。
そんなこんなしてるうちに、いつものとおり殺人事件が起きて、彼女が銃撃した犯人だってことにされて裁判が始まる。
もちろん、いつもどおり不利をくつがえして最後はメイスンが勝つんだけど。
彼女が手紙を盗みに入った夜に、追いかけるときに放たれた犬、訓練されてて敵には獰猛で普通のひとには手に負えない犬がいたんだけど、その犬がいまはどこにいる、ってメイスンの反対訊問が意外と功を奏するのが印象的。

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やさしいディベート入門

2019-09-07 19:21:45 | 読んだ本

松本道弘 1990年 中経出版
実家の押し入れを片づけてたら、なんで当時読んだのかよくおぼえてない、むかしむかしの本、それも入門書系が出てきたシリーズの一環で。
サブタイトルは、「論争・会議・商談の武器」「人生に勝つための知的技術」。
冒頭に、当時の「朝まで生テレビ」におけるやりとりの実例が出てたりして、話が激突するようでいて、ちっとも建設的な議論になんないと説明されてんだけど、そういうの見て、あー、あったな、そういう問題意識でディベートの正しいやりかた知りたくなったんだっけ、って思い出した。
>今はテレビを筆頭とするマスコミ凶暴時代(略)である。マスコミは裁く。西洋でいう正義は、日本でいえば「空気」である。その空気を動かす力を持っているのがマスコミで、しかもマスコミを裁くものがないから、マスコミが横暴になるのも避けられない。(p.15)
ってプロローグにあって、空気に流されないようになるにはディベートができないとってことなんだけど、これは30年ちかく経った今でも変わんないねえ。
特に、正義ぢゃなくて「空気」が幅利かしてるって指摘はあたってると思うし、それも現在ぢゃあ、マスコミよりもむしろ、いろんな個人の発信の集合のほうが強くなってきてる、でも「空気」なんだよな、どこまでも。
まあ、思想哲学はともかく、技術解説に関する入門書としてこの本は十分おもしろい。
立証のしかたとか、否定する側の立論の方法とか、反対訊問の心がけとか、ゲームのテクニックとしておもしろい。
自分の主張を大声で言いっ放しにする討論会ぢゃなくて、ディベートの試合って、自分が肯定・否定のどっちに立ってもできなきゃいけない、みたいなことは最初に読んだときは目からウロコだった気がする。
大まかな章立ては以下のとおり。
第1章 ディベートって何なんだろう
第2章 ディベートはどうやるのか
第3章 試合での「議論」の組み立て方
第4章 反対訊問と反駁はどうやるか
第5章 ディベートの審査基準
第6章 ビジネスにディベートを活かす
第7章 ディベート体験記

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トランプがローリングストーンズでやってきた

2019-09-01 17:12:06 | 読んだ本

町山智浩 2018年 文春文庫版
わりと新しい文庫だが、7月に中古で買ったもの。
順を追って読んできた「USA語録」の第4弾で、文春の「言霊USA」としての連載は2015年3月から2016年3月だから、ぐっと新しい時代、ほぼ現在に近いと言ってもいいんぢゃないかと。
タイトルは、ドナルド・トランプが選挙戦のBGMにストーンズをかけていたってとこから来てるらしい。
ブッシュ政権のころから、アメリカのおバカなとこを教えてくれてた本シリーズだけど、まさかホントにトランプを大統領に選んぢゃうとまでは思ってなかったろう。
本書では、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなんかでもとりあげた「保守的な叔父さんを手っ取り早く黙らせる方法」(p.196「Your Conservative Uncle あなたの保守的な叔父さん」)なんてのも紹介されてるが、リベラルはダメだ、メキシコとのあいだに壁を作る候補を支持しようなんて風潮は強まる一方のようで。
ほかにもアメリカの現状で勉強になるようなことがいくつもあった。
たとえば、
>政府の調べでは2350万人が生鮮食料品を売る店が歩いて行ける距離にない場所に住んでいる(略) 食費にも困る人々は自動車も所有していない場合が多く、巨大スーパーまで買い物に行けないから、野菜が買えない。こうした食生活格差をフード・ギャップと呼ぶ。(p.52「SNAP Challenge 政府の貧困層向け食費援助額で実際に暮らしてみる実験」)
とか、
>アメリカでは水泳は義務教育の必修科目ではない。だから、泳ぎは親がプールに連れて行って教えたり、スイミング・スクールに入れてやらないとおぼえない。貧乏だったり、共稼ぎや片親で忙しい家の子は泳げなくなる。貧富の差で「水泳格差」ができてしまうのだ。(p.84-85「Black people can't swim? 黒人は泳げない?」)
とかって格差の話は、けっこう衝撃的で、先進国とは呼べないんぢゃないのという気がする。
泳ぎにについては、そのあと黒人がなぜに水泳から縁遠くなったかという解説に展開してくんだが、奴隷制の時代に逃げられると困るから川に入るのを固く禁じて、「水に入ると死ぬぞ」なんて脅したような歴史からきてるんだとまでは知らなかった。
あの国の差別や偏見のひどかったのはしょうがない、こないだも『ロールスロイスに銀の銃』って映画観てみたけどね。
それはさておき、現代の新しい言葉で、そういう言い方あるんだーと、おもしろく思ったのがいくつか。
Hater ヘイターって、2010年に辞書に載ったらしいけど、有名人などを憎む人をそういうらしい、ネットで悪口ばっか撒き散らしてるタイプかね。
Sophomoric ソフォモーリックは、世間で評価高いものなんかを嫌って文句言ったりして自分は人とは違うって主張する青二才を指していて、ソフォモーは高校二年生のことだけど、日本語訳すると中二病なんぢゃないかという。

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