大川慎太郎 二〇二〇年 講談社現代新書
これは年末に買った新しい本。
いつも月刊誌読んでるし、なにも観戦記とか書くひとによる将棋関係の本あらためて読むこともないとは思うんだが、「うつ病九段」のテレビドラマが妙によかった余韻のような勢いで、なんとなく読んでみることにした。
なかみはタイトルそのまんま、棋界において、およそ平成の30年間ずーっと強かった、羽生永世七冠と同じ1970年前後生まれの棋士たち、なんでそんなにたくさん強いひとが出たの、って話、棋士へのインタビューを中心に構成。
いろんな表現あるけど、だいたい共通してるのは、とにかくこのひとたちは自分の頭で全部一から考えるってことをした、そこがすごいってことになる、技術的には。
精神的には、羽生がいたから、ってことになるみたい、彼がすごかったから周りも一緒になってレベルアップしたと。
まあ、細かいことは、新しい本なんで、ここに書かないで読んでもらったほうがいいんだが。
やっぱ先ちゃんこと先崎九段のとこはおもしろいと思った。
>奨励会は、まず最初に身体が弱い人間を淘汰します。次は精神的に弱い人間。三番目が将棋の実力ですね。(p.143)
ってのはさすがの見立てだ。
佐藤康光会長もいいこと言ってる、会長職についてから将棋の勉強する時間はなくなったんだが、勉強しなくても勝てるためには、
>大事なのは次の3つです。流行に毒されないこと。自分の経験をうまく生かすこと。自分に自信を持ち続けること(p.271)
だという、さすがです。
郷田九段もあいかわらずかっこいいことたくさん言ってる。
なかでも将棋の技術とは直接関係ないかもしれない後輩への指導について、
>わかっていない後輩には「おい、何やってるんだよ」と厳しく言うものでしょう。若い子は行き届かないところがあって当然なんですよ。だって若いんだから。(p.289)
なんて言ってんだけど、「だって若いんだから」で受け止めちゃうとこが度量があって好きです。
大まかな章立てと登場棋士は以下のとおり。
序章 将棋界で起きた「31年ぶりの一大事」――大きな転換期を迎えた羽生世代
第1章 羽生世代はなぜ「強かった」のか――突き上げを受けた棋士の視点
谷川浩司・島朗・森下卓・室岡克彦
第2章 同じ世代に括られることの葛藤――同時代に生を受けた棋士の視点
藤井猛・先崎学・豊川孝弘・飯塚祐紀
第3章 いかにして下克上を果たすか――世代交代に挑んだ棋士の視点
渡辺明・深浦康市・久保利明・佐藤天彦
第4章 羽生世代の「これから」――一時代を築いた棋士の視点
佐藤康光・郷田真隆・森内俊之・羽生善治
石川真澄・広瀬道貞 一九八九年 岩波書店
去年押入れの段ボール箱から30年ぶりに出してきたもののひとつ。
著者は二人とも朝日新聞のひとで、そういうわけだから本書は政治学っていうより、ジャーナリズムって感じになる。
だいたいそういうお立場だと、自民党批判ってことになりそうなもんだが、べつに特段偏向した考えではないみたい。
ただ、自民党政権を揺るがす可能性を検討するってのには、当時はリクルート事件起きたばっかの時期だし、ずっと自民党の一党優位がつづくと、権力は腐敗するよって問題意識がある、それはわかる。
でも、まあ、ごたぶんにもれず私が持ってる古い本は、中選挙区時代の話だから、いま読むと、当時はそういうもんだったって過去のことになっちゃうとこあるけど、歴史の勉強にはなる。
野党第一党だった社会党が自民党の変化に対応できず凋落してったとか、自民党はもともと農村部で強かったけど80年代には都市部とか若年層に支持が広がったとか、そういうのはありきたりであまりおもしろくない。
本書をパラパラと読み直して(最初に読んだときの記憶はないんだけど)、おもしろかったのは第三章の後援会の話。
>総選挙の情勢取材をするとき、新聞記者がまっさきに調べるのは自民党候補の各陣営に参加する市町村長の数である。その多寡が強弱の重要なメドになる。次に農協幹部と土建業者たちの動向である。(p.143)
というのは新聞記者らしい視点で、世論調査の集計という方法をとる学問とはちょっとちがう。
地域の医師会とか、理容師の組合、飲食店やパチンコ店など風俗営業の協会、福祉系団体、教育系団体、商店街とか商工会、運輸・交通系団体などなど、どういうとこから推薦状もらって選挙事務所に貼ってあるかってのが集票マシーンを理解することにつながるという。
後援会ってのは、たとえば学校で一緒だったひとたちとかの個人的つながりで集める部分がひとつ、それ以外にそういう地域のいろんな業種の団体がさらにあるってのが自民党の特徴。
個人的なつながりのほうは、冠婚葬祭に顔出したり、旅行に行ったり、就職あっせん頼まれたりって性格がつよいけど、業界団体のほうは最終的な目的は補助金を引っ張ってくるってことになる。
で、財政が厳しくなって、臨時行政調査会の提言なんかで補助金の整理・削減をすすめたときも、政治の介入の余地のない「制度的な補助金」で国の負担は減らすことはしたけど、政治の裁量により決める「政策的な補助金」は維持されたと。
経済効率重視で資源を投入するのが合理的なはずなんだけど、ここはそれぢゃできないから国の支援が必要なんだ的な論理で、自分の選挙区にもってっちゃうんだよね、しょうがないなあ。
あと、「経団連の政治献金」とか「派閥の資金調達の構図」とかについて書かれてる第四章もおもしろかった。
コンテンツは以下のとおり。
第一章 自民党と反対党――野党はどのように保守政権を支えたか――
第二章 自民党支持の社会構造と選挙
第三章 後援会――組織政党としての自民党――
第四章 企業と自民党
第五章 統治機関としての自民党
終章 将来に関する若干の考察
丸谷才一 2000年 講談社文庫版
これは、年が明けたからもう一昨年ということになっちゃうが、たしかその四月に地元の古本屋で買った文庫。
小説はわりとすぐに読むんだが、評論だと、なんか買って手元においとくだけで、とっかかるのがどんどん後回しになる。
ところが、これ読んだら、むずかしくなく、すごくおもしろいので驚いた、語り口調だからなのかもしれないが。
収録されているのは、「恋と日本文学と本居宣長」と「女の救はれ」の二つ。
テーマはタイトルのとおりで、
>日本文学のかういふ恋愛肯定はなぜ生じ、なぜつづいたか。これは大問題なのですが、いままで考へた人はゐなかつた。(略)そんなこと論じたのでは偉い評論家に見えない。損である。だから別のことを書いたのでせう。仕方がないから、自分で一つやつてみます。(p.49)
ということになる。
冒頭に中国へ旅行したときの話があって、中国人との会話のなかでは色っぽい比喩や冗談は言っても無視されるという。
で、中国の文学や詩には恋愛をとりあげたものがないのに、日本は「源氏物語」なんてそんな話ばっかりだし、勅撰和歌集なんかにも恋は大きなウエイト占めてるのはなんでかって考察を始める。
もともと中国に恋愛小説がなかったわけぢゃなく、七〇四年から七〇七年のうちに日本に到来した、唐の始めのころの張鷟(←「さく」って文字は環境依存? 族の下に鳥)という人の書いた『遊仙窟』という小説が、日本王朝文学に多大な影響があったという。
貴族が、落ちぶれた家の姫君を訪ねる、みたいな恋愛風俗に関する願望がはびこったのは、これがもとに違いないと。
別のとこでは、
>そして中国文学の研究者、高島俊男さんによると、「英雄、色を好む」といふ諺は中国にはないさうです。日本製ではないかと疑つてゐる。中国にあるのは「英雄、人を欺く」ださうである。これはたしかに、『三国志』その他の権謀術数の匂ひがプンプンする諺ですね。(p.38)
なんて豆知識が紹介されて、たしかに中国の英雄伝は大まじめに天下国家を治めるとか戦をするとかなんだけど、日本ぢゃ「忠臣蔵」でも「曽我物語」でもヒーローには色恋沙汰はあると。
あっさり言っちゃうと、中国に恋愛文学がないのは儒教のせいで、だから夫婦間の愛情ならまだしも、未婚の男女の恋愛なんてのは厳しく退けられるというのが伝統になっている。
ぢゃあ、日本はどうかっていうと、そこまで儒教は強くなかった、まあそうでしょう。
丸谷さんの他の著作にもあるように、皇室が恋の歌つくることによって五穀豊穣につながる、みたいな呪術性も根強かったし。
政治にかかわるような公のことについては漢文とかちゃんと勉強しつつも、私的というか和歌を詠むとか物語読むとかって文学の面では中国の精神を取り入れることはしなかったのかと。
>中国は日本にとつて圧倒的な先進国だつた。(略)ところがその先進国の文学と自国の文学とのあひだに、恋愛のあつかひにかけて大きな相異がある。性格の極端な対立がある。とすれば、文学にたづさはる者はみなこのことに悩みさうな気がする。(略)
>しかしそんなこと別に気にしなかつたんですね。けろりとしてゐた。(p.59-60)
ということなんだが、そこで考えるのやめちゃうのも日本人らしい気がするけど、もちろんそれで終わりぢゃない。
>しかし、日中両国の文学の対立を重大問題としてとらへた人が、わたしの知る限りたつた一人ゐた。彼は恋といふこの一点にこだはることによつて日本文学の宣揚に成功した。本居宣長です。(p.62)
ということで、宣長の「もののあはれ」論が登場。
西洋文学というものを知っていれば、文学は恋愛を書いてあたりまえって言えるんだろうけど、それがない十八世紀の日本で孤立無援な状況で宣長は考えた。
>そこで宣長はさういふ状況のなかで、どう考へて、自分で納得が行つたか。中国人が倫理的に高級だから恋をしないのではない、恋をしても書かないのだ、彼らは嘘をついてゐるのだ、偽善的なのだ、と考へた。(p.73)
というふうにとらえることにしたってのは、はなはだ自己中心的な感じもするけど、
>日本人はその点、うるさく道徳を口にしない。感情を偽らずに本当のことを書くし、しかもそれを(ここが大事なのですが)優美に書く。それが宣長の次の論点でした。「もののあはれ」といふ彼の用語は、これを一語に集約したものです。(略)宣長はこの「もののあはれ」によつて、中国文学の方法とは違ふ日本文学の方法、人間の感情の直截でしかも美的な表現を宣揚しようとしたのである。
>文学的先進国の理念と真向から対立する文学的後進国のこの主張は、日本文学の独立の宣言であつた。すごい事業でした。(p.75-76)
と解説されると、なんか偉いと思えてしまう。
中国文学との違いについては、もう一篇の「女の救はれ」では、女人往生ということをあげている。
「平家物語」の建礼門院徳子の話や「源氏物語」のエンディングを論じて、
>わが王朝文学から江戸文学にまで至る、女人を救済し、とりわけ品行の悪い女人の浄土ゆきを助けるといふ発想は中国文学にない。(p.150)
として、女人成仏を肯定するのは日本文化の重要な特性であるとして、中国文学をただ真似するだけぢゃない頑強さをたたえてる。
そのベースには、平安時代が通い婚だったってだけぢゃなく、古代日本が女系家族というか母系支配だったから、その記憶というか懐かしみがどこかにあるのではないかと。
王子さまは生まれた家を継ぐんぢゃなくて、どこかへお姫様を探しに行って、その行った先で王国を譲り受けるというのが、スサノヲやヤマトタケル(これは必ずしも成功してないけど、そういうのがまたうける)のころからの物語の伝統だし。