kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

背中を押す

2016-07-05 | 陸上競技
前の記事、本当はもう少し書きたかった事がありました。忘れていました。まー大した話ではないのですが。

「国家独唱」の話に少し触れました。このニュースがヤフーで流れた時に多くのコメントが「賛同」の意見でした。税金を使ってオリンピックに行くのだから日本代表としての自覚を持て!と。国歌を歌わないような日本代表は参加する資格がない、と。事実がはっきりと分かった時にそのことについて謝罪する事はない。言ったもの勝ちです。

そして「日本代表としての資格はない」という話をしたのがどのタイミングなのか。ここもよく考えるべきだと思います。リオオリンピックに向けての「壮行式」です。これから1ヶ月後のオリンピックに向けて気持ちを一つにしてみんなでやっていこうという気持ちを一つにする場所です。その場面で「代表としての資格はない」と盛り下がるような発言をする。これで「戦ってこい」というのは面白くないですね。

発言した方の立場や気持ちもあると思います。が、「独唱」の時に歌わなかったからといって「代表の資格がない」と言われると・・・。選手たちはインタビューではそのことに触れずに「前向きな発言」をしていました。代表としての自覚はあるのだと思います。日本代表となるのはステイタスです。それに見合うだけの練習をしてきたと思います。

本来であれば「壮行式」ですから「しっかり力を発揮して欲しい」というだけで良いと思います。これは私の考え方なので正しいと主張するつもりはありません。以前はオリンピックというのは「国力を示す」という意味合いが強かった。武力を伴わない「戦争」です。メダルの数がそれぞれの国の力を表すと思われていたので各国は必死になって競技力の強化に努めていました。ロシアなどは今でも国を挙げてのドーピング。勝つためには手段を選ばない。まーこれはコーチの方針であったりするのかもしれませんが。

こういう場面では「自分の最大限の力を発揮する」事を考えないといけないと思っています。勝負の場面に立って「日本のためにやるぞ!」とはなかなか思えないと思います。目の前の勝負に一生懸命ですから。だからこそ「まずは自分のパフォーマンスに集中して欲しい」と声かけをして欲しい。結果的にそれが「日本のため」になる。変なプレッシャーをかける必要はないと思います。「しっかりとやるんだよ」と背中を押してあげる事は出来ないのだろうか。

日本代表になる。実際はなりたくてもなれない人の方が圧倒的に多いのです。必死にやって何とかつかんだ代表としての権利。そこに対して一番最初に「お前のここはダメだ」と出鼻を挫くのは違うんじゃないかな、と感じました。インターハイ出場。規模は違いますがやはり名誉なことだと思います。勝ち上がっていっての出場です。その事を後押し出来ないというのは個人的には嫌です。

士気を上げる。そのために行う壮行式。気持ちを高めることが出来ないのであればやらなくても良いと思います。間違っているかもしれません。が、「みんなが応援しているよ」と伝えられなければその式に意味はなくなってしまうのではないか。そう感じました。

言った者勝ち。それで本当に良いのかどうか。「あの時の発言は勘違いだった」と謝罪して「でと代表としての誇りを持ち続けて欲しいという気持ちは分かって欲しい」というだけで随分違うかなという気はします。まーこれは私の感覚です。万人に受け入れられないと思います。私の意見でさえ「勘違い」の中で行われている可能性はありますから。

上手く表現て出来ないことが増えています。気を使いながら書いていかないといけないからです。全く意図しない捉え方をされる可能性もありますし。一応書いておきます。面白くはないと思いますが想うことを書き残しておきたい。
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自己主張?

2016-07-04 | 陸上競技
ちょっと思うことを。前も書いた「部活動」についての考え方です。

前日見た番組で「クレーム」についてもありました。保護者から連絡があるという話。本当かどうかわかりませんが、クラス担任に夜遅く電話してきて「うちの子供は朝起きるのが苦手だから起こしに来てくれないか?」という話があったとかないとか。いや、そういう部分は間違いなく自己責任だともいます。保護者がついているのであれば「自分の子供は自分で起こしてください」という話。笑い話にもなりません。

今の世の中、「言わないと損をする」という感覚があるのでしょうか。何か起きた時に黙っていたら自分が不利益を被るという感覚。が、本当にそれでいいのかどうか。少し話がそれます。リオオリンピックの「結団式」が実施されたそうです。その中で選手が「国歌」を歌わなかったと元総理大臣が選手団を叱責したとの報道。「代表としてその場に立っているのだから日本の代表としての自覚を持て」と伝えたそうです。それに対してyahooのコメントなどでは「税金を使っていくのだからそれくらいの自覚を持て」という意見。が、詳しく報道を聞いてみると「国歌斉唱」ではなく「国歌独唱」だったようです。代表の一人が「独唱」をするという設定だったとのこと。それを理解しているから歌わなかったという選手も大勢いたのではないかと想像されます。

が、こうやって「きちんとやれよ」と言葉を発した後ではその言葉を戻すことはできません。本当に歌わなかったのかもしれませんし、「理解して歌わない」のかもしれません。こういう部分は難しいと思いますが「これまでの発言」を聞いているとほとんど「自分の意見の押し付け」でしかない方なのかなと思います。

話を戻します。その時の番組では保護者が「この選手を使え」とか「〇〇を辞めさせろ」と顧問に対して保護者が電話で指示をしてくるという話もありました。こうなったら「言ったもの勝ち」です。自己主張とは大きく違います。「発言をする」ということの意味をしっかりと考える必要があります。自分の子供がかわいいからそれを妨害する者を排除しようというのであれば「自己中心的」でしかありません。選手をどのように使うかはそれぞれの顧問の裁量だったりすると思います。中学校や高校では「素人」が顧問に就くことだってあります。自分のほうが競技に詳しいからと言って保護者があれこれ口出しをし始めると収拾がつかなくなります。

その顧問は「ボランティア」でやっている場合が多いのです。いや、多いというか完全にそうだと思います。それなのに「土日の練習試合が少ない」とか「もっと細かい指導をしろ」というのは違うのではないかと思っています。部活内の事に保護者が「もっとこういう運営をしろ」と良い始めたらどの意見を大切にすればいいのか。前も書きましたが「ノイジーマイノリティ」の意見があたかも「全員の意見」のようにまかり通る。「声の大きい少数派」という意味です。「サイレントマジョリティー」(沈黙する多数派)のほうが多い。自己主張をするほうがあたかも「正しい」という風潮がある。

こうなると「なんでもっと意見を言わないのか」となる。「〇〇を辞めさせろ」とひたすら主張したらその子を辞めさせることになるのか。そんなことができるはずがありません。「〇〇を試合で使え」と言ったらその選手を優先的に使うのか。そんなことがまかり通ったら「ノイジーマイノリティ」の方が良いということになる。どちらが良くてどちらが悪いという気はありません。民主主義ですから「声の大きい少数派」の意見を無視するのは違うかもしれません。が、「声が大きい」からその意見が正しいかどうかは別問題だと思います。冷静に判断して「やるべきこと」をやる必要があると思います。

顧問をする。ここに「権利」がある程度発生すると思っています。「これをやれ」と言われてそれに従うだけでは良いことにはなりません、。「お飾り」ではないからです。それぞれ立場があると思います。自分の子供のことだけを考えている発言をすると周囲からどのように思われるでしょうか。それさえ気づかないパターンも多いと思います。なんせ、自分の子供は最高にかわいいですから。自分の子供が嫌な思いをするのは避けたい。そうであれば他の子供はどうだっていい。視野が狭くなり行動が制限されます。

「自分の子供はもっと活躍すはずだ」と思うかもしれません。野球などでいれば試合に出れるのは限られています。それ以外の選手はどうしてもサポートに回ることになる。レギュラー選手を「辞めさせろ」と主張すれば出場する可能性が増えるのかもしれません。しかし、それで試合に出れるでしょうか?そういう考えの中では「自分の邪魔になるものはすべて排除すればいい」という感覚になる。これではよくないと思っています。

私自身、部活の指導をする中で「他の事をやったほうが良いのではないか」という話をすることがあります。基本的な約束事が守れない、練習を一生懸命やらない。こういう子が「単独」でやるのであれば問題はないかもしれません。しかし、集団の中で「自分さえよければよい」という風潮がまかり通れば組織は成り立ちません。当然の話だと思っています。ほかの道を進めることもある。それはお互いのためになると思うからです。こういう指導をすれば「排除するのか」と言われるかもしれない。しかし、そうではないのです。「サイレントマジョリティ」は無視していいのかという話になります。

国歌を歌った、歌わないの件。選手団がそこで「独唱ですよ」「歌う必要なかったではないですか」とその場で反論することはなかったと思います。それぞれの立場を考えての事。「自分だけの立場」で考えのは良くない。それは決して「自己主張」ではないのですから。

うーん、まとまりません。番組を見たときはかなり憤りを感じていたんですが。少し薄らいできている感じでしょうか。まとまりません。お許しを。
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トレーニングする

2016-07-03 | 陸上競技
土曜日、この日はトレーニングとしました。前回の日曜日と同じメニューを設定。ポールはクラブチームにて専門家の指導を受ける事に。全体で一緒に行動するというのが難しい部分もあります。種目特性が異なればやる場所が異なるというのは当然あり得ると思います。指導してもらえるのでそこをどうするか。細かいところは私には分かりません。教えてもらった事をきちんとやり続けていくしかない。

ポール選手は筋力的にはかなり上がってきているという事。が、技術不足で跳躍にならない様子。女子のポール、他県の状況を見てみるとやはり高い。最低でも3m跳ばないとインターハイはないと思います。そうであれば今のままでは厳しい。もっともっとポールに特化していかなければいけないと思います。来週の日曜は広島でポール練習会があります。早速連れて行って刺激を受けたいと思います。環境を提供する事は出来ますから。

他のメンバーはトレーニング。シャフト補強などをやっていきました。前回と同じなのでトレーニングの合間にドリルを入れました。男子は比較的声が出るようになってきました。他校とやった時に同じ事ができるかどうかわかりませんが、少しずつ変わりつつあるかなと。女子は基本的に大人しい。テンションが上がってやる事はほとんどありません。ここも今後の事を考えると変わっていかなければいけないと思っています。学校の雰囲気というのもあると思います。ここも少しずつ変えていきたい。今のままで大きな舞台では戦えないでしょうから。

だからといって「やる気がない」というわけではありません。男子も女子もよくやっています。テンションがめちゃめちゃ上がっていなくても最後までやり遂げます。大学生になるとこういうキツいメニューはテンションを上げて乗り切るのだと思います。が、うちの選手は基本的に大人しい。よく勘違いされます。「練習が嫌い」と思われるのではないかと。が、近くで見続けていれば「強くなりたい」という想いを持ってやっているのがわかります。近くで見続ける事は本当に大切だと思います。周りから何を言われようと私が選手を信じてやっていけばそれでいい。

ドリルの動き、継続的にやっていくと変わってきます。1年生女子、かなり変わってきていると思います。動きもですし取り組みの姿勢もです。1人はドリルのやり過ぎで股関節が少し痛くなったとのこと。無理はさせられません。基本的に股関節周辺の筋群が弱いのでドリルをやるだけでもトレーニングになります。中国大会が終わってから劇的に変わってきています。この子達、表に「絶対やってやる」という雰囲気は出ません(笑)。が、取り組みの姿勢を見ていると少し前と比べると大きな変化が見られます。分かりにくいですが(笑)

「3年になったらインターハイが狙える」という表現をされる事があります。多分本人達はそんな気持ちはないと思います。既に来年に向けて動き始めています。可能であれば秋に48秒中盤を狙いたい。それくらいの気持ちでいます。「私は」ですが。まずは今目の前にある事をしっかりとやり続ける事が出来れば強くなれると思います。インターハイに進んで終わりではなくもっと上を狙いたいと真剣に考えています。

男子も秋にはリレーで決勝を狙います。それくらいの力はあるだろうなと思っています。人数が足りないのでアンカーはポール選手にするつもりです。それ以外のメンバーが力を上げてくれてポール選手からメンバーを奪い取ってくれると助かるのですが。日程が重なるので出来れば避けたい。とはいえ、勝負するためには避けては通れません。やらないといけません。

あー。練習について全然書いていないですね(笑)。いつもは男子よりも女子の方が早く終わるのですがこの日は少し遅かったですね。メリハリ不足?かなという部分もありました。取り組みの姿勢は大きく変わって来ているのですが誰かが引っ張らないと自分たちのペースでやってしまいます。女子キャプテンには大きな期待をしています。うちが戦えるようになるためにはこの子の成長が必要不可欠です。秋に戦うのであれば4人目がどこまでやれるか?殻を破れる選手が増えてくれると違うと思います。秋には県外に練習に行こうと思っています。そこまでに何とかしていかないといけない。県内でのプライベート合宿もあります。今のままでは「付いていくだけ」になる。「強くなる」ためにはもうワンランク上の取り組みが必要かなと。取り組みは良くなっているのですが「これまでと比べて」でしかないですからね。まだまだできます。

今は「言われたことを必死にやろうとしている」という感じでしょうか。「伝統」というものがありません。戦うために何をしないといけないかを学ぶ事が出来ていない。これが一番のネックです。これまでの選手も良く頑張ってくれていたとは思います。今の3年生も大きく変わってくれました。が、本当の意味での勝負には届かなかった。ここに大きなポイントがあると思っています。彼らの想いを引き継ぐのであればやはりこれからの取り組みは大きく変わって来なければいけないと思います。

前回と同じメニューをやり切りました。細かい所を意識してできたかどうか。この日は「体幹」の話をしました。中心となる部分がブレないということを重視。手足が動いたとしても体幹がブレたくない。意識してやろうとしていました。まだまだです。が、こういう気持ちが出てくると変わると思います。「やるだけ」の練習から抜け出さないといけない。形を重視です。バランスディスクなどを使った練習は特に意識しないといけないと思いますね。

まとまりがないなー。文才がない(笑)。まーとにかく練習しました。記録しておきます。
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やるべき事

2016-07-03 | 陸上競技
続き。

5時間近く話し込んでいたので何の話をしたか記憶が曖昧です。周りから見ると明らかに変な人ですね。ほぼ競技の話しかしていないのですから(笑)。

種目特性が全く異なるのでやる事が異なっています。理論的な話を少ししました。それぞれの種目についての技術論を交わしても平行線のままだと思っています。共有できる部分は共有しますがそれ以外の部分が多いので。

この日、たまたま時間がある時に「やりたい動き」について用紙に書き出していました。今、もう一度基礎的な事からやろうと思っています。縦の動きを身につける。それは加速段階の動きにも繋がっていく。何か動きをやろうと思えばその前段階が出来ないといけない。単に練習をしているだけではなく「目的」を持って組み立てていきたいなと考えていました。そこは私の中で結構大切な事だと考えています。

思いつきで練習をする事も多くあります。が、こちらとしては段階を追ってやっていきたい部分がある。「こういう事をやりたい」とか「動きのポイントを身につけさせる」ことをどうやってやっていくか。やりたい動きをするためには基礎筋力も必要です。限られた時間の中で何を優先していくか。性格的に全部やりたくなるのですがそれはできません。時間をかけながら少しずつやっていきたい。

ここで書いている事。なかなか上手く表現できていないと思います。例えばレースの後半が弱いという選手がいる。走り込みをしたり長い距離を走れば最後まで持つようになる。そう考えてひたすら走るというのも練習パターンの一つかもしれません。しかし、そんな安易な話ではなくその前の段階で本当はやる事があるのではないか。

速い選手の動きが正しい。これも別問題だと思っています。これも食事をしながら話していた(と思う)のですが、「マック式ドリル」についてあーだこーだ言っていました。膝から下を降り出して走る。一時期ほとんどの指導がこのパターンでした。が、バイオメカニクスが導入されて「あの動きはダメだ」と全否定。しばらくその時代が続いて「10秒00」の日本記録が出た。すると「やはり膝から下の降り出しは大切なのだ」となる。

独特の走りをしている選手の動きを真似しても絶対に上手くいかないと思っています。膝から下が遠くに着いてそこから身体を運ぶ。どれだけの負担が足にかかるか。重心移動がスムーズにできる素晴らしい感覚を磨いていれば可能だと思っています。が、普通はできません。怪我をして終わりです。速い選手がやっているからその動きをするというのは方向性が違うと思います。うーん、こんな話してたかな?!(笑)

私は今自分が信じている事をやるようにしたいなと思います。あれこれ情報があふれている世の中だからこそ「これをやり通す」と信じたものをやり続ける。いつだったか忘れましたが徳山で食事をしている時に諸先輩方から話を聞いていました。師匠達が結婚式て徳山に来た時ですね。「何のためにやっているのか説明できるか?!」という話。中四合宿を引き受けて練習をやる。その時に「何をやっているの?」と周りから言われる事もある。その時に「この練習は○○のためにやっている」と相手に説明できないといけない、と言われました。

後半のスピードが鈍るから長い距離を走る。こんな話ではありません。長い距離を走れば持久力が上がるから後半も落ちない。そういう話ではない。ダイナマックスを投げる。シャフト補強をする。ここに何の意味があるのか。身体作りをしています、というレベルではダメだと思っています。何か明確な狙いがあってそこを果たすためにやる。それが説明できないといけない。

だからこそ自分が信じる事をやり続けないといけないと思います。信念を持って「これをやっている」と言い切れるだけのもの。周りからあれこれ言われるかもしれません。しかし、ある程度の事はスルーしていかなければいけない。もちろん信頼できる人からのアドバイスは聞き入れないといけないと思いますが、「これをやる」と決めたら押し切るだけの信念は必要だと思います。

この世に「オリジナル」な練習というのはほぼないと思います。みんな同じような事をやっています。が、そこに信念を持ってやれるか。あたかも自分が考えたんだと言い切れるくらいの自信を持ってやっていけるか。ここはすごく大切な話だと思いますね。私がやってる事も最初は「真似をする」ことから始まっています。が、やっているうちに自分なりの信念を持ってやるようになりました。ブレないような軸を持って。

考え方や取組み方。ここはかなり徹底します。が、それだけで結果は残せないと思います。根性論ではないですから。やりたい事があってそれを身につけるために何をするか。

こんな話をしていた気がします。違ったかな?真面目にこんな話をし続ける。私は陸上が好きですからそれしか出来ません。他に趣味がない。だからこそこういう時間が最高に楽しい。真面目に真剣に考えて話ができるというのはなかなかありませんから。マイナスな考え方ではなくこれから先にどうしていくかを考える。楽しいですね。

うーん、何の話?!まーいいか。
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真面目に

2016-07-03 | 陸上競技
金曜日、夜は親しい指導者と食事へ。昨年から不定期ですが一緒に食事に行っています。お互いが考えることを食事をしながら延々と話し続けます。同年代ですから感覚的に近いものがあります。ちょっと真面目な話が多くなりますね。

大前提。同年代だから話が合うのかどうか。ここは異なる部分があります。やっている事自体が特殊ですから話が合う合わないというのはあります。私はこういう性格ですから誰とでも食事に行くという事はありません。一緒に食事をして面白くないと思うのであればちょっと遠慮させてもらいたい(笑)。「変わっている」という自覚はあります。が、生きている時間は有限ですからあまり無駄な事はしたくない。

毎回の事ですが結構真面目な話になります。ほとんどは「競技の話」です。自ら学ぶ事というのが大きなテーマになっている気がします。我々が学ばなければ伝える事は出来ないですから。狭い世界でやっていたら何も変わらないと思っています。そして「目標は高く持つ」という部分。今年はインターハイ出場は果たせませんでした。が、中国大会に行ければ良いなという気はありません。それぞれの競技レベルにあった目標というのが存在するのは当然です。が、「試合に出る事が目標」という感覚でやりたくはないという部分が強くあります。常に「戦う」事を念頭に置いてやりたいですから。

これは感覚の話です。私は「勝つ事」を目指しています。言葉尻を捉えられてあれこれ言われるかもしれませんが。最も嫌いなのが「自分としては最大限やっている」という言葉。「自分なりに一生懸命やっている」事は自分自身の枠の中で「満足している」だけです。本当はもっと大きな世界が広がっている。でもそこを知る事なく終わってしまう。大半はこのパターンだと思いますね。

勝利至上主義。勝つためには手段を選ばない。勝つ事が価値観の全て。こんな感じで捉えられるでしょうか。私は違うと思っています。最初から「負ける事」を考えて練習していたら強くなる気はしません。中国大会に進む事を考える。そこが最大目標になるから工夫も出来なくなる。「どうせ上手くいかないのだから」と最初から考えていたら上手くいく可能性はない。「参加する事に意味がある」と考えるかもしれません。普段練習をやっているのだから試合に出れば良いという感覚では「枠」の中から抜け出せないと思います。

勝つ事を考える。そうする事で「小さな自分」から抜け出せると思っています。県内で1番になったとしても県外に出れば「小さな存在」でしかない。中国地区で勝ち上がれなければインターハイはないからです。同じ高校生でも「競技に対して真剣になる」選手もいれば「普通にやる」選手もいる。練習している選手は多くいます。同じ高校生。でも「自分達は頑張っている」という感覚は大きく異なる。「枠」がどれだけのものなのか。昨年はペットボトルの話をしました。500mlのペットボトルと2lのペットボトル。自分たちがいっぱいにしているのは「500ml」のペットボトル。本当に勝負しようと思っている選手が一杯にしようとしているのは「2l」。それぞれが見ている「器」が違うから「満タンになる」という感覚が違う。500mlのペットボトルの一杯と2lのペットボトルの一杯は違う。でもそれぞれが「もう少しで一杯になる」と思っている。だから「感覚の差」が生まれるのです。

自分なりの一生懸命。大切なことだと思います。が、視野を広げる必要がある。本当はもっともっとできる。同じ高校生ですからできないことはない。最初から「自分達とはやっていることが違う」という諦めがあるかもしれない。いや、そもそも「自分たちの中の枠」でしかないから他者は関係なかったりする。県内で何番になったというのも目標の一つではありますが、ここで物事を見ていたら大きな枠の中では活動できない。本当は「もっとできる」という感覚を持たないといけない。

これはどれだけ言葉にしても伝わらないと思います。江戸時代日本が「鎖国」をして海外の文化などを学ばなかった。どれだけ「海外とは差があるのだ」と話しても「いやいや、そんなことはない」「日本が負けるはずがない」という考え方から抜け出せなかった。で、広い世界に出てみると「え??」となる。指導者自身が「外に出る」という感覚がなければ選手も大きく育つことはないと思います。「中国大会に出場した」というのは普通に考えたら「すごいね」と言われることかもしれません。が、あくまで「地区大会」でしかない。本当はもっと上のレベルがあるのです。そこを知りたい。「自分達とは異なる世界がある」というのを知ることがすごく大切になると思っています。

中国大会。うちはボコボコにされました。力のある1年生が入ってきてくれていますが「狭い世界の中で活躍していた」だけ。もっと上がいるということを知る必要がある。1年生です。この子たちのこれから先のことを考えると「手も足も出ない」という感覚を持つことは重要だと思っています。それで「もう無理だ」と思うようであれば所詮そこまで。「絶対に戦ってやる」と思えるかどうかは「競技者」として大切な才能だと思っています。

本当に勝負しようと思えば「最低限到達する目標」がある。4継でいえば47秒台を出さないと勝負にならない。それを「その記録は出ないから無理だ」と指導者が思えば選手も無理。中国大会に参加して終わるだけです。私自身が「絶対に勝ちあがる」という気持ちでいなければ勝負にはならない。小さな枠の中で活動をしていても「自分が弱い」ということには気づかないのです。指導者も「枠」を大きくする必要がある。「器」が大きくなければ何も伝えられないと思っています。そのためには「外に出る」ことが重要なのではないかと思います。小さな枠の中で「俺はすごい」と思っている間は何も変わらない。

こういう話をしていた気がします。外に出る。中高生を指導していたらいつの間にか自分はすごいのではないかと感じるようになります。選手は「それ以外」を知りませんから教えてもらうことが「すごいこと」だと感じてしまう。本当はもっともっと「広い世界」が広がっているのにそれさえ知らない。だからこそ、もっともっと我々が動く必要がある。「環境」や「刺激」を与えれば選手は自分たちで強くなります。それが理想。簡単ではありませんから「外部刺激」を利用させてもらう。大切なことだと思っています。

うーん、まとまりがないですね。もう少し書きたいことがあるので書きます。そのうち(笑)。
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走る

2016-07-02 | 陸上競技
前の記事が微妙なのですが、練習をやったことは記録しておきたいので先に書きます。

金曜日、考査3日目。この日は効果終了時間がバラバラでした。土日を挟むので少しくらいは身体が動かせるなと思って競技場練習としました。「待たない」と宣言していましたが結局始める頃には来ていました。気持ち長めにやろうと思っていたので先に食事をとらせたのでこの時間で間に合ったという感じでしょうか。元々それほど人数が多いわけではありませんから少しでも集まっていた方が効率良くできます。

全体で練習するのは4日ぶり。この4日間どのように過ごしていたでしょうか。天気も悪くなかなか走ったりはできなかったかもしれません。それでもある程度のことはやっておいてもらわないといけません。何度か女子キャプテンに連絡をして「指示」を回してもらいました。「任せる」と言いながらまだまだ甘いなという感じですね。本当は「自分達でやる」という感覚を持たせ続けないといけないのですが(笑)

久しぶりということもあり股関節周辺を動かすことから始めました。限られた時間だとしてもやるべき事はやっておきたい。走るだけではなく股関節周りの強化をきちんとやっておきたいなと考えています。単純に「走る練習だけやれば良い」とは思っていません。走るために必要な事は少しずつ準備しておかないといけない。時間をかけてやっていくという部分ですね。

そこからは足運びを徹底的にやりました。チューブを使っての足運びからスティックを使っての足運び。ここ数年ずっとやっている練習です。とにかく動きを覚えこませたい。自分の身体がどう動いているのかを考えさせながら、感じさせながらやっていきたい。丁寧にチューブで足運びの確認をしてからスティックの動きへ。「締めて落とす」という動きをやっていきました。チューブを外して進み始めると前段階が出来ていない者は膝が締まらなくなります。動き始めると顕著に出てきます。

この日はスティックの距離を3段階に分けてやっていきました。少しずつ伸ばす。伸びると開く。重心の移動が上手く出来ない選手はスティックに届かなくなります。この動きを身につけるためにも様々な事をやっていかなければいけないなと改めて感じました。スティックを伸ばす前に壁抜きなどをやると違うなと思います。次はここですね。ある程度のパターンを作っていきたいと思いますね。

そこからハードルドリルをやってスパイク。チューブ腿上げ、スティック腿上げ、チューブ5歩。スティック腿上げは動きの変化に対応させないといけません。感覚の鋭い選手は自然にできます。普段の動きはそこまで上手い方ではなくてもこの手の練習をさせると上手い。感覚を上手く表現できなくてもこういう所が出来れば良いなと思っています。もっともらしい返答をするよりは「何となく出来る」というのもありかなと。本当は細かく答えてもらえると良いんですが。これから先の課題だと思いますね。

あとはひたすら並走。前回の問題点を指摘して改善するようにしました。並走をやれば良いというわけではありません。何のためにやるかです。お互いがマックスで走れなければいけないのにも関わらずどちらか一方が緩めてしまうような練習では狙いは果たせません。高いスピードを出しながらバトンパスをしなければいけない。まだ安定しません。これも繰り返しやっていくしかないと思っています。4本2セットやりました。考えていない所は渡ることさえない。うーん、これなら一人で走ったほうが断然良いですね。やりたい練習にならない。やはり、考える事は必要不可欠だと思います。

最後は30&60を3本。グループ分けしてジャンケンさせました。勝ったグループは30-60-30、負けたグループは60-30-60。深い意味はありません。マンネリになると面白くないので少し遊んだだけです(笑)。勝負事は勝たないと面白くない。だからこそこういうゲーム性を持たせることも必要かなと。疲れてきて飽きてくる部分もあるでしょうから。

補強も少しやりました。これは本当に遊び。2人1組で。芝生を斜め横断。ジャンケンして負けたほうがオンブする。相手の名前の文字数だけオンブして歩く(笑)。可能な限り大股で歩く。オンブ、抱っこなど大して負荷はかかりませんが。ここ最近はチームメイトが同じ空間を共有していませんからこついうスキンシップを図りながらやるのも良いかなと。

基礎的な事は徹底的にやる。遊ぶ時は本気で遊ぶ。こういう感じが好きです。笑いが出てくる時間も必要だと感じています。もう少し元気が出てくると良いのですが。練習に対する姿勢は随分変わってきたと思います。負けることから学ぶことがある。簡単にインターハイに進んでいたらこんな感じにはならなかったと思います。経験は人を育てる。まー次に活かせないと意味はないですが。

まずまずです。久しぶりの割には動けたかなと。
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久々に

2016-07-01 | 陸上競技
久々にblog書くのを休みました。基本的に毎日更新が目標なのですが。あれこれやっていて疲労感が残っていたので諦めました。特別な事をやっていたわけではないのですが。練習をやっていないからネタがないという噂もあります(笑)

あるテレビを見ていたら「お金云々を言うなら教員になるな」という発言をしている元教員がいました。すでに75歳くらいの方でした。「子供たちの事を考えたらお金の事を考えたらダメだ」と。なかなか、ですね。部活動は保護者からの期待なども含まれているのだから「やるのが当たり前だ」と。若い教員であれば文句をいわずにやれ、という雰囲気の発言でした。

まーもうすでに若くないので私達には当てはまらないかもしれないですが。これはどうなんでしょうか。部活の顧問を本気でやらなければ17時過ぎには帰宅できる可能性があります。周囲からは「部活は好きでやっているんだから」という評価ですかね。本気で競技をやろうと思えばこちらも大きなエネルギーを使います。本気でやればこれはこれで批判を受ける可能性がある。面倒な話です。が、それをやるのを「当然だ」と言われるのはどうかと思います。

今私は自分がやりたいと思っている部活動の担当をさせてもらっています。好きでやっている。完全なボランティアですが身銭を切って活動することもかなりあります。それさえも「当然」と言われるのかもしれません。私自身はボランティアという言葉に対して位置付けがあります。これは「ある程度の生活が保障されているからできること」だと思っています。

自分自身が衣食住が十分ではない状態。今日の夕食、食べることができるか?風雨をしのいて安心して寝ることができるか。ここに気を配らなければいけない状態であれば「他の人のために何かしよう」という気にはなれないと思います。まずは自分が生きていくことが大切。それが出来ないのに他の人のために生きていけ、というのは横暴だと思います。

物質的に満たされているからだけではなく精神的にも余裕がなければ「誰かのために」というのは不可能だと思います。時間がなく追い詰められている中で「自分のことは全て後回しにして人のためにやりなさい」と他者から言われるのは違うよねっていう気持ちがあります。好きでやっている私は「勝手にやっているんだから」と言われるのは当然かなと思おますが、「仕方なくやる」という人がいることも否定できないと思います。

それを「やるのが当たり前だろう?」と言われるのは違うのではないか。これは前からずっと言っています。競技に関して「素人」の顧問が保護者から「なんできちんと指導してくれないのか」と言われる。それってどうなのか?「職務」として「監督」を命じられている。これは「怪我の内容に」という部分だけなのかもしれない。それなのに「勝ちたいのに指導を受けられない」と否定されるのは違うのではないか。

もちろん、それぞれの立場がある。当然のことです。私の立場は特殊なのかもしれない。が、問題点の一部分だけを切り抜いて「どうなんだ」という。「人格」や「感情」をすべて捨て去ってやっていく必要があるのか。そんななかで「子供たちに何を伝えるのか」という部分だと思っています。私は比較的自由に生きていると思います。それほど拘束されずです。今はやりたいことをやっている。競技を通じて「教育活動」をしています。それって自分の中では「大きな価値がある」と思っています。しかし、私の中の「価値観」であって他者から見れば「どうでもいい」と言われるかもしれない。そこは分かりません。

うーん、上手くまとまりません。ちょっと時間をおいてまた書きます。
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