事務局の大井秀人(20期)です。
このブログを書いている2月28日は、下の娘の高校の卒業式でした。家族も2名までなら参列OKとのこと。無事、旅立ちを見届けることができうれしさはもちろんですが、制限のあった3年間だけに、これまで出た卒業式とは異なる感慨がありました。
遡ること2020年、新型コロナまん延に伴う最初の緊急事態宣言が出たのが3月13日です。その直後の中学校の卒業式は生徒だけとなり、保護者は参列できませんでした。以降、高校の入学式は生徒だけの説明会のようなもので終わり、そのまま2か月の登校停止。1年は学校行事もほとんど執り行われず、行事があっても入場制限が続き、私も学校に行事を見に行くこともありませんでした。3つ年上の娘の高校時代とは全く異なる、思い返すと、なんと非日常な3年間だったかと思います。
当然ながら、式辞、祝辞、送辞、答辞とすべてがこの非日常をどう過ごし、どう感じたかという話になります。共通するのは、「当たり前」が当たり前でなくなり、「当たり前」の大切さに気付いたという話ですが、卒業生代表の答辞の切り出し文句は驚きでした。
「私たちは「仕方ない」とあきらめることに慣れてしまった世代かもしれません」
ここから「それでも、できることを精一杯頑張る」と話が続くのですが、どう解釈したらいいのか、戸惑いが残りました。自分たちではどうしようもなくコントロールできないことに対して、あきらめることができる能力が身についたということなんですね。この世代の正直な告白だと思います。
さて、ここから私たちの未来を考えたとき、「それでも、できることを精一杯頑張る」にどれだけシフトできるかに懸かっていると感じざるをえ得ませんでした。コロナ禍の中でも、地球温暖化、デジタル、円安、原油高騰、ウクライナ情勢と、一見、どうしようもないと思えることがたくさん起こっています。これらを「仕方ない」で済ますわけにいきません。ただ一方で、コロナで異次元の行動制限に接したこの世代は、意外にしなやかに対応できるのかもしれないとも感じました。
こんなに、複雑な思いを巡らさせられた卒業式は初めてです。若い世代のメッセージを真摯に受け止めて、未来を考えねばと思い直しました。
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