みなさんこんにちは。
稼プロ!19期の森です。
GWの最終日にブログを書いております。
私的には、家族で山形へ行ってきました。
原宿とか江の島とか、東京駅などニュースではすごいことになっていましたが、山形はインバウンドの恩恵もあまり感じられず、どこも混雑しているとも寂しすぎるということもなく丁度良かったです(商売的にどうかは別の話ですが)。
あと、ホテルや旅館は泊まった全てで外国人スタッフがおり、いよいよ外国人労働者無しでは成り立たないんだなと感じました。
さて、今日の本題は、その旅行の帰りに車内で聴いたJ-waveの「イノベーションワールド」という番組内の「未来授業」というコーナーで今月講義を担当される東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長の伊藤 亜紗氏のお話しが興味深かったので、そのご紹介になります。
端的に言うと、人が「できない」ことが「できるようになる」のは、「意識が体を完全にはコントロールできていないからだ」というような話です。
つまり、もし人が体を完全に意識下にコントロールできるのであれば、そもそもできないことについては体の動かし方がわからないのであり意識的にはできないということになる、逆説的ですが、できたときには何かそこに飛躍があるはず、という考えになります。
氏の表現では「体のユルさ」と言っていますが、体に意識から解放されたユルさがある故に新しいことができるようになるとおっしゃっています。
確かに、自転車とか逆上がりとか、縄跳びの二重飛びとか、できた時ってそんな感覚だったかもという記憶が蘇ります。
実際、バーチャル空間(VR)で自分にシッポがあるという状況を設定し、そのシッポは脳波と連携していて、うまく信号が伝わると動かすことができるのですが、それを被験者にやってもらったところ、始めはシッポの動かし方なんて意識のしようがありませんので全然動かせませんが、ふとした瞬間に動かせることがきると以後意識して動かせるようになる、というような実験結果があるそうです。
氏の研究では(氏の専門自体はリベラルアーツの人文系なので、他の理系研究者の協力を得たり引用しています)、体の意識に対する先行をVRなどのテクノロジーによって起こせないか、ということもテーマ(たぶん)にされていて、それを障害のある方の能力開発に繋げるとか、そういった動機が根底にはあるようです。
今、chatGPT(≒AI)が世の中のビジネスや行政のサービスなども大きく変えていきそうな勢いを感じますが、スポーツ(とか医療とか)も、VRなどによる体験から技(能力)を身に付けることが手っ取り早いみたいな、そんな風に変わっていく未来もなんとなく想像できるような気がします。