22期の常木です。
だいぶ春めいてきました。稼プロ22期もあと2ヶ月となり、寂しい限りです。
最近、ニュージーランドの同僚が来日し、関西の病院でドクターに対して会社の製品を使った治療法の説明をするとの事。商談の最後に、「ありがとうございました」の代わりに「おおきに」と言ってみたらとアドバイスをしたら、その通りにやってくれたらしく、とても良いクロージングになったと感謝されました。東京人の私がそんな事をやったら逆効果でしょうが、英語しか話せない白人が関西弁を入れ込んだ努力を好意的に受け取ってもらえたのでしょうか。
私は、30代前半の若かりし頃、仕事の関係で神戸市東灘区に4年半住んでいました。その時に初めて本格的に触れた関西文化へのカルチャーショック、特に笑いに対してのアプローチを書いてみたいと思います。ただし、かなりの主観です。
初めて神戸に住むにあたって、「関西人は笑いに厳しい」と周りからよく言われていました。しかし、結論から言えば「かなり優しい」です。彼らには、私のようなつまらない人間がどうにかして場を盛り上げようとして(たとえ絶望的につまらなくても)笑いをとって頑張ろうとしている努力をちゃんと認める文化があるのではないかとさえ、思えました。
基本、関西人の盛り上げ方は「いかに自分を笑うか」だと思っています。自分の滑稽な部分やダメな部分を面白おかしく表現して、自らを落としまくるのが基本スタンスです。そんな事をして何の得があるのかと当時の私は思いましたが、よくよく聞いてみると、自分をネタにして笑いをとりつつ、それができる心の広さや余裕も同時にアピールしているとの事。それを見る女子も、そうやって場を盛り上げようとする献身性と寛容性を大いに認めて、それをかなり好意的に受け取る、要はモテるという事を言っていました。
そういう受け取り方なんだね、と半ばやっかみを持って聞いてはいたものの、一方ではなぜ東京ではそれが起こらないのかという疑問も残りました。そこはきっとツッコミの大切さと繋がります。東京でいかに自分を落として笑いを取ろうとしても、切れ味鋭い(そして暖かい)ツッコミが入らなければ、ダメな奴で終わってしまいます。今はお笑いブームのおかげでかなり市民権を得てきた関西お笑い文化ですが、思い返せば当時はなかなか突っ込んでくれる人もいなく、学生時代に関西から東京に出てきた人たちは、辛かったのではと思います。関西では、いちいちツッコミが入り、それにまたエピソードをかぶせていき、会話が延々と続いていくという中で豊かなコミュニケーションができていることを思うと、東京の水は冷たいと思われても仕方ないです。
ではなぜ、そんな文化の違いができたのか。その根底にあるのは、東京が今も昔もマウンティング市場であることだと私は断言します。全国から人が集まってきて競争をする東京は、自分をいかに強くカッコよく見せるかが一つの勝負であり、「自分を落として笑いを取って、それを好意的に受け取ってもらう寛容性に期待する」などという余裕がはっきり言ってないのだと思っています。そういう意味では、関西は、特に大阪は人口700万を擁する割には大いなるローカルシティで、いい意味での内輪な文化が育まれています。安心して自分を落とせる土壌があるのでしょう。そういう意味で関西の文化をうらやましく思ったりします。
こういった文化考察は、私の持論が合っているのかどうかも分かりませんが、ビジネスにおいて、関西出身者とのコミュニケーションにおいて、とても役立ってきました。稼プロにも塾長を始めとして関西出身者が何人かいらっしゃいますが、私の勝手な持論に対して大いに(温かい)ツッコミを入れていただけることを期待しています。
あと2ヶ月、良い時間にしていけたらと思います。今回も有難うございました。
私は日本では関東しか住んだ経験がないので、関西圏にも住んでみたいです。
意味もなく(温かい)突っ込みだけ入れてみました。