女川町については、以下に画像があります。
震災直後の山村武彦さん撮影の画像2011年3月
私が訪問した時には(2013年4月)には本当に唖然としました。
山村武彦さんが撮影された被災建築物はほとんど撤去され更地になった状況でした。
岩清水日記2013年4月
そして、6年ぶりの今回の訪問でまたも唖然としました。
全く新しい街に生まれ変わっていました。
女 . . . 本文を読む
今回、訪問時には整備中ということでした。
2013年4月に訪問した際のブログ記事はこちらです。
最近の復興状況については、河北新報の記事にあります。
小学校に隣接してある墓地は再建され、新たにお墓が増えていました。
小学校周辺の復興はまだまだでした。
被災地全体に渡って墓地が増えているように思います。
復興がなかなか進まない中、せめて亡くなられた方々の供養だけは欠かしてはな . . . 本文を読む
東松島市野蒜駅周辺もすっかり様変わりしていました。
2013年4月当時の様子です。
以下は
東松島震災復興祈念公園震災復興伝承館
の画像です。
駅舎跡が伝承館になっています。
伝承館2階に展示している券売機。破壊されています。
2階展示スペースです。
プラットホームが保存されています。
隣接して、東松島震災復興記念公園があります。
3本の柱の . . . 本文を読む
仙台市荒浜小学校については仙台市のホームページに詳しく掲載されています。
2013年に訪問して以来です。その時は近づくこともできませんでした。
現在は震災遺構として整備されています。
↓ 当時の様子です。
今回の訪問時の写真を掲載します。
荒浜小学校は、1873年創立の歴史ある小学校です。震災当時は91名の児童が通学していました。
その周囲には約800世帯2200人が生活 . . . 本文を読む
岡山市内での行われました。
活動報告と漫談でした。
まことに多岐にわたる活動です。
それもとても有意義で民間大使的な活動もされています。
まず、2011年3月11日から始まる福島第一原発爆発事故後の活動からです。
東電の記者会見を徹底してテレビで観る。
記者の質問も吟味する。
どの記者がどのような発言をするかもチェック。東電側の対応もチェック。
手を挙げても質問させない記者がいる。 . . . 本文を読む
2011年の3月11日を思い出します。
岡山市の地域包括センターの業務で家庭訪問していました。
そのお宅のテレビに、東北地方の海岸(平野部でした)に次々と津波が押し寄せるシーンが写っていました。
大地震があったことも知りませんでしたので、唖然として画面を見入りました。
津波から逃げ惑う自動車を追いかけるように撮られた映像はヘリコプターからものでした。
午後3時台だったのでしょう。
事務 . . . 本文を読む
福島県富岡町の人々の「語りびと」活動を取材した『桜の街の記憶をつなぐ』の電子紙芝居の最終版です。
故郷のことを話す喜び。
そして、聴いていただく。
「桜隊」と呼んでいます。
桜にもいろいろあるけれど。
葉桜。
全国に離れて住んでいる富岡町民。
どこでも活動はできるのです。
全国で「語りびと」活動をやっていただきたい。
誤解も解いていきたい。 . . . 本文を読む
元校長の青木淑子さん。
街の人々から、生徒の動向が逐一、学校に伝えられるそうです。
そのまま、時間が過ぎてしまった。
花見に大勢の人が訪れてくれる。
だけど休む場所がない。
その3につづく . . . 本文を読む
ビデオリストを見ていました。
ぜひ見ていただきたい福島県富岡町のお話です。
現在の町内住民者は、826名です。
この番組が制作された時期には住むことができていません。
その2につづく
. . . 本文を読む
冒頭の写真は、立ち上がった当初の吉沢さんです。
次は見違えるように活動をしている吉沢さんです。
「カウ・ゴジラ」登場! 名前はまだなかった。
インドにも行きました。
浪江町長選挙にも出馬しました。
厳しい結果でした。
当選者は政権党からの支援があったそうです。
保養キャンプの必要性も話されました。
↓吉沢さん . . . 本文を読む
山本さんの講演を聞くことができました。
知らぬ間に多くの著書が手元にあります。
3.11の写真集。もちろん吉沢さんの写真も。
そして、戦争の記憶。
佐々木秀嶺師の写真集(大型本のため買っていません)。
日本を含むアジアで活動されている。
2018年12月19日、岡山での講演のスライドを撮影させていただきました。
現在、長野県にお住まいです。浅間山です。
とっ . . . 本文を読む
岡山市内陰涼寺の庭に鎮座しています。
カウ・ゴシラだ!
牽引している。軽ワゴンのスピーカーも強力だ。
お寺の室内で講演です。フォトジャーナリスト山本宗輔さんも。
2011年3月11日、大地震の後に大津波、そして原発爆発。
浪江町の様子を話していただきました。
そして、大混乱、定まらない避難場所。
家畜の生き地獄。
殺処分された牛1687頭、埋められた家畜は牛34 . . . 本文を読む
『311から岡山へ』
巻頭の「あいさつ」を転載させていただきます。
あいさつ
東日本大震災が起こったあの日から、6年を迎えます
「子ども未来・愛ネットワーク」は2011年5月より原発事故からの避難や保養の受け入れ支援などをしてきましたが昨年は、福島県から岡山県に避難された方を取材し「福島から岡山へ 原発事故から5年目のいま」の冊子におひとりおひとりの3.11を記させ . . . 本文を読む