この作品の監督であるイルケル・チャタクさんはトルコにルーツを持つドイツ人です。ドイツ生まれながらトルコで育っています。
作中のノヴァック先生はポーランド移民の子です。
監督はなにをノヴァック先生に託しているのか、興味深いですね。
さて、盗撮したノヴァック先生は、一度はオープンにした録画を封印します。
2度と人に見せることはありませんでした。
エモーショナルな行動を起こしたのちに冷静になり自らの行動を反省したようです。
しかし、噂に蓋はできません。
生徒も保護者も真相を求めて行動します。
仲間であるべき教員とは教員室内で盗撮されたということでぎくしゃくしてしまいます。
中には、不寛容の権化といえる教員もいます。
まったく孤立無援な状態になります。ほんの一部の教員は同情的ですが…
映画はこの辺りからのノヴァック先生の主観に入り込んだように思いました。
周りの環境がいびつになっていきます。
この環境に人は耐えられるのか、無理無理!と思ってしまいました。
さすがのノヴァック先生も過呼吸におちいってしまいます。
もう病んでいる状況です。現場から離れる対応があってもしかるべき段階です。
(一方、映画に没頭して観ている私は、この辺りからチャタク監督の意図の片鱗を見たように感じました。
私の観方は没頭から俯瞰へと変わりました。)
この日も教員室では激論が交わされていました。
ノヴァック先生の頭はパニック状態です。
そこに生徒が入ってきます。
ノヴァック先生への学校新聞の取材です。15分程度ということなので部室に同行します。
とても学校新聞の部室とは思えないスケール感のある空間でした。
大人びた生徒たちです。よくよく考えてみれば学校新聞ですから上級生もいるわけです。15~16歳の生徒も。
テーブルを挟んで取材が始まります。
軽く考えていたノヴァック先生は思ってもいなかった厳しい追及を受けます。
最初は対面で話していた生徒の数がどんどん増えていきます。
ノヴァック先生の孤立は一層増します。
なんとか持ちこたえて、印刷前に原稿チェックをする約束をします。
ところがこの約束は守られずに印刷されてしまうのです。
(まさに現代社会、そしてメディアの現状がここに投影されているようでした。チャタク監督みごとです)
さて、ノヴァック先生はどうなるのでしょう。
続きます。
※見出し画像はチラシの表紙です。このチラシ、よく考えられていると思います。なぜこれだけアップになっているのか。
裏面との対比も面白い。次回紹介します。
ウクライナに平和!
ガザに平和を!
東京都に新しい風を!