いやー昨夜も暑かったです。
どうもこの1カ月(以上か)は体調管理第一に考えて過ごしていくしかないようです。
庭の草抜きやお墓の掃除もありますが、もし涼しい日があればやってみようかな。
という程度で考えています。
今年はいつまで酷暑が続くかわかりませんが、酷暑明けまでは次の計画の準備期間と考えておとなしくしています。
10月には新潟県に行こうと思っています。
昨年も10月 . . . 本文を読む
「大抵の人間が最も苦手とするのは無為ということだ。一番苦痛とするのは退屈だ。だから暇さえあればインターネットなるものに夢中になって他と接触したり、何もしないときはテレビを付けたり、刺戟によって無為の代替えとする。忙しがっている方が、無為より充実した生だと錯覚している。」
中野孝次『風の良寛』より
四半世紀前に書かれた文章ですが、時は過ぎても何も変わっていませんね。
私の生活も現代人の性向そ . . . 本文を読む
先日、全国良寛会の会員証や会報「良寛だより」を送っていただきました。
ありがとうございます。
親族が玉島で良寛さんについて円通寺に通い研究をしていた経緯もあり、岡山市内の公民館で良寛さんの講座を受講していました。
その講座を修了してから昨年は新潟の良寛さんの旧跡を歩きました。
現地で学ぶことの大切を感じました。
しかし以降は一人で書物に向かうことしかできなく、様々な方のホームページを閲覧 . . . 本文を読む
この宮のもりの木したに子供らとあそぶ春日は暮れずともよし
この宮とは、国上山の山麓にある乙子神社のこと。
良寛さんが60代に住んだ草庵がありました。
それまで住んでいた雪深い五合庵から里の草庵に移り(山ごもりがきつくなった)、
神社の森で子供たちとともに遊ぶ良寛さんが思われます。
日が長くなり待ち焦がれた春が訪れた喜びが詠われています。
暮れずともよし、いつまでもこうしていたい子供たち . . . 本文を読む
10月に訪問した新潟の良寛さんの旧跡巡りの折のことです。
出雲崎の良寛記念館でも何冊か小島正芳氏の書籍を購入しました。
この『若き良寛の肖像』も販売されていたのですがその場では買うことはありませんでした。
ところが小島正芳氏の他の書物を読んでみると、この本を購入しなかったのは大きなミスだったことが分かりました。
アマゾンで販売していないかと検索しました。幸運にも1冊ありました(今は在庫なし . . . 本文を読む
やはり百聞は一見にしかずですね。
玉島円通寺しか知らない私にとって新潟の良寛さんの旧跡訪問はまさに「地に足をつけて」の旅でした。
書物を読んでも理解できないのは空間感覚です。
特に良寛さんの場合は、五合庵をはじめ仮住まいをした村も多いことと、
かなり広範囲に托鉢をして回ったこと、地元支援者と親族によるネットワーク。
当然ながら良寛さんの移動手段は徒歩のみ。車でも相当な距離を托鉢で歩いてい . . . 本文を読む
まつだいの駅前を歩きました。
駅前でこの楽しさ
お米が売っていました
ぽつんとお社
右手の白い建物は「農舞台」
まつだい駅に戻ってきました。
3階まで吹き抜けの駅ビル
車で高原から谷間に降りていきます。
美人林というブナ林がありました
このようなまっすぐ伸びたブナ林は初めて見ます
人工林ですね。
各地の山を歩いている . . . 本文を読む
今回の旅の出発点は長野市です。
振り出しに戻りたいと思います。
良寛さんも参拝したという善光寺に向けて長岡市から南下します。
昼食は、ながおか花火館でとりました。この旅では昼食はすべて「道の駅」でした。
主要道路脇にありとにかく便利です。
有名な長岡花火大会のジオラマです。
三尺玉の大きさにびっくり、ロケット台のようでした。
花火玉の構造です。
大スクリーンです。
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与板の街について事前には父以南の故郷という程度しか知りませんでしたが、
この街はぜひ詳しく知りたい、訪問したいと思っていました。
徳昌寺に続いて父以南の生家があった割元新木場家跡を訪問しました。
割元新木場家と以南についてはこちらからどうぞ。新潟県のホームページです。
なお、以南は京都・桂川で投身自殺したと言われています。
良寛38歳のことでした。なぜ以南が京都に . . . 本文を読む
良寛の終焉の地・島崎和島から父以南が生まれた与板に向かいます。
もう午後4時頃になっていました。
与板で何を観ればよいか事前の準備ができていませんでした。
ぶっつけ本番になってしまいました。
与板の街に到着すると、長く商店街が続いていました。
軒先を屋根を付けたアーケードです。積雪対策だと思います。
↓ 城下町与板のイラストマップです。
黄色のマーカーで印した地点は、次 . . . 本文を読む
良寛の終焉の地の近くに「良寛の里美術館」があります。
良寛「鉢の子」の長歌です。
玄関前です。
受付周辺です。もちろん展示スペースは撮影できません。
秋篠宮妃も訪問されたのですね。受付にはどなたもおられません。
しばらくすると出てこられました。
入場者は私たちのみです。
玄関正面にはおなじみの手毬で遊ぶ良寛と子どもたちです。
右のステンドグラスは手毬です。
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国上山を後にして島崎和島に向かいます。
島崎和島は、良寛が貞心尼と会った村であり良寛終焉の地です。
レンタカーのナビを頼りに行くのですが、最適なルートを選んでいるとは思えないなー
昨日通過した寺泊を再び通過して寺泊郷本から島崎和島に向かいました。
ナビとは違う看板を見ての判断です。
道の駅に着きました。現在地の確認です。
道の駅「わしま」です。良寛さん一色です。
手毬 . . . 本文を読む
この新潟への旅の目的地の一つ、国上寺と五合庵に向かいます。
国上寺の駐車場です。国上山の中腹にあります。
参道を上がっていきます。
石仏が並びます。
「越後一 国上寺」とあります。
山門をくぐります。珍しいですね。
国上寺についてはこちら。
現在は真言宗のお寺です。
参拝してから五合庵に向かいます。
深い山の中の山道を下ります、思いのほか遠いで . . . 本文を読む
弥彦神社は越後一宮です。
歴史はとても古く、「ご由緒」には創建2400年とあります!
神代のお話です。
境内に入ります。御手洗川に架かる玉の橋です。
ネットからマップをお借りしました。玉の橋はマップ左下にあります。
手水舎前では、11月に行われる「菊まつり」の準備が始まっていました。
なぜ良寛さんと神社に関係があるのかと思われるかもしれませんが、
江戸期には神仏が明確に分けら . . . 本文を読む
出雲崎から寺泊を経て弥彦までのルートです。
(中央の薄青のラインは信濃川です。中央あたりで分水しています。右上へのラインが本流です。
分水地区と呼ばれています。
出雲崎から少し行くと寺泊郷本です。○マークです。
この郷本の海岸に塩焼き小屋がありました。
そこに空き小屋があり住みついたと伝えられています。
良寛空庵跡という石碑が建っているそうです。
良寛の逸話が残っ . . . 本文を読む