良寛の終焉の地の近くに「良寛の里美術館」があります。
良寛「鉢の子」の長歌です。
玄関前です。
受付周辺です。もちろん展示スペースは撮影できません。
秋篠宮妃も訪問されたのですね。受付にはどなたもおられません。
しばらくすると出てこられました。
入場者は私たちのみです。
玄関正面にはおなじみの手毬で遊ぶ良寛と子どもたちです。
右のステンドグラスは手毬です。
職員の方が展示作品一つ一つを詳しく説明してくださいました。
岡山から来たと話すと、玉島に行ったことがないとのこと。
確かに遠いです。
一度は行きたいと。ぜひ来てください!
良寛が貞心尼との対話しているシーンです。良寛70歳、貞心尼30歳でした。
wikiの貞心尼のページは非常に詳しく(過ぎるほど)、記述されていました。びっくりしました。
一読をおすすめするのをためらう程です。
良寛さんの服装に注目です。僧衣ではありません。この美術館の像はすべて同様です。
この先が展示スペースです。
貞心尼がこの地を訪問するのは大変なことです。
住職をしていた長岡・福島(ふくじま)閻魔堂から信濃川の蔵王の渡しを渡り、与板、塩入峠を経て和島・木村家に来たようです。車で通ってみましたが大変な距離です。一日では難しいのではないかと思いました。
貞心尼の存在が良寛の最晩年を花やかにしたこと、また貞心尼が成した良寛との唱和集『蓮の露』は貴重な文化的財産だと思います。
職員さんによれば、良寛への関心が薄れているそうです。教科書にも載らなくなったと言われます。
確かに、岡山の古本屋市では数千冊の本の中で良寛関係の本は2冊だけでした。
京都南部の図書館では一冊も棚にありませんでした。
京都といえば一休だし、良寛が京都に住んだこともありませんが。
とても寂しく思いました。
続きます。次は与板です。良寛の父以南の生地です。
お読みいただきありがとうございました。
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